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ファンタジー小説たち

戦国人外武芸帖

作者: 赤城康彦
掲載日:2010/02/24

 時は戦国。

 世の大名、武将達は天下を取らんと戦いの日々を繰り返し。

 至る所で血を流し合っていた。

 それは国と国から村と村までにも及び。

 多くの屍を築き、その屍の上に勝者の栄誉が築かれた。

 敗者となった者は、そこにいたことすら忘れ去られ、ただ土へと帰り。

 またその上に多くの屍が積み上げられていた。




 女が、一人逃げている。

 まだ娘と言ってもよい若い女だった。

 陽の光もろくに差さぬ森の中、道なき道を進み。

 草木を掻き分け。

 裸足の足を血に染めて。

 それでも、女は立ち止まらず。

 髪を振り乱し、目から涙を流しながら、ただただひたすら前へ前へ。

 女は、上等の着物をまとっている。

 その上等の着物もところどころ張り裂け、そこから白い肌をあらわにして。

 身分卑しからぬ、気品のある顔立ちも、昨日までの事。

 今は一人の哀れな女の一人にすぎなかった。

 脳裏には、燃え盛る屋形、腹を切る父、弟の首を刺し、己の首を刺す母。

 首を振り振り、逃れられない忌まわしい記憶から逃れようともそれは逃してはくれなかった。

 決して逃さぬは、記憶のみでなく。

 女を追う、敵の者たちも女を追う。

 見つかればどうなるか、考えるまでも無かった。

 女として、惨めな死に方をさせられてしまう。

 それも長い長い時間を掛けて。

「いたぞ!」

 声が聞こえた。

「あの女を捕らえよ!」

 森の中のあちらこちらで、幾度も繰り返されて同じ声が聞こえる。

 女は声を聞き、兎のように走りだそうとしたが、足が痛くてかなわなかった。

 声にならない声を喘いで出しながら、女は自分を捕らえようとしている声から必死に逃げようともがいていた。

 すると光りが見えた。

 森が終わる。

 だからと言って、自分が逃げ切れるわけでもなく。

 追われる場所が森でなくなるということでしかなかった。

 絶望とわずかな生の望みを胸に、女が森を抜けてみれば。

 目の前は断崖絶壁。

 道なき道は行く手を遮ぎり、崖っぷちに女を立たせようと待ち構え。

 女はその通り崖っぷちに立った。

 前に進む事も出来ず、かと言って飛ぶ事も出来ず。

 遥か崖下には瀧のように激しい川が流れ、女を飲みこもうとする。

「………」

 女は崖下を覗きこみ、子猫のように体を振るわせ後ずさりする。

「もう逃げられぬぞ。観念せい!」

 その声に後ろを振り向けば、槍を構えた鎧姿の侍たちが女を取り囲んでいる。

 もう、進むも引くもならなかった。

「一族郎党を捨て、己だけ助かろうなどとは。まことに汚き女狐じゃ」

 侍たちの大将らしき男が怒号を放ち、その家来たちは声を出して笑い出す。

「そちには、そちにふさわしい死に方を与えてやる…」

 そう言うと大将らしき男は舌なめずりをして、血走っためで女の隅から隅までを眺めまわし、ぐふふと汚ならしいだみ声でほくそ笑む。

 ところどころ張り裂けた着物からあらわになる白い肌、特に胸元に痛いくらいに視線を感じた。

 女は慌てて両手で胸を覆い、助けを乞うように侍たちをながめまわしても、侍たちはただ女を犯す事しか考えていない、皆血走っためで女を眺め回していた。

「観念せい。なに、そちが生きておる間は、そちが生きておるということを感じさせてやるわいでなぁ…。それがせめてもの情けじゃわい」

 大将らしき男は卑しい笑みを浮かべて歩を進め、家来もそれに続く。

 女は後ずさり、しようにも出来ず。

 遥か崖下より聞こえる瀧のような川の流れる音を耳にしながら、絶望がひそひそと耳打ちするのを女は聞いた。

 女は、絶望の耳打ちが終わるか終わらぬかの間。

 くるりと身を翻し、はためく着物を羽の代わりに宙を舞った。

「や……!」

 侍たちはあわてて女を取り押さえようとしたが、間に合わず、川が女を飲みこむ音を耳にして、恨めしそうに女を飲みこんだ川を睨みつけるだけだった。

 川はそしらぬふりをして、たださきほどと変わらずに流れるだけであった。




 夜が明け、朝が来た。

 眠りから覚めて、床から起きあがり襖を開ければ、両親と弟が並んで女をじっと見つめていた。

 女はそれを見て、全身から全ての力が抜け落ち、よろけて床に両手をついた。

