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わからない日々Ⅰ④

 弁当をローテーブルに並べると、すぐにスペースがいっぱいになる。ひとり暮らしの生活にいきなり同居人がふえると困りごとだらけだが、いちばんのそれはなにからなにまで狭くなったことだ。おかげで、わたしたちは狭いテーブルに弁当を敷き詰め、載らない飲みものは床の空いている場所に置くはめになった。


 もともと広めの部屋を借りていたつもりだったのに、いまはもう窮屈なくらい、手狭に感じる。ひとりで暮らすのと、ふたりで暮らすのとでは、わかってはいたが勝手がちがいすぎた。でも、引っ越すとなるとまたたいへんだし、しばらくは我慢するしかない。


 わたしは床のグラスに手を伸ばして、麦茶を口に含む。さっき一杯だけ飲んだアルコールはきれいさっぱり抜けているような気がする。同居人は、唐揚げ弁当をたべながらテレビのUMA特集に夢中だ。こいつがUMAみたいなものなのに……UMAもUMAがすきだというのは、なんというか面白い。


 結局、同居人の正体はなんなのだろうか? この一週間で、わたしはなんども考えた。インターネットで似たような妖怪やらUMAやらを探し、水曜日には職場をはやくあがって図書館に行き、軽く文献を漁ってきた。で、いくつか妖怪図鑑や怪談話を借りてきたが、いまのところしっくりくる〈正体〉は見つかっていない。


 もちろん、死人の姿に化けて出る怪異などは、そこらにある。それこそ幽霊やゾンビのたぐいは死人そのものが化けて出るし、鉄板の怪談でもある。本人でなくとも、キツネやタヌキ、もののけなんかが死人に化け、ひとを騙すというのはむかし話を探せば似たような話がいくらでも見つかるだろう。


 しかし、どれもしっくりこない。まず、同居人は千歳の幽霊ではない。実体があるし、ほかのひとにも見える。そして千歳の記憶らしいものをちっとも持っていない。


 キツネやタヌキが化けてでたともおもえない。山は近くにないし、なにより、こいつはタヌキとかキツネといういきものを知らなかった。ネットで見つけた動物の写真を見せると、それこそアリやカエルをはじめて見たときとおなじように興味を示したし、それはタヌキでもキツネでも、ほかの種々ある動物でもそうだった。


 で、はりぼてな結論としては、こいつはこういう意味不明な存在である、というふうに投げ出している。ある日、死人の姿を借りてふっと湧いてでる、無知だが賢いなにか。つまり、同居人の正体はちっともわからないということなのだが、しかしこの世界ではわかることよりわからないことのほうがずっとおおい。そしてわからないものを、わかりやすいよう結論づけておくより、わからないままにしておいたほうがよいということは、往々にして真理めいているのである。


 ちょうどいま、テレビでやっているUMA特集だってそうだ。空飛ぶ円盤や宇宙人の映像なんて、どう見たって合成なものがごまんとある。ビッグフットもモスマンも偶然なにかがそう見えただけ、カメラにそう映ってしまっただけというのが大半だろう。


 それでも、「もしかしたらいるかもしれない」。現実的なつまらないことがらに目をつぶって、あえて、わからないままにしておく。そういう()()()のある状態が、いちばん具合がよいことだってある。いるかもしれないし、いないかもしれない。わかるかもしれないし、わからないかもしれない。そうおもっておけば、わたしたちはUMA特集を見ながらへんてこな映像を笑い飛ばせるし、あるいは信じて怖がったり、夢みたりできる。


 わたしはそんなことをぐだぐだと考えながら、味の濃い弁当を食した。いってしまえば、わたしは同居人の正体をさぐるのが面倒になっていた。この面倒さに理由をつけるのはむずかしい。たんなる破滅主義かもしれない。


 同居人はUMA特集をなおも熱心に見ていた。わたしはふと、こいつもじぶんの正体を必死になって探しているのではないかとおもった。じぶんの正体を、じぶん自身がわからない。わたしは意味もなくそういう状況を想像して、それがいつものわたしだと気づくのに時間はかからなかった。




 食事を終えると風呂にはいり、同居人の長い髪を乾かす。あのころの千歳とおなじ、艶のかかったうつくしい髪だ。千歳はじぶんの髪がいちばんの自慢らしかった。それをわたしに触らせて、においをかがせる趣味もあった。ぎゃくにわたしは髪をかぐフェチズムなんてなかったので、最後の最後まで困惑しっぱなしだった。けれど、彼女に触れられない、いまになって真っ先におもいだせる記憶は、あの透き通った髪の手ざわりとやわらかなシャンプーのにおいだった。千歳が死んでから、わたしはおなじシャンプーを使うようになり、同居人にもそれを使わせている。


