1-8 防衛戦
――恐ろしいことに三時間もあれば一つの立派な城を建てることが出来た。
「おいおい、マジか」
それを見て、俺は思わず顔をひきつらせる。ヘルプマークにたまたま建築に関する情報が載っていたので、それを参考に魔力で創造してみたんだが、まさかここまであっけなく完成するとは思っていなかった。
しかもだ。三時間の内の大半は設計に費やした時間だ。創造自体は十分もかからなかった。慣れればもっと早くなるだろう。
「魔力という概念は俺の中にある常識を悉く覆してくな」
その呟きは分かりきっていた事柄を口にしただけだった。元々、この世界は向こうの世界とは違う。魔力が存在している時点で俺の中にある全ての常識は無意味だ。
だからこそ、こんな立派な城が十分足らずで出来てしまう。俺は嘆息しつつ、目の前にそびえ立つ城を見た。
雰囲気的には日本に点在する城に近い。外装は純白を基調とした壁に覆われ、野面積と呼ばれる石垣が下に存在している。城の周囲には堀が存在し、屋根には瓦が敷き詰められ、天守閣には金の龍と女の像が置かれている。
「難攻不落……というわけじゃねえが、まぁ、ひとまずこんなもんか」
内側もそれなりにしっかり作ってあるから、生活する分には問題ないし、万が一敵が攻め込んできても大丈夫だ。俺は小さく頷き、
「んじゃ、全員集まったところで役割分担といこうか」
振り向くと総勢九十九名の男女がいた。その全てが十二、三歳くらいにしか見えない幼い少年少女だ。しかし、その実力が折り紙付きであることは操作しているこの俺が一番よく知っている。
「最初に組んだグループは廃止だ。もっと、組織っぽい感じにしていかねえとならねえからな」
とはいえ、組織構想などそうやすやすと浮かぶモノではない。普通はリーダーである俺を中心に幹部、いくつかのグループのリーダー、そして、下っ端の順に分けてくもんだが、それぞれの役職名をどうするべきか。
組織名は人重兵器でいい。コードネームは――付けても付けなくてもどっちでもいいが、付けるのならば能力やそいつの在り方にちなんだモノでいいだろう。
……まぁ、適当に付けておけばいいだろう。その方が何となく組織っぽいからな。そう思うのは厨二病の証なのかもしれんが、知ったことか。
そうだ。せっかくだから、最初に作ったエルナを人重兵器の副総督にするか。当然、ファスは総督にするとして、幹部は……龍将でいいか。その下は……まぁ、鋭兵にでもしておこう。かなり適当に付けた名前だが問題はないだろう。
「どうせ、全て俺だしな。組織構想なんざ、そこまで本気で考える必要もねえか」
俺の能力のタネが割れると少々めんどくさいから、一応ある程度はしっかり作る必要はあるが、上下関係の構築の必要性など皆無だ。早めに作った連中の内の何人かを龍将にして、残りを鋭兵にする。その後のことは人重兵器の数を増やしてからだ。
結局、最初に作った八人を龍将にすることにし、残りの九十人を鋭兵にすることにした。後はまた追々考えていこう。
「残りは外部への防衛や経理、そして、各地区の統治といった役割分担だが……」
それも適当でいいだろう。どうせ、全部俺なんだ。異能以外の能力は全て同じ。適材適所もへったくれもない。仕事のやり方に関してはヘルプマークを見れば大抵のことは分かるし、ヘルプマークは全ての人重兵器が見れる。ならば、適当に割り振っていけばいい。
「ま、とりあえず、何人かには暴れてもらおうか?」
俺は自分の左前方にいる十人を見て、ニヤリと笑う。思っていたよりはのんびりだったが、どうやら、人間共が攻め込んできたらしい。一方向から一万人くらいの軍勢がこちらに向かって来ているのが分かる。
