心踊る邂逅
僕は心を躍らせながら階段を上がっていった。
一段、また一段と階段を登るたびに図書館が近づいていく。
図書館の扉を開けると、いつもの席で鶉野先輩は推理小説を読んでいた。今回もまた分厚い「横浜中華街殺人事件」というタイトルの小説だ。この前は気にもしなかったが、今回先輩が読んでる本の作者は偽扇仰と書かれているが聞いたことはない。
先輩に気づかれる前にこちらから声をかけることにした。
「先輩。何読んでるんですか?」
先手を切ってやったと得意げになっていた僕だったが、先輩からの反応はなかった。
「ちょっと先輩。聞いてるんですか?」
僕が再び声をかけると、鶉野先輩は僕を睨んで一言。
「ちょっと今いいところだから静かにしてて」
その迫力は相当なもので、再び邪魔をしようものなら殺されでもするんじゃないかと思うレベルだった。仕方なく僕は先輩の言うことに従って黙って先輩の対面の席に座った。
幸い先輩が読んでいるのはその本の終盤だったようで、ものすごい集中力で15分ほどで読み終わり、ようやく顔を上げた。
「あら。詐欺森くん。いたの」
「鷺森です!詐欺師みたいに言わないでください!」
「防人くん?」
「鷺森!九州を守ってませんから!」
「そうね。そうとも言うかしら?」
先輩はクスクスと目を細めながら笑ってそう言った。その笑った顔が素敵すぎて、からかわれ必死になって突っ込んだこともすぐに忘れてしまう。
「その本、前は気にしてませんでしたけど、作者、なんて読むんですか?」
僕は本当に先輩が読んでいる本が少し気になってそう聞いた。
「にせおうぎ、あおぐ。ネットとかでは呼びにくいからぎおうぎょうなんて呼ばれたりもするみたいだけど、正式な名称は前者ね」
「ぎおうぎょう。なんだか中国人みたいな名前ですね」
「ま、響きだけだけどね」
先輩は涼しそうな顔をして呟いた。
「前に読んでた本もその人の本なんですか?」
「ええ。そうよ。あそこに並んでいるシリーズは全て偽扇さんの推理小説よ」
僕は感心して本棚を見た。軽く見ても10冊以上はある。あれを全て読んでいるのだろうか。
「偽扇さんの小説って、面白いですか?」
僕は先輩に勧められたら読んでみようかなぐらいの気持ちでそう聞いたのだが、彼女からするとその問いは気にくわないものだったらしい。
「その質問は、推理小説って面白いですかと聞くようなものね。好きな人は好きだけど、嫌いな人は嫌い。そうとしか返しようがないわ」
ツンとしたその対応にも僕はくじけない。
「じゃあ、質問を変えます。偽扇さんの小説って、どんな小説ですか?僕みたいな小説をあまり読まない人でも楽しめますか?」
その質問に先輩は頭を傾げて少し考えてから答えた。
「それは、難しいかもしれないわね。まず、本に慣れていない人にとってこの量の文章というのはまず取っ付きづらいと感じてしまうはず。加えて偽扇さんの文章はライトノベルのようにわかりやすい語調で書かれていない。文芸ファンならまだしも、推理小説を好きでもないただの高校生が読むのはあまりお勧めできないかも」
真剣に考えてくれるのはありがたいのだが、返答の方向性はもうちょっとなんとかならなかったのだろうか。
僕がそんなことを考えているのがわかったのか、先輩はクスッと笑って一言付け足した。
「でも、もし読もうと思うならまず一巻、読んでみたらどうかしら?本の好き嫌いなんて読む前にわかるものでもないしね」
先輩のその言葉に僕は喜んで答えた。
「はい!読んでみます」
これで感想を先輩と話し合えるぞとか甘いことを考えていた僕に、先輩は本題にも同様に言ってきた。すっかり先輩にとって僕は読書を邪魔する存在だということを忘れていた。
「それで?事件は無事解決・・・と。佐藤来夏、そんなに性癖の歪んだ子だったとはね。そこまでは予想できなかったわ」
「ま、好きな子をからかいたいっていう気持ちはわからないでもないですけどね」
「あら、鷺森くんは小学生並みの恋愛脳なのね」
先輩は見下しながらそう言ってくるが僕にとっては先輩の言葉一つ一つがご褒美でしかない。なんてことも言えるはずはないのだが。
「男子はみんなそう思ってますよ」
「へぇ~」
一転興味なさそうに先輩はそう言った。
「それで、次の七不思議なんですけど」
「あなたまだ調べようとしてるの?」
先輩はあきれ顔で僕を見下しながら言った。
「行方不明者の命がかかってるんです。そりゃ調べますよ」
先輩の表情に負けずにそう言い返した。
莉音の行方を調べることはもはや僕の中で最優先事項になっていた。でもそのために、次の七不思議を調べるためには説き伏せなければいけない大きな障害が一つあった。
「ふーん。自分からそんな事件に首をつっこむのはお勧めしないけど。まぁあなたがどうなろうと知ったこっちゃないしいいかしら」
ぐさりと心に刺さることを言われたが、先輩の言うことと里実のいうこととは逆だった。里実はあくまで僕の身の心配をして断固として僕が首をつっこむのを認めない気だろう。
そう里実のことを考えていると、僕が返事をしないことに腹を立てたのか先輩はさらに冷たい口調で言った。
「女の子と喋っている時に他の女の子のことを考えるのはやめたほうがいいわよ。それ、結構わかるんだから」
「いや、そんなつもりは」
「はいはい、事件の報告は終わったんでしょ。用が終わったんなら帰った帰った」
先輩はしっしっと犬を追い払うような仕草をしながらそう言った。
「用はまだありますー」
僕は図書館から出て行くように命じる先輩に抗議した。まだ先輩に相談したかったことはあるのだ。
「他に用って何よ?」
先輩は早く出ていけと言わんばかりの不機嫌そうな顔で聞いた。それに僕は必死に言葉を選びながら返事をする。
「里実が、僕の幼馴染の藤原里実が、次の七不思議、ベートーベンの光る目についての事情を知っているらしいんですけど……」
ふんふんと先輩は僕の言葉を聞いてくれている。
「何が問題なの?」
「里実、僕が七不思議について調べることに反対してるんですよね。どうしたらいいでしょうか」
そう僕が言い終わった瞬間、先輩は即答した。
「そんなの自分で考えなさい」
「えぇ?そんな即答?」
「当たり前じゃない。自分の女のことなんだから、自分で考えなさい」
先輩はやけにつっけんどんとしていた。
「自分の女?あいつはそんなんじゃないですよ。ただの幼馴染です。妙に口うるさいのはあいつのお節介焼きな性格のせいですよ」
僕は先輩への弁解の意味も込めてそう言ったのだが、それは逆効果なようだった。
「なんとも思ってない人に口うるさく注意すると思う?少なくともあなたのことを大切だと思っているから、あなたにいなくなって欲しくないからこそ彼女はあなたに注意してるんじゃないの?ならあなたもその心に少なくともちゃんと向き合ってあげなさい。私から言えることはそれだけよ」
それからは、さあ帰った帰ったとばかりに手であっちにいけと先輩に指示されたので、渋々僕は図書館を出て行くのだった。