さよならのプロポーズ50
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少しして、純鈴はランの元へ向かった。それ程大きくない泉だが、それは森の奥へと続いている。泉の周囲にはシダの葉だろうか、それらが鬱蒼と壁のように生い茂っていた。
ランはその泉のほとりに座り込んでいた。しゅんと丸まった背中は落ち込んでいるようにも見え、側に立っている迅も、どこか心配そうにランを見つめている。
純鈴が側に寄れば、迅は表情を変えずに小さく頷いた。お願いしますよと、釘を刺されているようにも、任されているようにも思え、純鈴は緊張を和らげるように小さく深呼吸をして、勇気を出してランの傍らに腰を下ろした。
「ランさん、」
謝罪をしようと声を掛ければ、おずおずと顔を上げたランはとても申し訳なさそうな顔をしていて、純鈴はきょとんとしてしまった。無神経な事を言って傷つけたのは純鈴の方なのに、ランは声を荒げてしまった事を後悔しているようだった。
「さっきは申し訳なかった」
向き直って頭を下げるランに、純鈴も慌てて向き直り頭を下げた。
「私こそ、ごめんなさい!無神経な事を言って…本当に、そんなつもりは無かったんです」
ごめんなさいと、再び純鈴が頭を下げれば、ランは戸惑いながら純鈴の肩に視線を向けた。
「痛くなかったですか?その、強く掴んでしまって」
「全然平気ですよ、和菓子作りで体力ついてますから!」
その後ろめたいような声に、純鈴がはっとして顔を上げれば、顔を上げる勢いが良すぎたのかランは目を瞬いて、それからはそっと頬を緩めてくれた。
「…それなら良かった」
だが、その柔らかな微笑みは、どこか寂しく顔を俯けてしまった。純鈴はその様子に不安を覚え声を掛けようとしたが、ちょうどその時、パンッと軽やかに手を打つ音が聞こえてきたので、言葉を引き止めた。手を叩いたのは、ヤブキだった。
「はい、仲直り終了ー!さて、どうしよっか。城跡に行くならすぐに移動しないとだよ、ここも時間の問題だからね」
「城跡?」
「最後に…ただ、見ておきたかっただけですから。今は安全が優先です。時谷が好き放題やってますからね」
純鈴が首を傾げれば、ランが顔を上げてそう言った。
確かに、木々が倒れるような音、地面を掘り起こしているのか機械的な音が、静かな森の空気を震わせ、純鈴達の耳にも届いていた。
ランは立ち上がりながら、純鈴に手を差しのべた。その様子からは、すっかりいつもの様子に戻っているように思えたが、純鈴が礼を言いながらその手に触れると、その手は少しだけ冷たくなっていた。
それは、水に触れたからかもしれないし、夜の森の空気がひんやりとしているせいかもしれない。だけど、純鈴にはそれが別の理由のように思えて、純鈴は思わずその手を引き止めた。
「行きましょう!」
立ち上がりながら、ランの手をぎゅっと握る純鈴に、ランは再び目を瞬いた。
「ここの景観も無くなっちゃうんでしょ?だったら、無くなっちゃう前に見ておきたいと思うなら、後悔を感じると思うなら、行った方が良いです。まだ時間はあるでしょう?」
触れた指先が、じんわりと温かくなってくる。純鈴が握るからだろうが、温もりを通して気持ちも伝わっていかないだろうか。見え隠れするその壁の向こうへ、隙間から染み出す水のように、少しずつで良いから、この気持ちをその壁の内側に置いてほしい。
自分達が側にいる事、城跡を見る見ないだけじゃない、ランは一つずつ何かを諦めようとしている気がする。本当に皆を置いて、どこかへ行ってしまうような気がする。
それが純鈴には怖かった。
必死に気持ちを伝える純鈴に、ランはそっと表情を緩めた。
「…ありがとう。でも、大丈夫ですよ」
「でも、」
「城跡には何もありませんから」
「…育った場所でしょ?お墓だって荒らされてるかもしれないんでしょ?家族を思える大事な場所なのに…その代わりになるか分からないけど、せめてって、」
食い下がる純鈴に、ランは眉を下げ、「それなら問題ありませんよ」と、純鈴の手を引いた。
「実は、遺骨は前々から移動してあるんです。こういう事もあるかと思って」
泉を取り囲むように生い茂るシダの葉の壁、その一部を掻き分けると、その先には新たな空間が広がっていた。
木々や葉で囲われたそこには、小さな石碑が並べられている。
「ここに、皆が眠っています。きっと暴かれると思ったので、向こうの墓には、動物の骨を埋めています。海に散骨しようと思ったんですが、出来なくて。全て、本当に失ってしまうような気がして」
「…ここに、ランさんのご両親も?」
頷くランに、純鈴はそっと膝をつき、手を合わせた。




