さよならのプロポーズ14
そして翌日。勿論、休日のデートになんて純鈴が繰り出す訳もなく、店を訪ねてきたランには、母の花純から断りを入れて貰った。
店の戸がカラリと開く音がして、純鈴は二階の自室の窓からこっそりと表を覗いた。
申し訳なく頭を下げる花純に、ランはにこやかな様子で首を振り、頭を下げた。戸が締まり、歩き出すランを何の気なしに見つめていると、突然ランが足を止め、顔を上げてこちらを仰ぎ見た。
「げ、」
思わず色気のない声が漏れたが、聞いてる人間はいない。だが、窓ガラス越しに、ランとしっかりと目が合い、更にはにこりと微笑まれ手を振られてしまった。純鈴はうろうろと視線を巡らせた結果、もう遅いが、慌てて窓の下に隠れた。その挙動は全て見られていたが、仕方ない。
デートを断られる事はランにとって想定内だとしても、こちらの判断をあまりにも素直に受け入れ、更にはあの余裕のある微笑みだ。腹が立つ筈が何故か顔が熱くなり、純鈴は困って俯いた。
一体自分は何を考えているのか、自分で自分が分からない。
少しして恐る恐る窓の外を覗いたが、通りに人影はなく、ランも帰ったようだ。
「…そうだ、尾行でもすれば良かった」
そうしたら、何か分かったのかもしれないのに。
だが、それを行動に移す力は、今の純鈴には残っていなかった。純鈴は脱力し、クッションを抱えて踞る。このままでは、ランが何者であろうと受け入れてしまいそうだ。
そんな自分に気づいて、純鈴はその思いを打ち消すのに必死だった。
さすがにデートを断られたら来ないだろう、そう思う反面、別れ際のあの笑顔を見たら、きっと今日も来るのだろうなと、純鈴は予想していた。
ランと出会ってから、何度か定休日はあったが、純鈴は和菓子や経営の勉強の為、出かけている事が多かった。もしかしたら、今までも定休日に来ていたりしたのだろうか。そう思ったら、何だか申し訳ないような気さえしてくる。
「いや、違う違う!」
申し訳なくない、勝手に押し掛けてきているのは、ランなのだから。
完全に絆され始めている自分に気づき、純鈴は大きな溜め息と共に頭を抱えた。
「やぁねぇ、溜め息なんて。あんこまで暗い味になっちゃうわよ?」
花純は相変わらず、少女のように可憐に笑う。純鈴は再び溜め息を吐きかけたが、寸でで飲み込んだ。
今は、あんこ作りの真っ最中で、純鈴の前には、ぐつぐつと音を立てる鍋がある。
確かに、目の前のあんこが美味しくなくなっては困る。
「母さんはさ、ランさんの事どうして信用出来るの?」
「だって毎日来てるのよ?そんな人なかなかいないんじゃない」
「…詐欺師だと思わないの?」
「だったら、もっと上手くやるんじゃない?何よりあの子、真っ直ぐだもの」
「さぁ、お仕事お仕事」と歌うように厨房を出て行く花純に、一理はあると純鈴は思った。真っ直ぐかどうかは別として、詐欺師ならもっと上手く立ち回る筈だ。
うん、と唸りながら、純鈴はあんこの味を確かめる。いつも通り、コウシ譲りのあんこの味わいに、ほっと胸を撫で下ろした。
***
それからも、ランとの変わらない日々は続いた。ここまで来ると、ただ意固地になってるだけなのではと、疑いたくなる。
毎日がそうだったので、たまに店のドアが開くとランだと思い、純鈴は溜め息を吐いて振り返った。
「本当によくもまぁ、」
言いかけて口を止めた。やって来たのは、ランではなく、時谷の社長、信一だったからだ。
「どうも」と、愛想良く頭を下げた彼に、純鈴は萎縮して、慌てて頭を下げた。
「い、いらっしゃいませ…!」
写真で見るよりも、背が高く、体も大きな印象を受ける。切れ長の瞳はにこやかだが、それがどうしてか、純鈴の気持ちはますます落ち着かなくなった。
花純も来客に気づいたのだろう、居間から出てくると、驚いた様子で純鈴と顔を見合せたが、丁寧に頭を下げていた。
立ち退きを言い渡しに来たのだろうか、でも、社長自ら来るだろうか。
「ここのどら焼は評判のようですね。確か、娘さんが作られているとか」
「は、はい」
「そうですか。時に、あなたはランの婚約者のようですが、まだ籍を入れてはいないようですね」
「…え?」
「兄として心配なんです」
そうか、こんな取り壊す店の娘に、弟はやれないと言いに来たのか。ランが何を目的にしていたのかは分からず仕舞いだったが、これで、店の命も絶たれた訳だ、ランの取り引き材料もなくなる。
「私は、」
「どうでしょう、あなた、私の下で働きませんか」
「……は?」
これ以上ない、素っ頓狂な声が出た。
「どうせ、交換条件でも出されたのでしょう。結婚が嫌なら断るといい。その代わり、うちの傘下に入って店を続ければいい。悪い話ではないでしょう」
「…え、でも、店は取り壊すんですよね」
「ここはシャッター商店街だ、どうせ誰も見向きもしない。となれば、我社でこの町を潤そうと思ってね。大苑屋さんがうるさいんですよ、あなた方の同意がなければ、この町の再開発には反対だと」
「…大苑屋さんが?」
「弟と何を企んでいるやら」
肩を竦めた社長に、純鈴は戸惑った。
ランが何か企んでいる?この店の為に?
「あの、」
「兄さん!」
純鈴が尋ねようとした時、店の戸がガラリと開いた。そこには、息を切らしたランがいた。




