転生元勇者は離婚したい
俺は光村勇人。二十七歳、社会人五年目のどこにでもいる社会人だ。
見た目は悪くないが、飛びぬけたイケメンでもない。
平凡な男だが、実は人と違うところが一つある。
俺には前世の記憶があるのだ。
生まれ変わる前の俺は『勇者』だった。
光の王国シュテルン。
魔王に攫われたミリア姫を救うため、王家によって封印されていた聖剣が解き放たれた。
聖剣に選ばれて勇者となった俺――ユーリアは、見事魔王を倒して姫を奪還。
国に戻って姫と結婚し、幸せに暮らしました、という童話のような記憶が俺にはあるのだ。
そんな華々しい記憶を持つ俺だが、現在はサラリーマン。
今は聖剣ではなく、ビジネスバッグを持って歩き回っている。
どんなものでも収納する魔法【アイテムボックス】があれば、ビジネスバッグを持たずに済むが、そんなものはない。
だから、スマートフォンと財布、名刺は絶対に忘れないように、毎朝注意している。
「……クソッ、頭が痛いな」
今日は朝から体調が悪かった。
上司が早上がりにしてくれたので、現在帰宅中だ。
体調不良だって、回復魔法【ヒール】なら一瞬で治すことができた。
移動だって、転移魔法【テレポート】があれば、重い体を引きずって歩くこともしなくてすんだ。
「現代はとても不便だ」
愚痴りながら着いた我が家は、背伸びして買った新築マンションの一室。
俺は新婚で、妻の美姫は甘え上手でとても可愛い。
エステや買い物で出費が多いことはつらいが、それは俺の甲斐性の見せどころだ。
それに、美姫の前世は王女――俺の妻だった『ミリア姫』なので、裕福な暮らしをしたくなるのは仕方ないだろう。
俺達は街中で偶然出会った。
一目でお互いがかつてのパートナーだったことを悟った。
すぐに仲良くなった俺達は自然に交際するようになり、去年結婚に至った。
そして前世と同様に、幸せな生活を送っている。
今も連絡せずに家に帰って来たが、温かく迎え入れて、心配してくれるはず――。
「あれ?」
驚かそうと思い、静かに玄関の扉を開けると、男物の靴が目に入った。
……嫌な予感がした。
息を止め、気配を消して廊下を進む。
ダンジョンのトラップを警戒している時より慎重に歩いた。
リビングに近づくと、中から男女の声が聞こえてきた。
「旦那が働いている間にこんなことをするなんて……悪いお姫様だ」
聞き覚えのない男の声だ。
俺がいない時間に知らない男が家にいること、そして今のセリフから、美姫が俺を裏切っている可能性が高くなった。
ほぼ確定であるが……信じたくない。
「お姫様だって舞踏会で仮面をつければ刺激的な遊びをするのよ?」
「なるほど。今は素敵なお嫁さんという仮面を被っているんだ?」
「ひどーい。私は本物の素敵なお嫁さんよ?」
間違いなく美姫の声なのに、別人のようだ。
リビングにいるのは、本当に俺の妻なのか。
呆然とする俺の耳に、血の気が引く言葉が聞こえてきた。
「素敵なお嫁さんが托卵なんてしないだろう?」
「もう! 子供ができたと思ったのは、勘違いだったって言ったじゃない。できていたとしても、あの人なら自分の子供じゃないって気がつかないだろうけど」
「どういうことだ!」
気づけば俺はリビングに乗り込んでいた。
怒りで頭に血が上り、理性を保てなかった。
リビングに入った俺の目に飛び込んできたのは、ソファの上で絡み合っている男女。
男は二十代前半くらいの若い男で、爽やかな印象の優男だった。
女の方は……やはり妻の美姫だった。
二人の服ははだけていて、肌や下着が見えている。
「あ、あなた」
俺の姿を見た美姫と男は、慌てて離れた。
そして乱れた服を必死に直している。
「美姫! 家に男を連れ込んで浮気をするなんて、お前はそんなクズだったのか!」
「う、浮気なんて気のせいよ……。外で友達に偶然会ったから、家に来て貰ってお話していただけなの」
