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06.横恋慕女は、気づく ―― side マリア

 アナスタシアとビクトルが婚約解消に至った原因であるマリアは、今でこそ男爵令嬢であるが、ほんの数年前までは平民だった。


 母亡き後、自分がシュード男爵の娘だということが判明して引き取られたばかりの、貴族の何たるかも知らない令嬢である。


 今までの貧しい暮らしから一転、貴族の生活を知ったマリアは舞い上がった。

 こんなに広い邸で生活できて、食べ物にも着る物にも困らない。

 困るどころか豪華なものばかりで、マリアはそれらすべてを満喫した。


 令嬢教育には辟易しているけれど、やっているふりをしていれば何とかなることを覚えてしまった。さぼれば怒られるから教えは受けているが、聞き流しているから身に付いてはいない。


 だからと言って、男爵の愛娘なのだから、使用人たちはマリアに強く言うことはないし、厳しい家庭教師は父に泣きつけば解雇してもらえる。


 そもそも、令嬢教育をうける意味をマリアは理解していなかった。

 貴族の責務も自分の立場も理解せず、贅沢できるのが貴族だと思っていた。


 お辞儀の仕方だとか貴族の作法だとか、上品にできたから何だと言うのか。

 派閥だって、それは大人の事情であってマリアには関係がない話だと思っている。


 貴族の常識にしても、馬鹿げていると思う。

 初対面の挨拶を交わしていない人は知人として認められないとか、上位貴族には許可を貰ってからでないと話しかけてはいけないとか。

 好きな時に好きなように話をすることの何が悪いのか。


 だいたい、男なんて、ちょっと煽ててすり寄ればコロッと落ちるのだ。

 そして、マリアの我儘を叶えてくれる男に成り下がる。

 欲しいものも食べたいものも思い通りに手に入るのだから、礼儀作法や常識よりも、男を落とす術を磨いたほうがよっぽど有意義だと思う。


 それは、マリアが男好きをする可愛らしい容姿をしているからできることでもあるけれど、可愛く生まれたのだから仕方がない。


 男を侍らせればマリアを悪く言う女も出てくるけれど、そんなのはただの嫉妬だ。マリアのように可愛く生まれなかった自分を恨むべきで、モテないからって八つ当たりをするのはお門違いなのだ。


 そう考えていたマリアは、男を見ればすり寄って、自分の欲望に忠実に、好き勝手に生きていた。相手に婚約者や恋人がいようがお構いなしだったし、むしろ、そのほうが、人の男を奪う快感を味わえて、更に気分がよかった。


