プロローグ
世の中には『偶然』と『必然』という言葉がある。
偶然、道路で100円玉を拾った。あるいは、旧友と地元で偶然再会した。
必然的に犯人は○○ということになる、だとか、その推理には必然性が足りない、だとか。
時に人はそれら二つの言葉を同じ言葉の形容に使うことがある。
それは、出会いだ。
偶然を必然と捉えたとき、人はそれを運命と呼ぶ。
果たして、あれは偶然の出会いだったのか、必然の出会いだったのか。
あの出会いは正しいものだったのか、それは僕にも、そして誰にだって判断することはできない。
でも、あれは僕の人生に必然の出会いだったと言い切る。
言い切ってやる。
だって。彼女は−−
それは、運命の出会いだった。
こんな言い方はキザかもしれないが、あえてこう言わせてもらう。
彼女を見た瞬間、それは運命だと確信した。
窓から差し込む夕日の光に染まる図書館に、一人たたずむ彼女。
ショートカットの黒髪からかすかに漂ってくるのは、シャンプーの香りか。机に座りながら分厚い本を読む彼女を見て、思わず見とれてしまう。
「あら?私に何か用?」
彼女は一心にその姿を目に収めていた僕に気がついたのか、本から目を離して僕を一瞥した。
「いや、そういうわけやないんやけど」
「あら?そう。ならいいのだけど」
彼女は何事もなさそうに言うと、読んでいた本に目線を戻した。図書館には僕たちの他には誰もおらず、まるで世界に二人きりみたいだ。
夕暮れ色の空間に二人ぼっち。幻想的な雰囲気と、ミステリアスな彼女が合わさって僕の心を鷲掴みにする。僕は彼女から目を離すことが出来なかった。わずかに開いた窓の隙間から吹いてくるそよ風が彼女の髪の香りを僕の鼻に運んでくる。
むず痒いようで心地いい感覚が僕の心に染みわたる。
「やっぱり用があるんじゃないの?」
相変わらず彼女に見とれていたままだった僕に、彼女はそう声をかけた。しかし今度は本を読みながらだ。仕方なく僕に声をかけてくれている感じか。
「いや、違うんやけど。いや、違わないかも。その……そうだ。その本が気になっちゃって」
せっかくだし何か話ができないかと思い必死に絞り出した答えがそれだった。
そのまま用はないと言って立ち去ってしまっては、第一印象が不審な奴になってしまうと思ったから。その時点で僕は彼女との付き合いがこの後も続いていくことを確信していた。
いや、確信ではない。覚悟か。
「これ?なんてことない推理小説だけど」
彼女の言う通り、その本の表紙にはでかでかと殺人事件と言う文字が書かれていた。作者はよく知らない名前だった。
「推理小説?」と彼女に聞き返す。
「ええ。推理小説よ。この著者のシリーズはいつも予想を裏切る結末が待ち受けていて面白いのよ」
「へぇ。そんなに面白いん?……すごく分厚いみたいやけど」
「そうね。最初はあまりの情報量に圧倒されるかも。読書に慣れていないと」
彼女はそこまで言うと、何かに気づいたようにピクッと本のページをめくる手を止めた。そして本を元あったと思われる場所に戻した。その左右には彼女の読んでいた本と同じく分厚い本たちがまるで、読めるものなら読んでみろとでも言わんばかりに堂々と並んでいた。
「あれ?読むのやめちゃうの?」
僕は突然本を元の場所に戻しだした彼女にそう問いかけた。
「……うん。今日はここまででやめておこうと思って。きりがいいところだったし。邪魔も入ったしね」
彼女はじろっと僕のことを睨みながら言った。
別に邪魔がしたかったわけではないんだけど。結果的にそうなってしまっているのだから一緒か。
「借りて帰りはせーへんの?」
「ええ。ここで読むのが特別なの」
彼女は凛とした態度で言うと、再び席に腰掛けた。意味も分からず眺めていると、不思議なものでも見るかのように彼女は僕のことを見て言う。
「座らないの?」
「へ?」
僕は彼女の言葉の意図が組みきれずに素っ頓狂な声をあげた。
「だって、あなた。私と話したいんでしょう?どういう意図かは知らないけど」
彼女は目を細めて微笑みながらそう言った。彼女の微笑みは、夕暮れの光と相まって幻想的な雰囲気を醸し出していた。
実のところ、本を読むのを邪魔してしまったのではという思いが強かったので、彼女が友好的な態度をとってくれているのは意外だった。
「なんでわかったの?」と僕が聞く。
「なんとなく、よ。それにあなたは少し考えていることが顔に出やすいみたい」
「そんなのわかるんだ。すご」
感心しているような顔をして言うと、彼女は呆れた顔をして言葉を返してくる。
「あなた考えてることがバレバレなのよって言ったの。バカにしたのよ?わかってる?」
「え?そうなん?」
はぁとため息をつくと彼女はもう一言。
「それと。あなたは気づいてないかもしれないけど、私、先輩よ?」
「え?そうなん?って、あっ。そうなんですか?」
僕は今更ながら態度を改め直す。とは言っても言葉遣いを少し正しただけだが。それにしてももっと早く言ってくれればよかったのに。
「そうよ。大先輩よ。いきなりタメで話しかけてくるからびっくりしたわ」
彼女は右手で前に来ていた長い髪の毛を後ろに払いながら言った。
「それは失礼しました。それで……あの、名前は?」
僕はそこまでなんとなく聞きそびれていた彼女の名前を聞いた。
「そういえば名乗ってなかったわね。私は……鶉野叶恵。あなたは?」
やや茶色い瞳が僕を一心に見つめる。
「僕は鷺森悠って言います。よろしくお願いします。鶉野先輩」
僕はなんとなしに鶉野先輩に握手を求めて手を前に出したが、先輩は応じなかった。
「よろしくする義理はないわ。鷺森くん?用があるならさっさと話す。用がないならさっさと帰ってもらってもいいかしら?」
鶉野先輩はそう冷たく言い放つと、静かに図書館のドアを指差した。
それが僕と先輩との初めての出会いだった。