其の三
「うーん……、条件二の時の冷却維持時間は約十五分。これではダメだわ。もう少しもってくれないと売り物にならない……」
今度売り出そうと思っているのは、魔術が使えない人でも扱える保冷剤だけど、完成までの道のりは遠そう……。
がっくりと肩を落として、白木の大きな作業机に並べた数種類の試作品とデータを見比べる。
「エステル? 入るぞ」
コンコンと音がして、顔を上げると薄茶の髪に碧眼のラフな格好の青年がドアの脇に立っている。
「お兄様」
「あんまり棍を詰めるなよ。ほら」
私と良く似た顔立ちで、精悍さが滲み出ている兄のブレイデンはあきれたように笑って、持っていた小さな花束と白い封筒の手紙を私に差し出した。
黄色と白の花、緑の葉の花束から甘い香りが鼻をくすぐる。
「どうしたの、これ」
「言っとくが、俺からじゃないからな」
「じゃあ、誰からかしら。お父様やお母様なわけないわよね。ステファン? ソフィア?」
花束と手紙を受け取って、丁寧な文字でエステル・ミルスティス様と書かれた封筒の裏を見ると、アドルファス・ルッテラークという人からの手紙のようだ。
「もしかして、騎士団の?」
「悪いやつじゃない。会ってみてくれないか」
父様のあとを継ぐことは確定している兄様だけど、今はミルスティス子爵領騎士団にも所属している。子爵になるまでは続けるつもりらしく、鍛錬を欠かしていない。
「手紙、読んでもいい?」
「ああ、勿論」
ゴールドの封蝋を外して、中から飾り気のない、でもすごく手触りのいい厚手の三つ折りになった白い手紙を取り出す。
そこには、突然のお手紙を差し上げる失礼をお許し下さいという書き始めの、不器用な言葉で綴られた紙一枚分のラブレターがあった。
「兄様、肝心の待ち合わせの日時に関する記載がないわ」
読み終えてそのことに気が付き、もう一度目を通して手紙の裏側も確認するけど、何も書かれていない。
「え、何やってんだ、あいつ……」
「きっと失念していたのね。アドルファスさんに会ってみたいんだけど、まずは手紙の返事が先かな?」
手紙をしまい、花束を取り鼻先につけて、香りをかぐ。
「あー……俺もあいつも気にはしないが、一応貴族令嬢だからな。あいつにはもう一度改めて日時を決めてお前に誘いの手紙を書くよう伝える」
「わかったわ。私からの返事に、空いてる日を書くのはマナー違反じゃないよね?」
「ああ、それなら話は早いな」
「うん。じゃあ、返事が書けたら兄様の部屋に持っていくから、よろしくお願いします」
「任せておけ」
兄様が退室していき、窓の外を見れば夜の空が広がっている。
色付きの水で時間を示す置き型の水時計は紫紺色。もうすぐ日付が変わる頃だ。
「花瓶を出してもらおう」
侍女のソフィアはまだ起きているはず。
私は作業机を片付けて、花束と手紙を手に長い時間座っていた椅子から立ち上がった。
◇
王宮に来たのはいつぶりだっけ……。
どこを見ても、子爵家とはつくりも大きさもけた違い……。
大きな大きなシャンデリアが高い高い天井から吊り下げられた装飾の美しい階段の間を、王都の一流店で仕立てた淡い緑のドレスを着て、青いマントの騎士の人の後ろをついて行く。
王太子妃殿下のお茶会。開始時刻より早く呼ばれた私は、淡いピンクの招待状を手に王宮に参じた。
どう頑張っても王宮は緊張する。
でも前を向いて、背筋をのばし顔を上げる。すれ違う人達は老若男女、服装も様々だけど、王宮に入る事を許された人達だ。気は抜けない。
王太子妃殿下は私より一つ歳上で、サウトファルヒール公爵家の出身。幼い頃から王太子殿下と婚約されていて、去年晴れて妃殿下になられた。
「妃殿下は中でお待ちです」
「有難う御座います」
案内してくれた若い騎士の人にお礼を言って、一呼吸おき、大きな扉をノックする。
「どうぞ」
しっとりとした女性の声がして、力を込めて扉を押す。
「失礼致します」
「待っていたわ、エステル。さあ、入って。どうぞこちらに掛けてちょうだい」
広い部屋の中には、沢山のテーブルと椅子が並び、これからここが令嬢達の華やかな社交場になることを予感させる。
そんな部屋の端っこのテーブルに、とても美しい女性がいる。
ヴィクトリア王太子妃殿下。プラチナブランドの長い髪を流行の結い方でまとめた、淡い紫の瞳の艶やかな藤の花のような女性。ラズベリー色のシックなドレスを着こなせてしまうのは、この国では彼女くらいかもしれない。
「妃殿下。本日はお呼びいただきまして、大変光栄に存じます。また王家ならびにサウトファルヒール公爵家の皆様には、」
「ねえ、エステル。堅苦しい挨拶はいいわ。私と貴女の仲じゃない。他の方達が来るまではお姉様って呼んでね」
男性なら一撃で仕留められてしまうかもという困り顔……でも近くで見るとはじめてわかる意志を宿す強く煌めく瞳は相変わらずなようで、安心したような、震えたくなるような……。
私、前世で何か悪いことしたかなあ。そこのところはぼんやりしてるんだよなあ……。