 幼い頃は貧しくて、自分はなんて恵まれていないのだろうと思っていたが、男爵家に引き取られてからは、人生がバラ色に変わったのだ。

 自分はこの世のお姫様になったのだと信じて疑わなかった。


 だが、学園に通い始めてからは、上には上がいると知った。

 マリアよりも、遙かに豪華で優雅な生活をしている人たちがたくさんいたのだ。

 男爵家での生活など、底辺なのだと思い知った。


 だからと言って、そこで落ち込まないのがマリアだ。

 ならば、金持ちの男を落とせばいい。

 そう思ったマリアは、それからは、学園内で自分の魅力を最大限に振りまいた。

 今よりも贅沢をさせてくれる男を落とすために、狙いを付けた男には偶然を装って近づき、純真無垢に振舞った。


 ただし、高位貴族を狙いたいのに、そういう人ほどガードが固かったり、周囲の当たりも強くなる。彼らの婚約者もうざいことこの上ない。


 結局、落とせたのは下位貴族の雑魚ばかりで、ドレスや宝石、貴金属なんかを貢がせてはいたものの、マリアの理想とはほど遠かった。


 もっともっと、更なる贅沢をしたいマリアは、雑魚たちでは満足できず、不満が溜まる一方だったのだが、そんな時に出会ったのがビクトルだったのだ。


 ビクトルは侯爵家の嫡男だという。

 侯爵家と言えば、王家、公爵家に次ぐ高位貴族だ。

 しかも、嫡男とあれば、ビクトルと結婚できれば侯爵夫人になれる。


 ということは、贅沢し放題に違いない。


 そう結論づけたマリアは、ターゲットをビクトルに絞った。

 今まで侍らせていた男たちを袖にしてまで、常にビクトルに寄り添った。


 傲慢な勘違い男ではあるが、将来の贅沢のためだと割り切って、ビクトルを煽てて褒めて讃えあげた。彼の愚痴も辛抱強く聞いたし、常に彼を肯定した。

 婚約者がいると知ったときは、健気を装って、婚約者を気にして身を引くような言動をほのめかせり、嫉妬されて虐められているという嘘まで吹き込んだ。


 そうして、順調にビクトルを落としていったのだが。


 正直に言えば、性格だけでなく、ビクトルの質素加減にも不満はある。

 ビクトルが着ている服は下位貴族でも着そうなものだったし、宝飾品も少なく、豪華な生活をしているようには見えなかったのだ。

 そして、何よりも、贈り物を貰えないことがマリアの不満を募らせたが、それもビクトルがケチなだけで、裏ではお金を貯め込んでいるのだと思っていた。


 でも、侯爵夫人になりさえすれば、こちらのものだ。


 そう信じてビクトルとの逢瀬を重ねていたマリアは、先日の夜会で、遂に、ビクトルから婚約者に婚約破棄を突き付けさせることに成功した。


 周りに人もいない王宮の中庭での宣言だったから、公衆の面前で婚約者に恥をかかせられなかったのは残念だったけれど。

 更には、婚約者が、悔しそうにするわけでもなく、大したことのないような体で全く動じていなかったのも癪に障ったが。


 とにかく、これで、ビクトルの婚約者の座は自分が貰ったも同然だ。


 貴族の婚約は家同士の契約だということくらいはマリアも知っている。

 だから、婚約を破棄して更に新たな婚約を結ぶには時間がかかるだろうが、先に、既成事実として広めてしまえばいい。そう思っていたのだが。


 夜会明けの学園でビクトルに対面して、マリアは少し違和感を感じた。


 着ているシャツは少し黄ばんでいて、随分と古いものであるようだし、少しは身に着けていた宝飾品も、今日は全く付けていない。

 どちらかと言えば平民に近い装いのビクトルに、更にケチが進行したのかと思ったくらいだ。


 おまけに、今日のビクトルは少し厳しい表情をしていた。

 いつもならもっと笑顔であるはずなのに、どうしたのか。


「ビクトル様?何かありました?なんか、その、少しお疲れのような……。もしかして、婚約破棄がうまくいかなかったとか……?」

「ああ、いや、婚約は無事解消されたんだ。俺のことを心配してくれるなんて、やっぱりマリアは優しいな」


 やっぱり、あの女はマリアがいないところでビクトルに縋っていたのだろう。

 夜会では繕っていたけれど、結局は侯爵夫人の座が惜しくなったに違いない。

 でも、もう遅い。それはマリアのものだ。


 マリアは心中でそう思ってアナスタシアを嘲笑っていたのだが、あっさりと婚約がなくなったことを聞いて拍子抜けした。


 まだ夜会から二日しか経っていない。

 ということは、夜会の翌日には婚約破棄が成立したということだ。

 マリアにしたらありがたいことではあるが、事前に勝手に広めて、元婚約者を貶めることができなくなったのは残念だと思う。


「やだ、ビクトル様。そんなの当たり前のことなのに。でも、そうじゃないなら、何か他に気になることでもありました?」

「ああ、婚約解消の原因がすべて俺たちのせいだということになってしまっているんだ。それに、もう、援助もしてもらえなくなる」


 今、ビクトルは、援助、と言っただろうか。

 どういうことだろう?侯爵家というのはお金持ちではないのか?


