07.元婚約者が理解不能
アナスタシアは、その後も魔道具開発に夢中になっていた。
空いた時間を心置きなく使えて、日々ご機嫌である。
おまけに、マルティン伯爵家と業務提携を結ぶことができたのだ。
伯爵領における鉄鋼やアルミの話は聞いてはいたけれど、まさか、我が家との提携を考えてくれていただなんて。アナスタシアは、この幸運に、とりあえず目に入るもの全てに感謝した。
これまで、魔道具のボディ部分については、鉄鋼やアルミといった素材の入手が難しかったため、外装は必要最低限のものしか施せなかったのだ。
アナスタシアもブライアンも基本的に機能重視派であるため、それでも問題はないのだが、やっぱり、商売にするとなれば見た目も影響する。できれば、デザインにだって拘りたいとは思っていた。
そんなところに、今回の提携話が舞い込んできたのだ。
これは喜ばずにはいられない。
もちろん、他の素材――樹脂やガラス等――も必要だし、鉄鋼やアルミについては安価ではないから、これからだってふんだんに使うことはできないが、入手先が確保されているという安心感は大きい。
加えて、加工工場にも口利きをしてくれたようで、今後は、直接相談に行ってもいいそうなのだ。専門家から話を聞ければ、より効率的なデザインの魔道具が作れるだろうし、原価計算もしやすくなる。
これで、売り物としても完成度の高い魔道具が作れるようになる、とアナスタシアの機嫌もうなぎ登りだ。
更に言えば、業務提携時に再会したマルティン伯爵とご子息のレイモンドが大変紳士的だったのも、アナスタシアとしてはポイントが高い。
―――実際のところ、アナスタシアの場合、基準がビクトルであるために、普通にしているだけでも好感度はあがるのだが、アナスタシアがそれに気づくことはない。
今回の提携は、扱う商品――鉄鋼やアルミ――が魅力的なのは間違いないが、いくら商品が良くても、対応する人間が残念だとその魅力も半減するものだ。
その点、マルティン伯爵家の方であれば、何の問題もないと思えた。
ワイズ侯爵領のこともあって、伯爵については当初から好感度が高い。
ご子息も、礼儀正しく、まだ十五歳と若いのにきちんと話についてきていた上に、場の空気も読めるなんて、本当に出来た子だと感心してしまった。
レイモンドとはその後も交流が続いているくらいだ。
というのも、なんでも彼は、魔道具について勉強し始めたところなのだそうだ。
ブライアンとアナスタシアが作った魔道具を見て興味を持った、なんて聞いたら、アナスタシアだって、説明に熱が入る。
魔道具仲間が増えてうれしいのもあるが、レイモンドはどんなことでも楽しそうに聞いてくれるし、覚えも早いから教え甲斐がある。
それに、彼は、時に鋭い質問をしてきたり、アナスタシアが思いつかなかった提案をしてくれることもあるのだ。
可愛い弟子ができたようでもあり、頼もしい仲間ができたようでもあって、アナスタシアは、本当に充実した時間を過ごしていた。
この週末もレイモンドと約束をしているため、その際に使う資料を作成しようと思っていたアナスタシアは、学園の授業が終わるとすぐに教室を出て、帰宅を急いだ。
何となしに早足になり、わき目もふらずに馬車寄せに向かっていたのだが、その途中で思わぬ人に会ってしまった。
恐らく、待ち伏せられていたのだろうが、アナスタシアが一番会いたくない人物である。目に入った途端に眉が寄ってしまっても仕方がないと思う。
「やあ、アナスタシア、久しぶりだな」
「………ビクトル様、御機嫌よう。もう婚約者ではないのですから、気軽に呼ばないでいただけます?」
「そう固いことを言うな。話があるんだ」
「わたくしにはございません。急いでおりますので、これで」
正直、ビクトルとはもう関わりたくないのだ。
アナスタシアはサクッと断ったつもりだったのだが、腕を掴まれてしまった。
「俺が話があるって言っているんだ。こっちへ来い」
「お断りします」
「何だと!?」
「とにかく、離してください!」
横暴なのは変わっていないようだ。
腕を掴んだまま引っ張って連れていこうとするビクトルに、アナスタシアは必死で抵抗したが、女性の力では敵わず、引きずられてしまう。
それでもなんとか抵抗を試みていたら、馬車寄せに近い場所だったために、周囲にも人が増えてきて注目も浴び始めた。
騒ぎにもなり兼ねない状況となって、ビクトルもさすがにまずいと思ったのか、その日は苦々しい顔でアナスタシアを解放したのだが、ビクトルの突撃は、以降、何日も続くようになってしまった。
