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美女先輩と神隠し  作者: ロジカル和菓子
4章 あるべき場所、あるべき姿 
31/33

赤い糸②

 翌日の朝。


 僕は妙な重みを体の上に感じて目が覚めた。


 とは言っても、物理的な重さを感じたわけではない。


 うっすらとなにかにのしかかられているような気分になり、目を開けてみると目の前には先輩の顔があった。


 僕は思わず顔を紅潮させ、焦って先輩をのかそうと体を起こした。しかし、そのせいで先輩と僕の体は余計に密着し両者ともに顔を赤く染めることになった。


「先輩、なんでここに」


「朝に来るって言ったでしょ、っていうか私は出るか出ないかなんだし、悠くんの近くにならいつでも現れられるんだよ」


「いつでもって」


 そう言って僕が赤面していると、「あ、今やらしいこと考えたでしょ。君」とからかってくる始末。


 さらに先輩は「このままやらしいことしちゃう?」とからかって来たが、今日の目的はそういうことじゃない。いやしたくない訳じゃないけど。


 そもそも幽霊とそんな事が出来るのかという疑問はさておき。


「しません!というか出来ないだろ!僕は先輩に触れられるのか?」


 そう言うとさらにからかおうとしてきたのが分かったので、僕は真剣な顔で威嚇した。


「はぁ。つまんないの。出来るわよ。一応。まぁそういう行為をする程は無理でしょうけど。微かに感触を確かめるぐらいなら可能かもしれないわ」


 そう言うと先輩は僕の手を掴んで自分の胸元へと持っていった。


 本当に僅かだが胸の柔らかい感触を感じた気がした。まぁそれも気がしたレベルの話なんだけど。


「って違う!今日は先輩に見てもらいたい物があるんだよ!」


 僕は先輩をのかしてベッドから起きると、カバンの中から2冊の本を取り出した。


「これって!!」


 先輩は僕の目論見通りに驚いて、喜んでくれた。


「偽扇仰、シリーズ19巻『赤い糸』じゃない!これどこで手に入れたの!?」


 あまりの興奮気味に僕までテンションが高くなる。


「実は、この本うちの父と母の出会いのきっかけだったらしくって。家にあった」


「あなたもたまには役に立つのね!」


 先輩は悪気のない悪口を無意識に飛ばしてきた。


「たまにって。ひどい。それよりもう1冊も見て!」


 僕がそう急かすと、先輩はそれを見てさっき以上に驚いた。


「これはッ!!??30巻!?新刊ね!出たのね!」


 先輩は空いた口が塞がらないようだった。


「昨日出たみたいで。今日は先輩にこれを読んでもらう日にしようと思うんだ」


 僕がそう言うと先輩は戸惑った。


「そんなことでいいの?私といられる時間はあと2日しかないんだよ?」


「だからこそだよ。先輩がやりたいことを、してもらいたいから」


 僕は先輩の肩を掴んでそう言った。それはもはや告白と言っていい雰囲気だった。肩の感触がわずかに伝わってくる。確かに先輩がここにいると、今僕だけが感じることができた。


「それじゃあ、お言葉に甘えて読ませてもらうけど。一つリクエストがあるの。聞いてもらってもいいかしら?」


 先輩は何か企んでいるような悪い笑みを浮かべて言った。


 何をさせられるのかと思いきや。


「こんなことでいいの?」


「これがいいのよ」


 僕は、僕の部屋のベッドの上で鶉野先輩と背中合わせで座っていた。先輩は全部の体重を僕に預けてくる。あるはずのない体重が感じられるような気がして、先輩の体を感じるたびに、僕は複雑な気分になった。


「それじゃ。しばらく話しかけないでね」


 さっきまでの態度とは裏腹に、そう言い放つと先輩は偽扇仰のシリーズ19巻『赤い糸』を躍起になって読み始めた。とは言っても途中までは一度読んでいたからなのか、相当早いスピードで読み進めているようだった。しばらくして、一時間も経たないうちに先輩は『赤い糸』を読み終わった。


