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アルフィー

「困った人だわ。でも必ず離婚するわよ。だって、真実の愛で結ばれるためですもの。ねえ、アルフィー」

「光栄です。奥様」

「ふふ、実家も賛成しているのよ。予定よりも早く引退できそうだって!」


鈴が鳴るような笑い声を漏らす奥様。

その発言をしたであろう、子爵のお父上を思い出しているのでしょう。


「次期子爵様になられる奥様をお支えできるよう、私も尽力いたします」

「ありがとう。楽しみだわ」


奥様の唇が、新たに注ぎ直した紅茶の水面に触れた。喉も動き、飲み込んだことを確認する。

何か物思いに耽った様子でカップを眺め、やがて長考するためか目を閉じた。


お休みになられている奥様に窓から差す昼下がりの日差しは良くないと思い、半分だけカーテンをして、音を立てないように部屋を後にした。


僕は、これからの生活を想像しただけで浮き足だった。

奥様と今のような関係になったのは何時からだろうか。そうだ、旦那様から心無い言葉を受けたあの日からだった。


◇◇◇


「別にお前だって浮気してもいいぞ。俺は懐が広いからな」

「……」


旦那様の一言にダイニングにいた全員が言葉を失った。自身の浮気を反省するどころか、開き直って夫婦揃って不貞を働くことを推奨するなんて、どういう神経をしているのか。

恐る恐る奥様の方を横目で確認すると、どことなく愛嬌のある丸い瞳は僅かに潤んで見えた。しかし悲しんでいるというより、あれは怒っていると考えを改めた。なぜなら、テーブルの影にある奥様の手が拳を作って震えていたからだ。


奥様が怒りに震える中、元凶である旦那様はまるで言ってやったと言わんばかりの表情で胸を張ってダイニングを出て行った。僕以外のダイニングにいる使用人たちは、溜息を噛み殺して仕事に戻るが、僕はそれどころじゃ無くなった。

急ぎカモミールティーを用意して冷めた朝食が並んだダイニングテーブルに置くと、驚いた顔で奥様は瞳に僕を映した。


「カモミールティーです。良ければ、お召し上がりください」

「あなた…アルフィー、だったかしら」

「ええ。覚えていてくださり光栄です」

「当然よ。家を守ってくれる仲間なのだから。…ふふ、ありがとう。いただくわ」


奥様は、あまり高くはない身長も相まって可愛らしい印象があるが、夫人として仕事ぶりは申し分無く、凛とした佇まいとのギャップが使用人たちの間で“唆られる”と評判だ。だが、この時の奥様は1人のか弱い女性に見えた。貴族の女性と言えば香水の匂いだが、この時は石鹸の香りの印象が強く残った。



この日以降、奥様と顔を合わせると挨拶を交わすようになり、挨拶から雑談に発展していった。奥様の口から旦那様の愚痴を聞くようになるまでは時間が掛からなかった。奥様にとって、僕は恥を隠さなくてもいい友人だと認識されていたのだろう。

だが、僕はその関係では満足できなかった。


雨が降る夕方、無心で書類をまとめる奥様に普段と同じように差し入れをしつつ声をかける。


「今夜も旦那様の帰宅は朝になるのでしょうか」

「ええ、最近はアンジェリナさんにご執心だもの」

「…そうですか」


一瞬怒りを覚えたが力を入れて持ちこたえつつ、奥様の顔を覗き込んだ。少女のような表情を一瞬見せた奥様だが、警戒心を強めた顔に即座に切り替えた。リスのような彼女に信じてもらえるよう傅き思いを込めて、ゆっくり言葉を紡ぐ。


「奥様、僕は悔しいんです。素晴らしい女性を弄び、それを許されると思っている旦那様が」

「…許しているつもりは無いわ」

「旦那様も同じ思いをしなければ、きっと反省されないでしょう。奥様、良ければ僕を利用しませんか?」

「利用って…まさか!」


聡明な彼女は僕の言いたい事を即理解して、体を若干強張らせた。しかし、表情は期待と不安が混ざった少女の顔だった。考えを相手に悟られるような表情や仕草は貴族の女性としては褒められたものではないだろうが、それが彼女の魅力なのだろう。


「そんなことをしたら、あなた…!」

「大丈夫。旦那様からは既に許しを得ているでしょう?それでも僕を害するなら、奥様も同じことをすればいい。そして旦那様に言うのです。『あなたからやったことでしょう?』とね」

「…そんなことさせないわ。協力してくれる貴方に危険が及ばないよう全力で守るわ。だって、貴方は大切な…たった1人の友人ですもの」



◇◇◇


そうして奥様と関係を持つようになれてから数か月。

初めは復讐を目的に関係を持っていたが、僕が愛を囁き続けていると、目的が口実になるのに時間は掛からなかった。


もうすぐだ。

もうすぐ愛しい彼女と結ばれる。

この日をどんなに夢見たことか。


いくら熱い視線を送っても、愛を語っても、その美しく唆られる身体に触れることは決して許されなかった。

せいぜい彼女の香水の堪能しながら、口付けを交わす程度で耐え続けてきた。


でも、それも終わり。

今日までのこと。


彼女の願いを叶えた今、約束どおり許してくれるだろう。



「僕、やったよ」

「でかしたわ。ワタシの可愛い子犬ちゃん」

「だから…いいだろう?



アンジェリナ」



夜の街の狭い一室で愛しい彼女に僕は抱きつき、僕たちは熱い一夜を共にした。


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