「父上、母上、菊丸。……怖い、怖い。何故そのようにおぞましい顔で、目で私を見るのです? いや、やめて。その顔で私を見るのをやめてくださいまし」

 女は四つんばいで、必死に座敷の片隅に身を埋めて、固くまぶたを閉じてその目から逃れようとする。

 すると、父が口を開いた。

「何をそのように怯えておる? 我らともに同じ顔をしておるではないか。それでそうして恐れる事がある?」

 父は不思議そうに女に話しかける。

 母も弟も、不思議そうにしている。

 でも、口元は何故か歪んで。

「同じ顔?」

 女は恐怖に怯えながらも父の言葉にはっとして、父に問い返せば。

「そうじゃ、同じ顔をしておるぞな。我らは血の通う一族ではいか。何を不思議に思う事があろうか」

 父は、女のもとまであゆみよって肩に手を置いた、手は氷のように冷たかった。

「のう、お鈴」

 女、お鈴は氷のように冷たい父の手の感触を感じながらゆっくりとまぶたを開け、父の顔を見ようとゆっくりと振り向けば。

「ああ、父上。お許しを」

 父の顔を見た途端に、目の前が真っ白になってゆく。

 体中、父の手で凍らされているように冷たくなってゆく。

 その間お鈴はただひたすら、お許しを、お許しを、と繰り返していた。




 我知らずまぶたが一気に開け放たれた。

 目を見開き、天井を目に入れながら天井があることに気付かず。

 堰を切ったように涙が溢れだし、お鈴の瞳を濡らしあふれた涙はこめかみをつたって流れ落ちる。

 が、何故かそれは右目だけで左目は開かず涙も流れなかった。

 体がまた震え出す。

 背筋に氷がつたっているようだった。

「ああ、お許しを。お許しを……」

 口を開くか開かぬかの隙間を縫って、声にならぬ声がこぼれ出す。

 脳裏には、さきほどの父の顔が浮かぶ。

 いや父だけでなく、母、弟の顔も浮かぶ。

 それを思い出す度、お鈴はひたすら、お許しを、お許しを、とつぶやく。

 涙の温もりにも気付かず。

 その時、扉の開く音がした。

 扉は古いらしく、ぎ、ぎ、ぎ、と不快な音を立てていた。

 お鈴はそれにすら気づかず、お許しを、お許しを、と繰り返すだけだった。

「や、目が覚めたか。女」

 扉を開けたのは若い男だった、お鈴とそう変わらぬほどの。

 長い髪を頭の後ろでまとめ、ぼろい襦袢と袴の姿で腰には一本刀をさしていた。

 その風貌から、おそらくは武者修業の旅をしている感じであったが、どこか妖しい雰囲気も漂わせていた。

 が、今のお鈴がそれに気づくわけもなく。

 ひたすら、お許しを、お許しを、を繰り返しているだけであった。

 それを見て男はため息をつき。

「気がふれているのか。まぁ、やむをえぬことよな…」

 と一人ごちた。

「しかし。むしろその方が都合がよいか。では」

 そう言うと男は何を思ったか、床に寝かされボロ切れを掛けられているお鈴のもとまであゆみよって、お鈴の上に重なり顔をお鈴の顔に近づける。

 唇と唇が振れる、と思うや否や。

 お鈴は突然眼前に現れた男の顔に驚き、絹を裂くような悲鳴を上げ男を突き飛ばす。

 男は突き飛ばされ、玉のようにごろごろと後ろに転がった。

「な、何者じゃ! おぬしは!?」

 上半身を起こし、両手をついて男を睨みつけるお鈴。

 それは不埒な雄猫を威嚇する雌猫のように。

 が、体中に激痛が走り、すぐに倒れこんでしまった。

 息が荒くなり、目の前にまだら色が浮かんでは消え浮かんでは消える。

 さっき流れた涙はまだら色を洗い流してはくれず、お鈴の意図など関係無く止めど無く流れ落ちている。

 それを見た男はよっと声を出し、あぐらをかいてお鈴を見据えている。

「なんじゃ、気はふれてはおらんのか」

 と、そっけなくお鈴に言った。

「だまりゃ! お主、私を誰と心得る!?」

 お鈴は痛みを押さえ、気丈にも男につかみかからんばかりにまくしたてる。

「それにお主、私に何をしようとした!? 私をその汚い身なりで汚すつもりであったのか、ええ!?」

 先ほどとはうってかわり、物凄い見幕で男を睨みつける。

 男はそんなお鈴に笑いかけ。

「言葉は悪いが。まぁそんなところだ。お主にオレの子を産んでもらいたくてな」

 などと言ってのけた。

 それを聞いたお鈴は、一瞬言葉を失ったが気を取りなおすと男に激しく問いかけた。

「なっ……。たわけた事を申すな! なんで私がお主の子など産まんといかんのじゃ!」

「ん、いやな、崖から転び落ちてもまだ生きておるようなしぶとい女に、オレの子を産んで欲しいのよ。お前がどこの誰かは知らんし、興味も無いがな」

