いなくなった青春
3日目。最終日の朝。
僕は妙に不安になって目が覚めた。
先輩は隣にいない。でも消えたわけじゃない。
それは僕の肩の痛みが証明してくれていた。
こんなに痛みが心地よく感じるなんて、僕はマゾになってしまったのかな。
そう思いながら僕は服を着替え、寝癖を直し、身なりを整えた。
多分だけど、先輩はちゃんと現れてくれる。だから僕は目的の場所へと向かった。
待ち合わせ場所を決めていたわけではない。でも、僕が知っているデートスポットなんてのはたかが知れていた。
だから待ち合わせるのは駅前。駅近くにはデートスポットがいくつかあった。先輩に、恋をしたらこんな感じだったんだろうなと実感させてやろうと決めていた。
駅前は平日の朝なのに人でごった返していた。駅前に置かれた大きな針葉樹は華麗に飾り付けられている。
「そうか。今日は、クリスマスか」
僕はかじかむ手にはぁと息を吐きながらそう言った。
「みたいだね」
後ろから声をかけられた。僕は安心して振り返る。
「先輩!どこに言ったのかと思いまし・・・」
僕は先輩の姿を見て言葉を失った。
「ちょっと、古臭いでしょ」
初めてみる先輩の私服。スカートルックにスタジャンを羽織った先輩はそこらの女子より格段に可愛かった。
「そんなことない」
「でもスタジャンなんて。もう流行ってないでしょ。ただでさえ私の年代でも流行りから取り残されてたもの」
「いや、本当に違うんだって。ほら、周りの人たちを見て見てよ」
80年代、スタジアムジャンパーが流行した。それは30年ほど前の話。しかし今、奇跡的にスタジャンは女子の間で流行していた。ファッションが移り変わり、周期的に回帰するおかげで、先輩は今まさに流行のファッションになっていた。
何が言いたいかっていうと本当に可愛い。髪もちゃんとセットしてある。幽霊にセットなんてできるのかという疑問はさておき。
「ほんとだ。ははは。すごい偶然」
「きっと神様が都合してくれたんだよ」
僕はそういうと痛くない方の腕を出した。先輩が僕の手をぎゅっと握る。
確かに僕はその感触を感じていた。
先輩を引き連れて、僕は近所のゲーセンに向かった。
ゲーセンの前に着くと、先輩は戸惑っていた。
「先輩、ゲーセンなんて来るの初めてだろ」
僕がそう言うと、先輩はなぜか恥ずかしそうに言う。
「べ、別に20年前だってゲーセンぐらいあったわよ」
「いや、そうじゃなくてさ。先輩ってこういうとこに来るイメージないから」
僕がそう言いなおすと、先輩は肯定する。
「まぁ、それはそうね」
「なら、いざ体験!」
僕は先輩の手を引っ張ってゲーセンに入っていった。
「クレーンゲーム。しようぜ。ほら」
僕はお金を入れて先輩の手を引っ張っていく。ボタンに手をかけさせると、ほとんど僕が押しているのだが、クレーンは移動していく。狙いは大きなぬいぐるみ。何かのキャラクターだろうが、僕はそれがなんなのかは知らないし、先輩もきっと知らないだろう。
はじめは全く狙いと外れた場所に行ってしまった。
それもそのはず。僕だってゲーセンなんて場所は初めてだったからだ。
僕が下手なことに気づいたのか、先輩は「あなたも来たことないんじゃない」と笑って言った。でも二回目は少し狙いに近づいて、3回4回と重ねていくうちに少しずつぬいぐるみの位置がずれて行き、10回を超えて挑戦回数を数えなくなっていったころ。ようやくぬいぐるみは落ちてくれた。
「「やった!」」
僕と先輩は嬉しさに跳んで喜んでハイタッチをした。
僕たちは次に映画を観にいくことにした。
駅前の映画館はすぐ近くにあった。
映画館でミステリー映画のチケットを二人分買う。受付のお姉さんに「二人様ですか?」と奇妙な顔をされたが、きっと後から来ると思ってくれただろう。
「一人ぶんで良かったじゃない」
