砂漠の花と錆びかけた鉄の鍵
砂漠の中を白馬と輿がやってくる。
赤い砂の砂漠の中を、白い絹を翻して、まるで絵物語の天女たちが舞い降りてくる様だ。
輿にかけられている白絹には金糸で刺繍が施され、ラクダに乗せられた輿が揺れる度、風に舞う度に陽光を照り返してキラキラと輝く。
輿に付き添う馬に乗った女官たちも、白一色に金糸銀糸の煌めきを纏っている。
夢現か幻か、この無人の砂漠で、麗しい一行だけが静々と砂漠を渡って来ていた。
「マサムネ! きたよ!」
岩山の上で双眼鏡を眺めていたらしいハチが、興奮しながら店の中に下りてくる。
広大な砂漠の中にポツンと建ち、客も少ないこの場所では、往き過ぎる人たちを眺めながら客を待つのがハチの楽しみだった。
いつもなら横切るだけの一団がこちらへ向かってくる、しかも、それが豪奢な一行とあれば興奮も一入だ。
双眼鏡を抱えた幼子は、マサムネの足に纏わりつくようにして、今見たばかりの一行の様子を話して聞かせる。
「ぜんいん、おんなのひとだよ! おうぞくみたい!」
王族の行列など見たこともないだろうハチが興奮して言う。
この砂漠ばかりの国に、そんな豪奢な風習はすでに絶えて久しい。
「すごくごうかでキラキラしてたよ!」
「綺麗な花には棘があるって言ってな、綺麗なものだからって良いもんとは限らないだろ」
厨房で今日の分のパンを焼いていたマサムネは、足元をちょろちょろと纏わりつくハチを上手い事避けながら鉄板の上のパンを店へと運ぶ。
「もー! マサムネはロマンがない!」
「お前にロマンなんて言われるとは思わなかったな、犬っころ」
そう言ってマサムネは爪先でハチを小突くと、ハチは子犬のようにコロンと転がった。
「ロマンもいいけど、お前が水汲みしないと今夜の飯はパンだけだぞ」
「やだ! おにくたべたい!」
転がされても微塵も気にせず、ハチはすぱっと起き上がる。
「じゃあ、水汲んでこい。お前の仕事だ」
「はーい!」
ハチは抱えていた双眼鏡を棚にしまうと、側に下げてあった皮袋を持って裏へと駆けていった。
「お前だって、色気より食い気じゃねぇか」
マサムネは嘆息すると、ハチのしまった双眼鏡を取り出し、店の戸を開けて双眼鏡を構えた。
双眼鏡にはすぐに白く棚引く光の行列を見つけ、眉を顰めて再び嘆息した。
(ああ……今夜は新月か)
女たちは美しく着飾り、砂漠の悪路も物ともせず、真っ直ぐにこちらに向かってくる。
陽の光の下で美しく煌めく女たちが、新月の闇夜ではどんなふうに見えるのかをマサムネはよく知っていた。
「とんだ、百鬼夜行だ」
双眼鏡を元に戻すと、冷めてしまった鉄板を抱えて、マサムネは厨房へと戻って行った。
「お邪魔いたします」
天女の1人が店の戸を叩いたのはそれから一刻ほど後の事だった。
「お預かりいただいている鍵を頂戴に参りました」
薄いベールをかぶって顔を隠してはいるが、その肌の白さと紅の塗られた形の良い唇は、話しかけてくるだけで見る者を魅了する様だ。
「ほら、こいつだ」
しかし、マサムネは一切そんな事には動じずに、むしろ客に対するより素っ気なく、錆びかけた鉄の鍵を放って渡した。
「ありがとうございます」
女はそれを受け取り、恭しく掲げて礼を述べると、静々と外へ出て行く。
「マサムネ、あのカギはどこの?」
「『隣り』の鍵だ。って、おい、ハチ、間違っても覗きに行くんじゃねェぞ!」
「なんで! おとなりさんなら、いいじゃん!」
早速、女の後をついて行こうとしたハチの首根っこを捕まえ、マサムネはハチを荷物のようにひょいっと肩に担いだ。