「気のせいな分けがないだろう! 話しているだけなら、どうして脱いでいるんだ!」
「ご主人、落ち着いてください」
美姫を問い詰める俺を、きっちりと服を着直した浮気相手が涼しい顔で止めてきた。
どうしてこいつは、俺の家庭を壊すことをしておいて、こんなに平気な顔をしているんだ。
そう思った瞬間に、俺の拳は優男の頬を殴り飛ばしていた。
「きゃあっ!!」
美姫の悲鳴が聞こえたが、そんなものはどうでもいい。
もう一度殴ってやろうかと考えていると、優男が俺に殴られた頬を押さえながら話しかけてきた。
「……痛いな。旦那さん、暴力はだめですよ。でも、僕も勘違いさせて悪かったので許してあげます」
「あ”あっ!? 何だと!!」
「また殴るつもりですか? 次殴られたら被害届を出します。暴行で捕まっちゃいますよ?」
「ふざけるな! 不倫男が何を言ってやがる!」
「不倫だなんて勘違いですって。僕と奥さんが浮気していた証拠があります?」
「今、俺が見ただろう!!」
「物証はないでしょう? でも、僕が殴られた証拠はここにありますよ」
自分の赤くなった頬を指さし、優男が笑う。
「てめぇ……!」
「あなた、警察に捕まっちゃうわよ! ご両親とか会社に迷惑がかかったらどうするの!」
「…………っ」
自分だけならどうなってもいい。
でも、俺の体調を気づかってくれた上司や、田舎でのんびりくらしている両親に迷惑はかけられない。
「…………ふっ。では、お邪魔しました」
俺がためらっている隙に、優男はサッといなくなってしまった。
「……クソッ……クソッ!!!!」
前世だったらぶん殴ってボコボコにしても誰にも文句を言わせなかった。
証拠なんてなくても、みんなオレのことを信じてくれただろうし、真実を見抜く【精霊の眼】で見て貰えたら分かることだ。
「現代はなんて面倒なんだ! 前世の方がよかった!」
※
妻の浮気現場に遭遇した翌日――。
「あなた、いってらっしゃい。気をつけてね~」
「…………」
美姫は「浮気は気のせい」を押し通し、何事もなかったかのように接してくる。
どういう神経をしているのか分からない。
俺の体調は回復せず……むしろ悪化しているが、スーツを身にまとって家を出た。
会社には休むと伝え、俺は弁護士事務所に向かった。
弁護士事務所には、昨日のうちに無料相談の予約をしておいた。
『なんとかあいつらに不貞行為を認めさせ、美姫の有責で離婚したい』
俺はその希望を、弁護士に相談したのだが……結果は驚くべきものだった。
「相手方は不貞行為を認めていないんですよね? 写真などの証拠がなければ、浮気相手が言うように、あなたが殴った分の慰謝料を請求されるだけになるかもしれませんよ」
「そんな……!」
「証拠を探すか、性格の不一致ということで離婚を求めることは……」
「俺はあいつらに責任を取って欲しいんですよ!」
「でしたら、証拠を集めるしかありませんね」
これ以上は有料になると、追い出されるように弁護士事務所を出た。
有料で相談しても、俺の希望は叶えられそうにない。
頭が真っ白になった俺は、視界に入った公園に向かった。
あそこには休むことができるベンチがあったはずだ。
「どうすればいいんだ……」
記憶の通りのベンチを見つけ、俺は腰を下した。
証拠が必要だというが、俺が目撃したあとだから、証拠となるものは処分されただろう。
一応スマホを確認してみようと思ったが、美姫は肌身離さず持っているようで隙がない。
責任を取らせることができないまま離婚するしかないのか……。
俺は頭を抱えて、途方に暮れた。
「元勇者様は今世ではサレ夫か」
「!」
降ってきた声に驚いて顔を上げると、俺の前に一人の女性が立っていた。
スーツ姿のキリッとした黒髪美人で、ひまわりのバッジをつけている。
弁護士なのか……って、そんなことより、俺のことを勇者と言った?
もしかして、俺のように前世の記憶があるのか?
