さよならのプロポーズ19
「…ヤチタカという、神の島があるのはご存知ですよね?店に、ポスターが貼ってありますよね?」
ランが戸惑いを浮かべたまま、店舗の方を指差した。確かに、店の壁には、ずっとどこかの島のポスターが貼られている。
それに気づいて、母子は「あぁ、あれが」と声を揃えた。
そう言えば、あの島に名前がある事も、今初めて知った。
今まで何も気にならなかった訳ではない。純鈴も、何故、島のポスターが貼られているのか気になって、義父のコウシに聞いた事がある。その時のコウシの返答は、「無人島とか憧れるだろ?」という呑気なものだったので、さして気にも留めていなかった。
母子の呑気な返答に対し、ランはその表情に僅か焦りを滲ませた。ランの予想していない状況だったからだろうか。
「では、秘宝の事は?」
「…秘宝?」
怪訝な表情になってしまう純鈴に、ランは溜め息を飲み込みながらといった様子で、話を続けた。
「…この店を守り受け継ぐ理由は?何も聞いてないんですか?お母さんは何か聞いてますよね?」
「理由は何も…ただ、よその人を雇ってはならないとか、店を移転させないとか、そういう決まりはありましたけど…。どうして時谷さんがうちの事を?主人と繋がりが?」
困惑する花純の問いかけに、ランは困った様子で、いよいよ溜め息を吐いた。
「…何も聞いてないんですね」
「あの、どういう事か説明して下さい!あなた、何を知ってるんですか!」
「こら、純鈴」
思わずテーブルに乗り出した純鈴を花純が窘めたが、純鈴は構わなかった。ランとはプロポーズの攻防を繰り広げている仲だ、無礼は今に始まった事ではないし、遠慮などもう遠の昔に捨てている。それよりも、問いたださなくてはならない事がある。
「私と結婚したいって言ってきたのも、時谷グループの都合なんじゃない!?あなたが私に近づいたのも、そのお宝目当てだったの!?」
「純鈴、やめなさい」
秘宝があるかどうか知らないが、それで純鈴は命を狙われていて、ランもそれが目的で自分を助けてくれたのかと思えば、なんだかやるせなかった。
ランの事を信用出来ると思ったのに、その気持ちを蔑ろにされた気分だった。
しかし、そんな純鈴の思いに対し、ランは「おめでたい人だ」と、溜め息を吐いた。
「は!?」
「まぁ、何も知らないのなら、僕の話も信じられる類いのものではないと思いますが…。僕が、時谷の弟となったのには、理由がります。僕は言うなれば、あなたを守る為にこの結婚を申し出たと言っても良い」
すっかりランは、また別人のような顔をして、純鈴を萎縮させるような声でまっすぐと言い放った。
「…ど、どういう事?守る為って、あなた達とうちが、どうして繋がるの?」
萎縮したとして、引き下がる訳にはいかない、困惑しながらも問いただそうとする純鈴に、ランは少し表情を緩め、言葉を続けた。
「そうですね…まず、島の事からお話します。ヤチタカとは、神の島と呼ばれ、長い間恐れられてきた島。現在も、許可のない立ち入りを許されていない島なんです」
「それは……沖ノ島、みたいな?」
沖ノ島は、島全体が境内で、神宿る島として、許可もなく勝手に入ってはいけないと聞いた事がある。島の物は小石一つでも持ち帰ってはならず、神主が交代で島に寝泊まりをし、お宮の管理をするという。
神様がいて、勝手に立ち入ってはならないというなら、同じような島なのだろうかと純鈴は思ったが、ランは緩く首を振った。
「そもそも、ヤチタカの島に神なんていないんです」
「え、神の島って呼ばれてるのに?」
「はい。崇められる代わりに恐れられ、その名を口にする事も憚られてきた。今ではヤチタカの存在も、その歴史もほとんど知られる事はない」
「…え、どうして?」
純粋な質問に、ランはそっと目を伏せる。重たい前髪がその表情を隠してしまうので、純鈴には、ランがヤチタカの事を語る裏で何を思っているのか、表情から汲み取る事が出来なかった。
「ヤチタカは、今でこそ日本の一部とされていますが、元々は独立して栄えた島だったんです。本土の人間が上陸したのは、江戸後期。それまで独自の文化を築いてきました」
「え、それまで誰も来なかったの?」
「潮流の問題です。島影は小さく見えていましたが、ずっと無人島だと思われていました。潮の流れが複雑に島を囲んでいて、船では到底近づけなかったんです。
しかし、ある時を境に潮の流れが変わった。その頃、遭難し海を彷徨っていた小舟が島に流れついたのが、ヤチタカと日本との交流の始まりでした」
そんな事もあるのかと、純鈴はぼんやりと頷いた。何だかおとぎ話の始まりのようでもあったが、今更、ランが嘘を言う筈もないし、ここは口を挟まず話を聞く事にした。
「初め言葉は通用しなかったそうですが、本土の人間と交流を持つ内に、ヤチタカの人間は日本語を話せるようになった。日本の文化に触れ、ヤチタカの人間も本土に上がった。それは同時に、ヤチタカの文化を本土の人間に見せる事にもなります。
ヤチタカの人間は、普通の人間とは違った。普通なら数週間かかるような傷が、不思議と一瞬の内に治ってしまう。治癒力の高いその体は不老不死と呼ばれ、神の子だと囃し立てられたそうです」
ランの真面目な語り口に、純鈴も熱心に耳を傾けていたが、不老不死という言葉には、さすがにおとぎ話感が増し、純鈴は口を挟まずにいられなかった。
「ちょっと待って、不老不死?死なないの?そんな話が現実にあるって言うの?」
したくはないが、あまりにも現実離れした話に、些か小バカにした態度が出てしまう。相手が、すっかり遠慮を失くしたランだから余計かもしれない。
顔を上げたランからは、いつものような子犬感はすっかり鳴りを潜め、純鈴の反応に、どこか呆れたような表情を見せた。
「だから言ったでしょう、信じられないって」
「あ、あなたがいつも嘘を言うからでしょう!?」
呆れた表情が、逆にバカにされたような気がして、純鈴が再びテーブルに身を乗り出せば、母の花純が「まぁまぁ」と、純鈴の肩を叩き宥めながら立ち上がる。
「母さんもよく分からないけど、とにかくラン君の話を聞きましょ!話を聞かない事には、否定なんて出来ないじゃない」
ね、と言いながら、肩を押して腰を下ろされ、純鈴は渋々頷いた。花純はそのままキッチンに向かい、途中だったお茶の用意を再開させるようだ。
ランの方はといえば、僅か表情を翳らせていたが、純鈴がそれに気づく事はなかった。