「セル、ランゲ、エスドア、ビリー、シュナ、ラジェス、ユーオン、メロ、モンテザーク、オーボル。行ってこい」
十人は首肯すると姿を消す。あいつらは防衛戦向けのスペックをしているからな。まぁ、他の連中にも防衛戦が出来ないわけじゃねえが、とりあえず、十人で大人数相手にどこまで渡り合えるかを見てみたい。
「ま、せいぜい楽しませろよ? オウスゴ王国の精鋭たちよ」
俺はニヤリと笑って天を仰いだ。
○○○○○
バルーガ南東にある砂漠を黒い軍服を着た集団から歩いていた。その数は途方もない数であり、とてもではないが数えきれるものではなかった。
バルーガ陥落直後、オウスゴ王国の側近たちは大慌てで数人の精鋭を含む一万の部隊を編成し、派遣した。それが彼らである。
彼らの任務はバルーガにいるであろう魔族の討伐及びバルーガの奪還だ。元々治安が最悪で放置していた場所ではあるが、それでも領土であることに変わりない。領土を魔族に奪われるなどあってはならないことだ。そのため、彼らの責任は重大となっていた。
「けどさぁ、やっぱり不安にならない?」
「……任務中だ。私語は慎め」
最前列を歩いていた無精髭を生やした中年男が隣にいたスキンヘッドの大男に小声で話しかけると大男は取り付く島もない態度を取る。それに対し、
「いやいや、相手はあのツワモノ揃いの荒くれ者たちを皆殺しにするレベルの魔族だよ? それをたった一万で襲え、とかどう考えても正気の沙汰じゃないでしょ」
「相手が何であろうと我々は命令を遂行するのみだ」
そう言ってスキンヘッドの大男はひたすら進み続ける。彼の名はイグラ。オウスゴ王国近衛騎士団の副団長を務める男で数多の戦場で功績をあげ続けてきている。その戦いぶりから修羅と恐れられており、世界でも名の知られた豪傑だ。
その隣にいる無精髭の男がカーロだ。やる気のなさそうな態度を常日頃から取り続け、功績もほとんど上げていないため、地位も軍団長止まりではあるが、その実力は騎士団員の中でもずば抜けて高く、頭も切れるために騎士団内部の実力者からの評価は高い。
そこでイグラは立ち止まる。カーロも気付いていたのか立ち止まる。他の者たちも気付いたのか続々と立ち止まり、正面に立ちはだかる十人に目を向ける。
「……へぇ、これはこれは随分可愛らしい子たちが出迎えてくれてるじゃないの」
バルーガを背に散乱した瓦礫や死体に座り込んだり、もたれかかったりしている十人の少年少女。服装は皆同じで、黒いフーテッドコートに白いシャツと紺のズボンを着用している。全員、容貌はかなり幼かったが、その纏う魔力は尋常ではなかった。そのため、軍隊の主格である無精髭の男とスキンヘッドの大男は油断せず、彼らを見据える。
「へぇ……随分と出来るみたいだけど、たった十人で俺たちと戦おうっての?」
カーロはイグラの方を一瞥する。イグラはそれに反応を返すことなく、少年たちに見えないように背中越しに左手で部隊にサインし、百名ほどを残して少年たちの横を突破しようとする。しかし……。
「か……っ!」
「ぐはっ!」
「む……っ!」
イグラを除く十人の横を通り抜けようとした全ての部下が突如刃状に隆盛した地面に貫かれ、死亡する。イグラはとっさにその場から離れて、難を逃れるが、左足に浅くはない切り傷を作ってしまう。
「行かせねえよ。つっても、すでにどこにも行けなくなっちまってるみたいだがな」
声をかけられたことでイグラとカーロは跳ねるように声を発した人物である死体の上に座っていた銀髪を刈り上げた少年の方を見る。たった一撃で軍勢の大半が死亡したことに少年は呆れきった表情を浮かべている。どうやら、この少年が先ほどの攻撃を仕掛けた人物のようだ。
