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第86話

 今回はとある将軍さんの過去に少し触れます。

 視点変更はないです。

 それでは、どうじょ(/・ω・)/



 馬を走らせる。

 片手で手綱を握り、もう一方の手には何代目になるか、かなり年季の入った長剣がしっかりと掴まれていた。


 馬に乗りながら剣を振るう。

 文字に起せば十字程度のものだが、その技術を身につけるには通常ならば年単位の時間を費やさねばならない。しかし、男にとってそれは出来て当然のことであった。寧ろそう定められていた。




 ◇


 


 「何故出来んのだ!」


 失敗すると、男の父は彼のことを罵った。

 彼の一族は武において名を成した家柄であった。

 嫡子ではないとは言っても、そこの三男が馬上にて武器を振るえないというのは、彼の父にとっては何よりも耐えがたく、恥ずべきもので、忌むべきことであった。


 「ご、ごめんなさい、父上」


 当時の少年の声は尻すぼみに小さくなっていく。

 少年は父が怖かった。


 事ある毎に過去の大戦の話を話し始め、そしていつも決まって途中から機嫌を悪くして癇癪を起こす。

 その時の眼は真面に見れたものではなかった。

 もし、荒れ狂う父の瞳を見続けていたら、自分もあの黒い波に攫われてしまうのではないか、幼心にそんな恐怖を抱いていた。

 少年はそんな父に慣れはしなかったが、半ば諦めて受け入れていた。


 そんな父でも「武」以外においてはそこまで病的になることはなかった。

 勉学で良い所を見せれば、それを褒め、夜会で少年の良い噂を聞けば、上機嫌になって息子の頭を撫でていた。


 そんな父は優れた武人であった。

 剣も槍も使いこなし、馬の扱いにも長けたその様は正に”将軍”に相応しいと会う人会う人に声を掛けられた。

 少年にとってそれは誇りであった。

 厳しくも偉大なる父。

 少年はそんな小さくも密かな憧れを抱いていた。


 だから、少年も父親のことを恐れてはいたものの忌避するまでには思っていなかった。

 鍛錬は辛いが、それでも少年は父親のことを尊敬していた。

 全てを知るまでは。




 ◇




 少年は何時の間にか青年と呼べる年頃になっていた。

 短く切り揃えた髪に鍛え上げたその体は同年代の中でも群を抜いて光っていた。

 その腕前も確かなもので、ただの兵士では相手にならない程だった。

 多くの人が彼に期待した。


 「彼は良い兵士になる」

 「何れ一角の武人になるに違いない」

 「ガダルハーン殿が羨ましい」


 青年は耳に入って来るそれらの声を嬉しく思った。

 実際、彼には多くの縁談が舞い込んで来た。

 家を継ぐ予定のない武に長けた高位貴族の三男。

 下は商家から上は公爵家までとそれをもう随分な人気ぶりであった。

 しかし、彼はその全てを断った。

 不思議なことに彼の父もそのことについては一切異を唱える事はしなかった。


 父から爵位を譲られる長兄、それを補佐する次兄、そして領地の兵を自らが率いてこの家をより盛り立てよう、そう決めていた。


 それを兄達にも告げた。

 長兄は「ああ、頼むぞ」と肩を叩き、次兄は「お前は物好きだな」と笑ってくれた。


 そして彼の父はと言うとそろそろ隠居という文字がちらつき始めていた。

 年月によるものか彼の父はかなり老いていた。

 もう、恐ろしい父というのは遠き日の懐かしい思い出となっていた。


 そんな折、父が突如こんなことを三兄弟に告げたのである。


 「私は将軍位を返上し、爵位も譲って隠居しようと思う」


 三人は大いに驚いた。

 いくら老いたとはいえあまりにも突然で早すぎるのではないかと。

 しかし、引退の決意は固く、彼らは父の意を受け入れた。

 

 そして、父と長兄、次兄がそれぞれ譲爵や賜爵などの諸々の儀を行うため王都に向かった。

 三男である彼も後ろ髪をひかれたが、領地に残ることとなった。


 三人が出立してから青年はこれからの日々のことを夢想した。

 それはとても輝かしく、同時に胸躍る光景であった。


 父たちが領地を出てからそろそろ戻って来るのでは、と思い始めた頃、凶報は突如としてもたらされた。


 

 ”ガダルハーン家の当主とその息子たちを乗せた馬車が賊の襲撃に遭遇。安否については不明。”


 

 突然の平穏の終わり。

 青年は一人呆然とした。


 凶報から数日の内に再び報せが届いた。

 それは耳を覆いたくなる程の、夢を疑う程の、どうしようもないほど残酷な結果だった。



 ”一行は全滅。先代当主ガダルハーンとその子息たちの亡骸を確認”



 青年は泣き叫んだ。

 何故、父上や兄上たちがこの様なことに。

 彼の慟哭にガダルハーン家に仕える者達は皆「お労しや」と涙を堪えることが出来なかった。


 漸く泣き叫び終えると、彼は給仕から領兵まで家に仕える者達全てに一つの指令を出した。


 ”父上たちを襲った狼藉者共を何としてでも見つけ出せ。それまで俺は父上たちに顔向けできん”


 それを嫌がる者など一人もいなかった。

 寧ろ、その多くが鬼気迫る様子でその指令に取り組んでいた。

 そしてその青年は決して父の書斎に入ろうとしなかった。

 

 「私があの部屋に入る時は父上達の無念を晴らした時だ」


 青年は周囲の者にこう話していた。

 それはある種のけじめだったのかもしれない。

 

