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幽霊とゾンビにとって奇跡とは

作者: にいろ

 あつかった。

 その日は、ただひたすらあつかった。

 茹だるような、なんて目じゃない、そう思ってしまうほど。

 辺りは肌を刺すような、熱気に包まれていた。

 あつさにあてられ、頭はボーっとしていた。

「——————————」

 そんな中で歩いていた。

 ふらふらした足取り、ゆらゆらした視界。意識は朦朧として、思考は殆ど回ってない。

 何処を目指してるのか、何を探してるのか。そもそも目的なんてあったのか。

「—————」

 それでも歩いていた。

 それしかできなくなったから。






「あちー……」

 雲一つない快晴。光を遮るものは何一つなく、ギラギラと容赦なく降ってくる直射日光は、もはや焼けると錯覚してしまうほど、肉体と精神にダメージを与えて。アスファルトなんて熱を発してるみたいだし、遠くの方なんて景色が若干歪んでるし。文武普通の学生である僕にとっても、きつい。知り合いの、文特化の中には、すでに保健室のお世話になってる者もいるぐらい。

 夏の終わり間近にもかかわらず、この気の滅入るような真夏日。

 そんな中、僕はトテトテと若干危うい足取りで、坂を上っていた。

「何やってんだろ……僕」

 口ではそう言っているが、まだ記憶が飛ぶほど暑さに頭がやられた訳ではない。『借り返せゾンビ』とか言って、休日に友に呼び出されて、学校で力仕事をさせられた。ここまでは別にいい。正直何やらされるか分からなかったから、これで終わるなら全然よかった。

 その後、くたくたになって帰ろうとしたら、なんか電車は止まってる。せっかくだから近くに置き忘れてた自転車で帰ろうと思ったら、鍵忘れてた。仕方なくバスに乗ったら、途中でバッテリーの異常だとかで止まって、中途半端な位置で放りだされる。仕方なく知らない所だけど、ナビ頼りにいくかって歩いてたら、なんかアプリがバグって超遠回りの山道に入ってて、気づいた時には引き返す方が時間がかかるほど歩いていた。もうから笑いしか出てこないような、出来事たちもしっかり覚えてる。

「……はぁー……」

 訂正。やっぱ全然笑えない。

 暑さに耐えかねてペットボトル入りの水を流し込む。張り付きそうな喉と、ネバついた口の中が潤いを取り戻していく。

 手伝いのお礼だって友に渡された時には、この理論オタクめとか思ってたけど、今からすればかなりありがたいものだ。

 水ってこんなに美味しかったんだな、はは……。うん、相当まいってるな。

 ふと横に顔を向ければ、ガードレールの向こうに、町の風景が広がっている。展望室から見る風景とはちょっと違う、ミニチュアほどではなく、それでも高台から見る独特の見え方。どこか懐かしく、それでいて新鮮にも感じる。不思議な感覚をさせる風景。

 こんな風に思えるってことは、まだ大丈夫……いや家までは持つ……かな?

「よし」

 多少は補充された気力で、押し出すように歩き出す。

 カサッ。

 そして一歩目で立ち止まる。なんか踏んだら確かめざるをえないが、覚悟を決めた一歩目でのこれはさすがにちょっと萎える。

「ぁーーーーー」

 生気のない溜息を吐きながら、首から力を抜いて、視線をガクッと下げる。

 うん、やっぱなんか踏んでた。紙っぽいというか、紙なんだが……なぜ紙? なんか字書いてるな。なにこれ?

「……まさかのチラシ?」

 確かめっちゃ前の宣伝のための紙だっけ。確かあのオタクが言ってた気がする。絶滅したって聞いたけど。今時紙で宣伝とか、そもそも聞いたことないし。

 良い感じに踏んでるせいで、書いてある内容が分からない。

 ………何かいてんだろ。

 わずかに見える文字を見ていると、何故か好奇心が掻き立てられる。

「よいっしょっと」

 力なくしゃがみこんで紙を拾い上げる。疲労で頭がボーっとしているのに、不思議とその動作は苦には感じなかった。

 そんで肝心の内容はと。

『お化けしませんか』

「……」

 軽く目を閉じてもう一回見る。

『お化けしませんか』

 文面には何も変わりはなく、かけらも意図の読めない手書きの文字が堂々と、存在感を主張している。

 なにこれ? 分からん。もう、これ自体がちょっとした怪談だよ。

 暑さ+意味不の文字のせいで頭が処理限界を超えて、思考が空回りをしていると。

「ん?」

 ふとした時に視線を感じる、気配がする。小説とかアニメとかではよくある演出ではあるが、現実にあるのかというと、初めて知ったけどあるにはあるっぽい。気配なんて曖昧なものじゃないけど、なんかいる気がする。錯覚に近い感じのもの。

 首だけ回して後ろを見る。きっと多くの者がこんな感じに振り返って、大抵誰もいなかったり、知り合いがぽつんと立ってたりと、地味な落ちだから、『背後にいる』なんて創作でしか聞かないのだろう。

 瞼を持ち上げる気力もなく、半目で後ろを見ると、そこには……。

「……!」

 いた。錯覚などではなく確実にいる。

 真後ろ、いつの間にかすぐ後ろの彼女は立っていた。

 違和感のない制服姿ではあるのだが、真夏場であるのに長袖にセーターを着た、冬の学生のような恰好。そして少々長いのに、そのままほったらかしにしたような、地面に届きそうな、ただただ長いだけの黒髪。

 これだけ見れば、かなり変わり者の学生で済むのだが。その姿はなんか暗いような……。季節無視の服装も、長すぎる髪も、不自然に端々が欠けている。まるで燃えてしまったかのように、所々に穴が開き、腹の部分の服は大きくかけ、不穏な雰囲気が、欠けた隙間を埋めている。うつむいた表情は垂れ下がった前髪のせいで、見上げる今の姿勢でもうかがえない。すでに不気味なその気配を増長するかのように、前髪の隙間から微かに見える左目の淡い光。瞳に浮かぶ歯車模様を思わせる形。

 お化けなんて生易しいものではない。深淵から這い出てきたような。心の奥底にしみこむんでゆく。

 誰もがとは言えないけど、普通の奴なら、最低でも軽く悲鳴を上げて、尻餅をつくだろう。僕とてその普通の内にいる。

 それなのに僕はただ彼女を見ていた。それは恐怖ゆえなのか、僕は身動ぎもできず、ただ彼女を見つめる事しか出来なかった。

 時間にしていくらほどか。時間の概念すら抜け落ちたその沈黙を破ったのは少女だった。

 ゆらゆらと、左右に軽く揺れたかと思うと、突然前のめりに倒れこんできた。

「ちょ……!」

 いくら呆然としていると言っても、倒れてきたらさすがに我に返る。反応するまでのわずかなラグを含めても、短すぎる猶予。おまけに体勢も最悪。それでも何とか受け止められる体勢を取ることはできた。踏ん張れないだろうが、彼女の地面との正面激突は防げる。代償として背中に来るであろう衝撃に心構えをすると。

 背中に衝撃はなく、態勢も無理やり後ろを向いて受け止めようとする、はたから見ると随分とシュールなまま変化はない。

「うぐ……!」

 代わりに短く、深刻な苦悶が聞こえて来た。

 それはそうだ。僕の咄嗟の行動もむなしく、彼女は地面に正面激突したのだ。別に僕がよけたわけでも、少女がいきなり横に倒れたわけではない。

 端的に言ってしまえば、僕が受け止めようとした少女は、まるで幽霊であるかのようにするっと僕をすり抜けたのだ。僕自身もにわかに信じられないが、この目で見たし、現にすり抜けた後の少女がそこにいる。ていうか今も足の部分が重なってる。まるでゲームのグラフィックがバグったみたいになってる。

 落下を止めるはずのものが機能しなければ、結果はわかりきっている。結末の変わらなかった少女は、先ほどまでの雰囲気などかけらも残さず吹き飛び、倒れこんだ姿勢のまま顔を抑えて悶絶していた。

 パラパラと、おそらく彼女が持っていたのだろう十数枚の紙が、辺りに散らばる。一瞬しか見えなかったが、なんか『お化けしませんか』って書いてあった気がする。

「……えっと、大丈夫?」

 色んな意味でついていけなくなっていた僕は、とりあえず無難にそう聞いた。






「ごく……ごく……ごく、ぷはぁ! 生き返る!」

 冷えたお茶を一気に流し込み、まるで生気が蘇ったように声を上げる。

 実際この暑さの中、大したものではないにしても、自販機の冷たい飲み物も、日陰にあるだけのベンチも、砂漠のオアシスのようにも感じる。ただ……。

「あ、でも死んでるんだっけ」

 わざわざあからさまに感動しているのは、隣に座る冬服少女である。

 そう、座ってるのだ。僕の体はすり抜けたのに、ベンチには座ってる。さらに言えば、自販機で買ったペットボトルのお茶も飲んでるし、鼻には僕が持ってた絆創膏は当たり前のように張り付いてる。

「いや、助かったよ、ほんと」

「どういたしまして」

「あそうだ、残り」

 手に持ったペットボトルを見て、迷う仕草を見せる。

「あげる。他者が口を付けたものを楽しむ趣味はない」

「それじゃ、ありがたく貰っとく。んだけど……」

 今度はこっちを見て不思議そうな顔をする。

「僕はそんなに独創的な顔をしているのか?」

「いや、私が知ってる限りのごく普通の範囲に入ってるね」

 顎に手を当てて観察するようなポーズを取って言う。

「ほう、じゃあ好みの顔だったとか?」

 もちろん本気ではなく冗談で、明らかに演技っぽい決め顔を作る。

「もう超好み」

『キャー♡』というポーズは取ってるが、セリフは棒読みだし、顔は笑ってる。この子結構ノリいいな。

「ところで私の好みの夏服男子は、いつもそんな恥ずかしいセリフを、知らない女の子に言ってるのかな?」

「それは……」

 あれ? そうだ、どんなに衝撃であったとしても、この冬服少女は初対面。なんで僕は初対面なのにこんなことを……。

「って、そんなことはどうでもよくて!」

 少女は突然我に返ったように声を上げて、僕に詰め寄る。

「なんであんた普通に会話してるの?」

「ご、ごめん、馴れ馴れしかったよね」

「いや、そうじゃなくて!」

 突然ベンチの上からいなくなる冬服少女。立ち上がったわけではなく、その逆。さっきまで座っていたベンチをすり抜けて、下に潜り込んだ。

「幽霊だよ」

「え?」

「死んでるんだよ! 生きてないんだよ! 本物だよ!」

 ほらほらと、上半身だけ出してアピールする冬服少女。知ってる知ってる。さっき身をもって実感した。

「えっ? 幽霊だよ、怖くないの? 何とも思わないの? 幽霊だよ?」

 とりあえず二回繰り返すくらい、幽霊は大事なことらしい。

「えっと、なんというか、似たようなのを知ってるから、かな」

 実際に見たことはないが、冬服少女みたいに物をすり抜けたり、俗にいう『実体がない者』がいるのは実在するらしいし、普通に街にいるらしい。あの理論オタクなんて、会ったことあると鼻息を荒くして言っていた。

