第一話
賑やかな教室の外、暖かな光りを浴びたベランダに少女は誘われるようにたどり着く。
足もとに視線を向けると一人の少年が一冊の本を読んでいる。
その本を見たとたん、少女の顔色は見る見る青ざめていく。
本から視線を少女に移した少年は、口元だけで微笑んでいる。
しばらく立ちすくんでいた少女は、弱々しく少年に話しかけた。
「何・・・読んでるの?」
少女の声は若干震えていた。
「それ。こっちのセリフ」
爽やかな笑顔で少年は少女に読んでいた本を渡し、立ち上がる。
ゆっくりと近づいてくる少年に少女は渡された本を握りしめることしかできない。
スローモーションの様に少年は少女の横を通り過ぎる瞬間
「気持ち悪いんだよ!」
少年にしては低いその声に少女の瞳から涙が零れた。
「っ・・・」
目覚めた女性。菅田美菜子はゆっくりとベットから体を起こした。
「はぁ」
汗ばんだ体を落ち着かせようするが、溜息で失敗に終わった。
心音を確かめるように胸元を抑え、掛け時計に目をやる。
「悪夢のお陰で早起きだよ」
普段より早い時間を知らせる時計にまた溜息。
悪夢。
美菜子の初恋が実ることなく終わったあの日。
久しく思い出すことのなかった過去の出来事に朝から憂鬱になってしまう。
「気持ち悪いよね」
囁きながら美菜子が見たのは、一人暮らしの彼女の部屋には似つかわしくない大きな本棚。
感傷に浸りかけている自分の心を叱咤しつつ、ようやくベッドから抜け出した。
「おはよう。蝶さん」
一人暮らしを始めてからの日課であるテレビ番組の司会者に挨拶をする。
蝶ネクタイがトレードマークの司会者は、爽やかに番組進行をしている。
しばらく番組を見ていると、時間がかなり過ぎていた。
「やばっ」
美菜子は、悪夢を記憶から追い出し急いで出勤支度にかかった。
ようやく支度が終わり美菜子はテレビを見た。
番組は既に変わり、別の司会者たちがニュースを伝える。
いつもと変わらない時間に支度が終わったことを理解し、美菜子は安堵する。
「行ってきます!」
司会者への挨拶が終わると、電源を切りコートを羽織る。
玄関の鍵を掛けると、少し冷えた風が首筋を通り抜けた。
急いで駐車場の車に乗り込むと、冷えた風から遮断される。
日差し避けのサングラスを掛け、車にキーを差し込む。
低いエンジン音と共に流れてくる音楽。
最近気に入っている流行りの曲を口ずさみながら、美菜子はアクセルを踏んだ。
今日もいつもと変わらない道を通り、美菜子の一日が始まる。
それは、今朝の悪夢を忘れてしまうほど変わらない一日の始まりだった。