「バーカ、ガキの行く所じゃねぇんだ。あそこは」
「ガキじゃないよ! おっきくなっていくよ!」
「そんなん許すか。バカ」
「バカっていうな!」
「ガキ」
「ガキじゃない!」
キーッと肩に担がれたままジタジタ暴れるハチを連れて二階の住まいに上がって行く。
(ガキだ、ガキだと思っていたが、こんな犬っころでもアイツらの色香に惑わされるところを見ると、一丁前に雄ってことか)
マサムネから見たら、人間体のハチは赤子と大して変わりがない。
獣態を取れば人間では敵わぬ力を発揮するハチだが、マサムネにとっては丸い尻でちょろちょろ歩いて回ってるハチを男だと思ってみたこともない。
「はなしてよー! もー!」
癇癪を起こしてじたばたするハチを寝室のベッドの上にポンと投げ込むと、マサムネは寝室に外から鍵をかけた。
「今夜は部屋から出るな。飯は持ってきてやっから、大人しくしてろ」
「マサムネ! おーぼー! ばかー!」
ドアの向こうでギャンギャン喚くハチを無視して、マサムネは階段を降りはじめる。
ハチに獣態を取られたらこんな木の扉などみじんもないが、ハチもそこまで見境無しではないようだ。
マサムネは嘆息し、仕事の続きを片付けに厨房へと降りて行った。
一方、ハチはぴったりとドアに耳をつけ、マサムネの足音を聞いていた。
ハチは獣人なので人間の形の時でも耳が良いために、音の響きにくい洞のなかを歩く足音も良く聞き取れた。
岩山の中にアリの巣のように開いている洞を上手く利用して作られているこの店舗兼住処は、建物にしたら4階建てくらいになる。
砂に埋まっているため地下のようになっている1階は貯蔵庫、石段を少し登ったところに入口のある2階は店舗、居住区に使っている3階と4階、さっきハチが遠見をしていたのは屋上にあたり、岩山の中腹位にあたる。
洞の中は結構広く天井も高い。獣態をとるとマサムネより背の高くなるハチでも背を伸ばして普通に歩けるほどだ。
ただし、岩山の中なので窓などは殆どなく、居住に使っている部屋と店舗以外は、真昼でもランプが必要だ。
出入り口の限られる気密性の高い穴倉だが、唯一の例外は空気孔で、空気の循環を良くするための穴だけはどの部屋にもしっかりと作られていた。
もちろん、ハチの閉じ込められた寝室にも。
「マサムネのばーか! なんだよ、おきゃくさん来たくらいで」
マサムネが階下に降りたのをドア越しに足音で確認すると、ハチはベッドの下に潜り込み、ベッドの影に隠れている換気用の空気孔を塞いでいる木の柵を外した。
穴の大きさはハチが四つん這いになってやっと進める程度だが、すべすべの岩肌は通り抜けるのに苦労はない。
「あのカギって、おおあなのカギだった」
四つん這いで進みながら、ハチはマサムネが女に渡した鍵を思い出す。
マサムネのベルトには岩屋のすべての鍵が下がっている。
ほとんどの扉は施錠されていないが、普段出入りのない所や重要な場所は施錠されている。
その中でも、店の右隣に開いている大穴は謎の場所だった。
大穴だというのもマサムネの話でしか知らない。
外から出入りができるのは店と同じだが、そこ以外空気孔も出入り口もない。中を見ることは全くできない、ハチにとって未知の場所だったのだ。
ハチは空気孔を使っていったん外に出ると、砂漠に下りて店の隣へと向かう。隣と言っても岩屋を3分の1周くらいするので、砂漠を走り慣れていても子供の足では30分ほどかかる。