「え、ほんと? あたしパチモン?」

「というか、他にもいる、じゃないかな」

「うそー……」

 もう、これ以上ないほど落ち込んだ声と表情で、ベンチの下に沈んでゆく。

「なんで今の話でパクリにつながる?」

「だって、この世界にはもう幽霊がいるんでしょ。違うところから出てきた私なんて、勝手に幽霊って名乗ってるだけじゃん」

 どちらかというと、『実体のない者』達の方が、勝手に幽霊呼ばわりされてるのだけど。

 なのにどうしてか、フォローしてあげようと口が開く。

「そいつらが幽霊かどうかはともかく、死んでるって言ってるのは、聞いたことないかな」

「そうだよ!」

「わっ!」

 沈んだ雰囲気を吹き飛ばすかのように、ガバッと立ち上がる。こっちから見ると、なにも無いベンチから、いきなり現れたみたい。しゃがんでるところが見えないから、結構びっくりする。

「死んでない奴なんて幽霊とは呼べない! 幽霊としての誇りがない! むしろそいつらの方がパチモン! そう思うでしょ」

「とりあえずこの会話で最も不憫なのは、勝手に幽霊呼ばわりされた挙句、理不尽に罵られた者たちだと思う」

 なんだよ幽霊としての誇りって。

「今のあたしカッコいいでしょ」

「自分で言うか? ていうか本気で言ってるのか?」

「姿だけは」

 言ってることはめちゃくちゃだが、清々しいほどのドヤ顔と堂々とした立ち姿は、確かにカッコいい領域に達している。ただし……。

「そうだな、惜しい」

「なんだと!」

「足がな」

 確かにカッコいいが、足の中途半端な位置にベンチがあることに変わりはない。視線を下げれば、奇妙な位置で切れている足のせいで、カッコいいというよりも、奇妙が先に立つ。

「バグったホログラムみたい」

「そんな……」

 よよよ、とまた沈んでいく制服少女。明らかにノリでやってる事だし、早く話を進めたいから流れを断ち切る様に言葉をかける。いくら日陰とはいえ、猛暑には変わりない。暑さの前ではノリは無力なのだ。

「そろそろついていけなくなりそうな、夏服男子に自己紹介してくれるか?」

「え、まだまだ余裕でしょ」

「ノリはな。ノリ以外がダウンしそうなんだよ」

「あ、そうか、幽霊じゃないもんね」

 とことん幽霊押してくるな。確かに幽霊なら暑さは……関係ないはずだよね⁈ じゃなんでこいつ倒れたの? 明らかに暑さにやられてたよな! 明らかな矛盾に気付いた僕をよそに、冬服少女は自己紹介を始める。

「見ての通り幽霊よ!」

「……」

「あれ、どうしたの、フリーズしてるよ。それとも熱暴走?」

 ここまで堂々と言い放ち、何の躊躇いもなくきょとんとされると、逆にこっちが間違ってるのではないかと思えてきてしまう。

「よし、名前はなんていうんだ?」

「わかんない」

「は?」

「だからわかんないの」

「ほんと?」

「超ほんと」

 今まで裏表ない態度だったせいか、その断言には妙な説得力があった。

「……じゃあ……えっと、両親」

「覚えてない」

「誕生日」

「さぁ」

「住所」

「ない」

「年齢」

「女性にそれ聞く?」

「そこは気にしてるんだ」

「覚えてないけど」

「……」

 だったら最初からそれでいいだろ。なんでわざわざその質問挟んだ?

「とにかく何にも覚えてないんだって」

「君よくそれで生きてこられたね」

「いや、生きてないよ、幽霊だよ」

 マジか。何も言い返せない。明らかにおかしいことを力説してるのに、頭が沸騰してきたせいか反論が思いつかない。

「それじゃあ、次は君の番」

「何か紹介された気がしないんだけど」

「これ以上何か紹介できることがあるの」

 その自信はいったい何処から湧いて出てくるのか紹介してほしいかな。

「僕はそうだな……ゾンビかな」

 言った瞬間、ジト目が襲ってくる。

「待て、言いたいことはわかる」

「だけどあえて言う。あたしにはあんなに言ってたのに、自分だって同じじゃん」

「まあ、聞け。僕のにはしっかりとした理由がある」

「ほう、聞こうじゃないか」

 僕は別に自分の名前を忘れたわけではない。記憶喪失なんてことは滅多にない。あったら大問題だ。

「名前は作式(さくしき)作式(さくしき)(のぞみ)だ」

「なんだ名前あるじゃん、望君」

「覚えてはいるんだけど、なんかしっくりこなくて」

「だからってゾンビの方がしっくりくるって、どうなの?」

「仕方ないだろ、事実そうなんだから」

 最初はあだ名ってことで、おふざけ半分で呼ばれたんだが、どうもそちらの方がしっくりきて、今では本名と逆転現象を起こしている。

「知り合いはどう呼んでるの?」

「ほとんどがゾンビ」

「引かれてない?」

「むしろ面白がられてる」

「マジかよ」

 最初こそみんな軽くひいてはいたが、お化け屋敷でゾンビ役やって以来、みんなノリノリで呼ぶようになった。もう本名より有名じゃないかな。

「さて幽霊ちゃん」

「なんだいゾンビ君」

 事情を知らない者が聞いたら、いったいどんな風に思うだろう。

「実は前々から気になって、ついさっき聞かなくてはならなくなった事があるんだ」

「どうぞ」

「君なんで倒れたの?」

「あれ、何してたじゃなくて、そっち?」

「その言いようでは、自分で矛盾に気付いてるようだね」

「ナ、ナンノコトカナ?」

 わざとらしく斜め上に目をそらし、図星を付かれたように片言になる。

「とぼけたって無駄だ。証拠はもう挙がってる!」

「な、なに! ……ていうか何その探偵アニメみたいなテンション」

「どちらかというと刑事じゃないか。ていうかノルなら最後までのってくれないか? 途中で戻られると恥ずかしいからさ」

「おっと、すまんすまん」

 コホンと演出の咳ばらいを挟み。

「君はさっき、暑さを気にする僕に『幽霊じゃないもんね』といった。つまり君に『暑さ』は効かない。違うか?」

「そうだね。でもそれがどうしたっていうの? 暑さが効かないのは私だけじゃないでしょ」

「そうだな。しかし、君は初めて会ったとき、明らかに暑さにやられて、ボーっとしていた」

「そ、それは……!」

「さらに君は、冷えたお茶を飲み『ぷはー!』と満悦していた。これは明らかに暑さにやられて、水分と、冷たさを求めていた!」

「ち、違うんです!」

「何が違うというんだ」

「私は悪くない、悪いのはあの男なんです!」

 ドラマのラストみたいに、頭を抱えてそんなことを言ってくれた。で、すぐに素に戻って。

「まあ、ぶっちゃけ言ってしまえば、精神的にダメなんだよね」

「なんかトラウマにでもなることがあったのか」

「さあ。もしかして死因とか。いかにも幽霊らしい」

 うんうんと満足げにうなずく幽霊少女。トラウマすらも幽霊としての自信になる。ここまでくると、もはや尊敬すら湧いてくる。

「でも温度は感じるんだよね? お茶嬉しそうに飲んでたし」

「感じるよ。でもあなたみたいに、やられはしない。『苦手』というのが一番近いね」

 なるほど道理でこの暑さで、その自殺行為みたいな格好でも平気なのか。なんというか都合がいいな。

「それでさ、そろそろもう一個の方も聞いてくれないかな」

「なぜそんなワクワクしながら、自ら勧めるんだ?」

「いいから、いいから」

 ほらほらと、何故か手招きする幽霊少女。何故だか招かれた先に泥沼が待ってるような気がする。いやな予感はしたものの、言葉は自然と出てきた。

「えっと、さっきは何して……」

「よくぞ聞いてくれた!」

「……」

 よっほど待ちわびたのか、超ハイテンションなうえ、自分から勧めておいて質問し終わる前に言葉をかぶせてくる幽霊少女。これ僕に質問させる意味あったか?

 言葉を失った僕のことなどお構いなしに、詰め寄ってきて、ついさっき見たような紙を差し出……突きつける。そして、さながらずっと探してたお宝が見たかったような、もうこれ以上ないほどキラキラした目で言うのだ。

「ねえ、お化けしない?」

 ここまでくれば決して気のせいではないだろう。泥沼が待ってるどころか、さっきの質問を口にした時点で、すでに泥沼に引きずり込まれているのだ。

 この日の不運の連続なんて、序の口に過ぎなかったのだった




<><><><><><>




 疑問には思わなかった。

 最初から疑問には思わなかった。

 肌を刺すようなあつさも。

 意識を混濁させる熱気も。

 おぼつかない足取りで、歩いていることも。

 疑問になど思わなかった。

 だって、最初からそうだったから。

 それでも不思議思うことはあった。

 なんでだろう。

 その言葉だけがはっきりと意識に残っていた。






「なんでだろうな……」

 教室の机に突っ伏しながら、ため息交じりにつぶやく。

 昨日のことを思い出す度に、そんな疑問がこみあげてくる。

 さらに妙に頭から離れないせいで、朝からそんな気分に覆われ、授業の内容もろくに頭に入らず、気づけば放課後になっている。

 今では頭から離れないこと自体も疑問の仲間に入り、答えの出ない無限スパイラル状態に突入していた。スパイラルであってるのかな? ああ、また疑問が……。

 あの幽霊少女め、とんでもない爆弾置いていきやがった。

「あぁ……、何やってんだろ……」

「どうしたの? そんなやつれた声出して」

「なんか厄介事でもあったのか?」

 心配そうな言葉に反応して顔を上げると、同じ制服を着たカップルと目がある。

「なんだ雪……」

 女とと続ける前に、容赦のない睨みが飛んできて、おとなしく口を閉じる。

「冬花さん」

「おまえって度胸あるよな。彼氏の俺でもそんな呼び方出来ないぞ」

「トモシビ君、言い訳っぽいかもしれないが、わざとではないんだ。思わずなんだ。そもそも君の彼女さんがさ……」

「まあ、言いたいことはわかるよ」

 トモシビの横に立つ彼女さんに目を向ける。もう名前からしてそれっぽいが、明らかに和服の似合いそうな、スレンダーな体系と顔つき、薄い色の瞳、そして何より冬の日に降る雪を思わせる純白の髪。雪女になるために生まれてきた、と言わんばかりの姿。

 ただ彼女は、雪女が好きではないようで。

「何か?」

「「何でもありません、ごめんなさい」」

 何の打ち合わせもなく、親友と声をそろえて即行で謝ってしまうほどの、睨みをしている。

「それで本当にどうしたの?」

「僕は、あの冬花が本気で心配するほどひどい状況なのか?」

「あなたねぇ……私の事なんだと思ってるの?」

 腕を組みながらついにピキピキし始め……ってマジの奴だこれ! 軽口叩きすぎた! 軽く戦慄していると、彼氏のトモシビ君がまあまあとなだめに入る。さすが親友!