この少年はセル。体格こそ小柄だが、右眼の下に水玉のタトゥーを入れており、両耳には銀のリングのピアスを装着し、刈り上げた銀髪も相まって風貌自体はちょっとしたワルだ。
セルは立ち上がると両手をズボンのポケットに手を突っ込んだまま、死体の山から飛び降り、挑発するようにイグラたちの方へと悠然と歩く。
「にしても、オウスゴの連中が軍勢を率いて攻めてきたと聞いたから何かと思えば、全然大したことねえじゃねえか。まともに戦えそうなのはその左足やられたハゲのおっさんと、ペラペラ話しかけてきたおっさん。それと後ろでこっちを睨みつけてる五人だけだろ、これ」
立ち止まり、セルは残された百人ほどの軍勢を値踏みするような目で見る。邂逅してから一分も経っていないというのに、すでに百分の一にまで数を減らしてしまっている軍勢に落胆を隠せない様子だ。
「こいつらは俺がやる。つーか、十人もいらねえよ。こんな雑魚共」
右手を横に伸ばすと土が彼の右手の平の下に集まり、やがて黄土色の日本刀が形作られる。見た目はただの土で出来た模造刀にしか見えないが、その圧倒的な魔力がイグラたちの警戒心を引き上げていく。
「聞き捨てならんな」
「……あ?」
イグラたちの背後から五人の男女が現れる。それにセルは左眼を眇め、
「何だぁ? まずは、てめえらから死にてえってか?」
刀を五人に向ける。それに五人の主格とみられる赤髪の男が二人を一瞥し、
「副団長、軍団長。まずは我々でこやつを撃滅します。ですから、副団長たちは後ろの九人を――」
「いや、それはキツイと思うよぉ」
「!」
赤髪の男の言葉を遮って、カーロが言う。カーロは飄々としながらも、鋭い眼光を込めた目で赤髪の男を見上げ、
「エルス師団長。キミだって師団長に選ばれるほどの英傑だ。なら、彼の力量くらいは分かるはずだよ」
「……………………」
赤髪の男――エルスはその言葉に黙り込んでしまう。彼も気付いてはいたのだ。セルの纏うとてつもない魔力量に。
魔力というのは多ければいいというわけではない。確かに魔力が多ければ、それだけ戦闘が有利になるし、持久戦においても優位に立つことができるが、その膨大な魔力を扱いきれなければ何の意味もない。たとえ、相手の十倍の魔力を持っていようとも、技量、経験共に相手の方が上ならば手も足も出ずに完敗することは珍しくない。ゆえに、よほどのことがない限りは膨大な魔力を身に纏っていても脅威になることはない。
けれど、エルスには分かっていた。セルの立ち姿にはあまりにも隙がない。こちらを侮っているような言動とは裏腹に、彼は残された百人全てを一切の油断なく警戒している。迂闊な行動を取れば、その隙をつかれて殺されるコトは容易に想像がついた。
それにセルは魔力の扱いも完璧だった。服や彼自身の肉体にも一切のムラも無駄もなく魔力が纏われている。アレを破り、ダメージを与えるのは至難の業だ。さらに地面を操作する術で一万の軍勢の大半を一瞬で殲滅していることから攻撃力も尋常ではない。それらを鑑みれば、確かに五人で仕留めるのは苦しいだろう。
だが、そんなことは最初から分かりきっていたことだ。問題はそんなところではない。
「確かに軍団長の言う通りです。しかし、後ろの九人も放置できない。連中もヤツと同等以上の力量を持っている。ならば、やるべきことは一つでしょう?」
「ふむ……。まぁ、確かにそうだけどねぇ」
カーロは頭を掻く。エルスの言う通り、後ろでジッとこちらを見ている九人も相当な実力者だ。セルだけに気を取られ、奇襲や挟撃を仕掛けられれば部隊はあっという間に崩壊するだろう。ただでさえ、部隊の九十九パーセントが瞬殺され、隊員たちの士気が大幅に下がっている。これ以上、隊員を失わないためには打って出る必要がある。
「いいだろう。こいつはお前たちに任せるぞ。エルス」