 読み終わって早々、先輩は僕にこう言った。


「この『赤い糸』が悠くんの親の【赤い糸】になったって。すごい皮肉ね」


 先輩はそう言ったが、僕はその意味を理解できなかった。


「どう言うこと?」


 僕が頭の上にはてなマークを浮かべながらそう言うと、先輩は慣れたように僕にため息を吐いた。


「はぁ。あなた、これ読まなかったの?」


「いや、読んだけど」


「なんでそれでわからないかなぁ」


 こう言う時、先輩は非常に上から目線で僕を見下ろしてくる。だがそこがいいなんて言わないぞ絶対。


 だがそれがいい。


「悠はこの結末をどう解釈したの?」


 先輩は試すように目を細くして僕を見ながらそう言った。こう言う時先輩は非常に厳しい言葉をかけてくる。


「どうって、この最後のページは読者に推理させた犯人の答えあわせで、指輪は吉野吉乃によって吊るされた運命の赤い糸によってそのあと結婚する神田と吉野吉乃の結末を暗示しているんじゃないの?」


 僕がそう言うと、先輩はやはりわかってないなこいつといった顔をした。もはや先輩がそんな顔をするだろうことはすでに予想できていたのだが。


「違うわ。指輪と犯人の名前の位置を見てみなさい」


 先輩が指差す【犯人】の名前が書かれているのは指輪の上だった。


「これが?」


 なんだこの物分かりの悪い奴は、とでも言いたげな瞳で僕を写した先輩は、さらに解説してくれた。


「この指輪には吉野吉乃という名前が彫ってあるわよね。そして犯人の名前もまた、指輪に名前を刻まれている。これが何を意味するか、さすがにわかるわよね?」


「え、え、もしかして、吉野吉乃は夫の罪を暴いてしまったんですか?」


「そ。だからこれは赤い糸なんてタイトルがついてるけど、本当は逆。破局の物語なの」


 先輩がそう言ったとき、僕は心の中で両親にはこのことは黙っておこうと決意したのだった。


「そうだったんですか・・・全然気付きませんでした」


「ま、解釈は人それぞれだしいいんじゃない?それじゃ、お次失礼して」


 そう言うと先輩は僕の背中に体重を預けたまま30巻に手をかけた。


 それから僕はただひたすら背中の感触を味わっていた。先輩の息づかいと、ペラリペラリとページをめくる音だけが部屋を支配する。


 こんな時間が続けばいいのに。


 僕はふとそう思った。


 でも。


 どんな生物にも必ず終わりが訪れるように。


 どんな物語にも必ず終わりが訪れるように。


 どんな幸せにも終わりが存在する。


 そして僕たちの場合、そのタイムリミットは刻一刻と僕たちを飲み込まんと迫ってきていた。



 肩の痛みは、もはや痛みを通り越して痺れてきている。


 僕は予感する。


 終わりは近い……。


 先輩がページをめくるたびに、僕の心は大きく飛び跳ねた。この鼓動は、先輩に伝わってしまっているのだろうか。そんなことを考えながら僕は先輩が読み終わるのをただただ待った。


 何時間そうしていただろうか。日が真上まで登り、そして暮れていく。日が沈む前にようやく先輩は30巻を読み終わった。


 本を閉じると、鶉野先輩は静かに涙を流した。涙がポツリポツリと地面に落ちていき、そして消える。


「先輩」


「大丈夫。これは、ただの嬉し泣き。あの時から。未練だった19巻。それどころか私が死んでから出版された20巻から30巻、完結まで読み切ることができるなんて思ってなかった」


 そう言う先輩の泣き顔は、これまで見たどの光景よりも美しかった。


 夕日が差し込む僕の部屋は、この世で一番美しい場所になっていた。


「悠はこれを読んだの?」


 僕はそう聞かれると静かに首を横に振った。


「そう。なら、私が消えてからゆっくり読むことをお勧めするわ」


 先輩は微笑みながら言った。でも僕はそんなセリフ言って欲しくなかった。


 消えないで。


 そう言いたいけど我慢する。


「わかったよ」


 渋々僕はそう返事をした。


 それから僕たちは、ただただ何をするでもなく、先輩が好きな本の話、僕のなんてことのない日常の話をしたりして、甘い時を過ごした。


 部屋に閉じこもって二人でただ話す。それはそれでかけがえのない時間だった。


 でも、楽しい時間というものは、早く過ぎ去ってしまうもので。


 2日目は終わりを迎える。


 僕は両親に明日も学校を休むと告げると、布団に入った。


 先輩は、「今日だけだから」と言いながら同じ布団に入ってきた。


 悲しいことに、人の温もりは一人分。特に布団が温まるということはなかったが、僕の心はぽっかぽかだった。


 好きな人を隣にしても、眠れるもんなんだな。


 そう思いながら僕は目を閉じた。


 先輩の吐息を感じながら。


 幸せを感じながら。

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