「まあ、あの有名なゾンビが机に伏せて、溜息をつくほどの事だからな。クラス全員気になってるぞ」

「僕ってそこまで耐久力あったっけ?」

「ゾンビの名に恥じないほどにな。単体で他校丸ごと相手の持久戦をやり切れる奴なんて、俺は他に知らないし」

「ああ、そんな事もあったな」

「あの伝説にもなってる出来事を『そんな事』とはね」

 呆れ混じりの溜息が、冬花の方から聞こえてくる。当事者だっただけに、余計に呆れているのだろう。

「で、やっぱ厄介事か?」

「厄介事というより、泥沼かな」

「うわ、あのゾンビが泥沼というほどの事か」

「というより無理難題なんだよ」

 昨日の幽霊少女の衝撃的な告白。「お化けしない?」というのは、一緒にお化け屋敷的なものでいろんな者を驚かせよう、という事だった。幽霊は者を驚かせるもの、だけど自分だけでは力不足、だからもっと戦力が欲しい。あそこまで幽霊押ししてくるし、詳しい話を聞いたらまあ謎のキャッチフレーズから謎が取れるぐらいには納得できた。相変わらず動機は謎まみれだけど。

 だが爆弾はここからに潜んでいた。沢山の者を怖がらせるために、お化け屋敷的なアトラクションで再乗車を募る。そしてお化け役を集める。ここまではいい。ごく普通に思いつきそうなことだ。

 しかし、ここからがおかしい。それらの実現に関して、幽霊少女が全くのノープランなのはまだいい方。一体どういうことなのか、いつの間にか僕は協力することが確定したような話し方で、具体案をすべて他者任せ、つまりは僕に全任せ。幽霊は驚かせる専門だからと悪びれもせず。

 当然ながら無理である。お化け屋敷用の建物そのもの、内装、役者、などなど、本格的にやろうとしたら、とんでもなく金がかかる。おまけに幽霊少女は文化祭など目じゃないほどの来場客をお望みなのだ。たかが学生にどうにかできるレベルをとうに越している。

 まさに愚痴を聞いた親友は一言こう言った。

「無理だろ」

「無理なんだよ」

「断ればいいだろ。そもそも初対面なんだろ」

「そうなんだよな……」

 無理難題以前に、初対面だし、こんな頼み? ……頼みなんて断ればいいのだ。むしろ聞く方がおかしい。なんだけど……どうしてか断れなかった。最大の謎はこれなのだ。ほんっとになんで断れなかったんだ……!

「ほんとに何やってんだろ……」

「ああ、なんて言ったらいいのか……」

「素直に思いつかないと言いたまえ」

「い、いや、何か親友にかける言葉があるはずだ」

 うーんと唸りながら考える親友。まいっている証拠みたいな軽口をたたこうとしたところで、入り口の方から担任の声がかかる。

「おーい、とうか」

「はい、何でしょうか?」

「何か用っすか先生」

 その呼びかけに同時に反応するカップル。

「あーそういえばどっちも『とうか』だったな。地味にややこしい」

「生徒の名前にそんなケチ付けないでください。フルネームで呼べばいいのでは?」

「どうせならフレンドリーに……ってどうしたよゾンビ君!」

「僕の状態異常はそんなに珍しいんですか?」

「とりあえず画像撮っていい?」

「いいわけないでしょ、この不良教師!」

 そう言ったはいいものの、精神的にまいってるせいでいまいち攻撃力がない。怒鳴り反撃にも威力がのるないとは、ほんとにダメなようだ。

「冗談はここまでとして。用があるのはとうかカップルだ」

「変な呼び方しないでください」

「はいはい、さっさと行くよ」

「ちょっと先生、真面目に聞いてください!」

「えっと、何かあったら遠慮なく相談してくれよ親友!」

「おう、行ってこい」

 軽くコントのようなことをやって、嵐のようにカップルを連れて去っていった教師。あの性格でどうやって教師になったのだろうか?

「世界は謎に包まれているー」

「だからこそ価値がある」

「そうそう……って!」

 自然に続けられた言葉を思わず流しそうになったが、明らかにおかしいものがある。窓辺の席の隣は机か窓の二択なんだが、声は開いた窓の外から聞こえてきた。そして何よりも問題なのは。

「君は……」

 窓の外にいた少女は浮いていた。窓枠に手を置いて頭だけを出して、わざとなのか、それとも単に演技が下手なのか、とてつもないほど分かりやすい可愛らしさを演出していた。飽きない幽霊少女である。

「来ちゃった♡」

 ニヤケ顔の幽霊少女に無言でチョップを食らわせる。

「いた!」と今度は素の可愛らしい悲鳴を出して頭を覆う。

「ちょっと、何するの!」

「なんか使命感に駆られてつい」

「というか結構力入れたよね!」

「それも使命感かな。というか半分当たらないと思ってた」

「幽霊だって当たる時は当たるんだぞ!」

「そういえば当たり判定変わるんだったな」

「あたしの思い通りに」

「ほんと都合のいい体だな」

「幽霊ってそんなもんでしょ」

「僕が知ってる幽霊は見えないし、何にも触れられないんじゃないのか?」

「それは創作上の幽霊」

「創作じゃない幽霊とか、聞いたことがないけどな」

 少なくとも本物の『幽霊』が見つかったという話は聞いたことがない。

「それで幽霊少女はどうして、ここが分かったんだ?」

「相変わらず斜めから行くね」

「僕のプライバシーの危機かと思ってな」

「答えは簡単、昨日あんたがこの学校の制服を着てたから。あとは教室を一つずつ覗いた。三つ目で見つかったのは運がよかったよ」

「この学校の制服知ってたんだな。目立たないぐらい普通なのに」

「そういえばなんで知ってるんだろう? 生前の記憶かな」

「君はもうちょっと行動する前に考えた方がいいと思う」

「そんな事よりも昨日の事どうだった?」

 グイっと椅子から転げ落ちそうになるほど、詰め寄ってくる幽霊少女。危ない危ない!

「ああ、それなんだけど……」

「うん!」

「率直に言って僕には無理」

「えー!」

 今度はいきなり僕の襟首をつかんで、グイグイ思いっきり揺らし始め……待て待て痛い痛い!

「無理なもんは無理なんだ! ゾンビに奇跡は起こないんだ!」

「そんなこと言わないでさー!」

「これ以上首の可動範囲が増えたらどうしてくれる!」

「ゾンビなんだから大丈夫だよ!」

「比喩的ゾンビにそんなの当てはまらない!」

 グラグラと容赦なく揺れる視界とともに、そろそろ首が悲鳴を上げそうになる。

「一応最後のあてはあ……うぁあ!お前いきなり手を離すな!」

 可能性を示した途端、幽霊少女は揺らすのをやめるのではなく、手を放しやがった。意外と強い力で揺らされていたせいで、勢いもかなりついていた。おかげで椅子からの転落を余儀なくされる。当然ながらクラスメイトの関心もまとめてゲットである。

「なんだあるじゃない」

「まさかその手を、首を守るために使うとは思わなかった」

「そんなことはいいから早くいこ!」

 皮肉はさらりとかわし、スーっと幽霊よろしく浮きながら教室の扉に移動し、思いっきり開けて、早く早くと手招きする幽霊少女。

「ほんと、何やってんだろ……」

 ため息交じりにそう呟きながら、立ち上がって扉に向かっていく。泥沼、ほんとにそうだ。何故か抜け出すどころか、自分から潜っていく。『何故か』この疑問だけはどうしても解けない。あの時とはちょうど逆なんだな。






「出来るよ」

 何の躊躇もせず、軽く事情を聴いただけで、その部室の主はそう無気力そうな声で言い放った。

 あまりに予想外の展開に、幽霊少女ですらも言葉を失い、部室を沈黙が支配する。聞こえてくるのは部屋の主所有のの旧式PCのファンの音ばかり。

「なに、どうしたの?」

「待て、おかしい」

「私はおかしい、何をいまさら」

「対象が違う、僕が言ってるのは、理論オタク本体ではなく、君の発言の方だ」

「さすがに言語中枢に異常はない」

「常識判断能力はいかれたようだな」

「焼けて久しいね」

「開き直るな」

 教室を出た後、僕と背後霊よろしく肩にくっ付いてた幽霊少女が向かったのは、古典理論部。とっくにお払い箱になった、熱力学とか、量子力学とかの、ミリオタなんて目じゃないほど、超マニアックな部の部室。もちろんマニアックな知識が目的ではなく、探していたのは部長の理論オタクこと、(はかり)さん。一見ただのマニアックな部長だが、その……いろいろとすごい。単に理論オタクのコミュニティーに留まらず、町の自治体とかいろんな団体に絡んでいて、町のイベントの主催者の中に、何故かこの者の名前をよく見かける。その化け物じみた理論オタクにダメもとで話をしたのだが、議論ならともかく、事情を聴いただけで、問答無用でOK出すなんて誰が予想できようものか。

