『man-made world ~ギャロン・ダイスの末裔達~』
指で空気をなぞる。何もない空気に光の粒子が浮かび上がり、エアスクリーンを映しだす。このエアスクリーンにはウミホタルという商品名がついている。光の粒子がウミホタルに似ているという理由からだ。残念ながら、私はウミホタルを見たことがない。ウミホタルはこのエアスクリーンに似たようなものだと想像してみるが、やはり、そこには現実感がない。
ウミホタルとは海に生息していた甲殻類の一種だ。外敵を威嚇する為に発光する特長を持ち、海蛍とも言う。このエアスクリーンにウミホタルという商品名をつけた人間も、私と同様にウミホタルを見たことないだろう。ウミホタルはとうの昔に絶滅してしまったのだから。
ウミホタルが一糸乱れぬことなく、空気に文字を浮かび上がらせる。統制された光の粒子の運動が美しかった。もし、これが本物のウミホタルならば、同じ美しさは作れないかもしれない。その代わりに生物本来の不規則な美しさを作り出すのであろうが。
ウミホタルが浮かび上がらせた文字。
ウミホタルが浮かび上がらせた画像。
あの男のものである。
そう、あの男とは。
名前はギャロン・ダイスと言う。縮れた口髭を伸ばす癖を持ち、銀色に染まる髪と枠のない伊達眼鏡がトレードマークの男だ。酒が大好きなくせに、酒に滅法弱いのもギャロン・ダイスの特長だった。
ギャロン・ダイスの生業は大学教授だ。生物学を学生達に語って、教鞭を振るう。ギャロン・ダイスは生物学というカテゴリーの中でも進化生物学に最も興味を示し、それを専門としていた。いや、違う。ギャロン・ダイスは進化生物学以外に全く興味を示さず、進化生物学しか語ることができなかった。その頑なさもギャロン・ダイスの特長だ。
大学の講義は教室の席の空き具合で教授の人気度が分かる。同僚が溢れんばかりの学生を抱えているのに、ギャロン・ダイスの講義は3割ほど席が埋まるだけだった。次に大学をクビになるのはギャロン・ダイスだろう。そんな噂が流れても、ギャロン・ダイスは変わることはない。いつものように風通しのよい教室で進化生物学の教鞭を振るうだけだった。
ギャロン・ダイスは毎晩、酒を飲みに行く。大体、決まった面子である。同僚か、学生か、必ず誰かと飲みに行く。若いお姉ちゃんが目当てではないので、安く飲める酒場が好みだ。同僚も、学生も、ギャロン・ダイスも酒のつまみに理論を闘わせた。時に同僚が学生に論破されることもある。そんな同僚はグラスを幾杯も重ねて、悔し涙を隠している。
ギャロン・ダイスはというと、いつも酔いつぶれていた。理論を闘わすけれど、勝敗が決まる前に酔いつぶれて、酔っ払いらしい理解不能な理論を展開する。理解不能であれば、論破もできず、同僚や学生も舌を巻いて、他のテーブルに行ってしまう。そして、ギャロン・ダイスはまた一人、酒を飲む。その繰り返しだった。
酒にまみれた理論など誰も覚えていない。荒唐無稽で、穴だらけで、まとまるわけない。覚えていても、しょうがないのだ。ほとんどの人間がそんな理論など忘れてしまう。酒の時の記憶など捨て去りたいものの方が圧倒的に多いはず。だが、ギャロン・ダイスは違った。自分の吐いた理論をすべて覚えていた。どんなに酔っ払っても、千鳥足で真っ直ぐ歩けなくても、頭の中、脳みその中に自分の吐いた理論を積み重ねていく。
酒場で生まれた理論など確かに理解できない。だが、酒場で生まれた理論を幾つも重ねていくと、不思議とまとまっていく。ギャロン・ダイスはそれに気づいたのだ。たった一つの理論が荒唐無稽であっても、それらを幾重に積み重ねて、絡み合わすことで、完璧な理論に仕上がっていく。だから、毎晩、ギャロン・ダイスは酒を飲みに行く。酔っ払って、千鳥足になって、理論を幾重に絡めていく。毎晩、毎晩、生まれる理論にどのような意味があるのか。同僚も、学生も気付かない。だが、ギャロン・ダイスだけは気付いていた。そして、とうとうギャロン・ダイスは自分の理論を完成させたのだ。
