消えた先輩の話
急に書きたくなりました(土下座)
「先輩! 辞めないでください! 先輩が辞めちゃったら、大変な事になります!」
疲れた顔をした先輩に私は泣きついた。
鬼畜の所業だと思うけど、必死だった。
「ごめんね、美沙ちゃん……もう疲れたの……」
先輩が呼び出されたのは、とある既婚の会社員が原因だった。
そいつは妻子ある身で先輩に言いよったのだ。
先輩は普段ひつめ髪にして眼鏡に地味メイクと徹底して自分の美貌を隠してた──過去に色々顔のことで嫌な目にあったらしい──にも関わらず先輩が美人だという事に気付いた眼力は褒めてあげてもいい。けど、だからって言いよっていい事にはならない。
悪いことにそいつは女子社員に人気があって──どこをどうしたらそうなるのかわからないけど、いつの間にか先輩が言いよっているように噂された。
風紀を乱したという事で先輩は辞職を迫られたのだ。
「美沙ちゃんには私の仕事をもう引き継いだでしょう? あなたは優秀だから私の仕事はもう代わりにできるわ」
わあ、先輩、根に持ってる!
「それは……先輩の仕事だけだったら、なんとか……」
この課の男どもは先輩の風評を否定しなかった。
それどころか、常日頃の恩も忘れて先輩をこき下ろしてくれたのだ。
「それだけで充分よ。あなたはあなたの仕事だけできれば」
含みのある笑顔で先輩が言う。
先輩、この後の事、予測できてますね。
ええ、もう、そうですね。
「……そうですね。先輩はもう解放されてもいいと思います。こんなとこスッパリ辞めちゃって、先輩を認めてくれる所、大事にしてくれる所を探した方が」
「ありがとう。それから、ごめんね」
先輩は地味メイクなのに、見とれるぐらい綺麗な笑顔を見せました。
有給を消費するため籍は会社にありますが、出社するのは今日で最後。先輩は荷物をまとめて帰っていきました。
これが、先輩が失踪する前に見た最後の姿です。
先輩のいた席に目を走らせ、持っていた書類にもう一度目を落として溜息をつく──そういう事をする人が次の日から何人かいました。
いえ、ぶっちゃけると課の全員がそうです。
「小宮先輩、どうしました?」
「ああ、美沙ちゃんか……いや、神奈川、いなくなったんだな、と」
私は苦笑しました。
「皆さん同じこと言いますよね。先輩を辞めさせろって、騒いだのは皆さんでしょう?」
小宮先輩はバツの悪そうな顔をしました。
「それはそうなんだが──」
「仕事の肩代わり、させれなくなって当然でしょう?」
私は鼻で笑ってやりました。
小宮先輩は何度も自分の仕事を先輩に押し付けていました。
もっとも小宮先輩だけじゃありませんけど。
私が入社したとき、先輩を追い出すつもりで、先輩の仕事の引継ぎを私にさせました。
先輩に仕事を教わっているうちに、あることに気付いたのです。
それは、課の先輩方がことごとく先輩──神奈川遥先輩に仕事を押し付けていることに。
恐らく先輩は課の仕事の半分を一人でこなしていたのではないでしょうか。
正規の先輩の業務は引き継ぎましたけど、その非正規の仕事は引き継いでいません。
「私はできませんよ。入ったばかりの女ですから、正規の仕事だけで精いっぱいです」
恨めし気な小宮先輩に言ってやりました。
「今度からは自分で頑張ってくださいね」
もう遥先輩はいないのですから。
先輩がいなくなったのに気づいたのは私です。
既読がつかなくなったのを心配して、先輩のアパートを訪ねました。
顔見知りの管理人さんに部屋の扉を開けてもらったら──飲みかけのビール、半分食べたつまみ、それらがのったテーブル。スマホも財布もそのまま。ちょっとどこかに出かけたように先輩はいませんでした。
知り合いに連絡しまくり、それでも先輩は見つかりませんでした。
先輩は消えてしまったのです。
御両親が警察に届けを出したようですが見つかっていません。
先輩はどこに行ってしまったのでしょう?
先輩が抜けた穴は日に日に大きくなっていきました。
我が課の仕事の遅延は周りにも影響を及ぼし、じわじわと会社を機能不全に陥らせております。
「どうしてこんなに仕事が終わらないんだ!」
係長が悲鳴をあげました。
当然でしょう?
一人で課の仕事の半分をこなしていた先輩がいなくなったんですから。
係長の仕事なんて、ほとんど先輩がしていたじゃないですか。
「神奈川がいなくなったから……」
小宮先輩がいいわけしました。
「先輩の分の仕事は私がしていますよ。ただ──皆さんの仕事の肩代わりをしていないだけです」
私は言い切りました。
「皆さんが今まで先輩に押し付けていた分の仕事が、本人に返ってきただけじゃないですか。先輩を追い出すんなら、先輩に押し付けた分を自分でやらないといけないことぐらい、わかっていたでしょう?」
皆さん凍り付いたように動きをとめました。
「美沙ちゃん?」
「あれ? 気づいていませんでした? 皆さん、遥先輩に仕事を押し付けているの、自分だけだとでも? 遥先輩、自分の分とは別に、皆さんの仕事肩代わりしていたんですよ? そうですね、課の半分の仕事は遥先輩がやっていましたよ。その遥先輩がいなくなったんですもの、その分仕事してくださいね」
私は席を立ちました。
「係長、仕事終わりましたし、定時ですので上がります」
「西崎君、君、神奈川君とは親しかったね? どこにいるか心当たりはないかね?」
私は首を傾げました。
「心当たりは全部探しましたよ? どこにもいないから、ご両親に連絡したのは私です」
ざまぁ。
その人はとても綺麗でした。
長い髪をなびかせて、メイクらしいメイクはしていないのに、内側から輝くような美しさ。
でも、私にはそれが誰だかわかりました。
「先輩……」
「美沙ちゃん、久しぶり」
「先輩! いままでどこに行っていたんですか!」
遥先輩でした。
先輩は困ったように笑います。
「心配かけちゃった? ごめんね。えっと、どこか入ろうか?」
先輩と入ったのは喫茶店でした。
先輩はもともと待ち合わせするためここに入る気だったようです。
「それで、どこにいたんですか? 私、心配したんですからね!!」
「えっと、信じてもらえるかどうかわからないけど──異世界のシュムライって国にいたの」
そこから遥先輩が語ったのは、短くまとめますと──異世界で問題が起きていて、先輩はそれを解決できる存在として召喚されたのだそうです。
晩酌中に着のみ着のままで。
そこから色々ありまして、問題を解決。
そこで知り合った男性と結婚するのだそうです。
「え゛!」
「それで無理を言って、今回こっちに一時的に帰らせてもらったの。父さんと母さんに挨拶したくって」
はにかみながら言う先輩は綺麗でした。
「でも、先輩、失踪して三カ月ですよ……」
「そこが問題なのよ」
先輩があちらに行って三年たっていたそうです。
「あっちの世界とこっちの世界では時間の流れにずれがあるみたいなの。繋ぎっぱなしにしているから、今はそうでもないけど、接続を切ったらまた時間の流れにずれが生まれるわ」
だから里帰りは今回だけだそうです。
「美沙ちゃんに会えてよかったわ。ちゃんとさよならが言える」
「先輩……お幸せに……」
会社は先輩がいなくなって一カ月もたたないうちに、先輩の辞職を撤回してもらおうと先輩を探しました。
その頃にはとうに異世界だったのですね。
その後、銀髪の綺麗な男の人が先輩を迎えに来ました。
先輩の旦那さんのようです。
どうかお幸せに。