さよならのプロポーズ54
そうして、獣道は突如開けた場所に出た。聳える雄大な山の麓、山から崩れ落ちたのか、ごろごろとした大きな岩があちこちに散らばるその中に、朽ちた木材が幾重にも折り重なり、擦り切れた布がその隙間からあちこちに顔を覗かせていた。
「ここが…?」
「はい。想像したよりも、粗末な物でしょ?」
「いえ…立派なお屋敷だった事はわかります」
崩れてはいるが、その木材の置かれた面積や積み重なる高さを考えると、想像よりも立派な建物が建っていた事は想像が出来た。
「この島ではね。…島民達の憩いの場でもありました」
ランは懐かしそうに、悲しみを堪えるように辺りを見渡し、むき出しの木材に触れた。
純鈴はその背中を見て、来た道を振り返った。恐らくこの島に人が住んでいた頃、今来た獣道もちゃんと人が通れる道で、この辺り一帯の森も、もしかしたら人が開拓して暮らしていたのかもしれない。
「ここで生まれたんだ…見事に跡形もないが…ここで」
地面に膝をつくランに、純鈴は隣で膝をつき、その木材に、地面に触れた。それから、聳える山を見上げる。
「ここが…義父さんの故郷なんだ…」
ここで、コウシはランを守っていたのだ。もしかしたら、当時から趣味でお菓子を作っていたのかもしれない。この島に和菓子の材料が採れるのかは分からないが、和菓子に近いものを作って、ラン達に振る舞っていたりして。あの泉で何を語って、どんな思いを抱えながら日々を過ごしていたんだろう。
どんな思いで、この島を出たのだろう。
「見つけたぞ!」
声に純鈴が肩を跳ねさせ振り返ると、迅がすかさず純鈴達の前に立ち塞がった。迅の背中越しに、信一の姿が見える。更にその後ろには、ヤブキが焦った様子で駆けてくるのが見えた。スマホを手にしているので、迅に連絡を入れようとしていたのかもしれない。ヤブキは純鈴達に気づくと、「悪い、しくじった!」と、悔しそうに声を張り上げた。
「迅、ランを守れ!こいつ、めちゃくちゃだ!」
ヤブキが信一に駆け寄り掴みかかろうとするが、信一はすかさずナイフを振り回した。まだヤブキの正体は、ランの仲間としか思われていないようだ。ヤブキがヤチタカの人間だと知れていたら、信一は真っ先にヤブキを捕らえようとするだろう。
森からは、遅れて時谷の社員達がやって来る、数は八人で、その内の数名が、ヤブキを取り囲もうとしている。
ヤブキは少々の怪我ならやり過ごせるだろう、傷はすぐに塞がるし、塞がれば傷跡もなく痛みもそこで止まる。しかし、目の前にはランがいる。ヤブキはランに視線を向け、今無茶をすべきか悩んでいるようだった。ランはまっすぐにヤブキを見つめている、その瞳はヤブキの思いを制するかのように強く、ヤブキはぐっと堪えて信一のナイフを前に立ち止まった。すぐさま社員達がヤブキを抑えにかかり、信一は愉悦に浸るかのように、ナイフをちらつかせながらヤブキの側へ歩みを進める。
「お前がうちに潜り込んで手引きしたのか。この島を燃やしたって、不老の体があれば問題ない!ラン、こいつを傷つけられたくなければ、こちらに来い!」
抑え込まれて膝をついているヤブキの頬にナイフが当たる、他の社員達がランの方へにじり寄る。
ランは立ち上がり、信一を見据えた。そして、盾となる迅を下がらせると、ランは迅の制止も無視して一歩前に進み出た。
「どうしてそうまでして、ヤチタカを欲しがる」
その声や瞳が、信一を威圧するようだった。それがどんな凶器をちらつかせるよりも威力を持っているのか、ランの背中しか見えない純鈴でも良く分かった。
ランを取り囲もうとする者達が、ヤブキを抑えつけている者達が、空気に伝わる圧力を敏感に感じ取り、表情に躊躇いを見せている。ヤブキも瞳を見開いたかと思えば、頭を垂れるように顔を伏せた、まるで王子を敬うように。それだけ、ランの取り巻く空気が一変していたからだ。ヤブキにとっては、ここはヤチタカの城跡、記憶の中の風景と照らし合わせ、余計に胸が震えたのかもしれない。
その中で、信一だけはランに屈せぬよう唇を噛みしめ、血走った目をランに向けていた。
純鈴は不安を覚え、ランの側に寄った。
「お前らに私の気持ちが分かるわけない!」
信一は後方に顔を向けて、声を張り上げた。
「おい、お前ら!さっさとこいつを捕らえろ!」
こいつとは、ランの事だ。
信一の声に、社員達は我に返ったように顔を上げ、上ずった返事と共に背負っていた荷物を放ると、焦った様子でランへ駆けていく。さすがに迅が前に出ていくが、ヤブキを押さえている社員を覗いて相手は六人。いくら腕が立つとはいえ、一人でランを庇いながらの攻防は不利だろう。
「ラン!もう、」
ヤブキは何か言おうとしたが、その先は言葉にする事なく喉の奥に吸い込まれていく。純鈴は縋るようにランを見たが、ランは何も言葉にする事なく、ヤブキを見つめていた。その瞳がヤブキの言葉を奪っているように見えて、純鈴は戸惑いを覚えた。
ヤブキとランの間で、何が交わされたのかは分からないが、迅がどうにか抑えてくれている間、ヤブキは悔やしそうに唇を噛みしめた。
「迅さん、」
純鈴が思わず踏み出したが、ランに手で制される。加勢に行っても何も出来ないのは分かってる、けれど、何もせずにはいられない。ランは状況を見ているのか、ヤブキや迅の元へ駆け出そうとはしなかった。
山の向こうでは、何かが崩れるような音が聞こえる。まだ残る起爆装置に引火したのか、それとも炎が自然を飲み込んで駆け回っているせいなのか、空を覆う黒煙と炎の赤々とした灯りに、純鈴の不安は更に増していく。




