第三話
「お疲れ様でした。お先に失礼します。」
一日の業務が終わり、美菜子はホテルの総務課に日計報告書を提出していた。
ホテルの事務所にはまだ多くのスタッフが残っているため出入り口での挨拶は声が大きくなる。
「菅田さん、ちょうど良かった」
ドアに手をかけた美菜子に声をかけてきたのは、婚礼課支配人の越智宗一朗だ。
美菜子はドアから手を放し、手招きしている越智の元へ行った。
「相沢」
越智が声をかけると、デスクで荷物整理をしていた人物がやってきた。
「紹介するね、婚礼課に移動してきた相沢です。こちら衣装室の菅田さん。」
「今日からホテルの婚礼課勤務になりました、相沢です。」
越智に続き固い挨拶をしている相沢に、美菜子は動揺しつつ挨拶をする。
「衣装室に勤務しています、菅田です。」
二人がお互いに頭を下げ挨拶していると、越智が苦笑いした。
「固いなぁ、山口さんから同じ学校だって聞いてたのに」
確かにその通りだった。
今、本人に会うまで美菜子は同姓同名の別人と自分に言い聞かせてきた。
それが、美菜子の恋愛失敗談第一号の初恋の相手が目の前にいる相沢だった。
「一応勤務中ですから」
越智支配人に困ったように笑いながら話す相沢に、美菜子は懐かしさを覚えた。
数年前の地元での成人式では話すどころか、目も合わせられなかった。
その相沢が話している声を聞くのは久しぶりだ。
だから忘れていた
「別に俺、彼女と親しかったわけではないので」
自分は相沢に嫌われてしまった事を。
爽やかな笑みのまま吐き出された言葉に、美菜子は俯いてしまう。
「あ、そうなんだ。」
確認するように越智支配人が自分を見ていることに気が付き、慌てて繕った笑顔でこたえる。
「そうなんですよ。」
越智支配人を見ることはできても、相沢がどんな顔をしているのか怖くて見れなかった。
嫌な感じにはなってしまうが、時計を横目で確認した。
「ごめんね足止めしちゃって。お疲れ様。」
「いえ、お疲れ様でした。」
美菜子は相沢を見ないように俯き足早に事務所を後にした。
「ロッカールームがないのは不便よね」
いつもより多い荷物に山口はため息交じりに愚痴った。
「そうですよね。せめて着替えて仕事したい。」
山口に賛同したのは美菜子の後輩にあたる二宮葵だ。
二人が言うように、衣装室にはロッカーもなくいつも荷物は事務所に置いていた。
「確かに。」
美菜子もいつも置いている場所ではなく足もとから荷物を取り出しながら賛同した。
「さっさと着替えていどうしないと」
そういうと、二宮は着替えの入ったバックと共にフロアーにあるフィッティング室に入った。
「急いだって時間通には始まらないわよ。」
二宮にこえを掛け、山口も別のフィッティング室へ入って行った。
美菜子も重い足取りでフィッティング室に入る。
いつもはスーツで帰るが、今日は着替えなければならない。
今日は婚礼課の歓迎会に各テナントも出席するため、スーツでは出席できない。
集まりに参加すること自体は好きだったが、今日のメインである相沢を思うと気が重くなってしまう。
「せんぱーい、まだですかぁ?」
だらだらと着替えていると外から二宮にせかされてしまう。
仕方なく、美菜子は素早く着替えフィッティング室のカーテンを開けた。