驚愕しながらもその顔をジーっと見ていると、ある人物の顔が脳裏に浮かんだ。
「お前は……魔王討伐のパーティーメンバーだった、魔法使いのクラウスか!?」
クラウスは国一番の魔法使いで、とんでもない美青年だった。
近寄りがたい雰囲気はあったが実は面倒見がいい奴で、俺はいつも助けて貰っていた。
今世では女性になったようだが相変わらず美しく、クールな笑顔も健在のようだ。
「そう呼ばれるのは懐かしいな。今の名前は賢木響子だ」
そう言いながらクラウス――いや、賢木は名刺を渡してきた。
名刺には先ほど訪れた弁護士事務所の名前が書かれていた。
「もしかして……俺の相談を聞いていたのか?」
返事の代わりに、賢木は苦笑いを見せた。
……聞いていたのなら話は早い。
生まれ変わってまで頼りきりになるのは申し訳ないが、背に腹はかえられない。
「クラ……賢木、弁護士なら力を貸してくれないか? 俺はあいつらに責任を取らせた上で離婚したいんだ! こんな形で妻に裏切られるなんて……」
賢木は俺の言葉を聞いて、何か考えているようだ。
「もしかして、お前の妻はミリア姫の生まれ変わりか?」
「!! そうなんだ! だから信じていたのに、こんなことになるなんて……」
「……昔のお前も、あのアバズレにまんまと踊らされていた。また同じ目に遭いやがって……」
「?」
「いや、なんでもない。力を貸してやるよ」
「いいのか!?」
「聖剣をなくしたお前とは違って、私には魔法書がなくても六法全書がある」
そう言って笑う賢木の笑顔はかっこよかった。
隣に腰を下ろした賢木に、俺は改めて事情を説明した。
「先程の先生の言う通り、冷静になって証拠を押さえていればな……。すぐに頭に血が上るのも相変わらずか」
「す、すまん」
「まあ、起こってしまったことを嘆いても仕方がない。行くところがある。ついて来い」
「分かった。……あ、ちょっと待ってくれ」
ベンチから立ち上がったところで、小さな子供の泣き声が聞こえてきた。
声の方を見ると、小さな子供を抱いた若い母親が、三人の高校生達に頭を下げていた。
どうやら子供が投げたボールが高校生に当たり、服を汚してしまったようだ。
高校生とはいえ背の高い男に威圧され、子供も母親も怯えている。
俺は高校生達の元へと向かい、話しかけた。
「服が汚れたようだが、土を払えばすむだろう。それに小さな子供のやったことだ。許してやれ」
「ああ? 誰だよ、おっさん」
そう言って三人揃って凄んで来るが、魔王やその配下達に比べればひよこのようなものだ。
「誰でもいいだろう? 大体お前たち、今は学校の時間じゃないのか? どこの生徒だ?」
「…………チッ」
学校に通報されると面倒だと思ったのか、高校生達は悪態をつきながらも去って行った。
子供と母親も、俺に礼を言うと手を繋いで帰って行った。
微笑ましい光景だが……今の俺には少々つらい。
俺にも近い将来、可愛い子供が家族になる将来がくると思っていたのにな……。
「まったく、余計なことに首を突っ込むのも変わらないようだな。今の若者は何をするか分からないんだぞ」
賢木が笑いながら話しかけて来た。
「それなら、もっと俺がでしゃばってよかったじゃないか。小さな子供とお母さんが怖い目に遭うよりいいだろ」
「……そうだな。お前はそういう奴だった。だから私は――」
「あ、どこか行くんだっけ?」
「! ああ、そうだ。行くぞ」
※
賢木に連れられてやって来たのは、年季の入ったビルの二階。
扉にある表札には『日豪探偵事務所』と書いてある。
賢木はここによく出入りしているのか、気軽に扉を開け、堂々と中に入っていった。
俺も慌てて後に続く。
部屋の中では、五十代くらいの体格のいい男が一人、デスクで作業をしていた。
書類に目を通していた男が俺達に気づく。
「おう、賢木か。そういえば浮気調査を頼みたいとさっき連絡を寄越していたな」
「…………ん?」
俺は男とは初対面のはずだが、妙に見覚えがある気がした。
ジーっとよく見ていると、先に向こうが俺に気づいた。
「お前! ポンコツ勇者様じゃねえか!」
「誰がポンコツだ! って、その呼び方……あんた、悪徳ギルドマスターか!」
「ははっ! そうだ。元悪徳ギルトマスターの日豪だ」
驚くことに、転生していたのは俺と美姫、そして賢木だけではなかったようだ。
目の前にいる男――日豪は、金のためなら魔王にでも情報を売るという、質の悪いギルドマスターのグスタフだった。
「浮気調査って……なるほど。元勇者様が今世ではサレ夫か! こりゃあ面白い!」
「面白くねえよ!」
流れから察すると、賢木はこの元悪徳ギルマスに美姫の調査を頼むようだが……。
「お前の嫁は、この女?」
「!」
突然女の子の声が聞こえて驚いた。
声の方を見ると、誰もいなかったはずのソファに足を組み、こちらにタブレットを向けているセーラー服姿の女子高生がいた。
芸能人か? と思うくらいの美少女だ。
俺はもう勇者ではないが、気配には敏感だ。
存在に気づけていなかったなんて、この子は何者だ?