 男は悪びれる様子も無く愛想よく笑っている。

 お鈴に親愛の情を惜しみ無く浮かべて。

「崖から……」

 男の言葉を聞いて、お鈴の脳裏に崖から飛び降りる前の情景が浮かぶ。

 自分を汚そうとする汚く血走った侍たち、その侍たちに犯されるくらいならと崖から飛び降りた自分。

 それからは、何も覚えていない。

 思い出そうとも思い出せず、それでも無理に思い出そうとすれば体中が、特に顔の左半分が痛く、疼く。

 お鈴は慌てて、まわりを見まわすと。

 自分が今どこかの廃寺にいるのが今更やっとわかった。

 そこで、どのくらいかは知らぬが眠りつづけていたことも。

 着物はいつの間にか、逃げる時に着ていた上等の着物から百姓娘の着そうなぼろの着物に着せかえられていた。

「傷の手当てをするために、服を脱がしたことは許せ。やむをえなんだでな。あの着物はもう使い物にならぬから、そこらで貰うたボロの着物にかえたぞ」

 と男は言った。

 お鈴は我知らず顔が紅くなるのを感じた。

 やむをえぬこととは言え、嫁入り前の肌身をどこの馬の骨とも知れぬ男にさらすなどとはあってはならぬことだったからだ。

「安心いたせ。傷の手当て以外は何もしておらんよ。気を失っていたから楽に手当てが出来て良かったぞ」

 男はお鈴を安心させようと優しげに言う、お鈴はただ言葉無しに頷くだけであった。

 ふと向こうに目をやれば、開け放たれた扉から差す光が今が昼間だということを教えてくれている。

 だけど、崖から飛び降りてから今までの間、自分に何があったのかが全くわからずお鈴はさっきの勢いはどこへやら急に狼狽しはじめる。

「私は生きておったのか?」

 それを見た男はお鈴の様子をみて可笑しそうに笑った。

「左様。生きておるのよ。でなければ今ごろ閻魔大王様がお前に裁きをくれておるところだ」

 お鈴は、力なくうなだれている。

「怪我が酷く、助からんと思っておったがなかなかどうして、しぶとく生きていてくれて嬉しいぞ」

「お主、私を助けてくれたのか」

「まぁな、手当て次第では助かると思ってな」

「そうか、礼を言わねばなるまい」

「いやいや。礼には及ばぬよ」

 と言ったものの、ふと考え直して。

「礼をしたければ、オレの子を産んではくれぬか。お前なら男であれ女であれ強い子を産んでくれそうだからな」

 と得意満面の笑みでお鈴に言った。

「馬鹿を申すな! それとこれとは別じゃ。なんで私がお主の子を産まねばならぬのじゃ」

 男の言葉にお鈴は呆れるのと怒りで助けてもらった嬉しさもどこかへと吹き飛んでしまった、一体この男どうしてお鈴に子を産めなどと言うのか。

「お主、さては私の体が目当てで助けたのか?」

「その通りだ。さっき言ったであろう」

 男は笑ってそっけなく答える。

「たわけ! はじめから私を汚すつもりであったのか! 汚らしい」

 お鈴は忌々しそうに男を睨みつける、結局はこの男もあの侍も、男は皆同じであったということか。

 ただ生かすか殺すか、それだけの違いで。

 すると、また激痛が体中を駆け巡り、体を掻きむしる。

 おのずと息も荒くなり、お鈴のからだが火照り出す。

「苦しいのか?」

 お鈴の様子を見て、男も少しは心配そうにお鈴を気遣う。

「苦しい、それに、喉が乾いた。水が飲みたい」

「水が飲みたければ、ここから少し歩いた所に川がある。お前がどんぶらこどんぶらこと流れてきた川だがな」

「そうか、ではその川まで行ってくる」

「無理をするな。一人で立てるか?」

「いらん。お主の助けなどなくとも」

 お鈴は男が手を貸すのを無視し、一人で立ちあがった。

 しかし足元はふらつき、見ていて心もとなかった。

 顔も青くて、まるで幽霊が歩いているみたいだった。

 男の案内でなんとか川まで辿り着き、水を飲もうと両手を水につけようとすると、お鈴は張り裂けんがばかりに悲鳴を上げて、水を飲むのも忘れ嗚咽の声をもらしはじめた。

 穏やかに流れる川の川面は、お鈴の顔を映し出していた。

 そのお鈴の顔は、右半分はもとの美しい顔で、左半分は醜く傷ついていた。

 左目もつぶれていた、だから左目が開かなかった。

 目覚める前、父がお鈴に言った。

「同じ顔をしておるではないか」

 と言った父の顔も、母も弟も、顔の左半分が醜く傷ついていた。




「ああ、お許しを、お許しを」

 お鈴は嗚咽の声を交えながら、うつぶせになり許しを乞い始めた。

 全身を土まみれにしようが構わずお鈴は泣きつづけた。

 男はそれを静かに見守っている。