アナスタシアもビクトルを避けようと、帰宅時間を調整したり、道順を変えたりしていたのだが、それでもビクトルは諦めようとしない。
ここまでビクトルがしつこいとは思っていなかったが、このまま逃げ続けていても埒はあかないので、アナスタシアは、一回限りという条件を付けて、ビクトルと話をすることにした。
「喜べ。また、お前と婚約してやる」
開口一番がそれですか。
アナスタシアは、開始一分で、この場に来たことを後悔した。
「まったく嬉しくありませんわ。お断りします」
「相変わらずかわいくない女だな。また俺の婚約者になれるんだぞ?」
「なりたいなどと思ったことはありませんので」
「何だと?!」
「そもそも、貴方様にはマリア様がいらっしゃるじゃないですか」
あんなにマリアを擁護していたのだ。
こちらはすっぱりと身を引いているのだから、マリアに集中してほしい。
アナスタシアはそう思ったのだが、マリアの名前を出すと、ビクトルはバツが悪い顔をした。
「俺はあいつに騙されていたんだ」
「………そうでしたか。それはお気の毒には思いますが、わたくしには関係のないお話ですわ」
「関係あるだろう。マリアとのことがなくなったのだから、俺とお前は元通りだ」
この男の思考回路は、相変わらず理解不能だ。
元通りになるわけがない。なるつもりもない。
いくらビクトルがマリアと別れたからと言って、マリアとのことがなかったことにはならないし、マリアの件でアナスタシアを散々罵倒した事実だって消えることはないのだ。
それに、貴族の婚約は、そう簡単に結んだり解消できるものではない。
ビクトルは、家と家との契約を何だと思っているのだろうか。
「マリアは本当に酷い女だったんだ。虐めの証拠を掴もうと魔道具の録画を確認していたら、虐めどころか、マリアが他の男と関係していることがわかった。何人もの男に簡単に身を寄せていたマリアには幻滅したよ」
ビクトルは自分の主張だけで進めるタイプだと思っていたため、本当に虐めの証拠を掴もうとしていたことには驚いたが、婚約解消の場で父親にまで言われたとなれば当然か、と少しだけ納得した。
マリアの異性関係については、兄の婚約者であるレイチェルから情報が入るため、多分、ビクトルよりもアナスタシアのほうが詳しいと思う。
話しても聞き入れてもらえないと思っていたから、知っていて黙っていたし、内心、よくそんな気が多い女性と付き合えるものだとも思っていた。
ついでに言えば、アナスタシアは、夜会の中庭の映像を確認していた際に、マリアがビクトル以外の男性とも仲睦まじくしていた様子も見てしまっている。
それを、ビクトルはもちろん、他の誰かに言おうとも思っていないし、広めるつもりもないのだが、マリアの素行には呆れたものだ。
そこまで知っていて、さっき、ビクトルにマリアとのことに言及したのは、少し意地が悪いとは思うけれど、それくらいは許してほしい。
「本当に調べられたのですか。では、わたしくがマリア様を虐めていたという事実はなかったということでよろしいですわよね?」
「ああ、あいつの自作自演だった」
虚言くらいで済ませておけばよかったものを。
まあ、虚言もよくはないのだが、変に工作するから証拠を掴まれるのだ。
「わたくしの疑いが晴れてよかったですわ。でも、それと、わたくしたちの婚約の話は別です」
「なぜだ。もう俺はお前を疑っていないし、マリアとも切れているんだから、元に戻れるだろう」
そんなわけがない。
「マリア様との不貞の事実は消えませんし、婚約解消の理由はそれだけではないのですよ?マリア様とのことは、ただのきっかけにすぎません」
「…………どういうことだ?」
「ご自分がなさったことをお忘れですか?散々、わたくしを蔑ろにしてくださいましたわ。それに、次期当主の自覚もなく、まともに学んでもいなかったではないですか。侯爵様や執事の方のお話も聞き流しておられたでしょう?そんな方とは結婚できませんわ」
「それは……っ!」
「わたくしにも我慢の限界があります。あそこまでされて、生涯を共にしようなどと思うわけがありませんわ。どんな理由があろうとも許容できません」
恐らくわけのわからない言い訳を聞かされると思って、ビクトルの言葉を遮って話してしまったが、きっぱりと言い切ったのがよかったのか、ビクトルも反論するのはやめたようだ。
「大体、謝罪すらされていないのに、元に戻ると本気で思っていますの?」
「なっ……!謝罪だと……?」