「話聞いてたのか?」

「その上での判断だよ、むしろこっちにとってもいい話だ。ちょうど花が欲しかったんだよ」

「すごい! 奇跡起きちゃったね」

「オタクもここまでくれば奇跡を起こせるのか」

「こんなのは奇跡とは呼ばない。出来ることを出来ると言っているだけだ。それは君もよく知ってるだろう、ゾンビ君」

「ゾンビはできる事しか出来ないんだ。奇跡は起こせないからわからない」

「……そうだったな」

 不自然な間を残して彼女は、話を続ける。

「もうじきこの町で、大きな祭りがあるのは知ってるな」

「そういえばあったな」

「名前なんだっけ?」

「そのまんま『夏終わりの祭り』。センスのかけらもないのが正式名称だ。名前みたいに花がないのが特徴かな」

「そう聞くとなんか悲しく聞こえるな」

「中身自体は普通の夏祭りだよ」

 薄っすらとではあるが、去年の祭りの記憶が蘇る。確かに普通の祭りだった。

「それで今年の祭りなんだが、何か『特徴』になるものはないのかという話になった」

「もしかしてそれでお化け屋敷?」

「そう、ついさっき採用した」

「そんな簡単に採用していいのかよ」

「誰もいい案を出せなかったからな」

「もう君の独壇場なわけか」

「幽霊屋敷キッター!」

 きっともう誰も彼女に口出しできない状態なのだろう。いつも結果的にいいイベントにしてしまうから、批判もできない。

「ありがとうオタクちゃん!」

「気にしなくていい。私にも良い話だからね」

「それで、幽霊屋敷はどうなるの! どこに作るの! 何階建て! 広さは! 見た目は! 内装は!」

「えっとその、詳細は追って連絡するから、ちょっと……ゾンビヘルプ」

 さすがのチートオタクも、この幽霊押しには音を上げてしまう。これに反撃できるとしたら、いったいどんな風になるのか。

「それにしてもよく信じたなこんな話。冷やかしだとは考えなかったのか?」

「仮に彼女が嘘をついたとしても、代役を立てればいいし、そもそもお化け屋敷ならば、幽霊がいなきゃダメってわけじゃない」

「嘘じゃないよ! 幽霊屋敷は絶対やるよ!」

「わかったから、揺さぶるな」

 なるほど本当に彼女にとっても『いい話』なようだ。途中まではかっこよかったのだが、思いっきり揺さぶられてるせいで、コントに見えてきた。

「私としては、君の方がよっほど不思議だよ」

「僕が? まあ、そうだよな。こんなとんでも幽霊に真面目に付き合ってるし」

「それぐらいなら、他でもやってたよ。そうじゃなく君は本気で、幽霊の言っていることを叶えようとしている。こんなことは無かったんじゃないのか?」

「そう…か?」

「私の知る限りでは、な」

「そうか……。なあ」

「なにかな?」

「僕は失くしたものを見つけられると思うか?」

「失くしたのならね」

 そう言うと、君たちがいると仕事ができないと言って、部室を追い出されてしまった。連絡先は前に渡してあるし、彼女の言う通りそのうち連絡があるだろう。






 その後は、ただ帰路についた。幽霊少女は、先ほどとは違い大人しくなって、歩く僕の横で静かに浮いていた。昨日と同じ坂にたどり着いて、幽霊少女から声がかかる。

「オタクちゃんとはどんな知り合いなの?」

「さあ、何だろうな。僕もよくわからない」

 実際知り合った経緯も曖昧だし、まさに謎の友達という奴だろう。

「変な会話してたけど、なんかあったの?」

「容赦なく聞いてくるな」

「あんただってそうだったでしょ。もしかして聞かれたくない話?」

「そうでもない」

「じゃあ聞かせて」

「記憶がとんだ、以上」

「え……」

 あのはっちゃけた幽霊少女が珍しく止まった。ほう、これはこれで面白い。

「どうしたフリーズなんかして。らしくない」

「いや、そんな大事を、そんな雑な言われ方されたら、誰だって止まるよ」

「とは言っても、他にどういう言い方すればいいのか」

「ほらもっと深刻そうにさ」

「正直深刻に思ってないからな」

「記憶とんで深刻じゃないって、あんたも相当ね」

「とは言っても、飛んだのは三年も前だし……そういう君もそうだろ」

「違う」

 その言葉を聞いて思わず足を止めてしまう。少し前に進んで振り返った彼女は、冗談めかしく笑ってなどいなかった。はっきりとした言葉とともに、初めて見る幽霊の表情だった。

「あたしとあんたは違う」

「自信たっぷりだな」

「だって自信満々だもの」

 少し微笑んだ顔も、面白おかしさなどかけらも感じず、それどころか、悲しさすら漂ってくるようだ。

「あんたは、ゾンビはゾンビでも比喩のゾンビ。けれどあたしは本物の幽霊」

そう言って幽霊少女は両手を広げる。自分の焼けた姿を見せつけるように。

「あたしのは、もうどうしようもない。きっともう全部焼けちゃったんだよ」

 夕陽に照らされた幽霊の姿は、まさに燃えているように、目に映る。

「でもあなたのはそうじゃない」

「……」

「だからそんな悲しいことは言わないで」

 悲しそうだ。そう口にする彼女の方がずっと、悲しそうに映る。

「それじゃあ、私はもう行くね。あ、オタクちゃんから連絡あったら、ちゃんとここに来るんだよ」

 そう言って幽霊少女は林に向かっていく。

「……それはこっちのセリフだ」

 その言葉は少女に届いたのか、独り言になったのか。燃えるような夕焼け空の下、言葉は帰ってこなかった。




<><><><><><>




 目を開けると、そこにはなにも無かった。

 肌を刺すようなあつさ。

 道を塞ぐように崩れた瓦礫。

 床を、壁を、瓦礫を這う炎。

 それらを彩る崩壊音と燃焼音。

 それでもなにも無かった。

 そこには何があったのか、何をもって『なにも無い』と思ったのか。

 両手にべっとりと付いた、まだ乾かぬ血を眺めながらも、思いつくことは無かった。






 オタクちゃんから連絡は、予想よりも早く来た。お化け屋敷なんて無理難題を採用された時点で予想外だが、その上で予想よりも早く連絡がきた。だって、話をしてから2日後って誰が想像できる?

 ただ、ごくごく一般的な学生である僕は、午前4時にはとっくに夢の中。そんな時間帯に電話して、出なかったことに対して文句を言われても困る。

 翌朝もう一度連絡が来たのはいいが、前振りと、「明日、午前9時、幽霊広場」と簡潔すぎる本文と文句だけを残して、電話を切るのも困る。それに急すぎる、僕が休日を含め、大抵暇なのを知って、こんなに急なんだろうけど、せめて確認を取ってほしかった。まあ、暇だけど。

 そんなわけで当日、時間的余裕を大きくとって自転車に搭乗して、幽霊少女と会った坂に向かって、意図的に遭遇を図る。正直この時間に会えるのかという心配は杞憂に終わり、当初の予定通り、不思議ポスターを鋭意制作中の幽霊少女を発見。ポスターに関してはともかく、幽霊少女が頭上に『?』を浮かべながら、「早くない?」とつぶやいたのは予想内。その気持ちは分かるよ。

「で、そのいかにも私に似合う広場はどこにあるの?」

「ピン立てたぞ」

「残念ながら現実に、HUDはないのだよ」

「まあ、あるっちゃあるらしいけど」

「え! いつの間にかゲームが現実に⁈」

 何でもコンタクトみたいなやつから、本当にゲームみたいにHUDが見える認識介入まで。

「何だったけな……R3……。まあ、どのみち一般の僕たちには関係ない事だけど」

「ま、そうだね」

「まさか一般の部分を否定されないとは」

「だってあたしは、『研究者』とかとは関わりのない、ごくごく普通の幽霊だから」

「幽霊の時点で普通じゃないと思うけどな」

 と当たり前のことを言ってみたものの、この程度では幽霊少女のガードを抜けるはずはなく、華麗にスルーを決め込まれた。

「で、あんたの脳内マップではどこに目的地があるの?」

「遠くはない。君がこの間侵入した学校の斜め後ろ」

「……どこ?」

「空間認識能力?」

「例えどんなに幽霊の空間認識能力が高かったとしても、わからないものは認識のしようがない。あんたと違って脳内マップがないからね」

「自由に飛べるんでしょ、町を見下ろしたことは?」

「ない」

「なんで? 幽霊の特権みたいなもんじゃん」

「いやほら……高所恐怖症……みたいな」

「幽霊(笑)」

「そういうこと言うゾンビは、シュールな笑い事にしないとな」

「こら、事故は笑い話にならないから首絞めるな!」

「チッ、それもそうだな」

 そういうのが面白く映るのは二次元まで……いや、二次元でもシュールかどうか怪しい。

「話し戻してもいいかな」

「ことごとく脱線させたのは、何処のどいつだったかな?」

「コホン、よろしいかね幽霊少女君」

「あんたも図太くなってきたね」

 幽霊少女は目的地に着いてしまう前に本題に入ってほしいようで、いかにも無理やりな話題転換に、呆れるというわけではなく、何故か若干ニヤニヤしていた。

「目的地は少し町外れにある高台。幽霊広場と言ったが、これは俗称。あだ名みたいなものだ。正式には冷夜広場」

「幽霊はなんで?」

「結構有名な噂があったんだよ、幽霊が出るってね。まあ、今はもう聞かないけど」

 そのせいもあって、プチ肝試しに使われたり、心霊スポット扱いもされていた。

「まあ、それも昔の話だ。今じゃもっぱらイベントの会場扱い」

「それだけ?」

「立地がな。遠くはないけど、近くはない、地味に坂がキツイ高台っていう、絶妙に悪い場所だから、商店街と違って祭りとか特別なことがない限り人が集まらないんだよ。何よりみんなイベント会場専用だと思ってる」

「何そのイベントのためだけに存在する土地」

「ある意味奇跡だよ」

 狭いとはいえ町なのに、自治会どころか、ほとんどの町の人がイベント会場=幽霊広場って思ってるからな。おまけに三年前に出来たばかりの広場なのに、いったいいつの間にそんな価値観が出来上がったのか。この町の七不思議とかにしてもいいのではないだろうか。

 で、またもや背後霊のごとく、幽霊少女を背中に引っ付け、道行く通行人から奇異なものを見るような視線を浴びつつ、自転車をこぐ事しばらく+坂道を自転車を押しながら登ること少し。少々息を上げながらたどり着いた広場について。

「ねえ……なにこれ?」

「僕も分からない」

 開口一番に疑問を放った。

 そう言いたい幽霊少女の気持ちは分かるし、僕自身も同じことを思っていた。別におかしな物があるわけではなく、変な者が占拠とかしていたわけでもない。むしろ物自体はあっても全然不思議はないのだが、二日前に話をして、今日お化け屋敷に使える面積とか色々説明されるかと思いきや、すでに建設資材とか重機とか、が運び込まれて、すぐに工事する感満載の光景を見れば、戸惑いもするだろう。

「おや、もう来たのかお化けコンビ」

 ちょうどいいタイミングで、いろいろ話を聞きたい相手の声が背後から聞こえる。とりあえず説明不足過ぎると言おうと振り向いて、明らかに重量オーバーであろう資材を肩に担ぎ、涼しい顔をしたオタクちゃんが目に入る。

