さよならのプロポーズ27
***
「運転は、迅がしてくれます。護衛だと思ってくれて構いません。なるべく一人で行動はしないように」
「よ、よろしくお願いします」
ランから説明を受け、純鈴は迅に声を掛けたが、迅は相変わらずサングラス越しに無表情で会釈するのみだった。
「それから、これ」
ぽん、と軽く手渡されたのは、剥き出しの銀色の指輪だった。
「…これは」
「結婚指輪です」
これが結婚の証かと、純鈴はシンプルなシルバーリングを手に取り見つめた。
「…まさか、こんな形でつけることになるなんて」
「本物は離婚後、どなたかにつけて貰って下さい」
「…大丈夫です、勘違いはしません」
どこか突き放す言い方が、純鈴の胸に棘をさすみたいで、純鈴は咄嗟に強気を見せて言い返した。
これが嘘の証明なんて、そんな事分かってる。
ランの声は固く、まるで釘をさすような言い方に、純鈴は少なからず傷ついた。ランへと気持ちが傾いている事を見透かされたみたいで、弱い心は簡単に泣きそうになる。
そうでなくても、不安なのに。ちょっとくらい、察してくれたって良いのに。
独りよがりかもしれないけど、ついそんな事を思ってしまう。ここから純鈴が頼れるのは、ランしかいないのだ、ランにまで否定されたら、誰も信じられなくなる。
嘘の証明が、重い石のように感じられる。けれど、あんな一言で揺れる自分も悔しくて、純鈴はそんな気持ちに抵抗するように、左手の薬指に指輪をはめた。
それを見届けて、ランは再び口を開いた。
「ここからは、夫婦としてやっていきます。僕らの事情を知ってるのは、僕とあなた、あなたのお母さんと迅、協力者も含めて六人だけ。時谷の関係者といつ遭遇するか分かりません。あなたは僕と恋愛の末、結婚した事になっているので、そのつもりでお願いします」
「…そのつもりでって言っても…例えば?ずっとベタベタしてるの?」
「あまり接触は好みません。あなたは僕の後ろにいること、余計な事を言わないこと、勝手な行動をしないこと」
そうポンポン言われ、偽装とはいえ結婚をしたからだろうか、なんだか亭主関白な態度に、純鈴は少し腹立たしさを覚えた。
車が走り出してから、ランは言葉こそ丁寧だが、また愛らしい子犬とは程遠い冷たい雰囲気になっている。
この切り替えには何か意味があるのか、こちらが素のように感じられるが、何はともあれ、端から純鈴を信用していないとでも言いたげな物言いは、どうだろうか。
ランはもう純鈴を口説く必要もないし、純鈴も結婚の意味を理解した。信一の思惑を止める為に、純鈴の協力も得た。ランの目的の中で純鈴の役割は、ただそこに居るだけで終わりなのかもしれない。
優しく取り繕う必要がないのも納得はするが、それでも面白くないと感じてしまうのは、手のひらを返された気がするからだろうか。
「なにそれ、関白宣言ですか、別に何もばらしたりしませんよ、口チャックします」
「そういう態度ですよ、新婚でふてくされてる夫婦がいますか」
「いるんじゃないですか?あー、結婚早まったかもって」
年下相手に不貞腐れてみっともないが、純鈴だって、取り繕うようなものは何もない。重い片思いも、恥ずかしい所も、ランには見られてきたし、全て終われば、きっともう会う事もない。
そう、そこまでの関係なのだ。
信一のヤチタカへの思いが切り離せれば、もうランとは会う事もなくなる。ランにとって自分はそれだけの相手だと、純鈴だって分かってはいる。分かってはいてもこんがらがってしまうのが、人間の感情だ。
半ば自棄になってシートに身を預ける純鈴に、ランは溜め息を吐いてその手を取った。思いがけない接触に、純鈴は驚いて飛び起きた。
「な、!」
「あなた、忘れてませんか?もしこれが偽装だとバレれば、あなたの店も失われ、あなた自身もどうなるか分かりませんよ。ヤチタカの娘でないと分かっても、それが本当かどうかその血で確かめようとするかもしれない、もう兄は何をするか分からないんですから」
「…わ、分かってる!離して」
「僕だって、不本意なんです」
そう手を放され、純鈴は言葉なく俯いた。
そんな事、分かってる。
分かっているから、こんな気持ちになるんだ。
悔しいのか、悲しいのか、苦しいのか。この先、見え隠れするランへの思いのせいで、それがどんなに小さなものだって、きっと惨めな事だけは分かる。
車内は途端に険悪ムードだ。さすがに迅も気を遣ったのか、適当に回したラジオからは、穏やかなアナウンサーの声が聞こえてきた。
少しして、ランは「すみません」と呟いた。
「これでも、あなたを案じているんです。だから、兄や時谷の前では、あなたは何も話さないで下さい。僕らの契約は勿論の事、ヤチタカの島の事も何も伝え聞いてないと」
「…はい」
幾分穏やかな口調に、純鈴もつられるように素直に返事をした。
自分の感情に振り回されては駄目だと、純鈴は思い直し、「私もごめんなさい」と謝罪すれば、ランは眉を下げてそっと表情を緩めた。
その顔は、何だか慈しむような思いに溢れ、純鈴は咄嗟に視線を俯け、馴染まない指輪を指で弄ぶ。
思い直したそばからこれでは、決意も覚悟も無駄になってしまいそうだ。
純鈴は気持ちを変えるべく、口を開いた。
「…ねぇ、お母さんや店は本当に大丈夫なの?私みたいな事にならないよね?」
「そこは、心配いりませんよ。言ったでしょう、あなたもよく知ってる人が側についてますから」
「それって、誰なの?」
***
その頃、高屋には来客があった。
「おはようございます」
店は閉めているので、ランにも来客には用心するようにと言われているが、店先でのあまりに聞き馴染みのある声に、花純は目を丸くして戸を開けた。
そして、可憐な瞳は瞬く間に見開いていく。
そこに居たのは、深悠だった。
「おはよう深悠君…どうしたの?」
大苑屋の配達は、昨日のようにランと純鈴とで行ってきた筈だ。
「高屋の警護に参りました」
おどけて言う深悠に、花純は驚きながらも、取りあえず深悠を店内に促した。
「まぁ、もしかしてラン君が頼んだっていうのは…」
「俺の事です。安心して下さい、ちゃんと警護してくれる本職は、この後到着しますから。庭にも見張りを立たせますね」
「でも、仕事は?若旦那がこんな事してていの?」
「こんな事ではありませんよ、コウシさんがずっと守り続けたものですから」
そう微笑む深悠の言葉に、コウシの姿を思い浮かべたのだろう、花純はそっと肩を落とした。
「俺だってコウシさんが大好きでしたから。大丈夫、上手くいきますよ」
深悠は、そう微笑んだ。