イグラとカーロは残された部隊を率いて、セルの後ろにいる九人の方へと駆けていく。だが、またしても地面から隆起した刃が彼らを襲う。
今度はイグラは傷を負うことなく、拳を振るって刃を粉砕する。カーロも氷の魔術を使って地面を凍らせ、動きを止める。しかし、彼ら以外の隊員は四方八方から襲いかかる大地に貫かれ、死亡する。これで生き残りは七人になってしまった。
「何遍も言わせんなよ。てめえらは俺一人で充分だ。後ろの九人をやりたかったら、俺を殺してからやりやがれ!」
セルは苛立ち混じりに言い放つ。それは先ほどの惨殺を見ていたにもかかわらず、全く同じパターンでやられた敵の無能さに対する怒りも含まれていた。
だが、それは無理もないことだった。何せ、イグラたちは先ほどセルが放った技をこんな短時間に連発することが出来ると思っていなかったのだから。その証拠にイグラとカーロは険しい顔でセルを睨みつけている。
「まいったねぇ。彼、あんなとんでもない技を何度も撃てるのか」
「ヤツの纏う魔力を考えれば驚くことではないが……この短時間で連発できるのは厄介だな」
通常、アレだけの大技を撃とうと思えば、必ずインターバルが生じる。魔力に問題はなくとも、短時間に連発すれば肉体に大きな負担がかかり、結果技の威力や精度が大幅に落ちてしまうからだ。
もちろん、技量次第では肉体への負担を軽減させながら、大技を放つことも出来るが、それでも少なくない負担が肉体にかかる。ゆえにインターバルは短くなろうとも必ず発生する。
けれど、先ほどの様子を見る限り、大した時間も空けずに技を放ったにもかかわらず、威力も精度も落ちていないどころか、最初よりも増していた。ということは、あの大技の連発に耐えられる肉体をセルは持っているということだ。
「……どうする? イグラ。撤退も選択の一つだけど」
「そうしたいのは山々だがな。ヤツがそれを許すとは思えん」
「だよねぇ」
ギラギラとした目で睨みつけてくるセルを見て、カーロはため息をつく。どう見ても、彼はここで全員を皆殺しにするつもりだ。下手に背中を見せれば、先ほどの大地を隆起させて、刃状に変形させる技で背中を貫かれるだろう。
つまり、この場で倒すしかないということだ。そして、セルを倒せたとしてもそれと同等以上の実力者が九人も残っている。カーロは頭が痛くなりそうだった。
「ま、こんなはずじゃなかった、なんて言えるわけもない……か」
元々、質を無視して、量のみで組まれた急造部隊で魔族を相手に戦えるなどと思っていなかった。現に師団長以上の精鋭以外の隊員たちは全員がすでに死亡している。それもたった一人の――たった二発の攻撃によってだ。バルーガまでたどり着けなかったのは痛いが、この程度ならばまだまだ想定の範囲内だ。
カーロは両手に氷柱のようなモノを生み出し、それを握って、交差させるように構える。イグラも両腕を茶色に変形させ、ファイティングポーズを取る。
「悪いね、エルス師団長。俺たちもこいつを倒すのに力を貸すよ」
「いえ、心強いです」
エルスはすでに戦闘態勢を取っていた。他の四人の師団長も同様だ。各々、魔力を放出させ、武器を構えている。
「いいね。そう来なくっちゃ面白くねえ」
セルは刀を中段に構え、膨大な魔力を放出させる。凄絶な笑みを浮かべ、正面に立ちはだかる七人を見据え、笑う。
「行くぜ!」
刹那、イグラは右腕を眼前まで上げ、セルの斬撃を受け止める。音をも凌駕しうる速度による突進が上乗せされた振り下ろしの威力は絶大で、それを危険とみたイグラは右腕を振るい、距離を取る。受けた場所を見ると、浅いながらも傷がついていた。
「やるな」
「厄介な……」