 マリアは混乱に陥ったのだが、改めてビクトルの装いを見て、これは、もしや、ケチではなくて貧しい故のことではないかとハッとした。


 なんてことだ。貧しい侯爵家があるなんて思ってもみなかった。

 今までのビクトルを思い返し、援助があってもあの生活しかできないのであれば、贅沢なんて夢のまた夢だ。絶望に落とされた気分だった。


「援助って……」

「俺とアナスタシアが婚約したときに、我が家への援助も決まったんだ。それが俺のせいで解消となったから、援助は打ち切られるし、今までの援助分まで返せと言ってきている」

「そんな………酷い………」


 元々貧しいうえに、返済まで始まるとなれば、更に生活は困窮するはずだ。

 そんな酷い生活にマリアが耐えられるわけがない。

 だったら、実家の男爵家にいたほうが何倍もましである。


「本当にあいつは酷い女だ。あの時の中庭の様子をわざわざ親にまで見せて、俺を責めてきたしな。おまけに、マリアを虐めていたことだって認めなかった」


 虐めについては嘘なのだから、認めるわけがないのもわかるのだが、中庭の様子を見せる、とはどういうことだろうか。


「中庭の様子を……?」

「ああ。あの中庭には監視用の魔道具が設置されているそうだ。その場で起こったことを記録できる魔道具で、俺たちのやりとりを再現されてしまったんだ」

「…………っ!」


 なんてことだ。

 まさか、そんな魔道具があるなんて。しかも設置されていたなんて。


 あの場では、ビクトル以外の男とも会っていたのだ。

 それも記録されてしまっているということだろうか。


 ビクトルの様子ではそれはバレていないだろうが、元婚約者にはバレているかもしれない。それが公開されたら、マリアは破滅だ。


「ああ、そうだ!マリア、アナスタシアに虐められていた日や場所を覚えていないか?監視用の魔道具はこの学園にも設置されているんだ」

「えっ………」

「だから、マリアが虐められている映像を探し出せば、今度は俺たちがアナスタシアを糾弾できる。アナスタシアに非があるとわかれば、援助金の返済がなくなるどころか、慰謝料も取れるだろう」


 更には、学園にも設置されていたなんて。

 すべて自作自演だったのだから、映像を探されて困るのはマリアだ。

 慰謝料を巻き上げるのは大賛成だが、監視映像を調べるのは、何としてでも止めさせなくてはならない。


「えっ、あの、そこまで必要なの……?」

「マリアの証言だけでは弱いんだ。父上にも、確実な証拠を出さなければ虐めの立証は難しいと言われてしまった」


 ああ、もう!

 自分がその場にいたら、ビクトルの父親だって誑かしてアナスタシアが悪いように話を持っていったのに!


 マリアは内心で地団駄を踏んだが、こうなってはもうどうしようもない。

 とにかく、映像を調べさせないようにしなくては。


「そうなの……。でも、ごめんなさい。わたし、そこまで覚えてなくて……」

「ああ、嫌なことを思い出させてすまなかったな。全く、こんなにか弱いマリアを虐めるなんて、アナスタシアも性悪がすぎる」


 目を伏せて震えながら答えれば、ビクトルはいいように解釈してくれる。

 これで、監視映像の件は立ち消えになると思いきや。


「マリアを苦しめたくはないからな、やっぱり、監視映像は俺ひとりで探すよ。絶対に探し出してアナスタシアから慰謝料を取ってやるから、待っててくれ」

「えっ………」


 まさか、ビクトルがそんな結論に達するとは思わなかったマリアは、呆気に取られてしまった。そして、いつの間にかビクトルは去ってしまっていた。


「うそでしょ……」


 残されたマリアは、しばらくは立ち直れなかった。


 虐めの映像なんて見つかるわけがない。

 むしろ、マリアが色々な男と関係を持っていたことがバレるだけだ。

 そうなれば、ビクトルとの付き合いも終わるだろう。


 だが、ここでふと思う。

 よく考えれば、ビクトルとは終わらせたほうがいいのだ。

 借金に苦しむ侯爵家に嫁いだところで、いいことなんて何ひとつないのだから。


 しばらくしてそう結論づけたマリアは、ビクトルを切り捨てようと決めた。

 もう彼に近づくのはやめよう。

 ビクトルたちの婚約破棄や自分がビクトルの婚約者になったこと――実際はなっていない――を先走って言いふらさなかったことも、さっきまでは悔しいと思っていたのに、今となってはそれでよかったと素直に思える。