「……」

「……」

「どうした? コンビそろってフリーズとはまた珍しい」

「衝撃的な光景でセリフが飛んだからちょっと待て…………、そうだ、説明不足過ぎるぞオタクちゃん」

「必要なことは言ってるはずだけど?」

「それ以外が驚くほどないんだよ。もうちょっと色を付けろ。いくら何でもディテールがなさすぎる」

「困るの?」

「困る。とりあえずあの広場の光景を見て戸惑わない奴はいない」

「じゃあ、次からはカラーにしとく」

「ちゃんと単色じゃなくて、色鮮やかにしてくれよ」

 そう言うとすたすたと、重量物を担ぎながらとは思えないほど、軽い足取りで広場に入っていく。うわ、くっきり足跡ついてる。どんだけ重いんだよあれ。

「ねえ、他にもツッコむ所なかった?」

「明らかに重量オーバーなところか?」

「わかってるじゃん。なに、リアルチート?」

「というより人間じゃない」

「ああ、それであの馬鹿力なわけか。無理に聞くつもりはないけど、何系?」

「機械系だ」

「はー、話には聞くけど、ほんとに見分けつかないんだ」

「僕も最初は気付かなくて、度肝を抜かれた」

 普段けだるげな奴が、突然何でもない風に超重量物を持ち上げて驚いた、なんて経験をしたのは何も僕だけではない。そんな、密かに違う方向で驚かせるのが趣味なのではないか、と思われている本人は、お片づけをするような雰囲気で、ガン! ゴン! とシャレにならない重々しい音を鳴らしながら建設資材らしきものを整理していた。素手で。

 なんか近づきがたく、そしてちょっと珍しい光景なため、入り口で覗いていると。

「なにストーカーみたいに覗いてるんだよお前ら」

 背後から聞き覚えのある声が。振り向くとそこには。

「よかった。普通のトモシビ君だ」

「まあ、言いたいことはわかるよ。僕も測さんにはびっくりさせられたから」

 そこにいたのは、セリフがを吹き飛ばすほどの衝撃とは一切無縁の親友トモシビ君。だけではなかった。

「ゆ冬花もいるのか」

 咄嗟に言い換えたせいで、変なお菓子っぽい名前になってしまったが、地雷原は回避した。

「あのね……あなたは……」

 と思ったが、なんか俯いてピキピキしてる。あれ?

「ぎ、ギリギリセーフだと思うんだが」

「本当に?」

「ごめんなさい」

 なんかわからないが、今日は地雷の散布範囲がいつもより広いし、威力も高い。いつもと比べ物にならないほどに不機嫌なゆ、冬花さん。隣に立っていたため、軽く巻き込まれてビビっていた親友が小声で耳打ちしてくれる。

「昨日測さんにいじられたんだ」

 なるほどそれで一日たってもこれほどなのか。オタクちゃんの遠慮の無さと自由っぷりは幽霊少女以上。何があったかはなんとなく想像がつく。

「当日は相当だったろうな」

「下校し(にげ)遅れた奴は、全員不機嫌オーラで恐怖を味わったよ」

 ただ、当日じゃないからか、ピンポイントで地雷を踏まなかったからか、収まりも早かった。

「はあ、まあいいわ」

「いいのか?」

「今回はね」

「はい」

 笑顔って怖いんだな、初めて実感した。

「あと、他にもいるわよ」

 そう言って、自分の背後を指さす。冬花の後ろを覗き見ると、今まで不機嫌オーラに隠れてた、クラスメイト達が見えた。軽く不機嫌オーラにあてられたのか、先頭の何名かが引き攣った笑顔を浮かべていた。攻撃範囲広い上に無差別。恐ろしや。

「不思議ちゃんに委員君に、愉快なクラスメイトまで」

「ちわーっす、瑞希(みずき)ちゃんだよ!」

「だから宗司(そうじ)と呼べと言ってるだろう」

「あと、クラスで一番愉快なのはお前だからな。お前なんかと比べたら、俺たちなんてモブもいい所だよ」

総勢六人のクラスで比較的キャラが濃い者達が集まっている。

「オタクちゃん?」

「質問じゃなくて、確認が先になるていうことは、察しているようだな」

「ま、そういう事だよゾンビちゃん」

 つまりこいつらも、いろいろ無茶なことを言われて、引っ張り出されたのだろう。

「大変だな。君たちも」

「気にするな、私たちもこの企画を楽しみにしているからな」

「そうか……ん?」

 あれ? なんか疲れた感というか、巻き込まれた感が少ない、というかほとんどない。

「そうそう、面白そうだよね自作お化け屋敷」

「まあ、あの材料を見る限り、DIYなんてレベルじゃないけどな」

 え? あれ? んー?

「あ、そういえばちょうどお前いなかったな」

「もしかして、トモシビはオタクちゃんから何か聞いてるのか?」

「ああ、放課後お前が帰った後に測さんが教室に来てな。夏祭りと自作お化け屋敷の話をして、今日お化け屋敷のデザインとか役回りとかいろいろ放し合うから、何人か来てくれって」

「え、なんで? なんでトモシビにはそんなに話してるの? ねえねえ?」

「し、知らないって! それに聞いたのは俺だけじゃないし! てかなんだその本気のオーラ、地味に怖いんだけど!」

「この間だって、トモシビに話した内容を聞いていたら、僕はあんなに苦労しなかったのに。ねえ?」

「俺に当たるなって! 測さんに言いたいことがあるのは分かるけど、このやり取りは冗談だよな! 冗談だったら早く戻れって! 助けて冬花!」

「こら、私の彼氏に当たらないで」

 冬花が割って入ってきたあたりで、トモシビを開放する。むろん冗談ではある。半分は。毎度毎度情報不足に悩まされてるせいで、どうもこう……。

「それで、あなたが幽霊……さん、でいいのかな?」

「イェス! みんなの心臓を飛び出させる、幽霊少女ちゃんだよ! よろしくね!」

 キラッ! という効果音が聞こえてきそうなほど、明るい笑顔と見事な横ピース。一体いつのアイドルの真似なのか。

「そ、そうか。……よろしく頼む」

「よ、よろしく」

「ハーイ、クラスの不思議ちゃん、瑞希ちゃんだよ! よろー!」

 さすがは不思議ちゃん、他の全員がいきなりのはっちゃけ挨拶に軽くひいてる中、一人だけ同じレベルで撃ち返した。あのあだ名は伊達ではない。

 なんか意気投合したのか、イエーイと謎のハイタッチする横を、委員君が通り過ぎる。

「細かいことは何も決まってないのだろう。なら会議は早めに始めた方がいい。時間にも制限がある」

「そうだな。他の連中の為にも、さっさと決めた方がいいな」

「レッツゴー、幽霊屋敷!」

「ゴー!」

「なんでそんなにテンション高いのかな……?」

 真剣なことを言いながら、ふざけながら、戸惑いながら、広場に入っていく。当たり前の疑問を口にしないで、このまま会議する気満々である。

「なあ、君たち。質問イベントスルーしてないか?」

「面倒な言い方などせずに、簡潔に言ってくれ」

「君たちはそこの『幽霊』という存在に疑問を持たないのか?」

 言った瞬間、全員が、「あ、そういえば」というような表情を浮かべて、幽霊少女を見つめる。僕自身はかなりの変人ではあるが、一人を除く全員はいたって普通の学生である。それなのにクラスメイト達は、疑問の一つも挟まず、さながらただの初対面ようにそこに浮いている幽霊少女と接している。

「ああ、確かにすごいけど。ほら、うちの学校には、もっとすごいのがいるじゃん」

 そう言ってまだ、ガンゴン資材をいじっているオタクちゃんを示す親友。

「ああ……」

「納得しちゃうんだ」

「それほどオタクちゃんの数々の所業はすごかったという事だ」

 幽霊さえ凌ぐオタクちゃん恐るべし。






 全員集合という事で、オタクちゃんに案内されたのは、いったいいつの間に立てたのか、広場にあったプレハブ小屋だった。何が驚きって、広さなんてものはほんの些細なことで、長机、椅子、ボード、筆記用具といった会議に必要なものに留まらず、照明、小型冷蔵庫、エアコンなどなど、もうここで住めるだろというレベルで、様々な物が完備されている。こいつほんとにいつの間に用意したんだよ……。

 毎度のことに驚き呆れつつ、快適な環境に感謝しながら、お化け屋敷計画はスタートを切った。とはいえ、一人を除いて情報はほとんどない。最初は遅すぎるオタクちゃんによる情報共有だった。

 お化け屋敷の基礎となる建材は、さっきオタクちゃんが担いでたゴッツイやつ。なんでも、ステージや仮設のアトラクションにもよく使われるもので、土台と支柱以外は素人でも組み立てられる上、組み立ての自由度も高い。土台と支柱の配置さえしっかりしていれば、三階建までいける優秀さ。ただ、重量は人間に持てるレベルを越えているが、オタクちゃんは自分で組み立てるとのこと。重機? 土台部分と、二階以上を組み立てるときの足場用らしい。

「それじゃあ、基本的なコースを作っちゃって。細かい調整はこっちでやるから」

 という丸投げスタイルの割に、会議自体は淀みなく進む。むしろ調子がいいと言えるだろう。

 トモシビ君:「高さは? 三階建てにするのか?」

 オタクちゃん:「建材的には問題ない」

 幽霊少女:「二階建てに地下室がいいんじゃない」

 委員君:「だが地面を掘るわけにはいかないだろう」

 ゾンビ君:「入り口を二階、一階部分を地下室にすればいい」

 幽霊少女:「だね。ごまかしは装飾でどうにかなるだろうし」

 ………

 ……

 …

 委員君:「それじゃあ、ここで二階部への階段というのは?」

 ゾンビ君:「いや、それは曲がり角の先にした方がいい。複雑な印象を与えられる」

 幽霊少女:「階段の途中にお化け役を一人配置」

 冬花:「包帯男とか?」

 幽霊少女:「それは地下室用にとっておいた方がいい」

 ゾンビ君:「場所ごとに統一感を出した方がいい」

 幽霊少女:「じゃあ一階はポルターガイスト中心は?」

 ゾンビ君:「二階がよくある幽霊、地下室がゾンビと死霊系とか」

 幽霊少女:「いいんじゃない」

 ………

 ……

 …

 メガネちゃん:「……幽霊はやっぱり、西洋系……ですよね」

 幽霊少女:「そうだね、洋館に和風の妖怪というのは合わないし」

 ゾンビ君:「イメージとしてはオカルトに傾倒した貴族の廃屋敷かな」

 不思議ちゃん:「じゃあ、五芒星とか、怪しげな祭壇とか?」

 幽霊少女:「あるのはいいけど、さりげなく入れるのがいいんじゃない」

 ゾンビ君:「わかりやすいのを一か所作って、あとはさり気なく配置、雰囲気を作る」

 幽霊少女:「わかりやすいのは、中盤の二階辺りがいいかな」

 ………

 ……

 …

 細かい内装はともかく、概形に関しては速攻で出来上がった。改良の余地はあるだろうが、試運転をしてみない限り何とも言えない。ただ、ひと段落したところで。

「………」

「どうしたのみんな黙っちゃって」

「いまさらこの幽霊少女の破天荒っぷりに引いたわけでもないし」

「いや、引いたというか、驚いたというか……」

 何故か予想外なものを見たような、なんかオタクちゃんの所業をまだ見慣れていない頃の、呆れこみの微妙な表情を浮かべながら言いづらそうにして。

「お前ら、なんでこんなにお化け屋敷に詳しいんだ?」

「ほら私幽霊だから」

「えー……じゃあゾンビ、お前は?」

 幽霊少女相手にこれ以上追及しても、謎の幽霊理論にガードされる事に気付いたようで、早々に諦める親友。

「なんでと言われても。普通だろこれぐらい?」

「えー……」

「いやー……」

「……」

「わー…ぉ……」

「……」

「……」

 六者六様の表情を見せてはいるが、共通の『いやいや、それ違うよ』が見え隠れしている。あれ?

