女の子と猫と……
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ここの遊歩道は元々、小さな川だったが、今は「暗渠」と呼ばれる人工的に作られた地下水路に水を流し、その上部を整備して造られていた。遊歩道の中程に本来の川幅よりも広い場所がある。遊具等は設置されていない為、「公園」ではなく「広場」と言った方が正確だろう。その一角に藤棚があり、初夏ともなれば紫色の花で満たされる場所でもあった。
藤棚の下には円形のベンチがある。その中央部にも円形の花壇が設置されているものの、何故か何も植えられておらず、雑草が生えていたが、それを綺麗にする人もいるらしい。時折、〈何もない〉状態になる。
僕は日曜日の午前九時五十分頃に、このベンチへと足を運ぶ。それは「儀式」と化していたのも事実だ。
今から約六年前……、小学校四年生の五月に僕は、このベンチで一人の女の子と出会う。
ここから三百メートルも離れていない場所に親戚が住んでおり、僕は、そこへ行く際、この遊歩道を利用していた。ちなみに、僕が住むマンションから、ここまでは徒歩で十分程である。
中に何が入っているのかは知らないが、小さな段ボール箱を入れたトートバックを親戚の家に運ぶのが当時の僕に任された〈仕事〉であり、これを週に二、三回は繰り返した。その度、その女の子を見掛ける。だが、知っている子ではなかった為、その前を素通りするだけであった。
五月下旬の土曜日。その日は親戚の家で昼食をご馳走になってからマンションへと帰る為、一人で遊歩道を歩き始める。すぐ近くには藤棚があった。そして、そこには直径三十センチ程のボールを持ったままベンチに座る、あの女の子が……。
その子の前を通り過ぎ様とした時である。持っていたボールが、その手から離れ、僕の足元へと転がった。何の躊躇もなく、そのボールを拾い、女の子に渡す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ありきたりの言葉を交わした二人。それが僕と「彼女」との関係が始まった瞬間であり、これが例の「儀式」へと繋がる発端でもあった。
今、思えば彼女は、わざとボールを手放したに違いない。僕の方へと転がる様に……。それは、「一緒に遊ばない?」という無言の誘いだった筈だ。そして、僕は、その誘いに乗る。女の子と遊んだ経験が少ない僕は、その時、とても楽しい時間を過ごした。話を聞くと、学校は違ったが、同じ学年だという。
僕が、この遊歩道を利用した時、藤棚の下にあるベンチに彼女は必ずと言って構わない程、座っている。いつしか僕は親戚の家から帰る際に彼女と遊ぶ時間も考慮する様になっていた。
雨が降ると僕の〈仕事〉は休みだ。その為、気になっていた事があり、ある時、「雨の日は、どうしているの?」と彼女に尋ねた。
「ここには来ない」
それが返答である。
僕と彼女は、それまで一度も「会う約束」をしていなかった。僕にしてみれば「彼女が、ほぼ必ず、ここにいた」からである。
六月中旬の土曜日。二人は初めて「会う約束」をする。それは翌週の日曜日だった。時間は午前十時。その様な約束をしたのは彼女の都合で当面、「ここに来れないから……」というものである。但し、雨の時は次の週に延期という事になった。
確かに、それ以降、彼女は藤棚の下にあるベンチから姿を消す。
たった一週間。だが、小学生の僕にとって、それは長い時間だった。彼女と会うのを心待ちに日々を過ごす。
そして、土曜日。僕は高熱を発してしまった。病院へ行き、そのまま入院。病名は知らされていないが、かなり重い病気を疑われ、検査を兼ねた入院である。その後も熱は下がらず、結局、二週間も入院してしまう。もちろん、彼女との約束は破ってしまった。
その約束をした日から二ヶ月後の日曜日。元気を完全に取り戻した僕は藤棚の下にあるベンチへと向かう。
午前十時。そこには誰も来なかった。
以後、僕は毎週日曜日の午前九時五十分頃に例のベンチへと到着する様、必ず足を運ぶ様になる。雨が降ってもだ。雨の日は立ったまま、それ以外の日はベンチに座って午前十時三十分頃まで、ここで過ごす。だが、彼女は、その姿を現さなかった。僕にとって無駄な時間だけが過ぎて行く。