手放しの称賛を言い放つセルにイグラは苦々しげに顔を歪める。そこで青髪の女の師団長が長槍をセル目がけて突く。
「おっと!」
セルは穂先を刀身でガードする。ギィンッ! と凄まじい音が鳴り響き、周囲に衝撃波が発生する。それにセルは笑みを深くする。
「大した威力だが、本命は背後の赤髪のおっさんの攻撃だろ?」
剣を振るって青髪女を弾き飛ばしてから右に大きく飛ぶと、セルのいたところにエルスがサーベルを振り下ろしていた。その様子を見て、青髪の女とエルスは驚愕の表情を浮かべる。
「こりゃ参ったね。まさか、一瞥もせずに躱すとは……」
「気配の遮断は完璧だったはずだが……。何か、特殊な探知術でも使っているのか?」
一切の視認もせずに回避して見せたセルにイグラたちは驚いている。先ほどは青髪の女の攻撃を囮にして、魔力放出をやめて、気配を消したエルスが仕留める作戦だった。
だが、セルはそれを容易く避けた。つまり、彼はイグラたちの予想を越える気配探知能力を持っているということになる。そう考えるのが自然であり、同時に間違いでもある。
要は彼らは知らなかったのだ。背後で戦いを俯瞰的に見ている少年少女こそが肝であるということに。たとえ、気付いたとしてもセルの能力を突破できなければ、話にならないが。
「ならば、これならどうだ!」
エルスを除く師団長たちが一斉に武器を振りかぶり、セルに襲いかかる。三方向からの挟撃。躱しようのない攻撃に対し、セルは余裕の笑みを崩さず、自然体のまま待ち構えている。
「死ね!」
双剣を持つ銀髪の男が勢いよく刀を振り下ろす。同時に他の三人も各々の武器を振るう。それに対し、セルはただ横薙ぎに刀を振るった。
「ぐは……っ!」
「ぎゃっ!」
「む、無念……!」
たったそれだけで三人の胴体は武器ごと真っ二つに割れた。血しぶきがセルに降り注ぐがセルは魔力を使って全身に浴びた血をふるい落とす。しかし、攻撃はそこで終わりではなかった。直後、セルの顔面に巨大な紫色の弾丸が直撃した。
「よくやった、お前たち。仇はきちんと取ったぞ」
一筋の涙を流し、エルスが左手をセルの方に伸ばしていた。この技は『魔弾』と呼ばれる基本技で魔力を弾丸にして、相手に飛ばすだけのシンプルな技だ。それを使って三人を切り捨てた直後のセルを攻撃したのだ。
「ふーっ、やっと、一人かな」
「あぁ。まさか、師団長三人がたった一人に殺されるとはな」
カーロはホッとした笑みを浮かべ、イグラは憮然とした表情で腕を組んでいる。彼らは完全に勝利を確信しているようで、後ろに控える九人を仕留めるべく、準備を始めていた。
――しかし、その判断が間違いだったとすぐに気付くことになる。
「よぅ、これで終わりか?」
余裕綽々の笑みを浮かべ、セルがエルスを見据える。そこには傷一つない。それは本来ありえないはずのことだった。
「ば……馬鹿な……!」
エルスは呆然としてしまう。カーロたちも驚愕に目を見開いている。先ほど放ったのはただの魔弾ではない。全てを蝕む病魔の呪いが込められていたのだ。たとえ、魔弾によるダメージがなくとも、病魔が全身を蝕み、黒い斑点が浮き上がると同時に相手を即死させることが出来る。それを知っていたからこそ、カーロたちも勝利を確信したのだ。その技をまともに食らってなお、無傷で平然としているセルを見て、エルスは後ずさる。
「……ごほっ!」
突如、エルスは吐血する。全身に黒い斑点が浮き上がり、その場で苦しげに呻く。どうやら、呪いを返されてしまったようだ。あまりの激痛にエルスはその場でのたうち回るが、どうにもならずに動きが弱まっていき、やがて、息絶える。それを見て、セルはつまらなそうにため息をつく。
「ちっ、こんなもんかよ。まともに戦えると期待してたんだがなぁ……。結局、どいつもこいつも弱っちぃ雑魚ってか」