「誰でもできるだろ?」

「いやいや、無理だよ⁈ 初見でこんなのできるわけないだろ」

「いくら何でも、あそこまで細かな部分までは考えが及ばないな」

「いかに効率的に入場者を恐怖に貶めるか、というのを図面を見ただけでひしひしと感じます」

「ほとんどゾンビと幽霊さんが決めたしね」

 順調に進んだ結果、お化け屋敷オタクという、新しい称号がくっ付いてしまった。別にいいんだけど。あれぐらい普通だと思うけどな……。

 その後も会議の勢いは止まらず、役回り、制作分担、仮決め作業スケジュールなどなど、ガリガリと、次々と議題が削れていって、今の時点で議論できることがなくなるという、時間じゃなく、議題の方がなくなる逆転現象が発生。平たく言えばやることがなくなった。あのオタクちゃんが驚くという珍しい表情を浮かべるほどだった。

 後はクラスメンバーの制作する衣装、先に作れる室内装飾、オタクちゃんの手がけるお化け屋敷の基礎の組み立てを待つしかない。

 何日かに分けて決めるはずだったものを一日で片付けてしまったが、会議の終了時刻は当初の予定通りになった。

 各々が家路につく中、オタクちゃんはある程度はやっておこうという事で、重機に乗り込んで土台部分を掘り始めた。

 そんな中、ふと幽霊少女が口を開いた。

「ねえ、ここってなんでこんなに広いの?」

重機という少々レアな光景を見ていた時に、声をかけられて振り返る。

「跡地なんだよここ」

「跡地ってなんの?」

「高層ビル。といってもホテルとか、レストランとか、バーとか、プールとか、ちょっと高級な店とか、色んなもん詰め込んだレジャー施設みたいなものだったらしい」

 ほら、と、指さした先には撤去されずに残った、広場の門にしては立派なゲートがある。

「それが今や更地とは」

「三年前に燃えたらしい。上から下までまんべんなく、こんがりと」

「火災?」

「意図的な、が付く方らしい」

「放火か」

「出回ってる情報が確かならな」

「結構死んだでしょ、幽霊広場って呼ばれるぐらいだし」

「いや、傷者はともかく、死者は数えるほどだったそうだ、かなり客がいたはずなのに」

「へー、奇跡だね」

「この規模の事件だからな、まさに奇跡だ」

「でも……」

 ガシャ、ガシャンと、重機にしては小さい音のおかげで、幽霊少女がそう小さく口にして、切った言葉は聞き取ることができた。幽霊は正門を真っ直ぐ見つめている。三年前の名残を見るように。

「ねえ、あんたの記憶が飛んだのって三年前よね」

「そうらしいな」

「ここだったとか、あんたの記憶が飛んだのは」

「さあな」

「そっか」

「それは君にも言える事じゃないのか?」

 振られるとは思っていなかったのか、幽霊少女は少し驚いて振り返った。

「それ……は……」

「……」

 複雑な、何か胸に詰まったような、表情を浮かべて言葉に詰まる幽霊に、僕も何も声をかけられなかった。

「そう……かもね」

 しばらくして、そう短く言った。

「次から集合場所はここがいいね」

「そうだな」

「正直こっちの方が来やすい」

「うん、それじゃあ、またね」

 そう言って、幽霊少女は広場から去って行く。ついてくるなとも、一人にしても言っていないし、そんな雰囲気も出していないのに僕は進めなかった。

 そして、さながら言い訳のように振り返ってオタクの方に歩いていく。

「なあ、オタクちゃん。今話し大丈夫か」

 声をかけると、重機を操る手を止めて、窓から顔を出すオタクちゃん。

「なんだね、ゾンビ君」

「君は知ってるんじゃないのか?」

「何を?」

「さっきの会話聞こえてたんだろ。なら僕が聞きたいことは分かってる」

「それでも確認しておきたくてね」

 そういうオタクちゃんは珍しい表情をしていた。いつもの考えの読めない微笑とは打って変わって、真剣な。

「……ゾンビと幽霊は何を失ったんだ?」

「……ニヤッ」

「……ッ、わかってるよ、恥ずかしいこと言ってるの!」

「ごめんごめん、ちょっと待ちたまえ」

 エンジン音が止まると操縦席の扉が開き、わざわざ車体についた梯子を使わずに飛び降りて、ドンと着地するオタクちゃん。

「そうだね、ちょっと飲みながら話そう」

「長いのか」

「結構」

 そう言って、自販機の方へ歩いていく。てっきり飲み物を買った後に始まると思ってついっていったが、突然言葉がかかる。

「ゾンビ君は、奇跡をどう思ってる?」

「なんだいきなり?」

「別に難しい答えじゃなくていいよ、素直に、奇跡をどうとらえているかを言ってくれればいい」

「……」

 頭の中で軽く言葉にまとめて口にする。

「あり得ないこと、物凄く可能性が低いことが起こる」

「まあ、ごく普通の奇跡だね」

「素直に言ったつもりだが?」

「もちろんそれでいい」

 自販機の前につくと、どれにしようかというように、指さししながら選ぶ。

「ただ、話しやすくするために『本来ならあり得ない事が起こる』としておこう」

「難しい話か」

「理解出来ることを願う」

 二つのボタンを押して、ガランガランと音を立てて、取り出し口に飲み物が落ちる。その内片方の缶をこっちに投げながら言う。

「それじゃあ奇跡は起こせると思うか?」

「そりゃあ不可能じゃないだろ、ってこれブラック。僕が飲めないの知ってるだろ。これはおごると見せかけた……」

「いいから、騙されたと思って飲んでみな」

 ほらほら、ウィンクで左目を閉じながら、やけに勧めてくるオタクちゃん。よくわからんが、この黒さの主張が激しい、明らかに甘さのかけらもない物を無理に飲ませようとするからには、何か理由があるのだろう。万が一のいたずらの類ではないことを願いつつ、ふたを開けて口をつけ。

「は?」

 思わず疑問がこぼれる。

「どうした、苦くないのか?」

「苦いは苦いけど……」

「けど?」

「これは……お茶?」

 そう、真っ黒でどう見てもブラックコーヒーのラベルにも関わらず、中身は紛うことなきお茶。何度飲んでも、手に乗せて見ても薄緑のお茶の色。

「すり替え……いや、ずっと見てたからありえない」

 オタクちゃんは取り出した缶を、そのまま投げて渡した。彼女の手から離れるまで、一度も視界から隠れていないし、彼女も何かした様子はない……はず。

「オタクちゃん……これ……」

「その前に、もう一度よく缶のラベルをよく見てみて」

 彼女に促されるまま、恐る恐る視線をずらしていき、その先には……。

「なあ……、僕はおかしくなったのか」

 引き攣った顔を浮かべているのが自分でもわかる。辛うじて言葉を返しているが、何も言えなくなってもおかしくない。何せ一度も放していない手の中にある缶は、どう見たって黒いコーヒーではなく、薄緑色のお茶。

「おかしいとしたら、私の方だね」

「何かしたのか」

「もちろん。でなければ『あり得ない事』は起こりえないでしょ」

 オタクちゃんは平然と言う。

「全ては決まっている。原因と結果は必ず繋がり、必ずその世界の(ことわり)通りに進んでいく。不可能の入り込む余地などない。当然あり得ないことなど起こりようがない」

 当たり前の事であるかのように言う。

「けれど、理の外側、我々が運命だと呼ぶ、世界の理すら出力している何かがあるとしたら? そんなすべての元になる何かをいじれるとしたら? この世の全てを書き換えられるとは思わないかい」

 ウィンクを混ぜて、あっさり言ってしまう。

 これを聞いていったいどれ程の者が真面目に取り合うだろう。これを冗談ではないと信じるだろう。僕だって彼女が『何か』しなければ、電波少女と思って終わっただろう。今でもこんなことしか言えない。

