アヤカシの村・灯葉村
「わかったらさっさと帰れ。ここはニンゲンの来るところじゃない」
「わたくしに帰るところはございません。村に棄てられた身です」
去ろうとした李月を引き留めた。
もう帰る場所はない。真琴がそう言うと、哀れむような何か複雑な思いを込めた目線を向けた。
(いっそのこと、あのとき死んでいれば――)
どうしようもない後悔が脳裏に浮かぶ。
いっそのこと殺してほしい。
さっきまで感じていた死への恐怖を忘れて、言葉にしようとした時だった。
「…………はあー。しゃあねぇな、ついて来い」
不意に言われた李月の言葉に、真琴は目を見開いた。
「ここで死なれても迷惑なだけだ。だったら一時的に預かる方がいいだろう」
意外な提案だった。
いや、煮るなり焼くなりあとでなぶり殺される可能性もある。
「ここにはさっきみたいな悪霊がいる。そんなところで、ニンゲンの死体が見つかってみろ。大騒ぎになる」
「……あの、それってどういうことですか? 他にあなたのような方がいらっしゃるのですか?」
『大騒ぎ』になる、という言葉に真琴は違和感を感じた。
真琴の疑問に、李月は頷いた。
「――ここは妖怪の世界、八百苑界だ」
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李月のあとを追うようにして、真琴は桜の森の出口へと歩いていた。
目の前の李月が歩くたびに黒く艶やかな毛並みをした九本の狐尾が揺れている。
周りには外灯もなく道を照らしてくれるのは月明かりだけだったが、満月のせいでじゅぶんに明るかった。はらりと舞う桜の花びらが蒼天神社に植えられていた桜を思い出させ、真琴の不安を和らげてくれた。
「ここは本当に妖怪の住む世界なんですか?」
「何度も言わせんな」
重苦しい沈黙に耐えかね質問した。李月が言ったように、同じ質問を繰り返している。
「お前、どうやって祠を見つけた?」
「わたくしにもわかりません。気がついたらありました」
真琴の返答に、しばらく独りごちていた。納得できない、とでも言うように。
真琴を振り返るわけでもなく、大股で歩く李月が口をひらいた。
「あの祠はな。お前らニンゲンが住む世界とこちらの世界を繋ぐ、いわば門みたいな役割がある」
唐突な説明に真琴は相づちを打つわけではなく、ただ黙って聞いた。
「さっきの黒いのは、簡単に言えばただの思念の塊。俺の予想だが、あいつがお前を襲おうとしたときに門が開いたんだろう。それでお前は気づかないうちにこの世界に引き込まれた」
「それで俺が納得できないのは……だ」
不意に真琴の方を振り向き、顔をじっと見つめる。李月と名乗った九尾の顔は、見れば見るほど引き込まれるような美しさだった。
「あの祠の門は誰でも簡単に入れるほど緩くない。なのにニンゲンが紛れ込んでいる。この世界に異物が混ざれば、空間に亀裂が生まれる。逆もまたしかり。だからお前を簡単に帰らせられない」
心の底から疑問のようで、自分より背の低い真琴を見下ろしながら首を傾げている。
「本当に何もわからないんだな?」
「はい」
李月も愛想がないといえばないが、真琴も真琴でかなり無愛想だ。容姿はまったく違うが、性格は鏡を見ているようなものだろう。
李月が、長いため息をついた。
「その気持ち悪い話し方やめろ。素でいい」
「わかりまし…………わかった」
気持ち悪いという言い方に、少しむっとした。
李月の睨みは、つい敬語で返事しそうになった真琴を黙らせた。
「これからお前を預かるとして、俺はお前のことを知らないといけない。……たしか、真琴っつったな」
こくりと首をたてに振ると、李月は一歩踏み出すよう促した。
まるで見てみろと言わんばかりに。
「これからお前が暮らす灯葉村だ。どうだ、綺麗だろ?」
真琴の目の前に広がる光景は、とても美しかった。
崖の下に和式の家屋が建ち並び、包む夜闇をぽつぽつと照らしている。村のずっと奥には、大きな屋敷のようなものが見える。かなり遠くだとは思うが、よく見えることから実際はかなり大きいのだろう。
特に目を惹き付けるのは、その屋敷の向こうにある、今までに見たことがない大きさの桜の巨木だった。