チケットを買い終わった後、先輩はそう言って困ったように笑った。
「いいんだよ。僕が払いたいんだから」
そう言って僕は先輩の手をとり、スクリーンの席へと向かう。さすがにチケットのもぎりのお兄さんに二枚のチケットを出すのは困らせてしまうことになるかも知れなかったので避けたがチケットを二枚買ったのは、理由がなかったわけではない。
僕の席の隣に、先輩が座る。一応先輩の席の下には僕の上着を置いて、先輩にはその上に座ってもらった。マナーの悪い客だと思われようが、どうでも良かった。僕は二枚ぶんの席を取っているわけだし。
映画が始まると、先輩は食い入るように画面に集中し出した。こう言うところは、変わらないなぁと思いあがら僕も映画に集中した。
映画の内容はなんて事のない群像劇だった。推理ものと言うにはいささかアクションが多めだった。でも、面白かった。
先輩もその点は一緒だったようで、見終わると満足した顔で映画館を出た。
「70点ね」
先輩は映画館を出た途端にそう言った。
「先輩好みじゃなかった?」
僕がそう聞くと、先輩は「そんなことはないわ。面白かったわよ」と言った。
続けてこうも言う。
「ただ、あれはミステリーには分類されるけど、推理ものではないわね。十分映画としては面白かったけど」
不満なのか満足したのかよくわからないコメントだったが、僕も同意した。
「群像劇って感じだったね」
「どこからを推理ものというかによって評価が割れそうね」
先輩は口に拳を当てて考えるポーズをしながら言った。
「じゃあ、感想を話しあいがてら。次はカラオケでも行きますか!」
僕がそういうと先輩は困った顔をした。
「カラオケか・・・」
「先輩、カラオケは嫌いなの?」
僕がそう聞くと先輩は苦笑いして答える。
「嫌いってわけじゃないんだけど。さすがに悠の知ってる歌を歌えるとは思えないし・・・」
「そんなの気にする必要ないって!行こう!」
僕はそういうとカラオケ店に無理やり先輩の手を引いて連れて行った。カラオケでも僕は二人と言い張った。
「二人で」
「後から一人参加されるんですか?」
「いえ。二人で」
そこも、僕は意地を通した。あくまで先輩の存在は揺るがせない。
それは何の意味もないことかもしれない。
ただ多くお金を払うだけなのかも。でも僕はそれで良かった。僕だけは、確かに先輩の存在を感じることができたのだから。僕だけは先輩の存在を否定するような行動をとってはならないと思っていた。
もちろんカラオケの店員はおかしな奴を見るような目で僕を見たが、金を多く払う分には問題ないからなのか、あっさりと通された。
「別にあそこまでする必要ないのに」
先輩はそう言って笑うが、明らかに嬉しそうだった。
そうだ。僕はこの笑顔が見たかったんだ。
部屋に入ると、先輩にお先にどうぞと言われたので、早速僕は曲を入れた。カラオケはそんなに来る方ではないが、家族で何度か来たことがあった。
そのおかげで僕はいくつか古い曲に馴染みがあった。
曲が始まり、懐かしいメロディーが流れ始める。
「え、これ。私知ってる。悠、意外と渋い趣味してるんだね」
先輩は嬉しそうだった。僕はこの時家族に改めて感謝をした。先輩は僕が歌っている間に次の曲を入れた。意外と機械は操れるようで、僕の手を借りずに曲を入れていた。
「先輩、次どうぞ」
僕がマイクを渡すと、先輩は恥ずかしがりながらもマイクを受け取った。そして。
・・・熱唱した。
先輩が入れていたのは某人気演歌だった。あまりの人気具合に演歌をあまり知らない人にも親しまれている曲だ。
先輩が歌い終わると僕は拍手で敬意を示した。
「すごい。先輩。歌うまいんだ」
「たまに歌いたくなる時があったから。一人で河原で歌ってることがあったの。誰にも言ったことなかったけどね」