「おい、聞いているのか? これは嫁なのかよ」
「あ、ああ」
確かにタブレットに表示されているのは、美姫の写真だった。
賢木からこの女子高生にも情報が渡っていたのだろうか。
「やっぱりクソ姫じゃねえか」
「可愛いのに口が悪い……ってお前、まさか……」
女子高生の冷たい目を見ていると気づいた。
「魔王!?」
信じられないことに、この女子高生は俺が倒した魔王だった。
前世で俺が倒した魔王は、黒髪長身の美丈夫だった。
今は性別も姿も全く違うが、直感で魔王だと確信した。
「魔王め、俺に復讐でもしに来たのか!?」
「……はあ? 心配するな。お前ごときにオレは倒せていない」
「どういうことだ?」
俺は聖剣で魔王の体を貫いた。
間違いなく葬ったはずだ。
「お前が倒したのはオレの分身だ」
「そ、そうだったのか!!!?」
魔王を倒した勇者だという誇りがあったのに、倒せていなかったなんてショックだ!
しかも欺かれていたのに気づけなかったなんて……。
衝撃で固まっている俺に構うことなく、魔王は話を続ける。
「あの女にはオレも迷惑したものだ。だから、配下の者を使って手伝ってやるよ」
「因縁? っていうか魔王、現代の君は……オレっこ?」
「私は瑠奈、普段は違うよー」
朗らかな笑顔を見せられてゾッとした。
あまり関わってはいけないタイプの人間だと悟った。
配下、とか言っているし……。
「儂もあの姫にはお礼をしなければいけないことがあるんだ。可哀想なポンコツ勇者にはサービスしてやる。きっちり証拠集めてやるからお前は寝て待っていろ」
「え? いや、協力してくれるのはありがたいが……」
「頼んだぞ」
展開について行けない俺を置いて行く勢いで、賢木は早々に引き上げた。
俺も慌ててその後を追う。
一度振り返って見ると、元ギルマスと元魔王が手を振っていた。
どうなっているんだ……。
「おい、賢木」
「悪いが、私は忙しい。証拠は集めておくからお前はその間、なるべく警戒されないようにな。できるだけ普通に暮らすんだぞ」
賢木は弁護士だ。当然忙しいだろう。
話したいことはたくさんあるが、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
こうして急遽俺のために時間を割いてくれたことがありがたい。
「分かった。本当にありがとな」
「礼はすべてが終わってからでいい」
相変わらずのかっこいい笑顔を見せ、賢木は手を振って去って行った。
※
それから、控えめに言って地獄の日々が始まった。
憎しみの対象と普通に生活するのは無理がある。
あんなに大好きだったのに……いや、愛していたからこそ許せない。
賢木からは「余計なことはするなよ」という釘差しはあるが、一向に準備が整ったという連絡は来ない。
ストレスが溜まり、日に日に体調が悪くなる。
「勇人~。最近あんまりごはん食べないね。元気もないし、大丈夫?」
お前のせいで大丈夫じゃねえよ!
