侵食世界の邂逅
少女は俊敏な動きでベッドから起き上がるやいなや俺の腕を掴み投げ倒した。
鈍い音が部屋に響く。
激痛に襲われて変な声が漏れでるが彼女の追撃は止まらない。
少女は地に伏している男に馬乗りになって両手で胸ぐらを掴みあげる。
「お前は誰だ。ここは何処で目的はなんだ。」
彼女はその男がレオだと認識できない。
それも当然、彼方の世界とでは容姿が異なるからだ。
この状況を打破するには此方の敵意がないことを証明する必要がある。
今の彼女を刺激すればどうなるかは想像がつく。
恐らく半殺しにはされるだろう。
目前の脅威から目を反らさずにただ冷静に言葉を発した。
「目的なんてない。気づいた時には隣にお前がいたんだ。
ここは俺の家で俺は夕霧 玲央だ。」
彼女は驚愕した表情をみせ少し考え込む。
彼女は俺のフルネームを知っている。
夢世界で此方の世界について物語を語るように話していたからだ。
「もう一度、あなたの名前は…」
胸ぐらをを掴んでいた手が緩まって解放された。
彼女が作り話と思っていた世界が今目の前に広がっている。
そう簡単に理解は出来ないだろう。
「俺は夕霧 玲央で姿違えどあっちのレオと同一人物だ。…あと目のやり場に困るからそこのジャージを着てくれ」
ルメリアは顔を真っ赤にして男の上から飛び退き、言われた通りに部屋の端にあった衣服を着衣した。
戸惑った様子で部屋を見回した。
彼女にとって部屋にある殆どのものが異様に見えたのだろう
暫くしてルメリアは深呼吸をし、深くお辞儀をした。
「大変すみませんでした。あなたがあの夕霧 玲央でレオと同一人物なのですよね。先ほどの暴力を深くおわびします。」
少し警戒が解けたらしく表情が先ほどより柔らかくなっていた。
衣服の着心地が悪いようで度々そわそわしている。
この空気を読まずに端末機器から明るい音楽が流れる。
学校がある平日には遅刻しないように7時起きれるように自身が設定していた。
彼女は音のする方を不思議そうに凝視する。
端末を手に取ってその音を停止し、彼女に提案をする。
「朝食をとりながらいろいろ話さないか。」
自室を後にしてリビングで朝食の支度をする。
テーブルには小さな花瓶に一輪の白い花がそえられている。
其を見つめながらちょこんと彼女が座蒲団に座っている。
台所から香ばしい香りと油が弾ける音をだしながら朝食の準備をする。
準備をしている間は一言も発することはなかった。
話したい事は山のようにあるがとりあえず整理しなければならない。
夢世界の彼女が現実に現れた。
これは事実であり今もこうして近くにいる。
どうやって此方に来たのかは解らず。
何を成さなければならないかも知るよしもない。
ただこの異常を受け入れるしかない。
彼女の事はこの世界の誰よりもよく知っている。
彼女に此方の事をよく知ってもらう必要がある。
出来上がった軽食を皿に盛り付けてテーブルへ運ぶ。
夢世界の朝食とさして変わらないトーストの上に焼いたベーコンと目玉焼きをのせたものだ。
これならば彼女も抵抗なく食事を取れるだろう。
飲み物はグラスに冷えた牛乳を注ぐ。
「此は食べてもよいのでしょうか。」
彼女はごくりと喉を鳴らす。
「ああ食べてくれ。」
彼女は微笑み手を合わせて食事前の祈りをした。
カリッと焼けたパンの端を口に入れる。
美味しそうに食べる彼女を見ていると不思議と癒される。
まるで子猫に餌をあげているような感じだ。
自身も目の前のトーストを噛る。
程よく焼けた小麦の香りが更に食欲をそそり続けてベーコンと目玉焼きも一緒にかぶりつく。
動物油の旨味が口一杯に広がる。
其を牛乳で喉奥に流し込む。
そろそろ話を切り出すか。
「ルメリアはこの後どうするんだ。」
短時間で全てを食べきった彼女は目をつむり答える。
「まずは此方の世界について調べることにします。レオが話してくれた世界。元の世界に帰る手段が現状ないいじょうこの世界に溶け込むための情報収集が不可欠。ならば一度外に出て常識や文化の知識をまなぶべきかと。」
淡々とプランを述べた。
この状況下でもすぐ冷静に考えを纏めれるのは騎士団長として当然の能力なのだろう。
「そこで一つお願いがあります。私にこの近辺を案内していただけないでしょうか。あなたがいれば心づよいのですが。」
彼女のお願いを引き受けた。
早くこの町に溶け込むにこしたことはない。
今日は平日の金曜日。
本来学校に登校する時間なのだが急な体調不良と仮病を使って休みの一報をいれた。
身支度を済ませてルメリアと外にでる。
時刻は9時過ぎ。この時刻であればクラスメートに遭遇する可能性はほぼないだろう。
雲一つない快晴の空、時折吹き抜ける風に揺れる草木。
今の所は特に異様な物は目撃はしていない。
だが彼女からすれば全てが異様な光景だろう。
すれ違う人々の服装、音と立てて高速で走る自動車にバイク。