セルはうんざりしたように呟きながら、悠然と歩き、エルスの亡骸を蹴飛ばす。エルスの遺体はカーロたちを襲い、カーロたちはとっさにその場から飛んで避けるが、エルスの遺体はそのままぐしゃっ、と嫌な音を立てて、地面に激突する。
「無様だなぁ、おい。こんな死に様を晒すために、今まで馬鹿みたいな修練してたのか? てめえら」
その発言にイグラはもちろん、比較的温厚なカーロですらも青筋を立てていた。彼がしたことは死者の侮辱。人がもっともやってはいけないことの一つだ。
それを平気でやった挙句の発言。それに二人の堪忍袋の緒が切れた。先ほどとは比べものにならないほどの魔力を放出し、それだけで人を射殺せそうな視線を向けながら、二人はセルを威嚇する。
「ここまで虚仮にしてくれるとはね……」
「我らをここまで怒らせた罪科……その身を以て贖うがいい」
凄まじい迫力。それにセルは一切動じない。それどころか、さらに笑みを深め、
「いいねぇ。やっと、面白くなりそうだ」
そう言ってのける。死者を愚弄したことに対する罪悪感を一切感じさせぬ表情にイグラたちはさらに怒りの炎を燃やす。そんな二人を見て、セルは両手を広げ、歌うように続ける。
「人重兵器『地道』、セル・シャルドだ!」
名乗りを上げたセルに対し、二人も誇りの全てを賭けて目の前の敵を打ち倒すべく、名乗りを返す。
「オウスゴ王国近衛騎士団副団長、イグラ・ローテル」
「オウスゴ王国近衛騎士団第一軍団長、カーロ・メルセン」
瞬間、三人は各々の武器を相手に振るい、激突した。
イグラの拳は素手で、カーロの氷の刀は刀でそれぞれ受け止められたことでイグラは空いた手でセルの顔面に拳を叩き込む。そのまま、数メートル吹き飛ばすが、セルの顔面には一切の傷はなく、むしろ殴った左拳が裂けていた。
「大丈夫?」
「問題ない」
「それは何より」
明らかな強がりだが、それを指摘するような無粋な真似をしたりせずにカーロは周囲にナイフ状の氷を無数に出現させ、セルに放つ。セルはそれを刀で弾くことはせずにわざと体で受け止め、身動き一つせずに魔鎧のみで自身に当たった全ての氷を砕く。それにカーロがうんざりした表情を浮かべる。
「ほんとに硬いねぇ。どれだけ魔鎧に魔力をつぎ込んでるんだか」
「ヤツの持つ膨大な魔力があの防御力を可能としているのだろう。性格は外道でも実力は確かだ」
「だねぇ……」
カーロはその場から動かず、ただこちらを見て佇んでいるセルを見て、盛大にため息をついた。
魔力を服や肉体に流す技を『魔鎧』と呼ぶ。これ自体は魔弾同様基本的な技であり、異能者ならば大抵の者が修得している。魔鎧を発動すれば、己が身を守る魔力以下のあらゆる攻撃を防ぐことが出来る。もちろん、攻撃を受ければ防御に使用した分の魔力は消費してしまうが、戦闘においては必須の技術であり、これなしで戦いに挑むことは自殺行為とされている。
基本的にこの魔鎧が強い――あるいは、魔鎧そのものに関連した異能を持つ相手は防御重視の異能者と見なしていい。そういった相手はよほど力量差が離れていない限り、並大抵の攻撃ではダメージを与えるのは難しい。ゆえに、そういう相手への対処法は基本的に持久戦しかない。
なぜならば、魔力を常に消費し続ける魔鎧は持久戦に弱く、時間経過と共に防御力も弱まるからだ。そうして、弱まったところで攻撃を仕掛け、仕留める。それが基本的な戦法だ。
だからこそ、逆に時間稼ぎのために防御重視の戦法をとる者も少なからずいる。中には『スーパーアーマー』と呼ばれる技術を身につけている者もおり、そういった者たちは攻撃を受けても怯まずに攻撃を仕掛けることが出来る。さらに魔力に余裕がある内は、魔力が身を守るため、同格以下の相手に対しては実質的な無敵と変わらなくなっている。