 無理も無いと言えば無理も無い。

 崖から飛び降り、体中を岩に強く打ちつけながら川へと飲みこまれたのだ。

 それでどこも傷がつかぬわけではなかったのだ。

 男の手当てがあったとはいえ、命が助かっただけでも奇跡ものだが運命はお鈴に容赦しなかった。

 お鈴は涙が涸れ果ててもなお起きあがろうともせず、ひたすら許しを乞うていた。

 男はお鈴に触れず、お鈴が泣き続ける様を見守っている。

 さすがに、今は手を出せる状況ではなかった。

 お鈴はただただ、涙を絞り出し泣きじゃくるだけであった。

 泣きじゃくりながら、お鈴の魂が涙とともにどこかへと流れ落ちて行きそうな感じがしていたがお鈴は構わずに泣きじゃくった。

 日か落ち、月が夜空に浮かんでようやくお鈴は泣き止んで、目を真っ赤にして廃寺の奥で静かに眠った。

 その日以来、お鈴は白痴のようにも朦朧とした意識の中でだらりだらりと日にちが過ぎ行くのに任せるだけであった。

 そうかと思えば、時折疼き出す傷の痛みに気がふれたかのように暴れだし。

 捨てた一族の怨霊にとり憑かれたのか、子猫のように怯え。

 男から刀を奪い自害しようとした事もあった。

 これにはさすがの男も困り果て、廃寺から出るに出られず。

 お鈴の様子に乗じて、子を孕ませようとしたこともあったが。

 その様があまりにも哀れで、さすがに手がつけられなかった。

 当初、いっそこのまま気が触れた方が良いと思ってはいたものの。

 この様子では腹の子が無事では済まぬと言う事に気が付いた。

 子を腹に宿し、子が流れてしまうようなことを平気でしでかしそうだった。

 やはり子を産んで欲しいのならお鈴が気丈さを取り戻し、子を産む気にならねばどうしようもなかった。

 お鈴を哀れと思ったりするところから、男も鬼と言うわけではなく、それなりに人の心は持ち合わせているようだった。

 あくまでも、それなりに。

「やい、男」

 廃寺の奥で、壁に背をもたれて足を伸ばして座りこみ、虚ろな目で開け放たれた扉の向こうを見つめるお鈴が、男に話しかけた。

 男は外に出て、呑気に日向ぼっこを満喫して、太陽の恵みを受ける事に浸っていた。

 これが、この男のいつもの事だった。

 お鈴は、醜い左半面を髪で隠して、何か読経するようにぶつぶつと唱えていたようだった、それはおそらくは己の身に振りかかった扼災を呪っていたのであろう。

 じっとしているときはいつもそうだった。

「ん、なんだ。女」

 お互い、まだ名を名乗っていないと言う事で「男」「女」と呼び合っていたが、別に不便は感じなかった。

 もちろん身の上も明かさない。

 男はお鈴のいきさつはだいたいの見当はついてはいたが、別に無理にそれらを知る必要もなく。

「お主、私に子を産めと言うておったな」

 と言うお鈴の言葉に男はにやりと笑った。

「おう、言うたともさ」

「何故、私に子を産めと言う。子を産めと言う事は、私を抱くと言う事だろう。私が抱けるのか?」

「出来るともさ」

「出来るのか? 私がこんな顔になっても」

 と言うとお鈴は男のほうを振り向き、手で髪をかきあげ醜く傷ついた左半面をさらけ出す。

 にやけている男を威嚇するように、お鈴はじっと男を見据えていた。

 ただ唯一開く右目を見開き、瞳の中に男を捕らえて。

 すると男はすすすとお鈴のもとまであゆみより、しゃがみこんでお鈴の顔に己の顔を近づけた。

 お鈴の美しい右半面と醜く傷ついた左半面が大きく男の目に映し出され、互いに互いの吐く息を感じられた。

「なんなら、今お前を抱いてやろうか」

 得意満面の笑みで男は言った、がお鈴は不機嫌そうに顔を背け。

「ふん、たわけたことを。例えこのような顔になっても、どうしてお主のような下賎の輩に許す肌身があろうか」

 お鈴は男を嘲け、男はため息をついた。

「つれない事を言う。抱けるかと問うたのはお前ではないか」

「問うただけだ。本当に抱けとは言ってはおらぬ」

「しかし、ならばこれからどうする気だ。他に誰かお前を抱いてくれる者でもおるか」

「おらん」

「なら、誰ぞ抱いて欲しいと思うならオレがいる。オレならいつでも抱いてやるぞ」

「私は、私はもう誰にも抱いて欲しいなどとは思うてはおらん。もう、私は女ではないのだ」

「どう言う事だ?」

「お主に言うてもわからぬことだ。男であるお主にはな。男は、顔に傷があろうと、いや傷があればそれが武勲になりうる。女は、戦傷のある女は女ではないのだ。女ではないものがどうして男に抱かれようなどと思うものか」