殆どのものが夢世界にないものばかりだ。
行き交うそれらを目で追っている。
こうして周りを見るだけでも得られる情報は多い。
そうして目的地のショッピングモールにたどり着いた。
ここなら必要な物はだいたいそろう。
「まずは服だな…」
今彼女は俺の貸しているシャツにデニム姿だ。
しかもサイズが合ってないのでヨレヨレで遠目からみてもみすぼらしかった。
周りからの視線が突き刺さる。
女性物のコーナーに行くと店員が今流行りの服装を見繕ってくれた。
「この服装は少し動きにくくないか?」
彼女は機動性に優れた物が良いらしく別のを用意してもらい其を購入した。
次に本屋へ向かった。
ここで大きな発見があった。
彼女は此方の世界の文字が読めたのだ。
初めて見る文字らしいがどうにか分かるらしい。
出会った時に意思の疎通が取れたのだから今更なのだが。
此方で大きく時間をとることとなる。
ルメリアという少女は書物が大好物だ。
それほど広くないこの本屋は彼女から見れば魅惑的な宝の山なのだ。
だから彼女にあらかじめ釘をさした。
「買うのは5冊までにしてくれ。」
そして悩みに悩んで3時間後、5冊の本を手にして彼女は購入した。
気がつけば午後3時、少し遅めの昼食をフードコートでとることにした。
そこは3階で大きな窓硝子からは外を一望できる。
だがその景色は知っているものとは違った。
「何だこれは…」
美しいオーシャンビューだった筈が薄気味の悪い暗い密林が広がっていた。そして外から微かに悲鳴が聴こえた。
「この魔力の気配は」
ルメリアは顔をしかめて下のフロアへと走りだした。
その後を全速力で追ったが距離の差が埋まった時には森付近まできていた。そこに広がっていた光景は地獄だった。
得たいの知れない獣に人間が食い荒らされている。
大きいものや小さいものに空を飛ぶものなどの多彩な生態が補食を続けている。
警官が小銃を発泡して抵抗するが全く効いていない。
ガルルルと喉を鳴らす獣は次々と食らう。
あの中でも一番狂暴で食欲が旺盛だった。
ルメリアは蠢く群の中に飛び込んでその生物を両断する。
踊るように切り刻む少女は調理に使うシンプルな包丁を両手で持ち獲物を切り伏せる。
いったいいつからその包丁を忍ばせていたんだ、と疑問に思ったが彼女の剣舞に呆気にとられ疑問は問いかけることなく霧散した。
数分後には僅かな人間以外は肉塊となって転がっている。
刃物に付いた血を振り払う。
ああ彼女もただの人間じゃないのだ。
ここにいる俺だけが彼女の強さを知っている。
国と民を守り続けた白き英雄の少女を。
生き残った警察の一人が少女に銃口を向ける。
「「やめろ」」
俺ともう一人声が重なる。
額に手を当ててかきむしる顔色の悪い男は気だるげに銃口の前に入り込む。
「今あれに対抗できる力を有しているのは彼女だけだ。無闇に銃口を向けるものではない。」
男は一度俺に眼をやると深くため息をついた。
ルメリアは無言で包丁を腰にしまう。
いつの間に忍ばしていたのか。一歩間違えれば警察に捕まるところだ。
警察の男はポケットから手帳を取り出して自己紹介を始めた。
「私は下北巡査部長だ。この事を上層部に報告するために同行を願いたい。」
彼からのお願いに応じよう。
返事を仕掛けた時、森の方から太い蔓が一瞬にして生存者に巻き付き引きずり込んだ。
強引に引き込まれた肉体は木の枝や葉、土と石に擦れ服はぼろ雑巾のようにズタズタに破けて汚れた。
スルリと拘束から滑り抜けた体は森の奥へと招かれていた。
幸い俺一人ではなくそばにルメリアと警察の二人がいる。
「森獣の仕業ですか。」
ルメリアは大きな木を切り刻んでいた。
生命力の溢れた大きな木は餌を外から引きずり込んで其を肥料にすると夢世界の本で読んだことがあった。
つまりこの森そのものが人類の驚異なのだ。
一刻も早くこの森からぬけださなくてはならない。
「夢なら早くさめて欲しいものだ。」
下北は亡骸となった同僚を見下ろしていた。
亡骸は無惨にも顔面が抉れており視るに耐えない状態だった。
その男は懐からタバコを取り出し一本を亡骸の口にくわえさせたあと、もう一本を取り出すとライターで火をつけ深々と吸う。
煙が黙々と昇る様をただ見つめていた。
「彼には悪いですが今すぐここから抜け出しましょう。遺体は諦めてください。」
ルメリアは遺体から目を反らして告げた。
男はタバコを携帯灰皿に入れて手を合わせる。
「そうしましょう。ここに長居は無用だからな。」
俺はグロテスクに耐性がなく吐き気を堪えてルメリア達と共に森の外を目指した。
行く手を阻むように魔獣が襲いかかるが魚を捌くようにそれらを切り裂くルメリアを先頭にしてゴールの見えない森をただひたすらに進んだ。
そして光が見え始め森を抜けた先に見えたのは、ルメリアの母国が敗戦後の無惨な光景が広がっていた。