さよならのプロポーズ24
「では、明日また連絡します」
戸籍上夫婦になったからといって、この生活が変わる訳ではない。家に帰るランを見送る為、純鈴が店の外へ出れば、迅が待機している車が店のすぐ側に停まっていた。
そこで待つなら、家に上がってくれたら良かったのにと、純鈴はふと思う。店の前に車を停めていても、ここは寂れた商店街、空き店舗も多いので、咎める人もいないし、夜に通り抜ける通行人もない。
夜という状況に、純鈴は運転席の迅を盗み見る。迅はまだサングラスを掛けていた。夜間だというのに、この商店街の通りは、街灯はあれど電気はついていない。昼間ですら人通りがほとんどないくらいなので、つける必要がないと、ある時から街灯はオブジェと化した。なので、家灯りがぽつぽつとある状況、サングラスの必要性は見いだせなかった。
あの人、何者なんだろう。
慣れた体さばきに、無表情、必要以上に言葉を発しない、それにサングラス。もしかしたら、顔を晒せないのだろうか、だとしたら曰くつきの人物か。
ぼんやり考えていると、「純鈴さん」とランに声を掛けられ、純鈴ははっとしてランを見上げた。
「念の為、明日は店を閉めていて下さい。一先ずは安心だと思いますが、また何が起きるか分からないので」
「え、でも、大苑屋さんの納品が…」
「それじゃ、僕が配達に行きますよ。一人で外に出るのは、まだ不安なので」
「…でも、朝も早いし」
確かに、純鈴は先程襲われたばかりだ、今は皆がいるので普通にしていられるが、一人で出かけるのは、ちょっと怖いかもしれない。とはいえ、朝早くからランに仕事を頼むのも気が引けてしまう。
純鈴の躊躇いを見て、ランは表情を緩めた。
「構いませんよ。僕の方も、大苑さんには挨拶しないといけませんし」
挨拶、この結婚に関わる事だろうか。
大苑屋から逃げるように飛び出して以来、深悠の顔が見れなくて、純鈴は大苑屋への配達を母の花純に任せていた。配達は車だし、遠くに行く訳でもない、仕事らしい仕事も特に無いので、花純への負担も特にない。なのであれ以来、純鈴は深悠と会っていなかった。
純鈴は少し考え、思いきって顔を上げた。
「…私も、ついて行って良いですか?」
「…それは、構いませんが」
ランが一緒に居れば、純鈴に危険はない筈だ。
ランは頷きながらも、少し戸惑った素振りを見せた。純鈴が深悠への思いに傷ついた事を、知っているからだろうか。
「…その、ちゃんと区切りをつけたいと思って」
きゅっと自然と力の入る手に、純鈴は視線を彷徨わせながら言った。
深悠に会わなかったのは、深悠への思いを忘れてしまった訳ではなく、またその思いが膨れ上がってしまいそうで怖かったからだ。
ランと日々を過ごす中で、その気持ちが変わってきている実感はあっても、これで良いんだと、大丈夫なんだと、自分の気持ちを確かめる為に、ちゃんと前に踏み出す為に。
「分かりました。お供しますよ」
その柔らかな声に顔を上げれば、底の見えない瞳が微笑んだ。
わざと「お供します」なんて言うランが、丸まった気持ちも背中も支えてくれるようで。
不安な気持ちが別の感情に呑まれていくような気がして、純鈴は視線を俯けた。
「…よろしくお願いします」
「はい」
それから明日の配達の為、仕事の時間を確認をすると、ランに促され、別れの挨拶を交わしてから純鈴は店の中に戻った。それから少し遅れて、車の走り出す音が聞こえてくる。
純鈴は、ふぅと息を吐いて、そっと胸を押さえた。
***
翌朝、ランは予定時間よりも随分早く、高屋を訪れた。純鈴達が驚いていると、どら焼を作る工程を見学したいそうだ。
「そうよね。この店が続けられるなら、ラン君だってお店に立つ事になるかもしれないものね!」
花純が背後に花を飛ばしながら言うので、純鈴は危うく大事な小豆を床に落としそうになった。
「母さん!変な事言わないでよ!この結婚は嘘なんだから!」
「でも、心変わりは人には付き物でしょ?未来の事は、誰にも分からないじゃない」
ね、と花純は笑って、軽やかに厨房を後にする。純鈴は盛大に溜め息を吐いて、ランに頭を下げた。
「なんか、ごめんなさい」
「いえ…お母さんに気を遣わせてしまって申し訳ないです」
「…気遣い、なのかな」
「あなたが狙われてると知り、不安でしょうがないでしょう。明るく振る舞ってくれてるんじゃないでしょうか」
「…だとしても、ランさんのせいじゃないですよ」
申し訳なく眉を下げるランに、純鈴はそう言ったが、ランはどこか力なく笑むだけだった。
準備が進む中、ランは義父のコウシが残したレシピノートを見て、真剣な面持ちで純鈴の説明を聞いていた。
「その日の気温も計算に入れてるんですね…」
「うん、いつも通りの味って、作るの意外と大変なんだよ」
そう笑えば、ランは感心した様子で頷いている。あまりに真剣な様子に、先程の花純の言葉が頭に過り、純鈴は慌ててその言葉を打ち消した。
まさか、ランが本気でこの店に立つ事を考えている訳ではない、ただの純粋な興味だろう。ヤチタカ研究者として、そこで生まれた人達の気持ちを理解しようとか、きっとそういう思いからだ。
そう自分に言い聞かせつつも、ランが見ている前での作業に、途端にやり辛さを覚えてしまう。
緊張は、意識の表れだろうか。なのに、ここにランが居る事に、安心を覚えている自分もいる。
どら焼は、今日もいつも通りの味に仕上がった。