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僕が彼女を待つ様になって早くも半年が経過した。その行為は既に「必ず行うべきもの」……、「儀式」と化していたのだ。僕にとっては不可抗力だったかも知れないが、彼女との約束を破ったのは僕自身である。僕には彼女を待つ「義務」があった……、正確には、そう「思い込んでいた」のだが、その要因として、「彼女に、もう一度、会いたい!」という強い願望があったのだ。
二人で遊んでいた時には「楽しい」という感覚が優先していたが、その裏に「恋心」が潜んでいた事実を今は理解している。しかも、「会えない」という状況が彼女を神格化させ、より深い恋に落ちてしまう。正直に言えば、当時、僕のクラスにも「気になる女子」がいた。だが、〈彼女〉の一挙手一投足を思い出す度に〈気になる女子〉の姿は霞んで行く。目の前に、その女子がいるにも関わらず……。
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藤棚の下にあるベンチ。遊歩道の中程にあるとはいえ、利用者は多くない。そのベンチに通う様になり一年が経つ。
この頃になると僕は〈一人〉では、なくなっていた。毎週日曜日に例のベンチへ座ると、どこからともなく、三毛猫が現れ、僕の横で寛ぎ始めたのだ。半面、この三毛猫は触られるのを極端に嫌う。僕が、その身体に少しでも手を伸ばすと、一目散に逃げ出してしまい、その後は二度と姿を現さない。
一方、何もしなければ、僕が、ここにいる約四十分間を一緒に過ごした。そして帰宅する為、立ち上がると、その猫も移動を開始し、どこかへ行ってしまう。
更に半年が経過する。この頃から僕は面白い事態に巻き込まれ始めた。その切っ掛けは、このベンチで時折見掛ける年輩の女性である。
「この猫、いつも君の横にいるけど、飼っているの?」との質問に、「いいえ、野良猫の様です。ただ、僕がここに来ると、何故か隣に来るんです」と答えた。
「そう……、でも可愛い猫ね。写真を撮ってもいい?」
女性は僕に、そう尋ねたが、「どうぞ」としか言えない。何しろ、この三毛猫は僕のペットでは、ないからだ。その女性は猫の写真を撮り、「ありがとうね」と告げ、この場から離れた。
詳しい話は知らないが、この時の写真が何かの雑誌に掲載されたらしい。愛くるしい上に完璧なまでの〈カメラ目線〉で写った三毛猫は一躍有名な存在となった。しかも、この猫は僕がいる時しか現れないらしい。毎週日曜日の午前十時頃から「三毛猫の撮影会」が例の藤棚で始まる。
この猫には特徴があった。カメラを向けられるだけではベンチの上から動こうとしない。周囲に集まった、その人数が、いくら多くてもだ。その一方、触ろうとして少しでも近寄ると、その場から逃げてしまう。餌を手にしていても同様であった。そして、その日は二度と姿を現さないらしい。猫を撮る人達も、それを理解し、写真や動画の撮影だけを行う様になる。
当然の事ながら、三毛猫の横で座る僕も被写体となってしまった。何しろ、僕の傍にいる時でしか、この猫を写せないのは間違いない様だ。
こうなると僕には、もう一つの「義務」が発生してしまう。「三毛猫を呼ぶ存在」として、このベンチへ足を運ぶ様になる。
その「義務」という言葉が適切か、どうかは別として、僕は、ここへ来る事を「義務」と感じていたが、決して「儀式」では、なかった。そう、僕には大切な目的があって、ここに来ているのだ。彼女と会う為の儀式。僕の隣で寛ぐ〈三毛猫〉にも愛着を持つ様になったが、〈彼女〉の方が大きい存在であった。
余談になるが、「可愛らしい三毛猫を呼ぶ小学生」として、ごく一部ではあったが、僕も有名になり始める。同時に僕の父親か、母親、もしくは、近くに住む親戚の人が撮影会の最中、僕の様子を見守る様になった。そして、〈その人〉が僕の関係者である事も、いつの間にか知れ渡ってしまう。
三毛猫と僕は「ワンセット」という状態だった為、猫の写真を撮りに来た人は僕ではなく、両親や親戚に声を掛け始めた。
「お子さんのお陰で良い写真が撮れました」と言って、お菓子等を差し入れる人もいる。最初は、それを断わっていたらしいが、しばらくすると素直に受け取る様になっていた。
そんなある日、僕は遂にテレビの取材を受けてしまう。これには、さすがに驚いた。しかも、全国に放送される番組だ。
