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其の七

思わずユリウス様から離れて、手に触れる部分はいくらか厚みのある柔らかい赤いベルベットになっている腰高の壁から軽く身を乗り出して劇場を見渡し、美しさにため息をつく。

椅子を寄せるともたれ掛かって観られるようになっていて、きっと快適だ。


私の手を後ろから引くユリウス様は既に五脚ある椅子の左から二番目の席に座り、微笑んでいる。



ユリウス様の余裕ある大人な態度に、急に恥ずかしくなって俯く。


「エステルはここに」


ユリウス様の隣に座るよう、ユリウス様が椅子の背もたれの縁に腕をかけて私を促す。



ど真ん中……!




そういえば、前世で友達と好きなアーティストのコンサートでアリーナ最前の神席を引き当てて、二人ですごく浮かれたことを思い出す。


席運ってあるのかな?



「あ、あの」



誰かの目があるわけではないけど、子爵家の人間が公爵家ご子息のエスコートを拒否するわけにもいかない。



「失礼します……」



私が座ってもいいんだろうか? という疑問は飲み込み、出来るだけ浅く座って、落ち着かない気持ちを誤魔化す。


右側の天井に顔を向けまだ劇場内部を観察しているふりをして、ユリウス様の視線から逃れる。



「エステル」

「はいっ」


声が裏返ってしまって、ユリウス様が笑いをもらし、私は顔が火照っていくのを感じる。耳まで赤くなっているかもしれない。



「そんなに緊張しないで下さい。今日のチケットです。記念にどうぞ」

「有難う御座います。女神の慈悲……バーク地方に伝わる民話ですね」



ユリウス様から受け取ったチケットの半券に記された今日の演目は女神の慈悲。

ある日、天から降りて人の世界で人として暮らしてみようと思い立った女神がとある辺境伯のもとで住み込みの下働きをはじめることによって巻き起こる騒動が主となる喜劇で、喜劇なのに女神と聖騎士の悲恋もあったりする演目で、歌劇初心者にすすめられることも多い。



「魔術演出ありの劇だからとても華やかだよ」

「シーズンごとに演出が変わることもあるとか」

「それを楽しみに通い詰める人もいるくらいだからね」



ユリウス様は、歌劇にまで詳しいらしい。へえ……と頷きながら、先程からずっと掴まれたままの左手をそっと引き抜こうとするけど、未遂に終わる。



「あ、暗くなってきた」



しばらくして場内の照明が落とされて舞台の幕が上がり、私だけじゃなく場内全体が期待と興奮に包まれる。



だけど、その後もボックス席に二人きりで、ずっと手を離してくださらなかったユリウス様の手の感覚と体温が、帰宅したあとも残り続けているような気がして、なかなか眠りにつけなかった。











気迫を感じる。


プレッシャーに押し潰されそうになりながら、緑硝子のペンに黒いインクを付け直し、そしてまた硝子のインク壺にそのままペン先を沈める。



北竜魔術商会、二階の一角。

目の前にはジルベールさんがテーブルを挟んで座っていて、「わかっているだろうな?」と言いたそうな挑戦的な瞳で、書類に向かう私を監視している。


試行錯誤の結果、長時間持続する保冷剤が完成して、商品化プロジェクトが本格的に始動するわけなんだけれども、まずは、この書類を書かないといけない。



エルシェリアに関わらず、新しい魔導具は魔導具保全技術機構というところが行っている安全性テストをパスして認可を受け、販売許可証が発行されてからでないと売り出すことが出来ない。


つまりこれはその申請書なんだけれども、国内販売か国内及び国外販売かのところに丸をつける箇所でもう十数分止まっているわけでして。



北竜魔術商会としては今回は国外でも販売したいんだと強く強く押され、いつも通り国内一部地域販売にとどめい私だけど、ジルベールさんが誰にも知られてないはずの私の弱みを耳打ちしてきたことにより、形勢は限りなく北竜魔術商会有利となっている。


まだテストにパス出来るとも決まってないし、売れるかどうかもわからないから、いいんだけど……いいんだけど、沢山製造しても売れないと困るのもあるし、判断が難しくて、丸一つをいつまでも書き込めないでいる。


国外販売となると、審査が増えるらしいし、ダメだったら自動的に国内販売になるんだよね。


今まで国内販売の許可がおりなかったことはないから、国内販売についての心配はないんだけど……たかが保冷剤……されど保冷剤。



便利なものは共有した方がいいのかなあ……。


私は、恐る恐るペン先のインクを切って、他の部分はもう既に書き込み終えている申請書に最後の丸をつける。



「ご勇断です」



ジルベールさんが満足げに笑顔で頷いて、私から申請書を受け取る。



ああ、もう後戻りは出来ない……。悪いようにはなりませんように祈りながら、浄化魔法陣が彫り込まれている銀のペン立てにペンをおさめた。

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