「ダークファンタジーの、頭のおかしい事みたいに聞こえるな」

「そういう頭のおかしい事を、真面目に研究してるのがいるんだけどね」

「ますますゲームの設定っぽいな」

「創作で終わらせないのが『研究者』なんだよ」

 ため息交じりに言って、飲み終わった缶をゴミ箱に放る。カンっと枠にぶつかって、外に飛んでいく。

「本当にやり過ぎだよ。パッケージ化は便利だけどさ……」

 唐突に落下が止まり、はじかれる様に上に飛んで、不自然な軌跡を画いてゴミ箱に入る。

 あり得ない事。まさにそうだ。本来こういうことは起こりえない。『本来ありえない事が起こる』、これを彼女は何と言った。

「……なんでもできるのか?」

「なんでもできる。情報処理能力さえ足りれば何でもできる。おおよその者が思いつく事は何でも。反射する光を弄るなんて序の口」

 彼女は僕の方に振り返って言う。

「まさに『奇跡』でしょう」

 彼女の言う通りならば、それはまさに『奇跡』だろう。あらゆるものが夢見た『奇跡』だろう。

「でも、そんな話聞かない」

「聞くわけがない。『奇跡』があふれれば、命の価値も下がる、と言っても分からないよね」

「さっぱり過ぎる。というか単語の含意が違うから余計に分かりづらい」

「『研究者』は独特過ぎるからね」

 表現が難しいのか、腕を組んで考え込んだ後。

「命は有限故に価値が……これもあれだし……まあ、『奇跡』を起こせる人多すぎると危ない、という理由でも納得できるでしょう。悪い人がそうなったら危ないでしょう」

「だから、『研究者』は『奇跡』を独占しているのか」

「おまけに相当質の悪いやり方でね」

「質の悪い?」

「グレードダウンしたもの。パッケージ化され誰でも使えるものであれば、基本的に『研究者』であれば誰でも使うことができる。私が使ってるのもこれ」

「それだけでも十分危なそうだけどな、それでいいのか」

「裏切るやつはそもそも『研究者』に採用されないからね」

 小さく溜息混じりに「それも過去形になったが」と小さくつぶやく。

「その劣化奇跡で餌付けか」

「だとしても、それは紛うことなき『奇跡』。悲劇を、変えようのない結末を覆す『奇跡』。例え相応しい代償が設けられていたとしても」

 軽く俯いていた視界の中に彼女の手が入り込む、手招きするように視線を誘う。

「そうだね、気取った言い方をすれば『有償の奇跡』かな」

 誘われて彼女の顔に移動した視線。その先にあったのは彼女の左目。幽霊少女のと同じように瞳に淡く浮かび上がる歯車模様。

「これは『奇跡』の証。『奇跡(書き換え)』を行えば必ずこれが出る、これは『研究者』の設けた決まり。形だって同じ所属だからだよ」

 左目の付近に手を当てながら言う。

「じゃあゾンビ君。『奇跡』の代償ってなんだと思う。この世を捻じ曲げるにふさわしい代償は何だと思う」

 彼女はまるでヒントのように、ツンツンと自分の頭を突く。

 それは、まさか……。

「記憶……か」

「だってそれが、命にとって最も大切な物だからね」

 そう話した後、彼女の瞳からは歯車模様はなくなっていた。

 僕は自販機の前に立って言った。

「ほんとに長くなるね」

「まだまだ長くなるよ」

 小銭を放り込んで、ボタンを二つ押した。




<><><><><><><>




 ………………

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …


 いつも通りの目覚め。それでも何も覚えてないのは、この何日かで初めて。

「なにも見えないか」

 三年前のあの日の記憶。あやふやだったあの日の記憶。

 何日も続いて、ついに確信にたどり着きそうな部分で夢は途切れた。

「割と期待したんだけどな」

 これより前は見えない。記憶があやふやなんてレベルではなく、そもそも何もないように、綺麗さっぱり、何一つ映らない。

『この世を捻じ曲げるにふさわしい代償は何だと思う?』

 その言葉が蘇る。






 お化け屋敷計画は順調に進んだ。

 もちろん装飾作りとか、衣装制作とか、幽霊少女が結構凝ったものを目指したため、一時期は危機感に駆られたが、不思議ちゃんとメガネちゃんの活躍で苦難を脱することができた。超短い会議と、オタクちゃんが組み立てを積み木感覚で速攻で終わらせて余った日数も役に立った。正直衣装とか、小物が一番時間かかったんじゃないかな。なんやかんやでいろいろあったが、クオリティーを維持しつつも、おおむねスケジュール通りに進めることができた。

 そして迎えたお化け屋敷の試運転の日。

「ほぇ……」

「すごい……」

「これ私たちが作ったんだよね!」

「これは……さすがだな」

 幽霊コスプレに身を包んだクラスメイト。裏方スタッフの学生達、見学に来た教師たちなど。出来上がったお化け屋敷を見上げながら、それぞれ感想を口にする。廃墟でありながらも、過去の栄光が見え隠れするようなデザイン。幽霊少女がこだわりまくった事もあって、随分といい出来になっている。つまり相当に不気味である。

「はーい、全員注目」

 掛け声と手をたたく音に、全員がオタクちゃんに注目する。

「全員準備できたみたいだし、さっそく試運転始めるよ」

「えー、もうかよ」

「問題点の洗い出しと調整にも時間がかかる、それに今はスケジュールに余裕がない。やるなら早い方がいい。みんな配置に……」

「ちょっと待って!」

 各々動き出したところで、怒気の含んだ大声と、勢いよく開かれた控室の扉に気を取られて皆立ち止まり振り返る。そして、ずかずかとオタクちゃんに詰め寄る少女に視線が釘付けになる。まあ無理もないだろう。

「ちょっとこれどういう事! なんで私の衣装がこれになってるの! 打ち合わせと違うんだけど!」

「いいじゃない。似合ってるよ、雪女ちゃん」

 白を基調とした和服に、所々雪の結晶を思わせる飾り。もともとの白い髪と整った顔立ちが合わさり、本来の雪女との違いはともかく、実に人目を集める姿になっている。もちろんいい方で。

「あなたね……! そもそもお化け屋敷のコンセプトは西洋風でしょ!」

「わー! すごい似合ってる! まさに雪女って感じだよ!」

「最高だよ! 雪女ちゃん!」

「瑞希ちゃんに幽霊ちゃんまで……」

「まあまあ、おやゾンビ君にメガネちゃん、連れてきてくれたかね?」

「親友のために空気を読んでな」

「これは彼氏さんに見せてやるべきだと思い、連行してきました」

 冬花が控室から出てきたあたりで、ちょうど隣にいたメガネちゃんとアイコンタクトで通じ合い、少年を無理やり引っ張ってきた。

 そして仮装した親友を前に、軽く突き出す。

「と、トモシビ!」

「や、やあ、冬花」

「ほらほら、彼女さんに何か言うことがあるんじゃないのか?」

 恥ずかしさからなのか、若干ぎこちなく挨拶をする二人に、ウリウリとあおりを入れるオタクちゃん。

「えっとその、……似合ってるな……」

「……! そう、あ、ありがとう……」

「……(ニヤニヤ)」

「……(ニヤニヤ)」

「……(ニヤニヤ)」

「……(ニヤニヤ)」

「何よ!」

「いや何でも、さあみんな準備して」

 先ほどとは打って変わって、ニマニマしながら、そして何名かはトモシビに殺意を飛ばしながら、お化け屋敷に向かっていく。

「さあ、冬花ちゃんも受付に行って」

「あんた覚えときなさいよ」

「覚えるだけはね」

 そう言ってスタスタと、コントロールルームに入って行ってしまう。

「それじゃあ僕も行こうか」

 オタクちゃんがお化け屋敷の電子機器関係の管理専門にたいして、僕の方は総合監督。聞こえはいいだけで、ただの何でも屋の雑用係。お化け屋敷の最終的な構造チェックも仕事に入ってる。幽霊ちゃんは当然屋敷での幽霊役。

「さて、さっさと済ましてしまおう」

 コースも配置もすべて知ってるし、事前に細かいチェックもしたから、やるのは最終的に見て回るだけ。見学に来た先生たちの体験隊の邪魔にならないためにも、ゆっくりはできない。

「それにしても、よくできてるな……」

 入る前に最後、屋敷を見上げてそんなことをつぶやいた。






「どうだった、ゾンビ君」

 一周回って入り口に戻ってきたところで、待ち構えていたオタクちゃんに声をかけられた。

「コントロールはいいのか」

「助手に任せたから大丈夫。で、感想は?」

「特に気になるところはなかった。仕掛けは正常、お化け役もしっかりやってた。こう言ったら偉そうに聞こえるけど、学生のお化け屋敷にしては十分すぎると思う」

 まあ使ってる材料や参加している者に、学生らしからぬのが混じってるけど。

「それじゃあ、後は体験隊の帰還を待つだけだね」

「僕のすぐ後に入ったみたいだから、たいして時間は掛からないと思う」

「そうか、じゃあここで待っていようか」

 そう言って、缶を一つ渡してきた。注意してみても、しっかりとお茶と書いてある。

「おごられるようなことしたっけ?」

「後で請求する」

「好きなのを買ってきてくれてありがとう」

「どういたしまして」

 缶を傾けて中身を口に入れる。予想通りお茶の味がした。

「心配しなくても、何もしていない。あれは好き勝手に使えても、好き勝手に使うものじゃあない」

「それなら安心だ」

 お化け屋敷について話すこともないし、適当にだべること少し。

「さすがに遅いな」

 いくら飲むペースが速かったとしても、缶の中身がなくなりそうになっても、体験隊が帰還しないのはおかしい。

 するとオタクちゃんの携帯に連絡があった。

「どうした……なるほど、わかった。すぐに行く」

 最初こそ気軽そうに話しかけていたが、すぐに深刻そうに言って、携帯をしまう。

「問題発生だ」






「ヒック……」

「……」

 体験隊としてお化け屋敷に入った担任と女教師の二人。片方は涙ぐみ、担任もお世辞にも顔色がいいとは言えない。今は外にあるベンチで、生徒に慰められている。

 最初に異変に気付いたのはお化け役の人だった。前のチェックポイントから体験隊通過の連絡がありスタンバイしていたが、一向に姿を現さない。さすがに変だよと思ったらしく、コントロールに連絡。連絡を受けた助手さんがモニターをチェック。コースに配置された暗視カメラは録画機能は付いてないが、うずくまって立ち往生していた体験隊を発見するには十分だった。すぐにオタクちゃんに連絡が回り、僕とオタクちゃんの救助隊がお化け屋敷から二名を救出。そして今に至る。

 続々とお化け屋敷学生スタッフが集まり、心配するような、申し訳ないような表情が増えていく。後から来た学生スタッフも詳しい事情を聴いてなくても、見ただけで察して似たような表情を浮かべる。

「ねえ、何があったの?」

 不安を滲ませた声で話す幽霊少女。不安なのは幽霊少女だけではない、集まった学生は皆浮かない表情をしている。

 お化け屋敷を見上げる。出来栄えがいいから、最高と言えるほどだから、だからこそ知りたいのだろう。この屋敷は、自分たちの努力はいったい何がいけなかったのか。

「……欠陥はない」

 それは間違いない。だって僕や幽霊少女、クラスメイトだけではない、オタクちゃんが隅々まで確認してゴーを出した。チェックだって怠らなかった。全員が見落とすような欠陥なんてない。

「じゃあ……」

「出来過ぎたんだよ」

 この屋敷は、お化け屋敷として出来すぎている。チェックしても問題が出てこない、このお化け屋敷に違和感が出てこなかった。内装もコースの構造も、アトラクションとしての雰囲気が一切感じられない。それはつまり、遊び場としてのお化け屋敷ではなく、本物のお化け屋敷に限りなく近いという事になる。少なくとも体験隊は、本物のお化け屋敷に迷い込んだように感じたのだろう。

