さよならのプロポーズ26
深悠といつものように別れて車に戻ると、ランが運転をかって出てくれた。
「良かったんですか?」
「え?」
「…まぁ、今更どうにも出来ませんが」
主語のない話に、純鈴は深悠の事だなと察した。
「初めからこうするつもりだったくせに」
「…ここまでは考えていませんでした。さすがに戸籍までは。上手く騙すつもりが…」
「良いよ、もう。前に進みましょう、それ以外方法は無いでしょ?」
「全て終われば、この偽装結婚もおしまいですから」
「それまで我慢して下さい」と、ランは言った。
純鈴は頷きながらも、何だか上向きな気持ちを抑えつけられたように感じた。
これが偽物の関係だと改めて突き付けられた気がして、ランへの複雑な思いを胸の内で膨らませていた。
その日は、花純に頼まれた買い物を済ませてランは帰ったが、夜になると連絡が入った。
明後日、ヤチタカの島に入るという。明日は、港近くの町に前乗りするから、準備をしておくようにという事だった。
言われた通り、宿泊の荷物を造りながら、母の花純から受け取ったペンダントの木箱を、大事に鞄の中にしまった。
思ったよりも早く島に行く日が決まり、純鈴の気持ちの準備は、正直まだ出来ていなかった。
ヤチタカの島には、本来、ヤチタカの血を引く人間と、その親族のみ入れる事が出来るとしている。
時谷の創設者達がヤチタカの人間を守る為に作ったルールだが、信一はまだそうだと知らず、そのルールに従い、親族の一人として共に島に入る。
島に入り、隠した不老の秘密は端から無かったと、ラン達は誘導するつもりだろうが、それに納得してもしなくても、信一が勘違いしている以上、純鈴は命を狙われているまま。その上で、義父のルーツを守らなくてはならない。考えれば考える程、覚悟が必要だった。
「純鈴、いい?」
襖の向こうから声がして、純鈴は立ち上がって襖を開けた。花純は不安そうに純鈴を見つめている。
「…本当に行くの?何があるか分からないのよ?」
朝の軽やかさが嘘のように、花純は不安で落ち着かないと言った様子だ。朝はやはりランがいる手前、母なりに気を遣って、店内を明るくしてくれていたのだろう。
純鈴は自分の気持ちはしまい、花純を安心させるように表情を緩めた。
「…でも、こうするしかないし、大丈夫だよ、ランさん達が居るんだから。三神さんなんか、一人で三人も相手に平気な顔してやりあってたし」
「…ごめんね、母さんがしっかりしてれば、」
申し訳なく顔を伏せた花純に、その先の言葉を聞きたくなくて、純鈴は焦って口を開いた。
「やめてよ、私は義父さんに会えて良かったって思ってるよ。それに、勝手に時谷の社長の思い込みで、こんな事になってる訳だし」
言いながら、思い込んでいるのは自分も同じかもしれないと、純鈴は思った。冷静に考えれば、不老の人間なんて怪しいものだ。
「…島に行ったら、実はただの島でしたってだけかもしれないじゃん。日本の神話とかはさ、歴史を神様になぞって書いてたりするでしょ?ランさんの研究だって、そもそも信憑性があるかって言われたら、分かんないし…」
自分で言っておきながら、純鈴は自分の言葉にも違和感を覚えてくる。戸惑いに言葉は段々と尻切れ、そんな純鈴を見て、花純は困り顔で眉を下げた。
「それでも信じちゃったんでしょ?」
「……」
母の言葉がすとんと腑に落ちて、純鈴は顔を上げた。花純はそっと表情を緩めると、純鈴の手を握る。不安を宥めるように、願いをこめるように、何度も純鈴の手を擦りながら。
「お願い、怪我だけはしないでね」
「…うん、大丈夫だよ。母さんも気をつけてね」
この店にだって、何が起こるか分からない。ここは、義父のコウシが作った店だ。ヤチタカの情報を求めて、誰がやって来るか分からない。
「こんな事になるなんて…」
花純は堪らず純鈴を抱きしめ、純鈴は母の背中を、その気持ちが落ち着くまで撫で擦った。
それは、自分の気持ちを落ち着かせる為でもあった。
***
その翌日、ランは迅の運転する車で迎えにきた。一昨日も乗っていた、白い軽自動車だ。明るい所で見ると、車体は傷やへこみが目立ち、まさか時谷の親族が乗っているとは、誰も思わないだろう。
「純鈴さんだけは、何事もなくお返ししますので」
「よろしくお願いします。あなた達も気をつけてね」
ランは花純の言葉にそっと頷き、頭を下げた。
「ここにも間もなく僕の友人がやって来ますので、安心して下さい」
「どんな方なの?」
「お母さんも良く知っている方ですよ」
ランはそれ以上は言わなかった、来たら分かるという事だろうか。
今朝もずっと不安そうな母に、純鈴は別れのハグをした。
「行ってくるね」
「…店は心配しなくて大丈夫よ、しっかりね」
もっと言いたい事はあったようだが、母は敢えて前向きに送り出してくれる。不安な気持ちは、昨夜ちゃんと二人で納得させた。だから、せめてここでは明るく別れると決めていた。
純鈴はしっかりと母に頷き、車に乗り込んだ。
静かな朝の商店街を車が走り出す。店の前で見送る花純を、純鈴は車窓から、その姿が見えなくなるまで見つめていた。




