第二話
「おはようございます。」
社員用の大きな玄関。
その横にある警備室で鍵を受け取る。
県最大の企業が誇る高級感漂う人気ホテルには、さまざまなテナントが入っている。
中でもホテルが力を入れている婚礼課と切っても切れない場所。
婚礼衣裳を扱う衣装室こそ、美菜子の勤務先である。
すれ違うスタッフと挨拶を交わし、衣装室の扉を開いた。
「おはよう」
美菜子が掃除を始めると、スタッフが出勤してきた。
この衣装室のチーフである山口紗奈恵だ。
「「おはようございます」」
二人で掃除を進めていくと、スタッフが二人出勤してきた。
パートスタッフの坂下良子と、西田智子だ。
掃除も終わり、それぞれの業務をこなすため分かれていく。
「菅田さん、今月のイベント用のドレスどうします?」
西田に問われ、美菜子は衣装室内のドレスケースを眺める。
今月のブライダルイベントは、チャペルでの模擬挙式と模擬披露宴の二部構成だ。
モデルに選ばれているホテルスタッフとドレスを頭の中で合わせていく。
「確か、今週新作が入荷予定ですので」
先日山口から伝えられた入荷日を思い出した。
「チーフ、新作出してもいいですか?」
フロアから事務所にいる山口に大きな声で許可を求めた。
すると、少し不機嫌な山口が事務所からフロアに出てきた。
「菅田さん、フロアーで大声出さないで下さい」
朝の挨拶が嘘のように、低く他人行儀な言葉に美菜子はバツの悪い顔をした。
「気を付けます」
この衣装室に移動してから何度も行われるやり取りに、近くにいた西田は苦笑いだ。
「新作は出してもいいわよ」
いつも通りの柔らかい言葉づかいに美菜子は微笑む。
「はい!」
ちっとも反省が見えない大きな返事に山口は溜息。
美菜子はそんな山口の様子に気づく様子もなく上機嫌だ。
「さっそくモデルさんに伝えないと」
嬉々として内線を掛けようとする美菜子を制止する声がかかる。
「それは入荷してからよ!」
「それは入荷してからの方が!」
西田と山口の見事なハモリに三人目を合わせ笑い出す。
「細かい日にちは指定してないんだからね。」
山口の言葉で自分がついさっき、今週入荷と言っていたことを思い出した。
美菜子は顔を赤くしてカラ笑いしてしまう。
「そうでした。」
顔を描きながら小さな声の美菜子に、西田と山口は笑ってしまう。
和やかなまま業務は進んでいった。
「それで朝は賑やかだったんだ。」
今朝の一件を聞いた坂下が微笑ながらお茶を口にした。
昼食は交代で社員食堂に行くため、三時で帰る西田以外のスタッフの息抜きは午後の休憩だ。
その事務所での休憩で朝の話になり、美菜子は居心地悪そうに視線を泳がせ別の話題を探す。
「そ・・そういえば、婚礼課には誰か来るんですか?」
ちょうど一年前は美菜子がこの衣装室に移動してきたこの季節を思い出した。
「知りたい?」
このホテルのスタートと共にテナントである衣装室勤務をしている山口は大概の事情を知っている。
その山口が意味ありげに続ける。
「今月で退職が決まってる人がいるからね、別の式場で婚礼課にいるみたいよ」
退職と聞いて、妊娠をきっかけに退職する婚礼課のおっとりとしたスタッフを思い出した。
「元気な赤ちゃん生まれるといいですね」
微笑む美菜子に坂下が楽しそうに話す。
「菅田さんもいい人見つけなきゃ」
まったく浮いた話も出てきたためしのない美菜子は苦笑いしかない。
「そうそう、移動してくるのは男の子だよ」
山口はからかうように言う。
学生時代も、社会人になってからも恋愛失敗談ばかりの美菜子は、
良くも悪くもこの手の話題で必ずいじられる。
「別に性別を聞きたいわけでは・・・」
この前も美菜子の恋愛失敗談で盛り上がったことを思い出し、つい声が小さくなった。
「相沢優人」
聞き覚えのある名前にドキリとする。
久しく聞いていないその名前は、美菜子の初恋の人と同じ名前だった。
「どんな子なんだろうね」
「さぁ、会ったことはないのよ」
俯いてしまった美菜子をおいて、二人は盛り上がる。
「話によると、イケメンらしいのよ」
山口はホテルスタッフとの会話を思い出しながら話を広げる。
「しっかりしていて仕事できるみたい」
山口はここまで話、まったく無反応の美菜子に気が付いた。
「どうしたの?菅田さん」
「いえ、なんでもないですよ。」
考え込み、落ち込んでいた気持ちを振り切るように微笑む。
「彼女いるか気になるね」
坂下は美菜子に微笑みかけながら言った。
「結婚はしてないみたいよ」
山口にまでそんな言葉をかけられ、また美菜子は苦笑いするしかなかった。
「あら。もうこんな時間」
坂下の声で休憩時間は終わりを告げた。
「お疲れ様でした」
一日の仕事が終わり、美菜子は朝と同じ警備室に鍵を返却した。
社員駐車場で山口と別れると自分の車に乗り込む。
春に近いこの季節は車内温度が低い。
ひんやりとしたハンドルを握り、美菜子は家路へと急いだ。