さよならのプロポーズ44
暫く歩くと洞窟に入った。足元は暗かったが、純鈴も懐中電灯をリュックに入れていたし、迅もそういった準備はしていたようで、腰元から小さなライトを取り出し、足元を照らしていた。
外に出るとすっかり陽が落ちていたが、洞窟の先は開けた場所になっていて、不思議と仄かな灯りに満ちていた。
「ここなら少しは安全ですから。この泉は、当時の人間にも見つけられなかったんです、複雑な森の地形のおかげですよ」
そこには、泉があった。普通の水ではないのか、月明かりが反射してキラキラと灯りの役割を果たしているようだった。
それに加え、純鈴はその水の透明度に驚いた。下手すれば水があると分からない程の透明度で、底の方には、水草がゆらゆらと揺らめき、その間で魚が泳いでいるのが見える。
泉の周囲を見渡せば、側には建物があったのか、木の骨組みが潰れたまま置いてある。東屋のような物が建っていたのだろうか。
「キレイ…」
純鈴は思わず呟いた。泉も、泉を取り囲む森も、蔦が絡む建物の残骸すら神聖な空気に満ちているような気がして、まるで別世界へ来たみたいだ。
「これは、普通の水じゃないの?」
「灯りは、泉の底にある水草のせいです。月明かりの下だと、ライトのように光るんですよ。不思議でしょう?」
「はい、自然物でこんな水草があるんですね…。ランさんは、ここには良く来てたんですか?」
「ここは僕達の隠れ場だったんです」
「僕達?」
「迅のお祖父さんや、コウシさんとも良く来てましたよ」
「え?義父さんも?」
「コウシさんは、僕の護衛をずっとやってくれていたんです」
「護衛?護衛って…?ヤチタカの人だから?でも、義父さんもヤチタカの人なんだよね?」
「…そうですね、ちゃんとお話します」
混乱している様子を見てか、ランは少し申し訳なさそうに表情を緩めると、頭に手をやり、その髪の間に指を差し込んだ。パチ、と何やら音が聞こえたと思えば、その黒髪がずれ落ちて、黒髪の下からは、輝くような銀色の髪が現れた。
「…え」
重たかった黒い前髪が、さらりと爽やかに揺れる銀髪に変わる。それから、泉で軽く手をゆすぐと、ランは瞳に触れた。瞳からは黒のカラーコンタクトが外れ、底の見えない瞳は緑色へと変わった。
その緑の瞳はどこまでも澄んでいて、光の角度によってはその色を変化させた。深い緑から、淡い緑へと変わるそれは、まるで宝石のように底が知れなくて、その不思議な輝きに魅了されてしまいそうだった。
「静清さんが見せたあの写真の人物は、僕です。僕の名前は、フゼ・ロマド・ラン。この島の王子です」
「お、王子…?」
「迅もヤチタカの血縁者なので、瞳の色が違うんです」
ランが迅を見上げると、迅は初めてサングラスを外した。そこに見えたのは、きりっとした瞳、その色は、ランと全く同じ色と輝き方をしていた。
世界中どこを探しても、色の濃度が変化する瞳は、彼らだけだろう。
「迅の祖父、ミツミがヤチタカの生まれで、迅は普通の人間です。ただ、ミツミから瞳の色を受け継いでしまったようで。コンタクトがどうしても合わないらしく、瞳の色を隠す為、サングラスを掛けていたんです。瞳の色以外は、普通の人と変わりありませんよ」
「じゃあ、昨日ランさんがサングラス掛けてたのって」
「コンタクトを外していたので」
「…そうだったんだ…。え、待って、それなら、どうして私をわざわざ?」
血縁者どころか、ランはこの島の王子だ。純鈴をわざわざ使う必要もなかったのでは。
「…巻き込んでしまって、申し訳ありません。ですが、僕にはこの島でやらなくてはならない事があったんです。それは、信一に気づかれてはならない事です。それに、僕は前社長と研究者として関わっていたと思わせていたので、彼は僕を疑う事もなかったようで、その内に、ヤチタカの人間であるコウシさんを見つけられてしまったんです。信一は、コウシさんが亡くなった事、娘がいる事を知ると、純鈴さんに目星をつけたので…あなたを守る為に…」
申し訳ないと、ランは頭を下げた。確かに、純鈴はこの事態に巻き込まれる必要はなかったかもしれない。それでも真実を知れば、純鈴の行動は結局変わらなかったかもしれない。
「謝らないで下さい。私にとって、義父の故郷には変わりないんです。きっと、どちらにしろここに来てたと思います。何か力になれるならって」
ランは申し訳なく眉を下げた。
「でも、まさか義父さんが、王子様の護衛?そんな大変な役職についていたなんて…」
純鈴は驚きながらコウシを思い浮かべた。思い浮かぶ姿は、いつも優しく笑っていた姿、大好きなあんこの匂いがして、厨房に隣に立てば、こんな職人になりたいと思わせてくれた。
懐かしさに、純鈴は自然と頬を緩めた。
「うちではいつも気楽な感じで、たい焼きを一緒に食べて、旅行は出来なかったけど、家族で色んな所に出かけて、本当に普通の人だったから、何か想像もつかなくて…」
笑い顔が懐かしさで満ちて、ランはそっとその目を伏せた。
ランにとっても、コウシは大切な存在だったのだろう。純鈴が話すコウシの話を、嬉しそうに、懐かしそうに、それでいて、どこか寂しそうな表情を浮かべながら聞いていた。
「コウシさんは、あなた達と出会えて幸せだったと思います」
それから、ランは少し顔を俯けた。
「…コウシさんが亡くなったと聞いた時は、悲しかった。本当なら、最後に顔を見たかったけど、僕らは葬儀にも出られないから」
「え、どうして?来てくれたら良かったのに」
「僕は、見た目ならあなたより若い、コウシさんとの関係を聞かれたら嘘をつかなくてはならない。嘘から存在がバレてしまった過去もありましたから。
…本土に来ても、不老の体質なんて枷でしかならないんです」
自嘲に満ちた表情は寂しいもので、ランはそれに気づいてか、気を取り直すように立ち上がった。
「だから、コウシさんが幸せそうで嬉しかったです」
それから微笑み、ラン再び森の中を見渡した。その姿に、言葉にしないランの思いが少しだけ垣間見た気がして、純鈴は声を掛けられなかった。
普通の幸せを、普通の生活が、ヤチタカの人達には遠いものだと、その背中が言っているような気がした。