もう夕日が落ちて辺りは薄暗い。その暗がりに乗じて、ハチは懸命に走った。
「あ!」
あと少しで扉が見えるという岩陰まで来たとき、その向こうに明かりが焚かれている事に気が付いた。
岩陰から顔を出してそっと覗くと、閉じられていた扉は開かれ、入口には豪華な模様の入った絨毯が砂の上にまで広げられている。
両脇を煌々と照らす松明も豪華な細工のされた台柱に掲げられている。
「すごい……『ごてん』みたいだ……」
「お褒めに預り」
「!?」
不意に背後から聞こえた声に、ハチはびくっと体を竦めた。
何の気配もなかったのに、声の方を振り返ると、女が刀を持って立っていた。
刀は鞘から抜かれ、白刃が赤く血に濡れたように松明の明かりを照り返している。
「坊やは御殿を見たことがお有りかえ?」
女は白い肌に浮かび上がる赤い唇を歪めるようにして笑うと、驚きに目を瞠っているハチに顔を寄せた。
途端、女から花の様な甘い香りが漂ってくる。
「この、におい……」
「おや、気が付いたか。流石にマサムネの子よ。勘は良いのだな」
「止めてくれ、そいつは俺の子供じゃねぇ」
女の首のあたりの後ろから、にゅっと長い棒が付きだされる。
「マサムネ!」
「このバカ。部屋に居ろって言ったろ!」
マサムネは女を無視するように前に出ると、ハチを片腕で抱き上げる。ハチも大人しくそれに従い、マサムネの腕の中に納まると、落ちないようにぎゅっと首にしがみ付いた。
「お前らに引き寄せられてきた獲物に手を出すつもりはないが、こいつは俺の店番なんでね、悪いが返してもらうぞ」
「ほほ、構わぬよ。子犬一匹見逃したところで、どうという事もない。ただ、今宵は大事なお客人が来るゆえな、子犬が駆けまわって粗相をされてはかなわん」
「それはすまなかった。こいつはこのまま連れ帰って、鎖をつけて部屋に繋いで置く。お前らの邪魔はしない」
「承知。しかと守れよ」
そう言うと、女は白絹の衣をひらりと翻して、岩屋の上へと駆け登って行った。
刀を片手に携えたまま、まるで舞い上がって行くように。
「帰るぞ、ハチ」
「うん……」
ハチはマサムネの首にしがみついたまま、ぼんやりと女の消えた方を見ている。
何故か気になって仕方がないのだ。
「すごくいいにおいがした」
「……あの匂いで雄を誘って巣穴におびき寄せる。『主』だって甘い蜜で呼ぶだろう、あの匂いは蜜の代わりだ」
「あれは、なんなの?」
「しらん。ただ奴らはああやって時々来てはあそこに巣を張って獲物を待つ」
あの豪華な絨毯や松明は巣穴を飾るものなのだという。穴の中はもっと豪華で、金糸銀糸をふんだんに使った刺繍の装飾や綺麗な細工の施された調度品であふれているのだという。
「だが、そこから何か盗み出そうものなら、たちまち奴らの虜になって、あの巣穴に戻ってきちまう。盗んだ奴だけでなく、その調度品を手にした連中全てだ」
「じゃあ、ぬすんだやつらが戻ってくるの? とうぞくが来るの?」
マサムネはハチを抱えたままチラッと後ろを振り返り、赤々と松明の焚かれた先を見た。
新月の夜、暗闇の中、砂丘の向こうに明かりが見える。
その明かりは長く行列を生している。
「奴らは、いつ盗みに来ていつ返ってくるかもわからないような呑気な狩りはしない。街で獲物を見つけては奴らの持ち物を貢物として渡して、そいつを受け取った連中が巣穴に来るのを待つんだよ」
貢物を捧げ誘き寄せるのは、金持ちや貴族が良い。一粒くれてやった金の種が、何十倍もの金の果実になって返ってくる。