恥ずかしそうに言う先輩。確かに先輩のイメージとは少し離れているが、そのギャップは今僕しか知らないのかと思うと、何だか優越感に浸ってしまった。
僕たちはそれから数時間歌い尽くした後、カラオケ店を出た。その時点で既に日は暮れかけていた。終わりはさらに近づいて来ている。
僕の肩の痛みも、いや、しびれも、だんだん範囲を広げて行きどこが痛いんだかわからなくなって来ていた。その痛みが無くなって欲しくなくて、僕は必死に心の中で消えるな、消えるなと呟いていた。
「私、あれに乗ってみたい」
初めて自分の意思を示した先輩が指差したのは、カップルに人気の観覧車だった。それほど大きな規模ではないが、街を見下ろせるので人気のスポットだった。
既に行列ができていて、1時間待ちと言う看板が出ていた。
「んじゃ、並ぼっか」
僕がそう言うと先輩は頷き、二人は行列の後ろに並んだ。
「今の私たち、周りの人はどう見えているのかな」
先輩がふと周りを見渡しながら言った。
「そりゃ、ラブラブなカップルでしょ?」
僕は違うと思いつつもそう軽口を叩いた。
「ふふ。そうね。きっとそう」
僕も先輩も本当のことなんて口にしない。でもそれで良かった。
今、僕はカップルが並ぶ観覧車に一人で並ぶおかしな奴に見えていることだろう。でも、そんなの関係ない。だって、先輩は確かにここにいる。僕だけは先輩を見ている。
一時間、喋ったり、喋らなかったり。微妙な雰囲気で僕たちは観覧車に乗れる番をまった。そしてあっけなくその番は訪れた。
一時間なんてあっという間なんだな、と思いながら僕は先輩と観覧車に乗った。
「お一人様ですか?」
「いいえ。二人です」
「え?」
みたいなやりとりをまた繰り返して、先輩にまた笑われたりして。
観覧車の席に座ると、僕たちは観覧車が登っていくのを待った。観覧車が高い場所に回っていくにつれ、街の景色が見えてくる。
先輩はそれを見て言った。
「綺麗」
僕はそんな先輩を見て言う。
こんなのありふれた言葉で、ありふれたシーンでしかないけど。そんなの知るか。
「先輩の方が綺麗だよ」
さらに先輩は僕を見て言う。
「名前で呼んで」
「叶恵。綺麗だよ」
僕がそう言うと、先輩は涙を流しながら笑った。
「ありがと」
僕はそんな先輩を我慢できずに抱きしめた。
確かな感触が伝わってくる。
「叶恵は確かにここにいるよ。どこにも行かないで。先輩」
僕は泣きながら先輩にそう言った。すると先輩は。
「あ、また先輩って言った。・・・ほら、見て、悠。夕日が綺麗でしょ。今は黄昏時。霊力が高まる時間帯。だから、今だけは確かに君と繋がっていられる。ああ、まちが夕日に照らされて、本当に綺麗。
こんなの。こんな景色見られるなんて思っても見なかった。こんな経験できると思ってなかった。同じ年代の男の子と恋をして、デートをする。そんな当たり前のことが今更できるなんて思ってもみなかった。何から何まで、ありがと。悠」
そう言われて僕はやりきれない気持ちになり、先輩に優しく口づけをした。唇の柔らかい感触が確かに伝わってきて。そこに確かに先輩はいると繰り返し思い込むようにして考えた言葉が胸の中にリピートする。
「ありがとうなんて言わなくていい。・・・ただ。だだ、叶恵ば僕のぞばにいてぐれればいい。消えないで。叶恵」
僕は目から大雨を降らしながら、必死にすがってそう言った。
「ダメよ。それは言わないで」
先輩はそう言うと泣きじゃくる僕の頭を優しく撫で始めた。先輩の匂いが、先輩の感触が、確かに伝わって来て、ただただ僕は悲しい気持ちなって泣きじゃくって。そしていつのまにか少し眠ってしまっていた。先輩の膝の上で。
「ほら、悠。起きて。降りなきゃ」
先輩に起こされ、僕は時間を無駄にしたことを後悔した。でも、先輩は嬉しそうだった。だから僕はただただその表情を脳裏に焼き付けようと一心に先輩を見続けた。