 ビクトルに使った時間は惜しいが、学園生活はまだ一年はあるのだ。

 その間に、新たな男を見つけよう。


 もし、ビクトルが、監視映像でマリアと他の男がいちゃついているのを見つけたとしても、無理やり手籠めにされたとか言っておけば大丈夫だろう。

 か弱く演じていれば、男はマリアを優先するのだから。


 そうして、それからのマリアは、ビクトルを避け、まずは、かつて侍らせていた男たちに再度すり寄った。


 だが、男たちはむしろマリアを避けようとする。

 近寄るだけで、嫌そうな顔をされることだってある。


 せっかく、また仲良くしてあげようとしているのに、この仕打ちは何なのか。

 マリアは癇癪を起しそうにもなったが、これまで創り上げてきたイメージを壊すこともできず、男にすげなくされても、ただじっと耐える健気な女を演じることしかできなかった。


 とはいえ、マリアには数多の男を落としてきた実績がある。

 その後もめげずに、あの手この手で男たちに近づいていったのだが、ある日、蔑むような目で見られて、少し怯んでしまった。


「いい加減、付き纏うのはやめてくれないか」

「付き纏うだなんて……」

「君は、爵位の高い男が好きなんだろう?子爵家の私なんて、本当は興味がないくせに。私は君の金蔓になるつもりはないんだ」

「そんなっ…酷いっ!ビクトル様には、騙されていたんですっ……」

「はっ……!騙されていたのはビクトル様のほうなんじゃないか?」


 そう言った男の目が、本当にマリアを侮蔑していたため、マリアはそれ以上、その男に近づくことができなくなった。


 更には、違う男には。


「手当たり次第に男にすり寄るのはもう止めたら?君が、人によって言うことを変えて、何人もの男を手玉に取っていたことなんて、今では周知の事実だよ?」

「そんなの、酷いです!そんなことしてません!わたしは、無理やりっ……」

「それこそ、酷い言い逃れだよね。よくもまあ、そこまで話を創れるものだ」


 そう言われて、自分がいかに悪手に動いていたかを思い知らされた。


「大体さ、君、礼儀がなさすぎだよ。最初は物珍しく思われて構ってくれる人もいるかもしれないけど、そんな態度じゃ、社交界で生きていけないよ?」


 令嬢教育を馬鹿にして、全く身に着けようとしてこなかったマリアには、今更そんなことを言われても、後の祭りだ。


 元々、男漁りをしていたせいで、マリアに女性の友人はいない。

 いないどころか、白い目で見られている。

 その上、これまではマリアに鼻の下を伸ばしていた下位貴族の男たちにも見放されてしまったのだ。


 もっと言えば、男爵家でも、マリアは厄介者扱いをされている。

 使用人たちは、我儘なマリアに辟易していて、必要以上に近づくことはない。


 父の男爵にしても、最近は厳しいことばかり言ってくるようになった。

 恐らく、マリアの悪行による苦情が相次いだのだろう。

 マリアのせいで婚約破棄に陥った家がいくつもあるのだから、それも当然なのであるが。


 そうして、マリアはようやく気づく。


 自分はお姫様でも何でもなかったということを。

 自分がしてきたことで、手に入れたと思ったものさえ全て失ったことを。


 学園にも男爵家にも自分の居場所はなくなった。

 マリアは、ただ、ひっそりと息をひそめて生活をしていくしかなかった。


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