其の十
そうだ。覚えてる。
新野先輩と海辺の商業施設でデートの約束をしていて、当日なぜか数馬先輩も新野先輩と連れ立って現れて「寂しいし暇だからついて来ちゃった。でもご飯食べたら帰るから」と言いつつ、三人で展望デッキを歩いている時だった。
すぐ近くで悲鳴が聞こえ、そちらを見れば腹部をおさえて座り込む女の子。その子の友達だと思われる女の子がその子の名前を叫んで、数馬先輩が駆け寄ろうとしたところを新野先輩が引き止めた。
「まずこの場から離れよう。警備員に知らせに行く。その間に救急車と警察に電話」
通り魔だった。
全身に震えが走って、新野先輩の腕を強く掴んだ。
「花凛、走って」
背中を押され、言われるままに走り出した時、親とはぐれたのか、二歳くらいの小さな男の子が手すりを掴んで海を見ているのが目に入った。
「待って。待って、どうしたの? お母さんは?」
そう聞くと、男の子はきょとんとして首を傾げる。
「……どうしよう。ここにいると危ないのに!」
「花凛!」
離れたところで新野先輩の声がした次の瞬間、強い力で髪を掴まれ、全身が鋭い痛みに支配されるのはあっという間だった。
新野先輩と数馬先輩が何か叫んでいるけど、痛みでそれどころじゃなくて、とにかく男の子を庇おうと抱きしめているのが精一杯だった。
「で、先輩方がここにいるってことは……」
「まあ、俺と雄大は卒業したけど、三人とも写真部だったじゃん。 あの時ほど鍛えておくんだったって思った時はなかったな。今世は反省を活かしてるけど」
「俺と花凛は助からなかったけど、数馬は一命を取り留めたんだよな」
「その時の傷が原因で天寿は全う出来なかったんだけど」
「本当に申し訳ありません。本来お三方はあの時あの場に居合わせないはずでしたのに」
「俺と数馬があそこに行くまでに起きた電車のダイヤの乱れから運命にズレが生じたんだろ」
「ええ。ですから転生に際し、地球の神からは記憶の引き継ぎと私達からは可能な限りの祝福の付与を……」
「あの、新野先輩はなぜ女神様に突っかかるんですか?」
素朴な疑問をなんとなく口にしただけのつもりだったのに、会話が途切れる。
「ユリウスは苦労人なのよね」
「エステルもだろ」
「え? わたくしですか?」
ヴィクトリア様とオリヴィエ殿下が顔を見合わせたあと、私達を見る。
「私が女神の権限によりこの世界に二度の時間遡行を起こしているからでしょう」
「俺達には実感がないけどな」
「実感して理解しているのは神々とユリウスだけなのよね」
「一度目は俺とエステルの結婚式前日だった。エースは全世界に展開するブランドでミルスティス子爵家は大富豪になっていた。そして命を狙われたエステルは術殺されてしまった。二度目は……一度目と同じようにエステルはエースを成功させたが、商品の権利を騙し取られた挙句に、俺を好きだと言う令嬢達の嫉妬によって、エースの魔導具の製造段階で呪われた魔石を混ぜられ、その結果世界各地で事故がおき、エステルは社会的に厳しい立場に立たされた。ちょっとした国際問題にもなり、俺達は婚約していたけれど、その婚約は周囲の干渉によって破棄され、生活にも困るようになり、生きる希望をなくしたエステルは……真実を明るみに出せたのはだいぶ経ってからだった……」
「新野先……ユリウス様」
ソーダブルーの瞳から涙が一筋流れ落ちる。
私はユリウス様の手を取り、ぎゅっと握る。
そうすると彼も握り返してくれる。
「だからユリウスはエステルに沢山の高価なジュエリー……しかも術殺を無効にする術がかけられたものを贈るようになったのよね。もしもの時少しでも力になれるよう」
「それに商品の権利を守れるよう法整備をすすめようとしているんだよな。まずは知財から」
「あ、それで新しい国家資格……」
「そうする必要もなさそうだと思ったのにね。エステルはユリウスの求婚を拒み続けているし、エースも国内販売にとどめていたものね」
「うーん。……ユリウス様の求婚を拒んでいたのは、実を言うと人に傅かれる生活に違和感があるだけなんですが……。過去二回の私がどう思っていたのかわからないので何とも言えないんですが、ただユリウス様のプレゼントに困り果てて悩んでいたのは確かです。だからエースも……」
苦笑して、ユリウス様を見上げる。
「エステル、今もまだ俺の求婚を断る?」
「あー……うーん……えーと。考えさせて下さい……」
事情を知り、さらにはユリウス様が新野先輩だとわかって、心が揺れる。
「あの……エステルさん。申し上げにくいのですが、運命が予定通りであれば、新野雄大さんと三上花凛さんは三人のお子さんに恵まれているはずでした」
「はい?」
「つまり、その……神にも都合がありまして……今世で成し遂げて頂きたいのです。その条件が達成されないと再度時間遡行を起こすことになります」
「だから、俺以外と幸せになろうなんて思うなよ」
ユリウス様があやしく微笑む。
その口ぶりからすると色々知られているよう……。
「終わらないリセマラはツラいよなあ」
「数馬先輩……」
「リセマラって何ですの?」
ヴィクトリア様が目を輝かせている。どっと疲れが押し寄せながらも、二人の仲が良い理由がなんとなくわかった気がする。
ちなみに、保冷剤はクレスレード領の魔石を使用する事を条件に許可証が発行されることになり、北竜魔術商会にはユリウス様がついてきた。
クレスレードの魔石は質が良く高価なので、「国外にも発売する保冷剤には使えません」と断ったものの、セリュメ様が「魔石生成ならお任せ下さい、お安い御用です! 五千年分くらいなら今すぐご用意しますので」と言い出したので、もう黙っていることにした。
「保冷剤は医療の現場でも使われることになりますから」
と言い残して去っていくセリュメ様をユリウス様は冷たい目で見送っていて、これまでのユリウス様を少しだけ垣間見た気がした……。
美貌の公爵が残した法は、他国の法にも影響を与え、世界に浸透していったと歴史書は語る。
ありがとうございました。