そう叫びたいが、声に出すわけにはいかない。
普段通りに暮らせと言われているが、どうしても素っ気なくなる俺の態度を見て、美姫は「勇人が冷たい」と被害者ぶってくる。
ストレスを与える天才か。
とくかく、現状は何もできない。
こんな生活が早く終わるように願うばかりだ。
目撃した日から一ヶ月ほど経ち、そろそろ限界だと思っていたある日――。
『準備ができた』
ようやく賢木から連絡が来たのだった。
※
決戦の場所は喫茶店。
賢木の手配により、全員が揃った。
こじんまりとした感じのいい店だが、貸し切っているのか俺達以外に客はいない。
俺の隣には美姫が座り、前には賢木とあの優男が座っている。
「お集まりくださり、ありがとうございます。では、早速話し合いを始めさせて頂きます」
賢木の言葉に、優男はにこやかに頷いた。
美姫も落ち着いている。自分達の不貞行為の証拠はないと自信があるのだろう。
そんな二人に賢木は早速切り込んだ。
「率直のお聞きしますが、あなた達は不倫関係にありましたね?」
「ご主人の勘違いです。証拠はあるのですか?」
涼しい顔で依然と同じことを言う優男に見せるように、賢木はテーブルの上に大量の写真と書類を並べた。
「!」
優男と美姫の顔が強張る。
写真には、どうみても特別な関係にある様子の美姫と優男が写っていた。
書類の方は、二人のメッセージアプリのやり取りらしきものがある。
それも肉体関係があることがはっきりと分かる生々しいやりとりだ。
この証拠の数々は、元ギルマスと魔王が集めてくれたものだろう。
一年以上前のものから最近のものまである。
すごい……どうやって入手したんだろう。
「嘘! どうしてこんなものがあるの!? メッセージは消したはずなのに!」
「言うな……! いや、こんなものは偽造だ!」
「偽造だというのなら、これが加工されたものか、納得がいくまで確認して頂いても結構ですよ?」
「…………っ」
淡々と話す賢木の言葉を聞いて、二人は言葉を詰まらせている。
これだけ証拠があったら、言い逃れはできないだろう。
そう思っていると、美姫が涙を流し始めた。
以前の俺なら狼狽えたところだが……今は猿芝居だと分かる。
「私、寂しかったの……勇人は仕事ばかりしているから……!」
「なるほど。随分寂しかったようですね」
「?」
首を傾げる美姫の前に、賢木は追加の写真を並べた。
「あなたのお相手達です」
「!」
そこには、美姫が何人もの見知らぬ男と親しげな様子で写っていた。
「浮気相手はこんなにいたのか!」
「僕だけじゃなかったのか!?」
「この女は前世でも男癖が悪かったからな」
同時に叫んだ俺と優男に相槌を打ちながら、元魔王の瑠奈が姿を現した。
その後ろには日豪もいる。
そして、窓の外には、不敵な笑みを浮かべて、こちらを見ているグループがあった。
主婦やサラリーマン、小学生――。
老若男女、職業や見た目もバラバラな十人ほどの集まりだ。
みんな見知らぬ人達だが、彼らの笑みには見覚えがある。
こいつら、魔王軍の幹部だ!