魔鎧が強い相手を破るには持久戦しかない。それが通説だったが、カーロたちはセルに対してそれが通じないことを悟っていた。その理由が大技を二発放ち、エルスの病魔を真っ向から受けてなお、弱まる様子を見せない魔鎧にある。それは相手が底知れぬ魔力量を持っていることを意味する。そんな相手に持久戦を仕掛ければ、ジリ貧になるのは目に見えている。つまり、多人数の有利を生かして、隙を見てセルの魔鎧に込められた魔力以上の攻撃で仕留める以外にないということだ。
「やれやれ。やるしかないかぁ」
名乗ってしまった以上、どうにもならない。名乗りを上げるということは決闘の所作だ。二対一という状況とはいえ、この戦いを決闘としてしまった以上は相手を全霊で叩き潰すしかない。幸い、残された二人は部隊の中でも最上位に位置する者達だ。まだ芽がないわけではない。
本来決闘とは誇りを賭けた一対一の勝負だ。しかし、それはあくまで表向きの話であり、戦場では多対多や多対一の決闘が発生することは珍しくない。
そして、この勝負を決闘とした以上は必ず相手を全霊を以て打倒せねばならない。たとえ、相手がどれほど救えない外道であろうとも、所作を守らねば騎士としてのプライドが地に落ちてしまうからだ。
「来いよ」
セルは左手を動かし、挑発してくる。それを見て、イグラたちは同時に動く。一切の合図もなく、連携を取ってみせる二人にセルは口笛を吹く。
仕掛けたのはイグラだった。無傷の右拳を振り絞り、勢いよく、セルの顔面目がけてパンチを放つ。セルはそれを軽く首を動かすだけで躱すが、背後からカーロが氷の刀を振るう。セルはそれを一瞥することなく、土の刀で受ける。
「はっ。さっきの攻防を見てなかったのかよ? 囮を使って、死角から攻撃したところで何の意味もねえんだよ」
「それはどうかな?」
「あん?」
セルはカーロの笑みに怪訝そうに眉をひそめる。だが、すぐにその真意に気付く。カーロの持っていた氷の刀を通じて、セルの持つ刀ごと、右腕が凍らされていたのだ。それに加えて、残された左腕もセルの左手に掴まれ、身動きが取れなくなっていた。
「これで躱せまい」
黄土色に変形したイグラの右拳がセルの顔面めがけて放たれる。これは『土拳龍』と呼ばれる技だ。土属性の魔力により、肉体を硬化し、攻撃力及び防御力を飛躍的に向上させる。イグラの得意とする魔術だ。その拳に込められた魔力は尋常ではなかった。常人ならば、食らえば頭部が粉々になるであろう一撃。それを見てセルは、
「なら、避けねえよ」
嘲笑を浮かべながら、平然と食らってみせた。凄まじい衝撃音が周囲に響き渡る。須臾の激突の後、砕けたのはイグラの右拳だった。
「なっ!」
「ウソでしょ……!?」
それにイグラたちは呆然とした表情を浮かべている。イグラの拳は砕け、セルの顔面には痣一つない。つまり、イグラの攻撃はセルの魔鎧を貫くどころか、逆に反動で自身を破壊する結果に終わってしまったということだ。
「ちっ。くだらねえ。そんなもんでこの俺を何とかできるわけねえだろ」
その結果にセルは鼻を鳴らし、舌打ちさえする。そして、そのまま痛みに苦痛の呻きを上げるイグラの左腕を振り払うとイグラの左頬に裏拳を叩き込む。
「がっ!」
「イグラ!」
為す術無く吹っ飛ばされていくイグラを見て、カーロが思わず叫ぶ。そんな彼をセルはジロリと睨み上げる。
「てめえもいつまでくっついてんだ。離れろや」
「ぐはっ!」
振り向きざまに放たれたセルの左スマッシュがカーロの右頬に決まり、数十メートル吹き飛ばす。その直後、凍らされた右手を開き、右腕と土の刀に纏わり付いていた氷を全て吹き飛ばす。そして、失望した目で地面に倒れ伏す二人を見下ろす。
