其の八
待ち合わせ時間の十分前。ミルスティス領で一番栄えている都市メレシャの中央広場、水時計塔前。
ここの水時計塔は天井が抜けたデザインの円柱型のガラス製で、ガラス内部が水で満たされている。水の色が何時を、水の中に浮かぶ光の横線の太さと数が何分を示している。
水の色は淡い黄色。あと十分で正午。
アドルファスさんとはランチを食べる予定で、その後もしかしたら軽く街歩きもするかもしれない。
どんな人かな……もっとお兄様にアドルファスさんのことを聞いておくんだった。
「エステルさん!」
「アドルファスさん?」
「そうです。アドルファス・ルッテラークと申します。初めまして」
「初めまして。エステル・ミルスティスです」
私の前に現れたこげ茶の短髪に、グレーの瞳の青年。身長も高く、大柄で兄様よりも筋肉質かもしれない。どことなく犬顔。
服装はとてもシンプルで、白い長袖シャツに下はカーキ色のボトムス、ブラウンのショートブーツというコーディネートは日本で歩いてても違和感なさそう。
「突然の手紙で驚かれましたよね。すみません」
「いえ。とても嬉しくて、読み返していました。今は大切に保管してあります」
「ああ……すみません。照れるな……。ブレイデン、あ、お兄さんがいつもエステルさんの自慢話をしていて」
「ではアドルファスさんは兄に騙されてしまったのですね」
「それはこれから知っていきたいのですが」
小さく笑いあって、目的のお店までアドルファスさんと並んで歩く。
今日はアプリコット色のワンピースに白い小ぶりなバッグ、それとライトグレーのパンプスで、ヒールも低めだから歩くのには適しているはず。
メインストリートに続く道から逸れて裏路地に入ると、人の波も途切れて、頭上には道の左右に渡る滑車に干された洗濯物がはためいている。
「よく乾きそう」
「そうですね」
空は抜けるような青さで雲ひとつない。
「エステルさんは家事……って何聞こうとしてんだ俺」
「自室のみですが、掃除は毎日しています。料理もごくたまにですが、作ります。洗濯は侍女達の領分ですね」
前世ではどの家事も役割分担でやっていました! とは口に出せないけど……。
ミルスティス家で働く人達の仕事を奪うことになってしまうから、本当は将来のためにこの世界での家事、とくに料理には慣れておきたいけど、我慢。
多くの貴族令嬢達は結婚後のために一通り覚えるくらいが普通で、日頃から家事をしている子といえば……思いつくのはわずかだ。
「俺は洗濯が苦手で、でも汗かくから洗わないと部屋に臭いが充満するので、仕方なく格闘してます」
「兄の脱いだ服も侍女達が洗いがいがあるって毎日のように張り切ってます」
「あ、ここです」
「お腹空きましたね」
「エステルさんに気に入ってもらえるかな」
着いたのは、奥まった場所にある濃いグリーンに塗装された格子の木枠にガラスの壁で店内から暖色の光が漏れる外観のお店で、お昼時ということもあり混雑しているようだ。
アドルファスさんがドアを開けて私を通してくれる。
「有難う御座います」
店内も濃いグリーンの壁の落ち着いた内装で、どこかモダンな雰囲気がある。
アドルファスさんが店員さんに名前を告げると、店員さんが窓際の一番奥の席に案内してくれる。
渡されたメニューを開くとそれなりのお値段がするお店で、でもランチコースがお得みたいなので、迷わずそれに決める。
アドルファスさんも同じコースの同じ魚料理を選んでいて、「お揃いですね」と笑う。
気取ったところがなくて、話しやすい。
この間の演劇鑑賞でユリウス様との距離が縮まったのは確かだけど、アドルファスさんの前だと背伸びが要らない。
アドルファスさんとは三歳違い。
関係を大切に育めたらいいな。
「ただいまー……」
「早かったな」
「兄様」
「どうだった?」
「うん。楽しかったし、美味しかったよ!」
居間のソファに腰掛けて剣をみがいていた兄様が顔を上げる。
「それは何より」
「うん、ありがとう」
また剣をみがきだす兄様の後ろを通り二階の自室に向かう。
部屋に入り窓際のテーブルの上を見ると、白い封筒と淡い水色の封筒の手紙が二通。
白いバッグをラベンダー色の椅子におき、差し出し人を確認すると、ジルベールさんとヴィクトリア様で、どちらから開封するべきか……。
「ジルベールさんかな」
白い封筒を手に取ると表に速達の印がある。何かあったのかもしれない。
「え……」
そこには保冷剤の認可はおりたものの、許可証の発行が差し止められていることと、調査の結果、差し止めが王家によるものであることが判明したと書かれており、慌ててヴィクトリア様の手紙を開く。
『エステル。明朝、桃明の時刻に王宮まで来てね』
時間指定で届けられた手紙の淡い水色の便箋には達筆でそれだけ。
いつもどおりのヴィクトリア様に脱力するけど、ジルベールさんの手紙にも明日時間がある時でいいから商会に来て欲しいと書かれている。
明日が来るのがちょっと怖い。