「それは戦傷ではあるまい」

 男の言葉を聞いたお鈴は急に全身を硬くし、口をつむいで歯を食いしばった。

「戦傷とは戦の時に敵と渡り合った時に出来るものだ。お前の傷は、敵から逃げて、逃げる事かなわず崖から飛び降りた時の傷だ、それは戦傷とは言わぬよ」

 男の言葉にお鈴はわなわなと振るえ、激しい形相で睨みつける。

 傷が、その形相に一層拍車をかける。

 すると、ぱしん、という何かをはたくような音がした。

 感極まったお鈴が男に平手を食らわしたのだ。

 男ははたかれた頬を紅く染めて、何食わぬ顔で笑った。

「敵にそれを食らわせておれば、その傷が戦傷になったであろうになぁ」

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!」

 お鈴はそのまま突っ伏して、大声で泣き出した。

「だから言うたのだ。お主に言うてもわからぬと!」

 嗚咽交じりで叫ぶお鈴。

 男は、言いすぎたかと哀れむような目でお鈴を見ていた。

 それが、お鈴には一層哀れであったが、男はそれに気付かなかった。




 それからさらに数日の後。

 幸いお鈴の追っ手もここには来ず、あたりが夜の闇に染まった頃。

 男は寺の境内でどこからか拾ってきた薪に火をつけ、どこからか狩ってきた狸をさばいて焼いていた。

 廃寺とはいえ、寺の境内で殺生をするなどとは罰当たりなことをするが男は気にもとめることなく、美味そうな目つきで狸の肉を焼いていた。

 お鈴は火を挟んで、男と向き合うように座っている。

 醜く傷ついた顔の左側を髪の毛で隠し、引きこまれるようにじっと火を見つめているだけだった。

「食うか?」

 男はお鈴によく焼けた狸の肉を差しても、お鈴は呆けているだけだった。

「そうかいらぬか。ならオレが全部食うぞ」

 と、男が狸の肉を食おうとしたら。

「よこせ」

 と言っていきなり肉を取り上げ、むしゃむしゃと食べ始めた。

 指や口の周りを油まみれにしながら、傷ついた顔で肉を食らう様はさながら鬼女のようだった。

「なんだ、いるならいると言えばいいではないか。それにその食い方、お前本当にお姫様か?」

 男は別にお鈴に驚く様子もない、それどころか面白そうにしていた。

「よいのだ。もうよいのだ。私はもう姫でも女でもない」

「確かにな」

 と、もう一つ狸の肉を手に取り口にくわえる。

「お主、私が姫だと知っておったのか」

「わかるさ。言葉遣いも丁寧だし、着物も上等だったし。身分の卑しい女はそんな着物を着ることは出来ん」

「やはりわかるか」

「わかるともさ」

「なら何故私が今このような目に会っておるのかも」

「まぁ、だいたいの見当はつくがな。おおかた戦に敗れたのであろう」

「その通りじゃ」

 お鈴は狸の肉を飲みこむと、うつむいて黙りこんでしまった。

 また、痴呆のように火をじっと見つめ続ける。

 お鈴は何も思わず、わかることと言えば、ただ自分が惨めなだけだった。

 惨めな自分がこれからどうして生きてゆくか、など考えつくわけもなく火の揺らめきを瞳に映し出すより他は今は何もする事がなかった。

 火は、お鈴の気持ちなど知らずただ闇の中で揺らめきながら男とお鈴を照らすだけだった。

 火から少し離れれば、そこは闇。

 闇が全てを覆い尽くし、そこに立ち並ぶ木々や草花を溶かし込んでしまっている。

 すると、男は何を思ったのか立ちあがり腰の刀を抜いた。

 それに気づいたお鈴は。

「どうしたのじゃ」

 と男に問うが男は何も言わなかった。

 ただ、注意深げにあたりに気を配っている。

「なんぞ来ておるのか?」

「火から離れるな」

「それは……」

 どういう事じゃ、と言おうとした時。

 あたりに人影が見え隠れした。

「まさか」

 お鈴は人影が自分を追ってきた者たちではないかと思ったが、違った。

「来たか」

 男は刀を握り締め、不気味な笑みを浮かべる。

 その笑みは、獲物を見つけた喜びにあふれていた。

 さきほどの狸など屁でしかない、と言うくらいに。

 心なしか、刀も持ち主と一緒に喜びをかみしめているようだった。

 持ち主の手によって、獲物を斬る事が出来る喜びを。

「あ、ああ……」

 お鈴がそばに近寄るものを見た時、声にならぬ声を発してしまった。

 まだ、追っ手のほうが良かった。

 そう思わせるほどお鈴の心胆寒からしめる者たちだった。

 それは、人と呼ぶにはあまりにも醜く、おぞましい化け物たちだった。

 闇の中をさ迷ていたのか、化け物たちは火の光に引き寄せられるように囲いを狭めてくる。

 それらの目当ては、火の光ではなく、2人を食らい腹を満たすためだと言うのがすぐに見て取れる。

 化け物たちは、牙を剥き出しにし、涎をたらし、2人を交互に見まわし、どれが美味そうか交互に見まわしていた。

 この世のものではなかった。

 亡者が黄泉の国より生ける者を食らいにやって来た、としか思えぬ者たちだった。

 よもや己が捨てた者たちが、亡者か怨霊となってお鈴のもとまでやってきたのではないかとも思った。

 そう思うとさらに心胆寒からしめられ、そのまま心の臓が凍り付き動きを止めてしまいそうだった。

 お鈴は、わが身に降りかかる扼災を呪わずにはいられなかった。

 戦に敗れ一族は滅び、一人生き延びた自分は醜く傷つき、挙句このような化け物どもにあいまみえようとは。

 こんなことなら、崖から飛び降りた時、助からずに死んでしまえばよかったのだ。

 そうすれば、このような恐ろしい思いもせずにすんだものを。

 男が刀で化け物たちと対峙してはいるものの、人の身で敵うなどととうてい思い及ぶことはなかった。

 お鈴は、舌を噛み切ろうとした。




