さよならのプロポーズ32
***
部屋へ戻ると、主人を待ち構えているかのように、迅が部屋の前で待っていた。その手にはビニール袋があり、用事のついでに買い出しに行っていたようだ。
迅は変わらず、サングラスを掛けたまま。ランと話していても、その表情は鉄仮面を被ったように変わらない。純鈴には、迅が何を思っているのかは分からないが、それでもランはリラックスした様子で会話をしている。
柔らぐランの雰囲気に、純鈴は少しほっとして肩の力を抜いた。
それから、少し遅い夕飯を摂る事となった。純鈴の部屋に皆で集まり、迅が買ってきてくれたお弁当を食べる事に。ホテルには、ルームサービスやレストランもあったが、なるべくなら自分達が調達した物を食べ、人目を避けようという事のようだ。少し心配しすぎではと純鈴は思ったが、用心するに越した事ないのだろう。
イベントに思いっきり参加していたけど。
胸の内でこぼしたが、あれはあれで、ホテル代の割引がかかっているので、仕方なかったのだろう。
そう納得して、純鈴は迅の買ってきてくれたお弁当の蓋を開けた。
「わ、美味しそう!」
思いがけずそう声が出た。中には、食欲をそそるような、色とりどりの野菜がたっぷり詰め込まれ、鶏の照り焼きもふっくらとして、美味しそうな色合いだ。
コンビニかスーパーのお弁当だと思っていたが、どこかのレストランからテイクアウトしたのだろうか。
「月岡が用意しました。地元の野菜を使った弁当のようで、この辺りでは有名な店の物だそうです」
サングラス越しに迅が言う。室内でもサングラスを外さないスタイルも、大分見慣れてきた。
「へえ…わざわざ用意して下さったんですね」
「あいつは好きだな、こういうの」
「もうすっかりこの土地に馴染んでいました」
「あいつらしいな」
そう笑うランは、無邪気な青年そのものだ。きっと、今のランの姿が、本来の姿なのだろう。そう思えば、少しだけ寂しく感じた。
自分の前では、ランがランらしく居られた事など無いのかもしれない、そう思ったからだ。
食事を終えると、すぐに解散となった。
「では、僕は迅の部屋にいますから」
純鈴を部屋に残し、ランは迅と共に部屋を出て行く。
イベントの最中、色々と気になる事はあったが、今のランはすっかりいつもの調子に戻っている。
踏み込もうとすればきっと、見失ってしまう。分からないままの方が近くに感じるなんて、何だかおかしな話だ。
「…とりあえず、お風呂かな」
純鈴は気持ちを切り替え呟いた。この後は、入浴して眠るだけだ。
明日はいよいよ、ヤチタカの島へ向かう。島へはフェリーで向かうようだ。島までは十時間以上かかるというので、明日は早朝にホテルを出る予定だ。
入浴の準備を始めた純鈴だが、母の花純に連絡を入れてない事を思い出し、スマホを取り出した。画面を開けば、花純からのメールが届いていた。
普段は何も気に留めずに生きてるような母だが、さすがに娘を心配してるのだろう、今日は一時間置きに連絡が入っていた。純鈴も、本日何度目かの返信を打とうとしたが、考え直し、電話に切り替えた。
「純鈴!?」
ワンコールで出た花純に驚きつつ、純鈴は電話口から聞こえる母の声に、ほっと安堵した。
遠く離れても、声を聞けば家に帰ったかのような安心感を覚える、家族のありがたみを感じた。
「大丈夫なの?何もなかった?怪我は?してない?あなた大丈夫なの!?」
既に何かあったようなテンションで、花純が畳み掛けてくる。さすがに苦笑い、「何もないよ」と、純鈴は返した。電話の向こうからは、「純鈴ですか?」と、深悠の声も聞こえてくる。今夜は高屋に泊まってくれるのだろうか、それなら純鈴も安心だ。
「そっちは問題ない?」
「何もないわよ、深悠君にまで来て貰って、何だか申し訳ないくらい。純鈴も驚いたでしょ、コウシさんたら、本当に何も教えてくれないんだから」
膨れる花純の声に、ふと、ランの言葉を思い出した。
ランは、コウシは花純と出会い、家族を持つという普通の生活をしたかったのでは、と言った。
それは、コウシの個人的な思いもあるだろうが、花純の為でもあるのかもしれない。片方の思いだけでは、家族になんてなれない。花純もコウシと家族になりたくて、その手を取ったのだ、それなら、不安や危険な事は伏せて、一人でひっそりと家族を守ろうとしていたのかもしれない。
「…義父さんは、私達とただ普通に生活したかったのかも。抱えてるものも忘れて、私達と普通に。守りたかったのかも、家族をただ」
ぽつぽつと話す純鈴に、電話口で母がそっと微笑む気配がする。
「そう言ってくれたの?」
「え?」
「ラン君が」
ランの名前が出た事に、純鈴はどきりとした。どうして分かったのだろうと戸惑いながらも頷けば、花純から溜め息が聞こえる。
それは、落胆ではない。安心とか、心を許すみたいな、そういったものだ。
「そう…だったら、コウシさんも深悠君も責められないわね」
向こうで深悠が苦笑い項垂れる気配がして、純鈴は笑った。
「明日は早いんでしょ?」
「うん」
「余裕が出来たら、連絡してよ?」
「十時間以上も船の上だから電話するよ。そっちも、何かあったら教えてね」
「分かったわ。気をつけるのよ」
「うん」
「ラン君の言うこと聞いてね」
「分かってるってば。ランさんには、何度も釘刺されてるし」
「もう、言わんこっちゃない!」
恐らく頬を膨らませているだろう花純に、純鈴は困った様子で肩を竦めた。
「母さんて、ランさんの事、凄い信用してるよね」
「だって、あなたを口説いてる時だけは、いつも嘘がないように見えたから」
「それは、向こうの目的の為でしょ?」
「あなたを守りたい一心だったのよ」
ふふ、と可憐な笑い声に、純鈴はきょとんとした。花純には、ランの姿がそんな風に見えていたのかと、何だか照れくさくなる。
「じゃあね、今日はゆっくり休みなさい」
「…うん、ありがとう」
お休みと言い合って、通話を終えた。
純鈴はふと、カーテンの開いた窓を見上げた。夜空には、ランタンの優しい灯りが飛んでいる。まだ、どこかで願いや祈りを空に届けているのだろう。