「お話になりませんわね。これ以上の話し合いは無駄だと思いますわ。わたくし、そろそろ失礼させていただきます」
謝る気もないとは、本当に、この男は自分が悪いとは思っていないのだろう。
そんな男とは、結婚どころか、顔も合わせていたくない。
この場にいるのが馬鹿馬鹿しくなって、アナスタシアは席を立とうとしたのだが、ビクトルは構わずに話を続けた。
「待て。婚約の話はわかった。ならば、援助を継続しろ」
「は?」
思わず低い声が出てしまったが、これほどふざけた話があるだろうか。
なぜ、縁も切れた家に援助をしなくてはならないのか。
「あれから我が家は大変なんだ。返済のために、うちにある金目のものは全て売り払った。俺の私物だって売られたんだ」
そう言われてよく見れば、ビクトルの装いが随分と貧相になっていることに今更気づいた。装飾品もなくなっているし、着ているシャツもよれていて、少し可哀そうだとは思う。
でも、ビクトルの自業自得なのだ。
「それも、援助がなくなったからだ。婚約の話は諦めてやるから金を出せ」
「仰っている意味がわかりませんわ。我が家が援助する理由はありません」
「魔道具の評判がいいんだろう?それも、うちが使ってやっているからだ。その分くらいは出すべきだろう」
この男の話は本当に意味がわからない。
しかも、どうして、こうも自信をもって話せるのかも理解不能だ。
「確かに、ワイズ侯爵領で使っている耕運機や機織り機などは好評をいただいていますが、我が商会の商品はそれだけではありません。むしろ、それ以外の商品のほうが売れておりますが?」
「だったら、その耕運機とかいうものの分だけでも売上をよこせ」
そろそろ、この男を殴りたくなってきた。
「耕運機も、ただでできるわけではないのですのよ?作るのにいくらかかっていると思いますの?それを負担したのは我が家です。その上、侯爵家には無償で貸し出しているのに、利益なんかあるわけがないでしょう?」
「相当売れていると聞いているぞ?」
「耕運機などは特に、原価が高いのですよ。それなりの金額で販売してはおりますが、その分費用がかかっているのです。元々大した利益でもないのに、侯爵家の負担分を差し引いたら赤字ですわ」
「なっ……」
アナスタシアの言葉に本気で驚いているビクトルには呆れ果ててしまう。
商品の材料はもちろん、開発にだってお金がかかっているのだ。
そう簡単に回収できるわけがない。
この男はこういうことすら勉強していないのだろうか。
まあ、実際のところは、そろそろ利益も出始めているのだが、それをわざわざ教えてあげる義理もない。侯爵家が正規の費用を払ってくれれば、初期費用だってもっと早く回収できたのだから。
そもそも、評判が高いのだって、ワイズ侯爵家のおかげだけではないのだ。
我が家でも当然、販売戦略は立てているし、営業にだって行っている。
侯爵家に使ってもらったことで、少しは広報的に影響があったかもしれないが、ただそれだけだ。魔道具が売れるように何かをしてもらった覚えもない。本当に使ってもらっただけなのだ。
それなのに恩着せがましく売上をよこせだなんて、どこまで厚顔無恥なのか。
さすがにうんざりしてきたアナスタシアは、今度こそ話を切り上げることにした。
「とにかく、我が家が援助する謂れはございませんので。あしからず」
アナスタシアがはっきりと言えば、ビクトルの顔が絶望に染まった。
「では、わたくし、これで失礼させていただきますわ。もう二度と話しかけてこないでくださいましね」
最後にそう言ってアナスタシアは席を立ったのだが、ビクトルには何の反応もなかった。彼にとっては最後の手が潰えて、頭が真っ白なのだろう。
だが、アナスタシアには関係のないことだ。
ビクトルを一瞥したものの、それ以上は何も言うこともなく、アナスタシアはそのまま帰宅した。
そして、一応、父と兄には今日のことを報告しておいた。
その結果、ワイズ侯爵家に抗議の書を送ってもらえることになったのだが。
侯爵家には、既に次の婚約話を進めていると伝えておく、と言われてアナスタシアは焦ってしまった。
アナスタシアは、今の魔道具生活が大変気に入っているのだ。
生涯独身を貫く気持ちに変わりはない。
とはいえ、ビクトルとの婚約話を復活させないため、と言われれば強く反対することはできなかった。
それに、実は釣書が届いていることも聞いているため、その牽制にもなるのではないかと思って、アナスタシアは渋々了承したのだった。