「女。早まった真似をするなよ」

 そう言うと、男の顔がさらににやける。

「お前にはオレの子を産んでもらうのだからな」

「な、何をたわけたことを。お主、この薄気味悪い者どもを見て何とも思わぬのか」

「思わぬな。慣れているしな」

「え……」

 すると、男は地を蹴り、化け物どもに斬りかかった。

 お鈴は、男が化け物に食われる様を思い浮かべる、が。

 男は化け物を一刀のもとに斬り伏せた。

 どす黒い血が、宙に舞い、化け物の体も二つにわかれ宙を舞う。

 そして、反す刀でもう一匹、化け物を斬り伏せる。

 それは、一瞬のことだった。

 男が刀を振るうたび、化け物どもはその身を肉片へと変えてゆき。

 化け物を斬るたびに、男は歓喜の表情を浮かべていた。

 その目は血走り、餓えた獣のようだった。

 その餓えた獣は、餓えを満たす喜びに満ち溢れて。

 化け物どもは、餌食にしようとした者に餌食にされてゆく。

 それでも、化け物どもは男を食らわんと男に襲いかかり。

 次から次へと、男に斬られてゆく。

 刀を振るってはいても、男の姿は華々しい戦場にあって華々しく戦場を駆け巡る『いくさ人』とは程遠かった。

 戦と呼べるものではなかった。

 お互い化け物同士が相食みあっている。

 そうとしか言いようのない光景だった。

 お鈴は火の光にすがるように身を縮めて、それを見届けることしか出来なかった。

 どうして人の身で、あのような化け物どもと渡り合えようか。

 伝え聞く、希代の名将や猛将ですらあの化け物どもを見れば、そのおぞましさから逃げ出してしまうかもしれぬというのに。

 いや、それを言えば今の自分の顔もおぞましい。

 あの化け物どもも醜いが、自分も醜い。

 身も心も。

 一族を捨てておきながら、それで人と名乗るなどおこがましいこと甚だしい。

 所詮は、同じ穴のむじな、と言う事か。

 お鈴は恐怖に打ちひしがれながらも、何故かそれが頭に浮かんでいた。

 そうだ、もう自分は人として生きてゆくことがかなわぬのだ、と。

 気が付けば、男は化け物どもを全て斬り伏せていた。

 男の周りには、化け物どもの屍がちらばり、男を取り囲んでいた。

 眼球をひん剥いて、男を恨めしそうに睨みつけているのもある。

 男がそれに気付くと、足で力一杯踏みつけ。

 踏みつけられたそれは、肉の潰れる嫌な音をたてて踏み潰される。

 男は、笑っている。

 ざまぁ見ろ。

 と言いたげに。

 男は、強かった。

 なにせあの化け物どもを皆殺しにしてしまったのだから。

 どうしてそのように強いのかは知らぬが、お鈴は男を見ていると何故か怖気とともに体の芯が火照ってくるのを禁じえなかった。




「一丁上がり」

 男は返り血をあびた顔で、笑った。

 性悪ないたずらな子供が、花を全て踏み潰した時の得意満面の笑みで。

 が、男が踏み潰したのは花ではない。

 それは花と呼ぶにはあまりにも醜かった。

 お鈴は我知らず男に問うた。

「それは」

「見ての通り、化け物だ」

 男はそっけなく答え、お鈴は不満げにさらに問う。

「そんなことは、わかっておる。何故そのような者が我らの前に現れたのだ」

「オレを探し当てたのよ」

「何、今なんと?」

「だから、オレを探し当てたのよ」

「それはどういうことじゃ」

「さぁ、わからぬ。ただ、オレは、いやオレの血族は化け物を呼び寄せるような臭いを出しておるらしい。何故だかわからぬがな」

「ではお主は、昔からこの化け物と戦っておるのか」

「そうだ、物心ついた時には親父とともに刀を振るうていたぞ。小さな手でな」

「母はどうした」

「食われた」

「なんと………」

 恐怖に震えながらなんとか声を絞り出して、男に問うお鈴を前に、男は平然とさも当たり前のように応えていた。

 その男を見て、お鈴はやはり体の芯が火照るのを感じていた。

「親父も食われた。オレが逃げたからな…。あっけないものであったぞ、人が死ぬと言うのは、親父は最後に声を出して瞬きする間もなくこいつらに肉片にされてしまった」

 その言葉に、お鈴は声を詰まらせた。

 男は続ける、お鈴が聞かずとも、おかげでお鈴が問う手間が省けたのだが。

「お袋も、同じよ。恐ろしくなって小便ちびりながら逃げ惑いながら、お袋が化け物に食われるのを見た。ほんにあれは恐ろしかった」

 男は刀を鞘に収め、鞘を手のひらで軽く叩き。

「恐ろしい、あの化け物どもと戦うのは。それでもやつらを斬らねば、今度はオレが食われてしまう」

 恐ろしい、と言いながら男は笑いながら化け物どもと戦っていた。

 お鈴は合点がいかなかった、それを言おうとしたら。

「オレも化け物になる。それが、一番、楽なやり方だ」

 と言うと男は高らかに笑った。

 星空を隠す、絡みあう森の木の枝に向かって。

 男は存分に笑うと一息ついて、言った。

 その目は、真っ赤に染まって。

「オレはオレに誓ったのよ。化け物どもを全て、全て斬り、根絶やしにしてくれると」

 お鈴はこの時、男も自分と同じ業を持って生きているということを感じた。

 そして何故、子を産めなどと言うのかも。




 それからさらに数日。

 二人は廃寺を引き払い、あてどない旅に出かけた。

 男は半ば強引にお鈴をつれて。

 お鈴は、何も思うところなしになにげに男について行った。

 ただ男の後ろに付き従うお鈴は、白痴のように呆けているようにも思われた。

 空は雲が太陽を隠し、空を灰色に染めて、二人の影も薄く。

 どこぞの道を二人歩いていると、馬の鳴き声がした。

 そうかと思えば、馬がこちらに駆けて来る蹄の音も聞こえた。

 それも一頭ではない、数頭の馬がこちらにやってきているようだった。