月が真ん丸い。月が人類の上に浮かんでいる。あの月にさえ人類は足跡を残す。人類の叡智は宇宙をも支配する。
この地球の生態系の頂点に人類は君臨する。人類が生存するために必要な種を家畜化し、不必要な種を駆逐する。それが、この世界のルールだ。それが我々、人類のルールだ。
人類は他の種とは違う。これが絶対条件である。殺人罪は成立するが、殺豚罪は成立しない。我々、人類は我々しか認めていないのだ。
よく勘違いされるが、豚は殖やせるからいい。それが本質ではない。もし、それが本質であれば、豚が絶滅する前に、豚を食べるのを止めるはず。だが、豚が絶滅するまで、人類は豚を食べる。豚という種の価値などどうでもいい。美味い豚を人類が我慢できない。だから、殺豚罪など決して認めない。それが本質だ。
人類は人類以外の種の命の価値を認めていない。人類が空を、大地を、海を汚染し続けている理由は人類のみの便利さの追求が目的にあるからだ。
人類の歩く道に絶滅危惧種の巣があったならば、保護という言葉を名目に人類はその巣を移動させて、人類の歩く道を造るはず。
そうした観点から、我々、人類は地球上で最も自分勝手な種であると考えざるをえない。だが、同時に地球上で最も優れた種でもあることも証明されている。
人類は現在に辿り着くまでに、火の発見から始まる高度エネルギー文明を造り上げた。現在、原子力という最も安全で、安定したエネルギー供給ができるシステムを稼働させている。
火の発見から原子力という高度エネルギーに辿り着くまでに人類は人類という種を完成させていく。その最も大きな変化は脳に現れている。
脳体積が膨れ上がる。
脳面積が広がっていく。
脳密度が上がっていく。
脳性能が日々、向上する。
これが人類の進化だ。
進化とは?
過酷な環境下での生存競争を遺伝子の変異により生き残り、環境耐性を得る現象。
億という単位の途方もない時間を積み重ねて、現れる、必然性を持った現象。
これが進化である。
我々、人類は完成の領域に辿り着いた。
地を這う者が憧れる翼を手に入れた。鉛の船で空を横断する。高度1万メートルのマイナス50度の世界でも、鉛の船の中はとても快適だ。世界各国の料理を食べることもできるし、残しても怒られることもない。
空に凪がれる者が憧れる星を手に入れた。ロケットエンジンが火を噴いて、宇宙に突き刺さる。宇宙服と無重力とカップヌードル。SF小説に描かれた宇宙移民もいつか可能になるだろう。
波の狭間に揺れる者が憧れる深海を手に入れた。鉛の箱がゆっくりと沈む。淡き碧から深き碧への変化。月の光の粒子の届かない闇の世界にも人類は足跡を刻み込む。海流に消えてしまわないように、深く、硬く。
脳が想像した世界を人類は現実にしていく。
地球上のあらゆる場所に人類の足跡が残されて、もう未開の秘境など存在しない。人類はどこにでも行けるのだ。宇宙でも、深海でも。ただし、宇宙服や潜水服という外装機械が必ず必要となるのだが。
食い尽くすことと増殖することを繰り返すしか知らない虫と人類が似ていると言ったら、君達は怒り狂うかもしれない。だが、知性の有無の違いこそあるが、現実に人類の歴史を辿れば、それを否定する材料を見つけることの方が難しい。
人類が進化の果てに人類が手に入れたものは科学と化学だ。この世界は科学と化学に裏付けられて、存在している。その存在意義は人類が快適に生きられることであり、他の要素は全く必要ない。
科学と化学に裏付けられた世界で医学と医術が生まれた。医学と医術の発展が命を救っていく。これまで救えなかったはずの命も一つ残らず、救っていく。
人道主義者が命の平等さを当たり前のように説いた。平等に与えられる医学と医術の恩恵に感謝する人類。人類は医学と医術に感謝し、生まれることが、生きることが当たり前になっていく。
生物は生殖行為により子孫を生産し、種を保存する。その手段は種により異なる。種の保存の為に何億もの卵を生むものもいる。人類は種の保存の為に母体というシェルターで子供を保護する手段と家族というコミュニティーで子供を育てる手段を選択した。その手段は決して間違っていない。人類はそうして子孫を残し、種を保存することに成功し、地球上の生態系の頂点に立ったのだから。