そうか、不貞の証拠集めは、この人達がやってくれたんだな……。
「男癖が悪い? 適当なことを言うな! 姫は今も昔も僕だけだ!」
優男の叫びに意識を引き戻される。
今はまず、美姫の本性を暴かなければならない。
冷静さを失っている様子の優男を見て、瑠奈がニヤリと笑った。
「お前、前世でクソ姫の専属護衛騎士だった奴だろう」
「護衛騎士? ……パウルか!?」
驚いた。パウルは姫が魔王に攫われたとき、単身ですぐに追いかけた勇敢な騎士……だったはずだ。
混乱する俺に向かい、日豪が口を開いた。
「姫と護衛騎士――、こいつらは前世でも関係があったんだよ。姫は表向きでは、勇者と結婚して幸せそうにしていたが、裏で自分の騎士と好き放題やっていたんだ」
日豪の言葉に、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべた瑠奈が続く。
「ロクデナシ騎士のお前は、勇者を欺くことで優越感に浸っていただろうが……。知っていたか? クソ姫にとってお前は、一番使いやすい道具だったんだよ。今も昔もなあ」
「そんなわけがない!! 僕はっ!! 姫が唯一心を許すパートナーだ!!」
優男――元パウルは怒りのあまり立ち上がった。
鋭い目で瑠奈を睨みつけているが、瑠奈は涼しい顔をしている。
そして、嘲笑うような口調で話し始めた。
「確かに、お前はクソ姫の裏の顔を一番知っていただろう。だが、それは愛情の証明ではなく、ただ『便利に使われていた』というだけだ。お前は、何も知らない勇者を馬鹿にしていただろうが、『前世でも今世でも夫にして貰えなかった小間使い』、それがお前なんだよ」
「違うっ!!!!」
狭い喫茶店に、元パウルの絶叫が響いた。
余裕が一切なくなった元パウルに向かい、瑠奈が冷たい目を向ける。
「お前はクソ姫の『魔王に攫われた』という狂言に協力したな? それは、協力すればお前は『勇者になれる』と言われたからじゃないか?」
「! ど、どうしてそれを……」
「護衛騎士と姫では結婚できない。でも、勇者と姫なら結婚できる。魔王に攫われたことにするから、勇者になって助けに来て欲しい、とでも言われたのだろう」
瑠奈の言葉を聞いた途端、元パウルは美姫を見た。
さっきまで泣き真似をしていた美姫だが、今はバツが悪そうに顔をそらしている。
「ミリア姫の真の目的は、魔王にフラれた腹いせに、勇者を使って憂さ晴らしをすることだったんだ」
「…………は?」
日豪の言ったことが理解できず、元パウルはポカンと口を開けている。俺も同じだ。
「当時、シュテルンと魔国の関係は良好だった。シュテルン王家と魔王が内密に会談することもあったのだが、そこに居合わせたミリア姫が魔王に一目惚れをしたことが始まりだった」
確かに瑠奈の前世、魔王は目が覚めるような美貌の持ち主だった。
艶のある長い黒髪が妖艶で、真っ赤な瞳も宝石のようで美しかった。
「ミリア姫は魔王に求婚したが、まったく相手にして貰えなかった。それが悔しくて、人間で唯一魔王に太刀打ちできる勇者を使って、憂さを晴らすことを思いついたんだ」
「う、嘘だ! 姫は僕を勇者にするために……! こいつが僕に渡されるはずの聖剣を横取りしたから、僕は勇者になれなかったんだ!」
こいつは……元パウルは、何を言っているのだろう。
前世の俺は、聖剣を横取りなんてしていない。
冒険者として旅をしていたある日、突然周囲が真っ白に光ったと思ったら、次の瞬間には聖剣や王様の前に立っていたのだ。
そして、「聖剣がお前をここに召喚したのだ。お前が勇者だ」と言われ、訳が分からないまま、ほとんど勢いで勇者として旅立ったのだ。
「何か勘違いしているようだな。元護衛騎士殿は姫に、『王はお前に聖剣を渡して勇者にするはず』とでも言われたか? 勇者は王が聖剣を渡して決めるのではない。聖剣が選ぶのだ。そうだろう?」
日豪に聞かれ、俺は頷いた。
「ああ。俺は気がついたら聖剣の前にいた。王は、聖剣が俺を勇者として喚び寄せた、と言っていたな」
「そんな馬鹿な……! 姫はそんなことを言ってはいなかった……」
「そもそも、お前は勇者にはなれないことを、姫は知っていたはずだ」
「…………え?」