係員に案内され、僕たちは観覧車を降りた。
既に日は沈んでいた。あたりは暗くなって、太陽の代わりに電飾の明かりが街を照らし始めていた。
僕たちは駅前のクリスマスツリーの前に向かった。
終わりの場所には、ここがふさわしいと思ったから。
先輩の手をとり、僕のポケットの中に入れる。暖かさなんて感じるはずがないんだけど、確かに温かみがあって。先輩は照れながらも、嬉しそうに「ありがとう」と言うと、僕につれられるままクリスマスツリーの前に来た。
クリスマスツリーは華やかに装飾が施されていた。電飾と飾りと、てっぺんには大きな星。
周りはみんなクリスマスモード。恋人たちは手を取り合い、仲よさそうに身を寄せ合っている。そんな中、僕と先輩はクリスマスツリーの真ん前。一番目立つところに立っていた。
カップルだらけの中で一人立ち尽くすやばいやつという認識をされているからなのか、近づいてくる者は一人もいなかった。まるで世界に二人だけみたいに、周りから浮いている感覚。
「鶉野叶恵」
「はい」
「僕は叶恵のことが好きだ」
「はい・・・」
「僕は叶恵に消えて欲しくない」
「それは聞けない」
「僕は叶恵に消えて欲しくない」
「だめ」
なんども消えて欲しくないと言う僕に、先輩はそう言うと僕の唇を人差し指で塞いだ。
「君と会って。悠と会って。私にとって本当にいいことしかなかった。ありがとう。悠。私も悠のことが大好きだよ」
先輩は必死に涙をこらえながら笑って言った。
別れの時間が迫ってくるのを感じる。肩の痛みが、だんだん薄れていく。
「そろそろお別れみたい」
先輩は無理して笑う。こんな時にまで涙を我慢する必要なんてないのに。
「本音は?」
僕は涙を流しながら先輩にそう聞いた。
先輩はこらえきれずにポロポロと涙を流して言う。
「消えたくない・・・消えたくないよ・・・悠!!」
先輩は僕にすがって言う。先輩だって、ただの一人の女の子なんだ。普通に暮らして、普通に生きたかっただろう。好きな推理小説を読んで。次の新刊はまだかと心を躍らせて、違う作家にも浮気して。
普通に恋をして。普通に人を好きになって。そういう人生を送りたかっただろう。
僕は先輩のことを思いやると涙が止まらなくなった。
「なら俺に取り憑き続ければいいよ」
僕は涙を我慢せずに大量に流しながら、優しく笑って言った。
そうだ。ずっと取り憑き続ければ。なんの問題もない。
そうだだをこねる僕に対し先輩は。
「そうはいかないかな。私は君を傷つけることなく最高に幸せな女の子として成仏できるんだもの」
先輩はそう言うと泣きながらニヤリと笑う。僕は先輩を抱きしめて口づけをする。そのまま口をつけたまま、徐々に先輩の感触がなくなっていくのを感じる。
「悠。優しい悠はきっと私が死なずに入られたら、普通の人生を生きられたらって思ってくれてると思う。でもね。私はこの人生をそれなりに気に入ってるの。
だって。だって私は君に出会えた。君に出会えて、君に恋をした。それだけでいい。だから私は、幽霊になって、良かったよ。鶉野叶恵は、幸せだったよ」
先輩はそう言うと、徐々にクリスマスツリーの光に飲まれていく。
「僕だって、僕だって先輩に出会えて良かった!恋して良かったよ!幸せだったよ!」
僕が泣きながらも必死にそう声を絞り出すと、先輩は最後、声も出なくなって、でも口元の動きだけで僕は先輩が何を言ってるのか理解した。
「しってる」
僕は最後まで先輩を抱きしめ続けた。感触がなくなっても、僕はただただそこで抱きしめるポーズを続けた。
クリスマスの夜。ツリーの前で一人泣き崩れる男をツリーの前を通り過ぎる集恋人たちは奇妙な目で見続けた。
それが僕の初恋だった。
青春の幻。
そう。
いなくなった青春。




