さよならのプロポーズ15
「早いな」
「ここで、何をしてるんです?」
ランは信一の横を通りすぎると、純鈴の前に立ちふさがった。その行動に、純鈴はきょとんとする。まるで、信一から純鈴を守るみたいだったからだ。
「何って、弟の婚約者に挨拶をしにきたんだ。君がなかなか紹介してくれないからね。ところで、彼女とはもう籍を入れていると私に言ったが、どうなってるんだ?」
え、と、純鈴は驚いてランを見た。
「調べたんですか」
「いや、必要な書類があったものだから。まだ君たちに婚姻関係がなければ、私が名乗りを上げても構わないね?ランが出てこなければ、そうするつもりだったんだ」
「え…」
どういう事だと、純鈴はランを見上げるが、ランが話す筈もない。
二人共、どういうつもりなのだろうか。信一も結婚に名乗りを上げるなんて、悲しいかな、結婚が純鈴目当てではないとはっきりしてくる。
だとしたら、二人が必要としているのは、この店なのだろうか。
でも、その理由はさっぱり分からない。
二人して、一体何を考えているのだろうか。
「あの、」
「純鈴さんは、僕の婚約者です。届けを出していないだけで、僕の気持ちは変わらない」
純鈴の声を遮り、ランが言う。
「変わらない?どうせ上辺だけの言葉じゃないのか」
「違う、そんな適当な理由で、彼女を選ぶ訳ない。僕には、彼女しかいないんだ」
そのまっすぐな声が、純鈴の心を不覚にも揺さぶった。
何を揺れているのだ、ランには目的があるだけ、愛情なんてないと分かっているのに。
純鈴はきゅっと手を握り俯いた。それでも、嬉しいとか、そんなわけないのに。
「まぁ、いい。今日の所は引き上げるよ、純鈴さん、またね」
そう、ひらりと手を振る信一に、純鈴は頭を下げるだけだった。
嵐が去り、母の花純は詰めていた息を一気に吐き出すと、困惑した様子で、純鈴とランに詰めよった。
「ちょっと、一体どういう事?社長さんまで…、あなた達、何があったの?」
母は、突然モテ始めた娘を心配しているようだ。ランは花純に、申し訳なさそうに頭を下げた。
「混乱させてしまい、すみません。あの人の事は、無視して下さい」
ランはそれから、純鈴に視線を向け、その手を取った。
「お願いします、僕を見て下さい」
「ちょ、何、」
「まさか、あんな人に靡いたりしませんよね?兄は権力をかざして、あなたやこの店を奪おうとしているんですよ?」
「…それは、あなたも同じじゃないですか」
「え?」
「…深悠さんとだって、もしかして何か企んでるの?この店が欲しいのは、あなたも一緒でしょ?それとも何?私の事弄んで楽しんでるの?」
深悠とランは、良好の関係のようだったし、深悠と信一は対立しているようだった。ここで深悠が関係するのかは分からないが、純鈴は混乱のまま口にした。
一目惚れも嘘だった、分かっていた筈なのに、ショックを受けているんだろうか。
その事実が今更こみ上げて、自分を見て、なんて言うランが許せなかった。
「…どうしてそうなるんだ?僕は、」
「やめてよ!知ってるんでしょ?私が深悠さんをどう思ってるか、一緒に見て笑ってたんじゃないの?」
「それこそ悪趣味だ!する訳ないだろ、興味もない!」
一刀両断された言葉が、純鈴の胸に刺さった。自分の恋心どころか、自分の事まで否定された気分になり、純鈴は胸が苦しくなる。
「…私の事だよ?興味もないって、結局、何が目的なの?どれだけ通いつめたって、嘘ばっかり!こんなんじゃ、社長の方が信用できるよ!」
「駄目だ!」
怒鳴りに近い声に、純鈴はびくりと肩を震わせた。純鈴の手を握ったままのランの手は、握るというより、掴むといった表現が合っている。ぎゅ、と力をこめるその手の強さに、純鈴はますます困惑した。
「…あいつだけは、駄目だ」
それから、ランは顔を上げ、純鈴の両肩を掴んだ。
「いい?今晩は、絶対に表に出ないこと、お母さんも」
「え?」
「もし出たら、あなたは僕に結婚してほしいと頼む事になるでしょう」
「は?バカにするのも大概にしてよ!」
「してない!あなたを案じてるんだ!」
その必死な様子に、純鈴は声も出なかった。ランは、はっとした様子で手を離すと、深く頭を下げ、そのまま出て行ってしまった。
「…純鈴、どういう事なの?」
「私も分かんないよ」
純鈴は花純に答え、困惑のまま頭を抱えた。
***
その夜、厨房での作業を終え居間を覗くと、キッチンから母の花純が、「あ!」と声を上げた。
「どうしたの?」
「嫌だわ…明日のパン、切らしちゃってる…」
暇な店でも朝は慌ただしいので、高千家の朝食は、簡単に食べられるパンと決まっていた。時折、あんこの味見も兼ねて、サンドやトーストにして食べている。
「なんだ…買ってくるよ。他に必要なのある?」
何か重大な事でも起きたのかと思った純鈴は、強ばらせた肩から力を抜いた。前掛けを外して、財布を取りに二階へ向かおうとする純鈴に、花純は焦った様子で声をかける。
「でも純鈴、ラン君が言ってたじゃない、外に出るなって」
「…あー、」
純鈴もランに言われた事を思い出し、足を止めた。
視線の先には縁側があり、まっすぐに聳える一本の木がある。青々と繁る葉は、家の明かりを反射させてるのか、艶を纏って細やかな光を発しているようだった。
「……」
絶対に外に出ないでと言われたら、反発したくなるが、外に出たら結婚を申し込みたくなると言われたら、外に出たくなくなる。
「…いや、何が起こるって言うんだか」
純鈴は小さく頭を振り、花純を振り返った。
「大丈夫だよ、でまかせ言ってるだけじゃない?」
「…そうかしら」
不安そうな母に、大丈夫大丈夫と声を掛け、純鈴は縁側の戸を締めると、財布を取りに二階へ上がって行った。