「王族や一部の人間しか知らないことだったが、勇者の胸には『印』が現れるのだ。お前と姫には体の関係があっただろうから、お前に印がないことは分かっていたはずだ」
確かに前世の俺の胸には、不思議な模様の痣があった。あれは勇者の印だったのか。
「勇者を出現させるためには、王家が封印している聖剣の封印を解かなければならない。姫が魔王に誘拐されたフリをして、お前が国に報告すれば、姫を助けるために封印は解かれるはずだ。そして勇者が姫を助けるために魔王を倒す――。そういう計画だったのだ。だから、お前は勇者ではなく、聖剣の封印を解くきっかけを作るため、『姫が攫われた』と伝えるだけの係なんだよ」
「そんな……」
事実を知って、元パウルは愕然としている。顔は真っ青だ。
俺だってフラれた腹いせのために勇者になっていたなんてショックだ。
言葉を無くしている元パウルと俺に構わず、日豪の説明は続く。
「攫われた姫を勇者が救ったというストーリーは、シュテルン王と魔王があえてそういうことにしておこう、と決めたことだ」
「どういうこと?」
これには俺と優男だけではなく、美姫もきょとんとしてる。
「当初、娘を攫われて魔王に裏切られたと思っていた王だったが、のちに姫の愚かな行動に気がついたんだ。本来なら姫を罰しなければならないが、つまらない腹いせのために聖剣の封印を解いたと歴史に残すことはできない。魔王にそれなりの対価を払い、丸く収まるように頼んだんだよ。前世の儂は、その事実を突き止めていたことで王家から圧力を受け、『魔王と通じているギルドマスター』なんて不名誉な噂も流されることになっちまった。だからな、こうしてあんたを地獄に突き落とす手伝いができて嬉しいぜ? 姫様よお」
「あ、あなた、あのギルドマスターなの?」
美姫が日豪を見て怯えている。
積極的に噂を流したのは美姫なのかもしれない。
「ああ。儂はギルドマスターのグスタフだった。今は探偵をしている。そしてこっちは……あれだけ執着していたのに、分からねえか?」
そこで日豪は隣にいる瑠奈に目を向けた。
それにつられて瑠奈を見た美姫の眼が開いていく。
「まさか……あなたは魔王!? どうして女になってるのよ! 転生していたら最高の男になっているはずだから、ずっと探していたのに! 女だなんてひどいわ!!」
「クソ姫は相変わらず気持ち悪ぃ」
美姫の叫びを聞いて、俺と優男は、日豪と瑠奈の話が真実なのだと悟った。
「ミリア姫……美姫……。嘘だよな? 僕が一番だよね!?」
優男は美姫に手を伸ばしたが、美姫はその手をはねのけた。
「そんなわけないでしょ! あなたなんて、前世ではただの騎士だし、今はまだ稼げない大学生じゃない! ねえ勇人、許して! 私、いいお嫁さんになるから!」
前世から利用している優男、パウルへのこの仕打ち――。
俺の人を見る目は、とんでもなく節穴だったようだ。
これ以上、こんな人間と夫婦でいたくない。
「ふざけるな。お前とは離婚する。慰謝料もちゃんと払って貰うからな」
「そ、そんな……」
俺の言葉を聞いて、美姫の顔が真っ青になった。
そんな美姫に、賢木が追い打ちをかける。
「あなたの他の不貞相手の方々にもご連絡させて頂いています。中には既婚者の方もいましたから、あなたは不貞相手の奥様方からも慰謝料請求されるかもしれないですね」
「なんですって!? なんでそんなことをするの!」
複数人からの慰謝料請求だ。莫大な金額になるだろう。
俺は離婚するから支払いに協力するつもりはないし、美姫は夫婦の共同資産を使い込んでいたから財産分与もしない。
マイナス分はきっちり計算して、慰謝料とは別で請求するつもりだ。
これからは借金地獄が待っている。
「ゆうとぉ……助けてよぉ」
「嫌だ。自業自得だ。ちゃんと自分で責任を取れ」
どれだけ甘えられても、もう可愛いなんて思わない。
嫌悪感しかない。
「何よ、役立たず!」
俺に泣き落としが効かないと悟った美姫が怒り始めた。
逆切れなんて子供か……。
「無理よ! 私、慰謝料なんて払わないから!」
「払って頂きます。ご両親に相談するなり、借金をするなり、働いて稼ぐなりすればよいかと思います。あなたがお持ちのブランド品と売れば、少しは支払いの足しになるでしょう」
「そんなの嫌よ! 私が買ったものは私の物なの! ……私、帰る!」
美姫は逃げようとしたが、すぐさま動いた賢木が進路を塞いだ。
