さよならのプロポーズ33
伝説にある女神は、悲しみを癒せただろうか。
純鈴が飛ばしたランタンには、明日、無事に帰って来れるようにと願いを書いた。
「明日は、時谷の社長もくるんだよね…」
信一の思惑を止める為に向かうのだから、信一に来て貰わないと話が進まない。分かってはいるが、命まで狙っていると言われたら、正直怖い。
島の秘密を暴く為、宝探しみたいな事をするんだろうか、ラン達は、この島に秘密はないと信一に分からせるというが、果たして上手くいくのだろうか。
「…そもそも、本当に秘密を見つけちゃったらどうするんだろ」
ペンダントがその在りかを示すというが、もし万が一、ビギナーズラック的に見つけてしまったらどうするのか。確率は低くても、島を知らない純鈴には、そんな事もあり得るのではと不安になる。
不老の体は、ヤチタカに生まれて島で生活をしなければ、その体質にならないと言う。もしそれを知ったら、信一はどうするのだろう。島の植物とか食べられそうな物を片っ端から調べ尽くすのだろうか。地面とか山とかほっくり返したりしたら、それこそ島が壊されてしまう。
「島のあれこれの成分を分析して、最後は私の血を混ぜたりして、何か試すのかな…」
何を試すのかは分からないが、人体実験の話をつい思い浮かべてしまう。
想像の中の信一は、スリラーサスペンス映画のサイコパスのような姿で、純鈴は身震いした。
絶対に秘密を明かしてはならない。あの島には、不老の秘密も、そもそもそんな人間はいないのだと、信一に絶対分かって貰わなきゃならない、そうでないと困る。
純鈴は考えを改めて、前向きな事を考えようと気持ちを切り替え、着替えやらを取り出しながら、明日の予定を頭の中に思い浮かべた。
何も話すな、勝手に動くな、後ろにいろ。
「あー…」
ランの冷たい声が甦り、純鈴は溜め息を吐いて、着替えを放り投げた。
船に十時間以上揺られてる間も、島に上陸してからも、何もするなとランは言うのだろう。信一を前に緊張しながら何もしないでいるのは、逆にサイコパスに意識が捕らわれ、頭がおかしくなる予感しかしない。
改めて、とんでもない事になってしまったなと、純鈴は床に座り込み、天井の電気に手をかざした。指輪が部屋の明かりに反射して、キラ、と輝いた。
「それに、まさか偽物の結婚指輪をはめるとは…」
花純に映ったランの熱心さも、口説く時の嘘の無さも、全てはヤチタカを守る為。純鈴を守る一心というのは、ちょっと違うだろう。ランの気持ちは、ここにはない。
はぁ、と溜め息を吐いて起き上がると、純鈴は鞄の中から顔を望かせる木箱を見て、その木箱を手に取った。
「…義父さんが生きてたら、どうしたのかな」
義父のコウシはヤチタカの生まれだというが、純鈴も母の花純も、不老の体質を疑った事はない。確かに、ヤチタカの人間に多いという突然死だったが、医者もコウシの死や体質を疑っているようには見えなかった。
例え、コウシが普通の人間と違くとも、純鈴にとっては父親でしかなく、本当の父からは受ける事が出来なかった愛情を、沢山注いでくれたと感謝している。
純鈴にとってコウシは、普通の人間と何も変わりはしないのだ。
だからだろうか、不老なんてものを信じてしまう信一が、純鈴には不思議だった。
もし純鈴が、コウシやランとの関係を抜きにヤチタカの話を聞いたら、恐らく信じなかっただろう。不老の伝説が言い伝えとして残っているだけ、それが現実にあるなんて、きっと信じられなかった。
今だって、半信半疑な部分はある。
何を信じようが、それは個人の自由だ。純鈴だって、自分に関係ない問題なら見向きはしなかった。
けれどこれは、純鈴の命の他、コウシの故郷の問題でもある。真相がどうあれ、コウシは秘密へ導くペンダントを守ってきた、ヤチタカを守ってきたのだ。それなら、純鈴だって黙っていられない。
「そっか…義父さんの故郷を、よその人に荒らされる事になるんだ…」
今更そんな事に気づき、純鈴は戸惑った。
ヤチタカに関わってきた人達が、必死に島を守ってきて、コウシも秘密を抱えて必死に守ってきて。それは純鈴にとって、高屋を守る事と同じだ。コウシが守ってきた店を守りたかった、店を潰したくない、ただその一点で耐えてきた。
純鈴は、そっと木箱の表面を撫でた。
思い起こすのは、コウシと出会った頃の事。確か、純鈴が六才の時だ。
初めてコウシと会って、高屋のどら焼を食べさせて貰った時、純鈴はそのどら焼の味に感動したのを覚えている。
ほくっとしたあんこと、ふんわりした生地。それまでは、あんこは強い甘味だけを押し付けてくるものと理解していたので、優しい味わいのあんこに、純鈴は心が震えた。子供ながらに、世界で一番美味しい食べ物を見つけてしまったというような、興奮と幸福に包まれていくのを感じた程だ。
でも、そう思ったのも、きっとその味わいだけじゃない。
「俺のどら焼、旨いだろ」と、コウシは満足気に言いながら、純鈴の頭を優しく撫でた。その大きな手の平と、愛情深い眼差し。初めて会うおじさんは、一瞬で純鈴の中にある他人の壁を壊し、父親という温もりを教えてくれた。
無理も偽りもなく、まっすぐと純鈴に、その心を開いてくれているのを感じた。寂しかった心がいっぱいになった気がして、純鈴は瞬く間に、高屋もコウシの事も好きになった。
純鈴にとってあの店は、家族との日々、思い出そのものなのだ。
ヤチタカの島は、コウシが居たくても居られなくなった故郷。純鈴にとっての、高屋そのもの。
純鈴は、ペンダントの入った木箱を暫し見つめると、よしと気合いを入れて、ランの部屋に向かった。