論点を進化に戻そう。
進化とは、過酷な環境下での生存競争を遺伝子の変異により生き残り、環境耐性を得る現象である。
人類にとって生まれることが最初の生存競争となる。地球の環境が過酷になっていけば、その環境耐性が必要となる。父と母の遺伝子情報からその過酷な環境を読み取り、環境耐性として受け継ぎ、誕生する。そんな個体を新種と言う。どの個体もその環境耐性を受け継げるわけではない。むしろ環境耐性を受け継げる新種の方が圧倒的に少ない。
それは何故か。
自然界に生き残る、人類以外の種達に、家畜化されていない種達に新種が発見されて、発見者の名前が誇らしげにつけられている。新種が発見されるのは人類以外の種、家畜化されていない種だけである。
それは何故か。
それが進化であり、過酷な環境下での生存競争が生んだ新種こそ進化の証なのである。
生存競争に生き残れない既存種はより優れた環境耐性を持つ新種にその地位を奪われる。代を重ねることで、新種は数を増やし、その優れた環境耐性を子孫に伝えていく。既存種は環境耐性を持たないから、氷河期に滅んだ恐竜と同じように滅んでいくしかない。そして、既存種という生産土台が縮小し、新種が取って代わる。
だが、必ずしも新種の誕生が進化に繋がるわけではない。それは確率論でも、統計論でも説明できるものではない。
新種の持つ遺伝力が乏しかった。
既存種の生命力が強すぎた。
天変地異。
疫病。
進化を妨げる要因は幾らでも転がっている。極めて理不尽なほど、予測不可能な要因ばかりが進化を妨げる。進化を成し遂げるということは簡単なことではないのだ。
新種の数が既存種の数を越えなければ、進化は成立しない。
これが自然界で起きている進化の絶対条件である。
そして、自然界と人類。
新種の数が圧倒的に少ないことは同条件だ。
では、人類は何故、進化しないのか。
さあ、検証しよう。
自然界にないもの。
人類が持っているもの。
それは科学と化学であり、医学と医術である。
科学と化学に裏付けられた医学と医術であらゆる命を救う。環境耐性のある新種も、環境耐性のない既存種も、あらゆる人類を救う。
新種であろうと、既存種であろうと、この世界に誕生することができる。医学と医術は誕生というサイクルにおける生存競争というフィルターを破壊してしまった。
生存競争というフィルターは成長する過程に幾つも存在する。環境耐性を持つ者はフィルターをすり抜けて、環境耐性を持たない者がフィルターに遮られる。環境耐性を持つ者のみが生き残ることができるという生存競争があるはずだった。
だが、医学と医術はあらゆる命を救う。誕生の時だけではない。誕生し、成長する過程に起こる生存競争にさえ介入し、環境耐性を持たない命も救い続ける。
本来、過酷な環境下で環境耐性を持たない既存種は力を失っていかなくてはならない。だが、医学と医術が過酷な環境に滅びゆく既存種を救い続けている。医学と医術により環境耐性を手に入れるわけではない。宇宙で暮らす為に宇宙服を。深海で暮らす為に潜水服を。仮初めの環境耐性を手に入れるようなものだ。既存種自体は全く進化しないのだ。
医学と医術の発展はまだまだ加速する。その過程で医学と医術は人造臓器をも作り出すだろう。環境耐性を持たない既存種が過酷な環境下で生存するために。そんな未来も遠くない。
この世界に生まれた新種も進化するための努力をしないわけではない。新種はひたすら生殖行為を行う。環境耐性を持つ子孫を残すには生殖行為が必要である。だが、新種の交配対象は常に圧倒的多数の既存種である。科学と化学に裏付けられた医学と医術に永遠に守られた、圧倒的多数の既存種なのである。どんなに逞しい遺伝子情報を有していても、既存種との交配を代々続けることで、その優れた環境耐性が稀薄化してしまう。
結果、環境耐性を持つ新種は圧倒的多数の既存種に飲み込まれていく。