 髪を乾かし、櫛で梳く。そのときだけ、わたしはもう抱きしめられない愛しさに出会える気がする。同居人の髪を乾かすようになってからは、なおさらそうおもう。




 寝るまでのあいだに、わたしと同居人はささやかな雑談をした。同居人はカタコトで今日いちにちの報告をし、わたしはそれに相槌をうつ。彼女は日中、わたしが図書館で借りてきた妖怪図鑑やらなにやらにも目を通したらしい。どうやらこころ惹かれたみたいで、その本に書かれているあれやこれの質問攻めもされた。それがようやく落ち着くと、わたしたちは眠りに就いた。


 わたしはシングルベッドで、同居人はテーブルを動かし布団を敷いて寝る。照明を消すと暗闇があった。外から猫の鳴き声がして、それが鼓膜に沁み込んでいくのを感じた。


 ――どれほど経ったのだろうか。わたしになにか覆いかぶさる感覚があった。


 重いまぶたを持ちあげると、暗闇に何者かがうごめいている。まどろみのなかで見つめると、それが同居人なのだとぼんやりわかる。


 同居人はさいしょ、わたしの腹に耳をあてるようにして、じっとしているみたいだった。そしてゆっくりとわたしの腕に手を這わせ、首元にそのやわらかな指先が触れる。そして彼女は馬乗りになって、耳もとに顔を近づけた。


「かたり」


 ささやき声は、かすかにふるえて聞こえた。首の根本に硬いものがあたり、それが歯だとわかるまで一瞬のラグがある。そのラグを途端にかき消す痛みがわたしを一気に目覚めさせた。


 突然の激痛にわたしは呻きながら、同居人の背中を叩いた。するとパニックになったらしい、同居人の噛む力は一層強まり、わたしはより大きく呻くことになった。相手の寝巻を掴んで引きはがそうとするが、うまくいかない。怪力に抵抗できない。わたしは組み伏せられたままじたばたと抵抗し、そのたびに同居人はひしとわたしにしがみついた。


 それでも、わたしはどうにか同居人を突き放すことに成功した。火事場の馬鹿力というやつだった。引き離すときも彼女は顎の力をゆるめず、肉をそのまま持っていかれる感じがした。とうの同居人はベッドから落ち、どこかにあたまをぶつけたのが音でわかる。わたしは痛む首元を右手でおさえながら、左手で照明のリモコンをつかみ、明るくした。


 目に飛び込んできたのは、テーブルにあたまをぶつけてぐったりと横たわる同居人の姿だった。わたしは転がるように駆け寄って、同居人のからだに触れる。すると赤黒い血がついた。刹那、ひやりと背筋を汗が伝ったが、よく見ると同居人はどこからも出血していない。


 それはわたしの血だった。同居人の鋭い歯は、しっかり皮膚の下まで届いていたらしい。


 一方の同居人は、目立ったけがもなく、ただ気をうしなっているだけらしい。口元にはわたしの血がべったりついているので、心臓に悪いが。


 わたしはほっとする反面、困惑した。首元がずきずきと痛む。この痛みに憤るべきなのかもしれないが、いったいぜんたいなぜ噛まれたのか、困惑が勝った。


 ひとまず、わたしは鏡で傷を確認し、そのひどい噛み跡をまじまじと見つめた。かなり歯が食いこんだようで、皮膚はえぐれ、寝巻のシャツまで血だらけになっている。


 どれくらいで治るだろうか。けがの治りが遅いほうだから、長いこと残るかもしれない。深夜零時、わたしは暗澹とした気持ちで傷の消毒をした。染みる痛みに低く唸る。傷跡は数枚のガーゼで覆う。


 簡単な処置を終えたころ、同居人は目を醒ました。彼女はわたしの首元にある大仰なガーゼを見て驚き、つぎにじぶんの顔を鏡で見て驚いた。わたしの傷と、口元の血。同居人は、すべてこいつのしでかしたことなのにあたふたと慌てふためき、一分ほど騒ぐと肩を落としてしょぼくれた。へんなUMAだった。


 怒る気力は湧かなかった。わたしはべつの寝巻に着替えると、いそいそとベッドに潜った。痛みがひどい。明日になったら病院にいこうか、と他人事のようにおもう。


 同居人はしばらく動かなかったが、やがて照明を消し、じぶんの布団に戻っていった。


「なんで噛んだの?」と、そのとき訊いた。

「こわい」と、同居人は答えた。


 わたしはなおさら困惑した。でも、ま、べつにいいかとおもった。わたしは枕を抱えて同居人の布団にはいり、彼女のあたまを撫でながら眠った。わたしには、じぶんがなにをされたのか、彼女がなにをしたのか、わたしがいまなにをしているのか、どれもあいまいで、わからなかった。


 外からはまた猫の鳴き声がした。深い体温を感じながら、夢のない眠りに落ちていく。

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