土拳龍は二人が持つ攻撃の中でも最上位に位置する攻撃力を誇る技だった。セルには並大抵の陽動は通用しない。そこであえて本命であるイグラが先に攻撃を仕掛け、二人がかりでセルを拘束した上で強力な一撃で仕留める。それが二人の作戦だった。
しかし、その思惑は失敗に終わってしまった。イグラの右拳は砕け、セルの顔面にはかすり傷一つついていない。おまけにイグラの両手は使い物にならなくなってしまった。もうほぼ詰みといっていい状態だった。
「はぁ……はぁ……」
「く……っ!」
血だらけの顔を晒しながら地面に倒れる二人は無様というより他になかった。そして、彼らの目からはもはや戦意が失われてしまっている。それを見て取ったセルは盛大に鼻を鳴らすと、
「もう飽きた。そろそろ終わらせるぞ」
両手を天に掲げ、そう宣言する。同時に右手に持っていた土の刀が消失し、セルの周囲に砂のようなものが展開されていく。
「何をする気だ……?」
イグラはよろめきながらも立ち上がり、警戒する素振りを見せるが、その目には諦めの色が浮かんでいた。カーロも似たようなものだ。それにセルが苛立たしげに舌打ちをする。
「ちっ。つまんねえなぁ。せめて、最期まで足掻いてみせろよ」
言いながら、セルは両腕を広げ、砂を複数の塊へと収束させていく。塊はやがて、灰色の岩となり、百を超える弾丸と化す。
「言っとくが……こいつはさっきの赤髪やそこのおっさんのソレとは桁が違うぜ。本物の弾丸ってヤツをてめえらに教えてやるよ」
そんなことは言われずとも分かっていた。もはや、観測することすら嫌になるレベルの魔力。それが百以上の弾丸へと込められている。そんなものを放たれればイグラたちは粉々に砕け散るだろう。
しかし、イグラたちに対抗手段はなかった。魔力自体はまだまだ残っているが、その全てをつぎ込んでも一発防げるかどうかだ。そんなものが百発も放たれれば為す術などあるはずもない。攻撃範囲の外に逃げたところで、大地の刃が襲うだけだ。つまりは詰みだ。
イグラたちは諦めてその時を待った。セルは白けた表情で弾丸を放つ。一つ一つが巨大な塊の弾丸はイグラたちへと向かい、次の瞬間砕けた。
「……あ?」
弾丸である岩石が砕けた瞬間、セルは眉をひそめる。だが、すぐに笑みを浮かべ、目線を右の方に向ける。そこには短めのスカートと黒のニーソックスを穿いている以外はイグラたちと同じ白い軍服を着用し、左腰に刀を差したメガネの女がいた。
「やれやれ。どうやら、あなたたちでは荷が重かったようですね」
鈴のようにか弱く高い声。見た目は十代後半から二十代前半に見える。身長はセルよりは高かったが、百六十は超えていないだろう。腰まで届く艶やかな淡いピンク色の髪をポニーテールにし、短いスカートからはすらっとした足が伸びている。
容貌は美しく、切れ長の目に空よりも青い碧眼を持ち、血のように赤い唇は蠱惑的に弧を描いている。華奢な肉体と相まって、とても戦場に出てくるような女性とは思えなかった。
しかし、その身に纏う魔力は尋常ではなかった。量だけではない。その身を守る魔鎧の技量も立ち振る舞いもゆったりと歩くその姿さえもが洗練され、たったそれだけでもイグラたちとは比べものにならない実力者であることが窺えた。
当然の如くそれを感じ取ったセルは内心の歓喜を抑えつつ、むしろ不機嫌そうな表情を作り、問う。
「何だぁ? てめえは……」
「お初にお目にかかります。私はオウスゴ王国直属異能精鋭部隊『麒麟』の第三位、ケルン・ヴェールズ。以後お見知りおきを」
そう言ってメガネの女性――ケルンは恭しく頭を下げた。その様子を見て、セルは凄絶な笑みを浮かべた。