だから、人類の進化が止まってしまったのだ。
医学と医術の発展は二次的な要因である。医学と医術を裏付ける科学と化学の進歩こそが人類の進化の歩みを止めてしまった最大の要因と考えるべきである。
科学と化学の進歩は決して進化ではない。
地球環境の悪化、人口増加に伴う宇宙移民計画も近い未来に実現するだろう。宇宙服を身に纏い、月の裏側に足跡を刻む。それは生身の足跡ではない。科学と化学によって生まれた宇宙服の足跡である。宇宙服が包む生身の人間は何も変わってないのだ。
どのような環境にも耐えうるように人類は生きてきたし、これからも生きていくが、それは進化ではなく、科学と化学の進歩に裏付けられたものである。その進歩があまりにも速く、短い期間で起こっているため、我々、人類の進化が停滞してしまっていることに誰も気付かない。
医学と医術も同様に、急速に発展してきた。みな、必死で、目の前にある命を救うため、知識を学び、知恵を絞り、医学と医術を発展させてきた。ただ、命を救うという目的のためにだ。
いつか、我々の医学と医術は人造臓器の製造をも可能とする。欠陥のある臓器はプラモデルのように簡単に交換できる時代が、病気という言葉すら忘れてしまう時代が我々、人類の未来には待っている。だが、環境耐性を持たない我々は地球環境の悪化に耐えることができず、常に宇宙服のような防護服を着込まねば、生活もできなくなる。宇宙服の中は人造臓器で欠陥を修正された人類が常にいる。その肉体は極めて健康的であるが、幾ら時間を積み重ねても、進化することのない肉体なのだ。
我々、人類が進化するために、必要なこと。
それは億という、途方もない時間の蓄積、そして、過酷な環境下での生存競争である。
そのためには科学と化学を捨てること。
そのためには医学と医術を捨てること。
科学と化学を、医学と医術を捨てるということは、高度エネルギー文明を捨て去るということだ。
この便利な生活を捨て去り、過酷な環境下に身を置くことを、各個体の持つ80年という短い時間ではなく、人類が持ちうる、大きな時間の流れ、億という単位の途方もない時間の蓄積の中で実行する。
きっと、たくさんの人類が命を落とすだろう。
だが、命を落とすのは既存種だ
環境耐性を持つ新種は生き残る。
新種の数が既存種の数を超えるのだ。
そして、人類は進化を成し遂げる。
現在のままでは我々、人類はいつか絶滅するだろう。仮に科学と化学の進歩、そして、医学と医術の発展により絶滅を免れたとしても、宇宙服のような防護服を常に纏い、無菌室で生きるしかない未来が待っているだけなのだ。
我々の未来はman-made worldである。
あらゆるものを作ることができる人造世界である。
科学と化学によって。
医学と医術によって。
過酷な環境に耐えうる防護服を。
欠陥ある臓器の代用となる人造臓器を。
man-made worldを造り上げて。
man-made worldで生き続けるのだろう。
だが、人類の進化の道は停滞しているだけである。決して、進化の道を閉ざしてしまったわけではない。
だから、人類が進化の扉を再び開けるためにも、科学と化学を、医学と医術を捨て去るしかないのだ。
ギャロン・ダイスは自らの進化論を発表した。まばらに拍手が起こって、消えていく。
その日のギャロン・ダイスは珍しく正装していた。その真意は誰も知らない。正装したギャロン・ダイスへの好奇心から、教室の席もそこそこに埋まっていた。
SF小説のような理論。
ある意味、宗教的だ。
豊かすぎる現代生活を風刺した雑学。
とても進化論とは思えない。
馬鹿げている。
大学内でも幾つかの意見に別れた。だが、ギャロン・ダイスの進化論を肯定するものは誰一人現れなかった。
その後、ギャロン・ダイスは大学を去ることになる。表向きは自己都合による退職であったが、実際にはこの進化論の発表が原因であることが明らかだった
大学を去った後、他の大学で同じように進化論を発表したが、周りの反応に大差はない。