この取材中、僕がこのベンチに来る様になった理由を聞かれた。一瞬、(話すべきなのか?)という葛藤が湧く。その原因が僕にあったのは確かだが、別に疾しい出来事ではない。「彼女との約束」を僕は素直に話した。
これがまた「美談」として扱われ、その内容が全国に放送される。僕は一躍、〈時の人〉となったが、それは長続きしなかった。「人の噂も七十五日」という諺を習ったのも、この頃だったが、それを痛感した程である。
小学校五年生の冬。僕はインフルエンザに罹ってしまった。しかも、症状は重い。結局、肺炎一歩手前という状況にまでなり、学校を三週間も休んでしまう。もちろん、この間は例の藤棚へ行っていない。
後で聞いた話では僕が、そこに現れなかった時、三毛猫は一旦、ベンチの前まで来るものの、僕がいないのを確認すると、どこかへ行ってしまったという。
小学校六年生の秋。僕は父親から転勤の話を聞かされた。卒業式の翌日には、ここから二百キロメートルも離れた別の町に行くという。もちろん、そこにある中学校に通うのだ。
それは日曜日の午前九時五十分頃に藤棚の下にあるベンチに行くという「儀式」の終焉を意味しており、僕にしてみれば、「知らない土地の中学校に通う」事よりも、その「儀式」が出来なくなる無念さを強く覚えた。守れなかった彼女との約束を果たす機会を失うからだ。
この町で過ごす最後の日曜日。僕は心の中で彼女に、(約束を守れなくて、ごめん)と、何度も謝りながら、例のベンチへと向かった。
遊歩道を進み、藤棚が見えた時、そこの雰囲気が普段と異なっているのに気付く。いつもより多くの人が、そこにおり、こちらを見ていたのだ。
ベンチに座ると、三毛猫が姿を現し、僕の隣で寛ぎ始める。同時に、ここに集まった多くの人達による「三毛猫の撮影会」が開始された。僕は、その猫に視線を向ける。
(これが最後だ……)という思いはあったが、不思議な事に寂しさ等は感じていない。三毛猫も時折、僕を見たが、何事もなかった様に毛繕いを続けている。
午前十時十分頃だった。その猫が僕に向かい、一声、鳴いた後、ベンチから去ってしまう。僕自身、三毛猫の鳴き声は何度か聞いているが、〈僕に向かって鳴いた〉記憶はない。
(お別れの挨拶?)と考えながら、その猫を目で追う。三毛猫は僕の視界から姿を消した。
ほぼ同時に、「お疲れ様でした」という声が耳に入る。そして、一人の年輩女性から花束を渡された。その人は僕に、「写真を撮ってもいい?」と最初に尋ねた人だ。
僕が引っ越しをする事は、ここで撮影している何人かの人に話していた。その「お別れの挨拶」をされたのだ。
(照れ臭い!)とは思ったが、僕の周りに集まった人々は口々に、お礼を述べている。もちろん、それは僕自身に対してではなく、「猫を撮らせてくれて」という意味が込められているのを理解していた。それでも、ここにいる人達にとって、間接的ながらも僕が必要とされていたのは間違いないだろう。
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僕は引っ越し先で中学校生活を送り、高校は多少だが全国的に有名な学校……、男女共学ながら全寮制の高校に進学した。ここには誰一人、知り合いはいないが、元々、友達が少なかった為、寂しさは余り感じていない。
入学式から三日後の放課後。自分の席で寮へと戻る準備をしていた僕に同じクラスとなった一人の女子生徒が近付き、一枚の写真を見せた。そこには藤棚の下にあるベンチに座った僕と例の三毛猫が写っている。
女子生徒の口が開いた。
「毎週日曜日に、あのベンチへ行っていたんだ……」
次の瞬間である。その女子生徒の顔に、何となくだが、見覚えがある事に気付いた。
(まさか!)
その女子生徒……、〈彼女〉の話が続く。
「約束、〈すっぽかされた〉と思っていた。でも違ったらしいね……」
そう言いながら微笑みを浮かべ、更に言葉を紡ぐ。
「例のテレビ……、君が出た番組を見て、しばらくした後……、帰省した時に、あの広場に行ったんだ。そこには多くの人がいて猫を撮影していた。私も、その人に混ざり、写真を撮ったの。それが、この一枚……」
僕の顔に驚きの表情が浮かんでいるのを実感しつつ、彼女の話を黙ったまま聞く。
「でも、やっと会えたね。六年近くも掛かっちゃったけど……」
その顔に浮かんだ表情は満面の笑みへと変化していた。
女の子と猫と……(了)