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さよならのプロポーズ  作者: 茶野森かのこ


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さよならのプロポーズ42


「よく見ろ!」


駆け寄ろうとする社員達に向け、ランが叫ぶ。再び空気を裂く声は、社員達の足を止めさせる。それが不思議だった、ただの青年に、従わなければならないと思わされる。感じた事のない感覚に、純鈴(すみれ)は胸が騒いで落ち着かない。


ランは社員達に視線を走らせる、それは威圧的で、一歩、また一歩と社員達の足を後退させる。「何をしている!」と、信一(しんいち)が僅か声を震わせながらも叫ぶが、ランの視線を真っ向から浴びると、信一も躊躇いに声を詰まらせた。

ランはゆっくりと信一に近づきながら、腰元から折り畳み式のナイフを取り出した。小さなナイフだが、凶器に変わりなく、それをランが手にしているというだけで、大勢の大人達を怯ませるには十分な効果があった。


「ランさん…?」


しかし、ランがそれを他人に向ける事はない。ランは信一の前で立ち止まると、自身の腕を突き出し、そのナイフを直に腕にあてた。それにより、ランが何をしようとしてるのか分かり、純鈴は瞳を揺らした。


「や、やめて!」


しかし、その手は振り下ろされた。ランの腕にはざっくりと深い傷がつき、ぼたぼたと血が大量に溢れ出していく。その姿に周囲はどよめき、純鈴は悲鳴を飲み込み、ランに駆け寄ろうとしたが、それを信一の手が引き止める。

ランは苦痛に歪む顔を、唇を噛んでやり過ごしているようだ。


「…何をしている」


信一が呆然と呟く。ランは傷から溢れる血を服の裾で拭い、その深い傷を信一の前に晒した。すると、その傷は不思議な事に、みるみる内に塞がっていく。


「彼女を放せ、僕こそヤチタカの血を受け継ぐ者だ」

「な、」


皆が呆気に取られた瞬間、突然大きな地響きが起こり、地面が大きく揺れた。それにより、皆の意識が地面の揺れに向かっていく。

「地震だ!」と社員達が声を上げて戸惑う中、純鈴は、誰かの手が背中に触れた事に気づいた。


「いいや、神の怒りだね」

「え、」


聞き慣れない男の声に、純鈴が驚いて振り返ろうとしたが、その前に背中を思いきり押され、よろけた体はランの胸の中に収まった。気づけば信一の手は純鈴から離れている。


「走りますよ」

「わ、」


ランは穏やかに言うと、そのまま純鈴の手を引いて走り出す。今深い傷を負ったばかりだというのに、その顔には痛みの欠片もなく、腕も難なく振れていた。


「逃がすな!」


信一の声に社員達が動こうとするが、まだ揺れている足場に戸惑い、上手く連携が取れていないようだ。それでも追ってくる者達には、いつの間にか捕らわれていた腕を振りほどいた迅が、彼らの足止めをしてくれていた。

だが、地震が起きているとはいえ、多勢に無勢。心配になって純鈴が振り返ろうとすれば、ランにくいっと手を引かれ、純鈴は前に顔を向けた。


(じん)は心配ない、あれはプロだから」

「プロ?自衛隊とか?ボクサーとか?」

「特殊部隊とだけ言っておく」


ランの声は軽やかだが、何だか深く踏み込むのも怖い気がして、とりあえず純鈴は心配を押しやった。何より今は、逃げろという事だろう。


「ねぇ、どこに行くの?逃げるにしても船がないし、森だよ?」


人が暮らしていた時代は、道が舗装され、きっと建物や畑や水路といったものもあったのだろうが、今は地面もぼこぼことしていて、どこからが森か分からないような状態だ。


「ここは僕の島だ、安心していい」


その凛と澄んだ声と、迷いのないその言葉に、純鈴は暫しランを見つめた。

今初めて、ランが信じられると思った。

その言葉だけ見ると、今までの発言の中で一番突飛で、一番信用出来なさそうな言葉なのに、今のランからは嘘偽りが感じられない。


すぐに治ってしまった傷も、奇妙とは思えなかった。ずっとそんな気がしていたからだろうか、それとも、全てはランだからだろうか。


純鈴は温かな手を握り返し、しっかりとランに頷いた。見上げたランは、「よし」と一つ頷いて前を向く。その姿は、頼りがい以外の何者でもなく、まるで森に導かれているように進むその様からは、神秘的なものさえ感じて、純鈴はランの背中に見惚れるばかりだった。




***



「くそ!早く探し出せ!その身一つで海に出れる筈がない!船を守れ、港から沖で停泊しろ!」


港の側では地面の揺れもようやく治まり、信一の指示の元、社員達が動き出していた。


「ここは、逃げ場のない孤島だ、祟りなど知るものか。何としてでもランを捕らえろ!あとはどうなったっていい!」


島の秘密を暴く鍵は信一の手元にある。これさえあれば、ヤチタカの力を手に入れたも同然だと、信一はほくそ笑む。


その隣で、預けられたペンダントを、静清(しずきよ)が呆然と見つめていた。




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