こうして、大学を転々としたギャロン・ダイスは惨めな負け犬だった。かつての同僚も、学生も波が引くように、離れていく。人類の進化はもう終わってしまっている。一人ぼっちで言葉を零すが、もはや、負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
こうして、ギャロン・ダイスはこの国から消えてしまった。
幾つかの国にギャロン・ダイスの足跡は残っている。科学と化学、医学と医術を捨て去る理論は相変わらずだった。
どこの国もギャロン・ダイスの言葉に、その存在に嫌悪感を顕わにする。
この世界は科学と化学に裏付けられて、構築されている。火のない世界は必要ない。光のない世界には興味がない。高度エネルギー文明のない世界では我々、人類は生きてゆけないのだ。
科学と化学に裏付けられた医学と医術は、人類が動物を超えた存在であることの証明である。人の命を尊く感じる。動物やゾウリムシには理解できない感情、それがあるから、人類は生態系の頂点に君臨することができる。
我々、人類から科学と化学、医学と医術を奪ったら、何が残るのか。暗闇を見通す眼もなく、氷の雨も、灼熱の風も防ぐ術はない。我々はとても無力だ。
だからこそ、科学と化学を捨て去ることはできない。
だからこそ、医学と医術を捨て去ることはできない。
ギャロン・ダイスの進化論は時代に逆行しているのだ。
数年後、ギャロン・ダイスからメールが届いた。宛先はギャロン・ダイスの古い同僚である。送り元は独自の言語体系を持つ後進国のアドレス。ギャロン・ダイスは言葉の通じない世界で、諦めることなく、進化論を振るっていた。
その国の独自の言語体系ではギャロン・ダイスの言葉が通じることはない。世界と共通する言語がないということは科学と化学、医学と医術という人類の叡智を共有することもない。そんな国で何を求めるというのか。古い同僚は何通もギャロン・ダイスに返信する。しかし、2度とギャロン・ダイスからメールが届くことはなかった。きっと原始的な原住民に殺されてしまったのだろう。もし、あんな進化論を吐かなければ、きっと違った今がある。あの酒場で今も酔っ払って、千鳥足で、語り合っていただろう。古い同僚はギャロン・ダイスを想い、その冥福を祈る。そして、最後のメールを捨ててしまわないように保護ボタンをクリックした。
『我々、人類は進化するだろう。ギャロン・ダイス。』
メールには、その一文だけが書かれていた。
ウミホタルにはギャロン・ダイスのデータが規律よく並ぶ。ギャロン・ダイスは今から876年前にこの世界から消えた人間である。そして、私はギャロン・ダイスが消えてから876年後の人間である。
私の名はコバヤシ・ゴローと言う。
私は軍所属の研究者である。
科学と化学、医学と医術を探究するものである。
876年前にギャロン・ダイスが予言した世界、man-made worldで私は生きている。高度エネルギー文明の果てに灼熱の空気が地球を覆っている。外出時には灼熱の空気を遮断する防護服が必ず必要だ。
ここはギャロン・ダイスが予言した通りの世界、man-made worldである。
宇宙移民も着々と進んでいる。人類は月を目指した。月に地球を造ろう。月―地球化計画は着実に進んでいる。
月―地球化計画とは月の上に人類が生身の体で生活できる住居施設を建築し、月全体をそれで覆ってしまおうとする計画だ。住居施設の天井部分にはウミホタルが張られている。ウミホタルに描かれる空は地球の空をイメージしたものだ。現在の地球ではない。このウミホタルが絶滅する前の地球の空。住居施設は現在の地球と異なり、灼熱の空気など存在しない。人類にとって健康的な空気が溢れている。むしろ、灼熱化した地球よりもずっといいという評判を聞く。すでに月の半分まで住居施設が覆っているので、完成も時間の問題だ。
医学と医術の発展が生み出した奇跡は人造臓器である。私は腎臓と肝臓に先天的な欠陥を持っていた。その欠陥を補うべく人造臓器を移植した。人造臓器は順調に機能し、おかげで日常生活に困ることはない。人造臓器が補うのは先天的に欠陥のある臓器だけではない。後天的に発生した病巣さえも人造臓器は簡単にリセットできるのだ。