そして、内容証明や慰謝料請求についての書類を美姫に差し出した。
「お受け取り下さい。そして、サインをお願いします」
「こんなのいらないわよ! サインなんてするものですか!」
「では、ご実家やご親戚に郵送しましょうか? 行方をくらまそうとしても無駄だと思いますよ。あなたは敵にしてはいけない人たちに目をつけられていますから」
賢木がそう言うと、瑠奈や外から状況を見ている魔王軍の目が光ったように見えた。
こわー……。元勇者の俺でも、絶対に敵に回したくない。
「…………っ!」
美姫は逃げられないと悟ったのか、書類を乱暴に奪い取った。
「……相変わらずね、クソ魔法使い。生まれ変わって、性別変えてまで勇者のそばにいたいの? 引くんだけど。そんなに執着しているのに、前世も今世も、勇者が選んだのは私だったわね。あはは、可哀想っ!」
賢木に詰め寄った美姫が、ケンカを売るように何か言っている。
荒事になるかと身構えたが、賢木は俺を目で制止し、美姫にはフッと微笑んだ。
そして美姫の耳に顔を寄せ、何を呟いた。
「以前あなたは、勇者の隣は自分のものだと仰いましたね? ……今世では、早々に席を空けてくれて……ご退場くださって、どうもありがとうございます」
「お前っ!」
美姫と賢木が寄せてにらみ合っている。
何を言っているかは聞こえないが、そういえば前世でも二人は仲が悪かったなと思い出した。
「……このままじゃ終わらないから。覚えてなさいよ!」
三流悪党のような捨て台詞を残し、美姫は去って行った。
最後までちゃんと謝ってくれなかったが、不貞を認めさせることができてよかった。
「では、あなたもサインして、ちゃんと慰謝料を支払ってくださいね」
「…………はい」
賢木はすっかり意気消沈してしまった優男にも書類を渡した。
今となっては、こいつも被害者だなと思う。
俺を騙し、嘲笑っていたことは許せないが、今世では反省して真っ当な人生を歩んで欲しいと思う。
慰謝料はちゃんと請求させて貰うけどな!
「勇者、面白いものが見ることができて楽しかった。礼を言う。クソ姫のことは、これからも監視してきっちり片つけさせるから安心しな。……まだまだオレ達のおもちゃでいて貰わないとな」
「お、おう。あの、魔王……。今回は色々と力を貸してくれてありがとうな」
礼を言うと、瑠奈は魔王らしい笑みを浮かべた後、店を出て行った。
窓の外の魔王軍幹部達の姿はいつの間にか消えていた。
現代にも魔王とその部下たちの恐ろしさは健在のようだ。
できればもう会わずに生きていきたい……。
「さあて。儂も帰るか」
「ギルマスもありがとう。助かった」
「ふっ。元勇者のサレ夫。女ができて、浮気されたらまた調査依頼に来てくれ」
「勘弁してくれよ……」
「わはは! じゃあな!」
日豪は「もう少し追い詰めてもよかったかな」と零しつつ、笑顔で帰って行った。
魔王とは仲がいいようだし、あの様子だとまだ美姫に何か仕掛けるかもしれない……。
「……はあ、とにかく。一段落だな」
「お疲れ様」
賢木が労ってくれる。
「精神的には疲れたが、俺はほとんど何もしてない。賢木の方こそお疲れ様。力を貸してくれてありがとう」
前世の知人の協力により、こうして俺は、無事一度は諦めた勝利をもぎ取ることができたのだった。
喫茶店を出て、賢木と二人で歩く。真っ赤な夕日が目に染みる。
「はあ……。前世でも今世でも裏切られていたなんてな。俺の人生って何だったんだ」
虚しくなり、つい愚痴をこぼしてしまった。
そんな俺の肩を、賢木はポンと叩いた。
「姫の存在だけが、お前の幸せの全てだったわけじゃないだろう?」
「…………」
俺を励ましてくれる賢木の笑顔は綺麗だった。
思い起こせば、俺はこの笑顔に何度救われてきただろう。
「そうだな。勇者になって、お前に会えたな。……今世でも会えた」
「!」
賢木が目を見開いて驚いている。夕日のせいか、賢木の顔が赤い。
「賢木?」
「な、なんでもない。そんなことより、ゆっくり飲みに行こう。この世界では、急に魔物に襲撃されることも、魔王討伐に駆り出されることもないからな」
「ああ、そうだな!」
賢木の言葉に頷く。
色々と大変ではあったが、これから賢木とのんびり過ごすことができるなら、この世界もいいなと思えた。