 お鈴はそれが何なのかと思うと急に身震いを始め、足が石になったかのように立ちすくみ、歩くことままならなかった。

「仕方ないな」

 と言うと男はお鈴を担ぎ上げ、道を挟む森の中へと身を隠した。

 お鈴は抗うことなく男のなすがまま、男の腕に抱かれて木の陰に身を隠した。

 そこで、通りすぎるのを待つつもりであった。

 お鈴は男の腕の中でがたがたと振るえていた。

 男は無理からぬことか、とため息をついた。

 それから、息を殺して木の陰に潜み。

 馬の蹄の音は徐々に徐々に近付き、がやがやと馬に乗る者たちの話し声も聞こえるようになってきた。

 その声はもちろん、お鈴の耳にも入ってくる。

 お鈴は、声から逃れるように耳を塞ぎ、騎馬武者たちが通りすぎるのを待った。

 が、その時。

 聞き覚えのある声を聞いた。

 あの、忌まわしい、自分を犯そうとした侍たちの大将の声。

 その声は時折、殿、と言っているのも聞こえた。

 するとお鈴の体がさらに震え出す、にわかに息も荒くなって行く。

 息が荒くなるにつれ、声も漏れはじめだす。

 まるで、読経をしているかのように。

 お鈴に憑き物でも憑いたのかと思わせるほど、お鈴はうろたえ悶えだす。

「お、おい。女、なにをしているか。見つかったらどうする気だ」

 男は慌てて、お鈴を鎮めようとするも男が力をこめればこめるほどお鈴は息荒く悶えもがきだす。

「あの声、あの声は……」

「漠迦。喋るな」

 男は手をお鈴の口にあて、口を塞いだ。

 が、お鈴は男の手を噛み男の手を振り解いた。

 もはや抑えが効かなくなってしまったようだった。

 あの大将らしき男の声、それが発する殿という言葉。

 それと受け答えする男の声。

 お鈴の一族を攻め滅ぼした、敵の総大将が今、近くにいる。

 それが、お鈴の心を掻き毟り、お鈴の傷さえも疼かせている。

「男、名はなんと申す?」

「は、いきなり何を」

「よいから申せ!」

 騎馬武者たちに気付かれるのも構わず、お鈴は声を張り上げた。

「我が名はお鈴じゃ。お主の名は!?」

「漠迦! 大きな声を出すな」

「ええい、五月蝿い! 名は何と申すか聞いておるのじゃ!!」

 五月蝿いもなにも、大きな声を出しているのはお鈴なのだがお鈴は頑として男の名を聞いてくる、大きな声で。

「や、そこにだれぞおるのか!?」

 案の定、騎馬武者たちに気付かれ。

 家来の侍たちが馬を下りて森の中にやってくる。

 腰の刀を抜く者、槍を構える者。

 数人の鎧武者たちが、二人のもとまでやってこようとする。

「お鈴とか言うておったが、あの鈴姫か!? まだ生きておると言う事か」

 誰かが怒号を張り上げた。

「もしあの鈴姫ならば決して生かしてはおけん。捕らえて磔にしてくれる」

 あたりはにわかに殺気立ってきた。

 まるでここは戦場のように、これから戦がおこなわれるかのように。

「見つかったではないか! 一体何を考えている!?」

 男はお鈴を恨めしそうに睨み、一喝をくれてやった。

 しかしお鈴は怯まず。

「ならば返り討ちにしてやればよいではないか! あの化け物どものように」

「ふざけるな! お前が怯えているから隠れたのではいか!」

「ええい! そんなことはどうでもよい! もうよいのじゃ! それより、名は!? 名はなんと申す!?」

 お鈴は迫り来る鎧武者など気にもとめず、ひたすら男に名を聞いてくる。

 男は、舌打ちして。

「オレは、桐緒新介きりおしんすけ!」

 お鈴に負けぬ大声で怒鳴りながら名乗る。

 それを目の当たりにして、鎧武者たちは二人を見据え。

「うぬら我らを前にして痴話喧嘩か! その見上げた度胸だけは誉めてやる!」

 と一喝し、血走った目で新介とお鈴を睨みつける。

「や、あれはまさしく鈴姫! 生きておるとはこれは驚いたぞ」

 だれか鎧武者がお鈴に気付きやや驚いた顔を見せた、言うまでもなく崖から飛び降りたのを聞いていたのだ。

 が、そのお鈴の顔を見て、さらに驚いた表情を見せた。

「その顔、そうか崖から飛び降りた時に」

 お鈴の顔にやや怯んだものの、そこは修羅場を抜けてきたつわもの。

 すぐに気を取り直し。

「命と引き換えに、美しい顔を醜くしたのじゃな。一族を捨てた報いじゃわい」

 と、嘲笑い、すぐに新介に目をやった。

 だれも新介など知るよしもなく、はてと頭をひねるものの。

「どこの馬の骨かは知らぬが、お主鈴姫の家中の者か!? そうでなければ、我らの邪魔はせぬ事だ。さすれば見逃してくれようぞ」

 と、凄みをきかせながら新介に言った。

「醜くなった女。それにその女は、さきほど申したように一族を捨てて己だけ助かろうとした女狐なのだ、そのような者の為に命を粗末にすることもあるまい」

 それを聞いた新介は、舌打ちした。

 すると、突如お鈴が。

「だまりゃ! うぬらこそ盟約を破って我が一族を攻めた不届き者の分際で……」

「それが戦国の世というもだ!」

 鎧武者は噛み付くお鈴に一喝し、黙らせた。

 お鈴の、右の目から涙が溢れ出す。

 新介は、忌々しそうに鎧武者たちを眺めていた。

「さぁ、もう戯言は終わりじゃ。もう観念せい!」

「あああー!」

 鎧武者がお鈴を捕らえようと歩を進めた時、突如お鈴は叫び出した。

「この御に及んでまだ悪あがきをいたすか! 見苦しいぞ!」

 鎧武者の言葉など知らず、お鈴は新介にまくしたてた。

「新介! あやつらを斬れ! あの化け物のように斬り捨ててしまえ!」

 新介は、お鈴にけしかけられても動こうとはしなかった。

 それどころか、無視さえ決めこんでいるようであった。

