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008、幸せの定義

 城に響く叫び声に熱がない。味方の怒号は死地を覚悟したものだ。


 その瞬間に、負け戦を悟った。


「はぁ……。はぁ……」


 エルテナが思い切り突き刺した剣は、サルヴァ兵の腹部にめり込んでいた。

 ごぼりと兜の隙間から血があふれ出る。

 顔が見えなくてよかった。断末魔の表情など、覚えたくもない。


 ガラァンと大きな音を立てて、サルヴァ兵の剣が落ちた。刃がたわみ、高い金属音が響く。

 少し遅れて敵は鈍い音を立てて倒れた。ずるりと抜けたエルテナの剣にはべったりと血がついている。


 エルテナにはもう、気にする余裕もなかった。

 ごうごうと響く音は火をつけられた城が放つ悲鳴だ。火力の高い魔法を撃たれては長くは持つまい。石壁や柱もどれほどもつものか。熱せられた石がもろくなり、城が崩壊するまで長くはない。


 着けた金属鎧が重い。兜の中で熱がこもって辛い。

 エルテナは兜を脱ぐと放り投げた。まとめていた結び紐が解け、髪が泳ぐ。


「ダルフォード王は逃げたか……」


 攻撃の時間が長い。すなわち確保するべき目標がいまだ健在ということだろう。

 王なぞどうでもよい。この惨状だ。疎まれていたアスフィエ第三王女は捨て置かれていることだろう。いや、もしかすると囮として使われているかもしれない。


「姫様を……お助けしなければ」


 エルテナは萎えそうな体に喝を入れる。まだ動かねばならない。



 エルテナは走る。

 王族用隠し通路、居ない。

 主寝室、居ない。


 エルテナは貴族の娘だ。大した地位でもない貴族の一人娘だ。

 男児に恵まれなかったエルテナの親は、あろうことか娘に剣を教えた。


 騎士になれと。


 魔法を使う力にも恵まれず、体格にもめぐまれず、それでも剣の道を邁進してきた。


 それしか、なかったのだ。


 前例のない女騎士。それを受け入れたのは第三王女だけだった。

 召使いと陰で呼ばれようが、どうでもよい。

 王である父からすら疎まれる、風変わりな姫。それのみが、エルテナが仕える主だった。


 不意に、扉を内側から叩く音を聞きつけた。エルテナはそちらに足を向ける。

 中からふてくされたような大声も。


「この……ッ! 開きなさいよッ!!」


「姫様……? 姫様ッ!!」


「……その声、エルテナね!」


 太陽の光のような明るい声が、扉の向こうから聞こえてくる。アスフィエ王女の満面の笑みが見えるようだ。この地獄のような場所において、その声だけが明るい。力に溢れている。


「この扉、開かないの! 何かが噛んでるみたいで。窓はもとから鉄格子入りだし。最悪だわ!!」


 見れば扉には外側から閂がかかっている。なんて仕打ち。エルテナの形相が鬼と化す。

 貴人が使う部屋だと扉の意匠から知れよう。

 それを出られぬようにしているとは、囮どころではない。貢ぎ物だ。


「姫! 今お開けします!!」


 剣を鞘に戻し、両手で閂に手をかける。

 エルテナの全力で、閂はなんとか動いた。扉がゆっくりと開く。


「エルテナ、よくやったわ! 褒めてあげる!」


 おごそかに開こうとした扉は、内側から蹴り開けられた。

 現れたアスフィエ王女の姿を見て、エルテナはあんぐりと口を開けた。


「姫様……。どうしてそんな御召し物を?」


「ああ、これ? 従士の子にちょっと言って、訓練用の服を用意させたのよ。襲ってきてるのはわかってたわ。そんな時に動きにくいドレスで居るのって馬鹿よね?」


 豪奢なドレスに包まれた美しい姫。そんなものは居なかった。そこにいるのは簡易な革鎧にズボン姿。下級兵のような恰好をしたアスフィエ王女だ。


「ええ、まあ」


「それにしてもナイスタイミングね、エルテナ」


 アスフィエ王女は、どこで調達したのか、ぱんぱんに詰まったザックを背負いなおす。そこでエルテナが不思議なものを見るような顔をしていることに眉をひそめた。


「何よ?」


「いえ。落ち着いておられるようで、驚きました。もっと取り乱すものかと思っておりましたので……」


 力強い瞳。

 どんな状況でも強さと明るさを失わぬ姿。


「――信じてたから。エルテナなら必ず来てくれるでしょ」


 それはずるい。殺し文句だ。

 剣の柄を握りしめ、苦労して顔には出さないようにする。


「行きましょう。追手が姿を見せる前に城から出なければなりません」


「わかったわ」


 エルテナの先導に、アスフィエ王女は素早く後を追う。その歩みは堂々としたもので、迷いも悩みも見つけられない。


「王のことは気になりませんか?」


「ああ、気にならないわよ。これっぽっちも全くね。だって生まれてから何回顔を合わせたか数えられるくらいだわ」


「王族としての生活も……なくなるんですよ?」


 エルテナが聞いたのは、ただ一心に、アスフィエが損をするのが嫌だったからだ。

 彼女がこれまで受け取れていたものがなくなってしまう。それが嫌だったのだ。

 だが、アスフィエ王女はその言葉を鼻で笑う。


「せいせいするくらいね。豪華な食事も、綺麗なドレスも、難しいお勉強も、何一つ私には向いてないわ! お姉さまとかお母さまとか、そういうのは向いている人がやるのが幸せなのよ」


 ただ、とアスフィエ王女は一息入れた。

 怒気が膨れ上がるのを、肌で感じる。

 乱暴にひっつめたアスフィエ王女の髪が、魔力の渦で浮きあがる。


「心配なのは民のことだけね。王族の娘として、サルヴァ国は許さない。いつか必ず潰すわ」


 猛火の片鱗をその言葉に見た気がした。

 まるで豪槍だ。勢いと運だけで突き進む。


「ま、外のことは全くわからないのが不安かしら。エルテナ、これからも頼むわよ?」


「……お伴いたしましょう。いつまでも」


 敵がどこにいるかもわからないのに、エルテナは笑う。

 まあ、エルテナには何でもよかったのだ。傍に、いられるなら。

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