今夜、砂丘をこちらに向かってくる光の行列もそうだろう。
罠とも知らずに夢中になったどこかの金持ちか貴族が、見目麗しく馨しい姫を訪ねてくるのだ。
手土産に豪華な調度品を携え、もしかしたら嫁入りの準備かもしれない。女たちが纏っているような絹や珍しい食べ物などもあるだろう。
「あれは『主』とおなじものなの?」
まだぼんやりとした声でハチが問う。
「いいや、あれは人間だ」
「え?」
「一番怖い化け物はいつも人間だって決まってんだ」
マサムネはそう言うと、ずり落ちかけたハチを抱え直し、黙って砂丘を戻り始めた。
翌日、朝早くに『Dの店』の戸を叩く者があった。
「はーい!」
まだ開店前で菓子を焼くので手一杯なマサムネに代わり、ハチが扉を開けに駆けて行く。
「まだかいてん前だよ!」
ドアを開くと、使い込まれた革鎧をまとった女たちが立っていた。
「また鍵をあずかってもらいたくてな。坊主が預かってくれるかい?」
「鍵?」
「隣の鍵さ」
女はそう言うとハチの手の上に錆びかけた鉄の鍵を置いた。
「中の掃除は済んでる。あと、『主』の穴には12人ほど投げ込んどいた。しばらく餌はいらんだろうよ」
「え? え?」
訳も分からず、カギを握ったままハチが目を丸くしていると、奥からマサムネが顔を出した。
「おう。また鍵を頼む。あと、これから砂漠を渡るんだ。パンを分けてもらえないか?」
「今、今日の分が焼けたところだ、普通の金貨で支払うなら売ってやるよ」
「はははっ、警戒心がつえーな。ほらよ、金貨だ」
笑いながら腰に下げた袋から金貨を掴んで出して見せると、袋ごとマサムネに放って寄越した。
マサムネはそれを受け取り、棚の上に置くと、焼きたてのパンや菓子を紙で包んで布袋に入れてやる。
「蜜酒も持って行くか?」
「いいねぇ。貰おう」
金貨に見合うだけの品を袋に収めると、マサムネは女に手渡す。
「じゃあ、またな。坊主、鍵を頼んだぞ」
女は袋を受け取って、空いた手でハチの頭をくしゃくしゃと撫でた。
その途端、昨日の夜にも香ったあの花のような香りがした。
「あ、はなのにおい」
「おおっ、鼻が良いな犬っころ。大きくなったら俺たちの仲間に気を付けろよ」
そう言いながら女は豪快に笑って出て行く。
カタンと扉の閉まる音がして、ハチはマサムネを振り返った。
「あのおんなのひと! おなじにおいがした!」
「同じ人間だからな」
「ええっ! ぜんぜんちがうよ?」
「女は化けるからな」
「えええっ! にんげんもへんげするの? マサムネもおれみたいになる?」
「俺は男だから化けねぇよ」
「へえ~」
「そんな事より、ハチ、こいつと一緒に水浴びしてこい」
目を丸く見開いて感心に輝かせてるハチに、マサムネは棚の上に置いていた金貨の袋を渡す。
「え? あ! このおかね、もってるとヤバい? すあなによばれちゃう!」
「洗って匂いを落とせば平気だよ。お前もあいつらに触られて匂いがついてるから一緒に落としてこい」
「水であらうとおちるの?」
「落ちる」
「そんなもんなの?」
「そんなもんだ」
ハチは花のような香りが微かに匂う金貨の袋を抱えたまま、去って行った女たちの事を思う。
絵物語のお姫様たちは、王子さまと幸せに暮らすのだと書いてあったけれど、お姫様だけでも結構幸せそうに暮らしているのかもしれない。
(でも……)
一番怖い化け物は人間だって決まってるんだ。
何故か、マサムネのその言葉が頭の中にこびりついていて、ハチは花の香りも綺麗な女たちにもワクワクする気持ちがなくなってしまったのだった。