「何をしておる、抜け、抜かぬか! その刀を! それとも、化け物は斬れても人は斬れぬと申すのか! お主腰抜けか!」

 髪を振り乱し、新介につかみかかり、半美半醜の顔を、切羽詰った、必死の形相にしてお鈴は新介をけしかける。

 しかし、それでも新介は木偶のように動かない。

 動かぬ新介に、お鈴は覚悟を決めたように、決意した目でさらに新介をけしかけた。

「おお、お主。子を産めを言うたな。産んでやる、十人でも百人でも千人でも産んでやる産んでやる! ……じゃからはよういけ、はよういけ!」

 それを聞いた新介は、口元を歪め、会心の、不気味な笑みを浮かべた。

「承知ッ!」

 と言うや否や、刀を抜き、地を蹴り鎧武者に斬りかかった。

「ぬ、やるか!」

 鎧武者が言葉を発するかしないか、そのわずかの間、鎧武者は血飛沫を撒き散らして倒れこんだ。

「む。う、ぬ!」

 他の武者たちは新介の突然の襲撃に、皆新介を討ち取らんとさらに殺気立ち刀を槍を構え新介に襲いかかる。

 新介は、刀を構えなおし己に襲い来る鎧武者たちに猛然と立ち向かって行った。

 その顔は鎧武者以上に殺気立ち、その上に餓えた獣の表情を受かべて。

 その餓えた獣は、一人、また一人と血祭りにあげてゆく。

 あの夜、化け物どもと同じように。

 鎧武者たちは新介の餌食になってゆくだけであった。

 修羅場をくぐりぬけた屈強のつわものどもが、一介の放浪の剣士によってめった斬りにされてゆく。

 鎧すら、まるでぼろ切れのように斬られ。

 刀を振るっても、槍を突いても、かすりもせず。

 森の中で、あの夜の再現が、鎧武者たちによってくりひろげられていた。

 森の外では、総大将と侍の大将が夢でも見ているかのように馬上で呆然としていた。

「信じられぬ。腕に覚えのある家来たちが、あのようにみすぼらしい男などに」

 信じられなくとも、目の前で繰り広げられているのは、まぎれもない事実だった。

「あの者は一体何者じゃ?」

「さぁ、桐緒と名乗っておりましたが」

「桐緒、知らぬな……」

 その知らぬ、名も無い剣士が今鈴姫とともにいる。

 鈴姫があのように醜くなっていても、鈴姫のために戦い。

 しかも、何と言うた?

 子を産む、と言うた。

 あの、鈴姫に子を産ませると言うのか。

 何故、そこまでする。

 鈴姫が命をかけてまで守らねばならぬほどの女だというのか、たとえ無傷で美しい顔を残しても所詮は田舎の小さな豪族の娘なのだというのに。

 それは、この二人にはわかり得ぬことであった。

 そうこうしているうちに、森の中から怒号が消え静かになった。

 と思ったら、鈴姫の高らかな笑い声が聞こえた。

 それが何を意味するのか、考えるまでも無かった。

 二人は慌てて刀を抜き、新介に備えるものの。

 森の中から飛び出してきた影が、二人の乗る馬の脚をきれいに四本とも斬り落としてしまった。

「や、や!」

 馬は悲痛な叫びを上げ、足をばらけさせ崩れ落ち、主人を地面に叩きつける。

 四本の足を斬られた馬は、茶色の大きな芋虫のようだった。

 足を失った苦しさで、何度も何度も苦痛の叫びを上げている。

「ぐぉ……」

 侍の大将は起きあがろうとした時、脳天をそのまま芋刺しにされてしまった。

「ひ、ひぃ」

 その間総大将は起きあがり脱兎のごとく逃げ出そうとしたものの、首の後ろから喉仏まで新介の刀が貫通した。

 総大将は血の泡を吹きながら、そのまま自分が走り出そうとした方向に倒れこんだ。

 総大将ともあろう者が、敵に後ろをみせるなど臆病も甚だしいが、あまりの突然のことに己の立場すら忘れ去り、ただの臆病者に成り下がっていた。

 それだけ、新介から得たいの知れぬ恐怖を感じたということだった。

 新介にしてみれば幼少のころより化け物どもを相手に命のやりとりをしているのだ、むしろ人間など手応えがなく拍子抜けするくらいだった。

 だから、人間を斬るのをためらっていたのだった。

 お鈴は、新介が敵どもを斬ってゆくのを面白おかしそうに眺めていた。

「あはは、あはははははは。いい気味じゃ、いい気味じゃ。あははははは」

 お鈴は、屍と化した鎧武者たちを見下し、高らかに笑う。

 馬は、主人の遺骸にも目もくれず、足を無くした苦しみからもがいているけだった、新介はそれに目をやると馬の脳天を突き刺し、馬の息の根を止めてやった。

 他の馬は、どこかへと逃げ去って行っていた。

「優しいのう。新介は」

 お鈴は新介のもとまであゆみより、新介によりそうようにもたれかかった。

「さぞ、私にも優しくしてくれるであろうなぁ」

 頬を、美しい方の頬を新介の胸にあてこすり猫なで声で新介に甘える。

 右の、白い頬が紅潮している。

 新介はとうに刀を鞘に収めて、お鈴の肩に手を触れた。

 暖かい、生の感触がした。

 お鈴はその感触に浸っていると、新介はにやけた、初めて会った時のにやけ顔を見せて言った。

「約束を、果たしてもらうぞ。お鈴」

「もちろんじゃ、もちろんじゃとも。新介」

 二人は、鎧武者の遺骸を背にどこかへと消え去り。

 その鎧武者たちは土へと返ってゆき。

 それから、新介とお鈴の姿を見た者はなく。

 二つの一族が争い滅びたことすら忘れ去られ。

 その上にまた累々たる屍が築き上げられて……。

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[一言] 以前夫婦雛に感想を書かせて貰いました者です。 この作品、夫婦雛と同じ戦国時代物なのに、内容が全くの正反対。 ですが、夢中になって読んでしまいました。 親兄弟一族郎党と運命を共にせず、命から…
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