さよならのプロポーズ17
転びそうになった体が、誰かの腕に受け止められた。
「はい、ここまでだ」
そんな声が頭上から聞こえ、その人の胸にすっぽりと飛び込む形になった純鈴は、驚いて顔を上げた。そして、飛び込む見知ったその顔に、純鈴は不覚にも安堵してしまった。
「もう、大丈夫ですよ」
そこに居たのはランだった。
そっと微笑まれ、震える足がしっかりと地面着く。それでも、支えるように腕を掴む手は離れず、それが純鈴を酷く安心させた。
「なんだ、てめぇ!」
「僕は、時谷ラン。君達に使いを頼んだ社長の弟だよ、ほら」
身分証なのか、胸元から取り出した書面を突きつけると、男達は戸惑いを滲ませ、お互いの顔を見合わせた。純鈴がそろりとその書面を覗こうとしたが、ランは純鈴の行動を見越してか、さっさとそれをしまってしまった。
「君達の用件は分かってる、こっちも兄との交渉は済んだ、君達の出番はないよ」
「いや、でも、」
「報酬なら僕が支払う、とにかく、兄に確認を取ってくれ」
その声が、また見知らぬ人のように思えて、純鈴はそっとランを見上げた。固く冷たい声は、有無を言わせない強さがある。だが、涼しい顔を浮かべてはいるが、その額には汗が滲み、純鈴の腕を掴む手は熱い。
どこでこの事態を知ったのかは分からないが、慌てて駆けつけてくれたのだろうか。
純鈴は、きゅっと胸が痛み、慌てて顔を俯けた。
何が起きてるのか分からない事ばかりだが、信用出来ないと思っていたランが、この場で今、一番信用出来ると思ってしまった。
この手を離さないでほしいと願っている自分に、純鈴は戸惑っていた。
少しして、男達はどこかへ連絡を取ると、あっさりと引き下がっていった。
逃げるように車が走り出し、純鈴は戸惑いを残しながらも、ひとまずほっとしてランを見上げた。
「あ、ありがとう、よく分からないけど助かりました」
「どうして外に出た?」
だが、ほっとしたの束の間、ランは眉を顰め、冷たい声を純鈴に向けた。もしかしなくても怒っている。純鈴はますます戸惑い、うろうろと視線を彷徨わせた。
「だ、だって、こんな事になるなんて、」
「君は命を狙われてるんだぞ!」
「…え?」
ぐっと、腕を掴む手に力が入り、純鈴は驚いてランを見上げた。その必死な形相に、純鈴はこれがランなのかと言葉を失った。言葉の意味もだが、ランの表情は、怒りや焦りや心配でごちゃ混ぜになり、泣きそうにさえ見える。
いつも涼しい顔を見せていたランの、こんな表情は見た事がなく、そんな表情をさせてしまう程、自分は彼を傷つけたのかと思えば、純鈴の困惑は増すばかりで。
えっと、と言葉を詰まらせる純鈴を見かねてか、今まで静観していたスーツの男が、そっとランに声を掛けた。
「ランさん」と、彼はやはり抑揚のない声で名前を呼ぶだけだったが、ランの気持ちを抑えるには十分な効果があったようだ。
ランは「すみません」と小さく呟き、純鈴の腕から手を放したが、純鈴の腕には、まだランの熱が残っているみたいで、ハラハラと胸の奥が落ち着かない。
ランは小さく深呼吸をすると、純鈴の肩に触れた。とん、と優しく触れるだけの指先に、純鈴が戸惑いながら顔を上げれば、ランは純鈴に視線を合わせて、そっと眉を下げた。
「詳しく話をさせて貰えませんか」
いつもの馴染み深い表情に、純鈴は強ばらせた肩から幾分力を抜いた。
「その、…今のこと?」
「全てです」
全て。その眼差しの深さに、純鈴は騒ぎ始める胸をそっと押さえた。
「今から、お宅にお邪魔しても構いませんか?」
優しい表情だけれど、出会った当初の子犬のようなランとは、もう違う。
深い底の見えない瞳は、ランの背負うものの大きさのような気さえして、純鈴は掴めない真実を前に、頷く以外他なかった。