「どうやら怖すぎたようだね。ちょっと濃いぐらいかなと思ったけど、一般からしたらそんなレベルじゃないようだね」

「薄くしないとだめか」

「アトラクションの恐怖は濃すぎず薄すぎず。恐怖を味わうことはあっても、恐怖に落としてはいけない。後で笑い話にならなければ、それはただのトラウマだ」

「それじゃ……」

「ま、待ってよ……」

 わざとアトラクションっぽい雰囲気を出すために、削る場所を考えていると、今まで黙っていた幽霊少女が口を開く。

「ちょっと……待って……その…………」

 歯切れが悪く、言葉に詰まる。きっとみんな不思議に思っているだろう。幽霊少女の声に謎の焦燥をおぼえているのはきっと僕だけだろう。

「変え……なくても……いいでしょ……」

 その言葉がどういうものなのか自分でもわかっているのだろう。俯いて、弱弱しく、途切れ途切れの言葉を絞り出す。

「でもこのままじゃあ、誰も来なくなりますよ。それじゃあ……」

「だって……幽霊屋敷……だよ……」

 彼女の抱いた不安は、きっとこの場にいる誰とも違うのだろう。

「いいよ……これでいいよ……そうだよねゾンビ君……」

 それは、彼女が張り続けたものを根底から揺るがし、縋りついたものを否定される類のものだ。

「……ゾンビ君?」

 幽霊である事。それは、自分を証明する記憶をなくした、幻の様な彼女にとって唯一自分を証明する言い訳だったのだろう。だからくどいほどに『幽霊』を張り続けた。

 でも、僕は知った。あの日知って、今日まで話せなかった。『幽霊』を、全てを説明できてしまう真実を。

そして気づいてしまったから。君がもう『幽霊』を続けられない事に気づいてしまったから。

 例え君がもうゾンビを目にしたくないと思ったとしても。僕は伝えなければならない。

 あの時の、二人の願いのために。二人の残した『記憶(たからもの)』に苦しまないために。

「なあ、もういいんじゃないか」

「やめて……」

 君も気づいてるんだろ。例え言葉にできるほど明確じゃなくても、不安が蝕むほどの事に気づいたんだろ。だから『幽霊屋敷』を、『幽霊』を張り続けられる場所を求めたんだろ。

「言わないで……お願い……」

 嗚咽すら含む声で、幽霊少女は声を絞り出す。僕の心も締め付ける嗚咽を。

 それでも言わなければならない。僕も君も聞かなければならない。そうじゃないとずっとここにしかいられない。もう先には進めないから。

「もう、『幽霊』を張らなくても」

 彼女は息をのむ。

「っ……、なんで言うの……!」

 嗚咽。

「私にはこれしかないのに……!」

 涙を流しながら。

「わかってるよ! もう『幽霊』は使えないって! 自分を『幽霊』だと認められないって」

 崩れたものを思いながら。

「焼け残った曖昧な記憶が、『幽霊』を否定するんだよ…」

 彼女は言う。

「それでも、これしかないから……」

「でも、それじゃあ進めない……」

「あなたに、何が分かるの!」

 彼女に近づいて、差し伸べた手を打ち払う。

「自分の奥底にある燃え残りが、自分を否定する気持ちなんて! すべてを忘れたあなたには、何が分かるっていうの!」

 心の悲鳴のような言葉を残して、彼女は飛び去って行く。最後の望みを探すように、幽霊屋敷に飛んでいく。

「だとしても、知ったことはあるんだ!」

 僕は走り出す。

 伝えなければならないことがある。

 言わなければならないことがある。

 彼女を追って走り出す。

「屋根裏だ。登れる場所は覚えてるよね」

「ありがとう、オタクちゃん!」

「いいんだよ、私は何もできなかったから」

 だとしても、僕は君に感謝する。

 君が教えてくれたから、僕は彼女に教えることができる。

 もう消えてしまった事を、彼女に教えることができる。

 階段を駆け上がり、梯子に飛びついて。知り尽くしたお化け屋敷を目的地を目指して駆け上がる。そして最後にパネルを押し上げる。三角形の屋根裏部屋は決して広いわけではない。思いっきり押し上げたパネルは、そのまま屋根にぶつかり、大きな音を立てる。

 それでも彼女は見上げていた。

 開かれた廃墟の大きな傷だらけの丸窓。その前に座った彼女は、赤く染まった夕焼け空を見上げていた。

「はぁはぁ……、僕は全部消えたけど、君はそうじゃないだろ」

 息を切らしながら言った言葉に彼女は答えなかった。代わりに静かにこう言った。

「あの時も見上げていた」

 まだ嗚咽の含んだ。

「とても大切なものだった。絶対に失えないものだった」

 懐かしむような。

「でも思い出せない。どうやっても思い出せないの」

 悲しむような。

「何よりも大切なはずなのに」

 諦めたように呟く彼女。

「じゃこういうのに見覚えはあるか?」

そう言って、僕に背を向けて座っている彼女を床に引き倒す。

「……」

「……」

 僕と彼女は何も言えなかった。

 座った僕は彼女を見下ろす形になった。

 床に寝かされた彼女は僕を見上げる形になった。

 しばらくそのまま相手を見つめていた。

 そして、彼女は涙に濡れた顔のまま小さく笑った。

「ああ、これだよ」

「本当に?」

「不安そうに確認するんだね」

「これで間違ってたら、恥ずかしいどころじゃないからな」

「あなたは見覚えはないの?」

「僕のは全部消えたからな」

「そうなんだ。失ったんじゃないんだ」

「ああ、綺麗さっぱり消えた」

 彼女が微笑むようなこの時でも、僕は何も思い出すことは無い。三年のあの時より前を思い出すことは無い。

「じゃあなんで知ってるの?」

「聞いたんだよオタクちゃんから」

「昔から知り合いだったの?」

「そう、結構の。だから全部知ってたよ」

「あなたは信じるの?」

「信じる。あいつは僕にあだ名を教えてくれたからな」

「そう、じゃ教えて。あなたが知ってる事」

「もちろん」

 だから僕は話した、三年前のあの日の事を。三年前の二人の兄妹の事を。




 …………

 ………

 ……

 …

「僕たちは兄妹だったらしい」

「似てないね、義理?」

「血は繋がってる」

「マジか……」

 …………

 ………

 ……

 …

「両親は『研究者』だったらしい」

「わぉ、都市伝説が現実に」

「と言っても平の研究員だけど」

「まあ、そんなとこだろうと思った」

「ちなみにオタクちゃんと同じ所属だったらしい」

「おまけが一番衝撃的なんだけど」

 …………

 ………

 ……

 …

「僕たちは愛し合っていたらしいよ」

「おや、禁断の愛ってやつか」

「実感はわかないけど、記憶とは関係なく、脳に回路としてちょっと残ってるらしい」

「私はちょっと納得。だから大切なんて言葉があったんだと思う」

 …………

 ………

 ……

 …

「どうも僕たちはお化けオタクだったらしい」

「それで私とあなたはあんなに詳しかったんだ」

「ちなみに、幽霊もゾンビも学園祭のコスプレが原点」

「通りでお互いに合うわけだ」

 …………

 ………

 ……

 …

「あと君は死んでる事になってるらしい」

「まあ、こんなんだからね」

「君が『幽霊』だと言ったのも納得だ」

「でも、なんで死ななかったんだろう」

 そう言って床に寝たまま、焼けて布のなくなった部分の腹部をさする。

「三年前のあの日、きっとこんな風に見上げていた」

「ああ」

「そして、お腹には瓦礫が乗ってたのかな」

「だろうな、それも大量の」

「痛かっただろうね」

「大量出血は間違いなし、千切れていたって不思議じゃない」

「ますます死んでないとは思えないよ」

 溜息を吐き出す。

 これが最後の空白。今と三年前を分かつ最後の断絶。

「『研究者』は『奇跡』を起こせる」

「は?」

 いきなり言ったことに対して、そういう彼女。まあ普通はそうなるよ。

「見える色を変えるとか、ものを浮かすとか、『本来ならあり得ない事』を起こすことができる」

「本気で言ってる?」

「本気。ていうかオタクちゃんが実際にやって見せた」

「マジか……、リアルチートか」

 呆れた声を出しつつも、彼女は僕の言葉を受け入れてくれる。

「でも、奇跡と言うからには、それだけじゃないんでしょ」

「ああ、奇跡と呼ぶだけあって、何でもできる」

「何でもかー」

「そう何でも。瀕死の少女をどうにかするのもね」

「でも、ノーコストとはいかないでしょ」

「もちろん。カッコいい言い方をすれば『有償の奇跡』」

「有償か……」

「二人が両親から渡され、教えられていたのはこれだった」

「消えるのは……記憶かな」

「ご名答」

「さすがに察しが付くよ」

 左目の辺りに手を当てて言う。

「つまり私とあなたは『奇跡』を起こした」

「どんな形だったとしても、死ぬはずだった少女を生かした」

「私たちの記憶を代償として。あれ? でも消えてる量が違う」

「愛した女の代償を少しでも多く肩代わりしようとしたらしい」

「それで、あなたは全部消えたのね。カッコつけ」

 ツンツンと僕の額を突く少女。

「でもさあ、二人は本当に奇跡を起こせたのかな?」

額を突いていた右手で、僕の頬に触れて言う

「私はもうあなたを愛していない。あなたももう私を愛していない。これが奇跡なのかな?」

「少なくとも三年前、二人にとっては、きっとすべてを賭けようと思える奇跡だった」

「じゃ今はどうかな?」

「さあな」

 これは僕と彼女が抱いた疑問。僕たちが残した疑問。

「まあ、その内答えが出るだろう」

「その時、私とあなたはあれを奇跡と呼べると思う?」

「どう呼ぶかは僕と君次第、じゃないか、祈ちゃん」

「それもそうね」

 お互いを見つめて小さく笑う。僕と彼女は初めて心の底から笑えたのだろう。

「それじゃ、そろそろ下に戻るか」

「ああ、そういえば、泣いて叫んで飛んできたんだった」

「言う事は決まってるか」

「もちろん。サクッと謝って、そして、お化け屋敷を成功させる」

「そうか」

「そんじゃ行くぞ! 掴まれい!」

「って、ちょっと!」

 僕の手を引いて無理やり進む彼女。

 そのまま僕と彼女は、大きな丸窓から幽霊屋敷を飛び出した。


神奈川工科大学文芸部 COMITIA128配布作品

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