そして、科学と化学はウイルスの根幹となる分子の解析に成功した。人類の歴史上、ウイルスは幾度も人類を滅亡に追い込んできた。その防御策がワクチンであり、ワクチンの開発はウイルスといたちごっこを繰り返していた。
ワクチンが進歩すれば、ウイルスも変異する。ウイルスは人類を滅ぼす意思を持っているかのように人類を追い詰めてくる。人類とウイルスの戦いが終わることはない。誰もがそう諦めていた時、光が見えたのだ。
科学と化学が導き出したウイルスの根幹となる分子の解析データを、医学と医術がマイクロチップ化し、ワクチンに組み込むことで、人類はあらゆるウイルスの免疫を手に入れた。それはウイルスとの戦いの終結であった。
奇跡のワクチンを打つことが人類の義務となる。おかげで人類全体の免疫力が上がった。
ウイルス性の病気は誰の命を奪うこともできなくなる。たとえ、人体にウイルスが侵入しても、ワクチンに組み込まれたマイクロチップがウイルスを解析し、そのウイルスの根幹となる分子の破壊を速やかに行う。もちろん、そんな戦いが体内で起きているなど誰も気づかない。ウイルスは人類という繁殖の土台を失ったが故に滅亡してしまった。
月―地球化計画により宇宙移民を成功させた。
人造臓器の移植により先天的な欠陥を克服した。
人造臓器の移植により後天的な病巣に怯えることがなくなった。
ウイルスの根幹となる分子の解析の成功とそれをマイクロチップ化したワクチンの開発により病気というものがこの世界から消えた。
ギャロン・ダイスの進化論通り、進化しないまま、876年前と変わらない人類がいる。科学と化学、医学と医術の進歩はさらに加速し、man-made worldを確実に拡大させている。
では、何故、今更、ギャロン・ダイスなのだろうか。
科学と化学に、医学と医術にもう伸びしろがないことに我々、人類が気づいてしまったのだ。地球の環境悪化は止まることはない。地球の環境悪化は、やがて月―地球化計画でようやく手に入れた、健全な住居施設まで及ぶだろう。
我々、人類は人類の利をひたすら追究する。
何があろうと、現在の姿のまま、生き残り続ける。
確かにギャロン・ダイスの言うように科学と化学、医学と医術の進歩であって、人類という種の進化ではない。
ウミホタルがゆっくりと拡散し、空気に消えていく。ギャロン・ダイスの項の読み取りが確認できたので、オートマチックに消えたのだ。
その代わりに浮かんできたのは古代魚の項である。私の意思をくみ取り、自動抽出された情報だ。
億という時間を積み重ねても、進化を受け入れなかった古代魚、シーラカンス。現在の地球ではすでに絶滅している。その姿はデータでしか見ることはできない。深海に白く漂うのはプランクトンの群れ。海流の道を示している。海流の道にゆっくりと流れるシーラカンス。億という途方もない時間の中、シーラカンスは、その曇った眼で何を見てきたのだろうか。我々、人類は、このman-made worldで何を見るのだろうか。
ウミホタルがシーラカンスの画像にメールを重ねてきた。
『マスター。予定時間になりました。』
私はギャロン・ダイスの末裔を捜索に行くのだ。我々、人類は科学と化学、医学と医術の限界を知った。いずれ、我々が、このまま進化しないのであれば、ようやくたどり着いた月さえも環境悪化は必死であろう。ならば、また次の星へ行けばいい。そんな短絡的な意見もある。それでは、目の前にあるものを喰らい続けるだけの虫と変わらないのではないか。それとも、高温化した深海の変化に順応し、進化することを拒んで、絶滅を選択したシーラカンスのようにこの世界から消え失せるというのか。
我々、人類はギャロン・ダイスの末裔を捜し出す旅に出る。もし彼等を発見したら、交渉し、その遺伝子を分けてもらう。この地球の過酷な環境下でも生きることができる、逞しい遺伝子をだ。
彼等の遺伝子情報を解析し、我々、人類の遺伝子に組み込む。我々、人類には、それを可能とする科学と化学、医学と医術を有している。
私は防護服を纏う。重さは感じない。むしろ体が軽くなる。防護服には体の機動性を向上させるように最先端の技術を組み込まれている。人類は、この防護服を纏ってからしか外出できない。灼熱化した空気が世界を覆っているからだ。
灼熱化した空気を、この世界に放ったのは我々、人類。防護服を纏わずに外出できるのは月―地球化計画で建造された住居施設のみ。
我々に残された時間は永遠であるが、我々が生きていく地球や月は永遠ではない。だからこそ、国の上層部はギャロン・ダイスの末裔の捜索と遺伝子の入手という手段を決断したのだ。
私はそのチームのメンバーに選ばれた。これから軍の精鋭部隊とともに灼熱化した空気の世界へ、ギャロン・ダイスが最後の足跡を残した国へ任務を果たしに行く。
ほとんどの後進国は灼熱化した空気に抗うことなく朽ち果てたと聞いた。この防護服も優れた科学と化学によって造られている。ギャロン・ダイスが最後に足跡を残した後進国に、この防護服を造りだす科学と化学があったとは思えない。だからこそ、ギャロン・ダイスとともに朽ち果てたと考えられていた。
だが、もし、仮にギャロン・ダイスの末裔がこの世界に存在するのであれば、それは人類の希望となる。
過酷な環境下での生存競争を遺伝子の変異により生き残り、環境耐性を得る現象。
億という単位の途方もない時間を積み重ねて、現れる、必然性を持った現象。
ギャロン・ダイスは進化をそう定義した。億という時間が過ぎたわけではない。実際、876年しか時間は経過していない。だが、灼熱化した空気に覆われた世界で過酷な環境下での生存競争は行われていたはず。科学と化学、医学と医術を持たない後進国であれば、なおさらだ。
防護服の首元のレバーを引くと、防護服が体を圧縮する。体と防護服との間に幾つもの空気の層が重ねられて、体を灼熱化した空気から守るように機能している。
「本当にギャロン・ダイスの末裔など存在するのだろうか。ギャロン・ダイスの末裔など噂話で、灼熱化した空気の世界に順応できずに朽ち果ててしまったのではないか。」
体を守る空気の層の圧力が安定すると、防護服の首元でカチリと音がした。
「もし、仮に科学と化学、医学と医術を捨てたギャロン・ダイスの末裔が、この過酷な環境に順応し、生身の体で歩いているとしたら。」
防護服の足音が通路の壁に低く響く。外出するために幾つもの通路とゲートを通過する。それを繰り返すことで、灼熱化した空気を建物内から完全に遮断することができる。
「もし、仮に、ギャロン・ダイスの末裔を発見したとしても、素直に遺伝子を頂戴できるだろうか。」
外界へ繋がる重い扉が開く。鈍い音が波となり、防護服ごと体を振動させた。
「ギャロン・ダイスの末裔は異なる言語体系を有しているだろう。意思の疎通も困難になるのでは。」
赤く溶けた街。灼熱の空気が風に凪がれる。灼熱の風が赤く溶けた街の土を舞い上げる。
「異なる言語体系のギャロン・ダイスの末裔とまともな交渉などできるわけがない。そう、できるわけがないのだ。」
赤く舞い上がった土は生きているかのような動きを見せた。それは空想上の動物である竜のようにも見える。
「作戦通りうまくいけばよいが。」
交渉という平和的な手段が無理ならば、力で手に入れる。我々の高度エネルギー文明が造り上げた武器でギャロン・ダイスの末裔から遺伝子を奪う。国の上層部が立てた作戦がこれだ。
「だが、この灼熱化した地球で進化を成し遂げたギャロン・ダイスの末裔に全く進化をしていない我々、人類が本当に勝てるのだろうか。」
赤く溶けた街はman-made world。
灼熱の風が空想上の竜のごとく赤く吼える。防護服は何の不具合も起こしていない。極めて正常だ。私は防護服の中、快適な空気に包まれながら、作戦へと向かった。
そして、我々、人類はようやく進化への一歩を、このman-made worldに刻み込んだ。
【了】