 それからすぐに彼の肉親や兄たちを襲った輩が判明した。

 その者たちは国内において名の知れた盗賊集団であった。


 そこから更に情報を集めその一団の拠点を突き止めるまでに至った。


 分かるや否や青年は兵たちを連れ其処に向かった。

 そして、行われたのは一方的な蹂躙であった。

 抗う輩は一人残らず切り捨てられ、武器を捨て降伏した者も容赦なく地に伏せる結末を迎えた。

 しかし、そんな中で可笑しなことを話す輩がいた。

 その者曰く、馬車の中にいた三人は、襲撃時に既に息絶えていた(・・・・・・・・)、というのである。

 命欲しさにふざけた言い訳を、と青年はその者を即座に斬り捨てた。

 結局、その一団は全員が死に絶えた。

 

 このことが国中に広まり青年は「家族の仇を見事討ち果たした悲しき英雄」となった。


 そして、一躍時の人となった青年はそのまま爵位を賜ることとなった。

 勿論「ガダルハーン」の名で。


 それからというもの彼は必死に政務に励んだ。

 空いた心の穴を隠すためでもあり、実際にやるべきことが山積みでもあった。


 彼がその位に就いてから一年程が経った頃のことだった。

 青年は父が使っていた書斎で本を探していた。

 ふと、誤って触れた本を棚の裏に落としてしまった。


 仕方なく、青年は棚の裏を覗いた、

 手を隙間に差し込みどうにかそれを取ろうとする。

 そんな時だった。

 彼の手に何か固いものが触れた。

 それは何かしら人工的なものを感じた。


 不思議に思った彼は一人で本棚を動かした。


 そして、見つけた。


 隠れていた扉を。


 隠された真実への入口を。


 知るべきではない闇への招き口を。


   

 隠し扉は簡単に開いた。

 鍵穴はあるが鍵は掛かっていなかった。

 それが偶然だったのか将又、必然だったのかその時の彼は考えもしなかった。

 それほどに、この隠し部屋への秘密の扉の存在は彼を驚かせていたのだ。


 青年は明かりもない闇の中を進んだ。

 


 彼も決して愚かではない。

 この探索の先にあるのは好ましくない結果だということを薄々感じ取っていた。

 しかし、それがどのようなものであるかと考えると具体的に思いつくものはなかった。


 そうして進んで行くと行き止まりに差し掛かった。

 とは言ってもあれこれと辺りを触ると扉の取っ手らしきものを掴むことに成功した。


 青年はゆっくりとそれを引いた。

 ギギギと軋む音が彼の心音を速める。

 ゆっくりと覗き込むが当然扉の内側も黒一色だった。


 そこで、彼は一度書斎に引き返し、侍女に灯りを用意させた。

 勿論書斎には入れずに。

 彼女は不思議がっていたが適当に誤魔化して青年はあの暗所へと再び足を踏み入れた。


 灯りで照らしながら一室を見回す。

 部屋には窓などは一切ない。この秘密の部屋は地中にあるのだから当然とも言える。


 ここの一室は何時作られたのか。

 一体何のために作られたのか。

 父が作ったのか。


 薄暗い中で青年の思考はどんどん悪い方へと流れていく。


 視線を動かすと古びた木造りの机の上に置かれた一冊の冊子に目が向いた。

 それはとてもしっくりと其処にあった。

 闇に浮かぶそれはとても甘美でそれ以上に危険な香りを漂わせているように見えた。


 それでも、青年は手に取った。

 よく見てみると分かったのだが、その冊子は分厚かった。

 その重みは、まるで彼を逃すまいとするかのようでもあった。


 青年はそれを書斎に持ち帰った。


 その日から青年は書斎に閉じこもった。

 食事や手洗いの時などは部屋から出るものの、その間誰の出入りも許さず、用を終えたかと思えば、即座に書斎にこもる。

 そんな生活が三日続いた。


 流石に仕える者達も心配になり、次の機会にしっかりと話さなければと覚悟を決めていると、唐突に若き党首は重い扉を開けた。


 そしてこう言った。



 「狂っている」



 その言葉は誰に聞かれることもなかった。

 家族を思い、真っ直ぐすぎるほどの熱意を持っていた筈の青年の瞳は暗く、そして何かに対しての怒りを抱いていた。




 ◇




 ふと、若き日のことを思い出していたファウスト・ガダルハーン将軍は沈みつつあった気持ちを払い落そうと武器を振るった。


 血飛沫が宙を舞う。

 骨を砕く衝撃に続いて、肉を断つ感触がその手に纏わりつく。

 命を刈り取られる者は一瞬だが、命を刈り取る側にとってその感覚は自らが息を引き取るまで永劫に続く。

 敵を屠る役割を持つ軍人である自らの業ではあるが、ファウストは酷くそれが不平等に思えた。


 「弱い、手応えがなさすぎる」


 「将軍、それは罠であると?」


 「いや、そういう意味合いじゃない。敵が弱い、ただそれだけだ」


 部下にそう告げると、ファウストの心にチクりと小さな針が刺さった。

 自分の言ったことに後から後から苛立ちが湧き上がって来る。


 「チッ」


 その舌打ちは自らの気を落ち着かせるために出たものだった。

 しかし、それは結果的に味方に適度な緊張感を与えることとなった。


 「ほらテメェら確り気張れや!将軍閣下がご立腹だぞぉぉ!」


 近くに居た粗暴な口調の部下が大声を出して周りを鼓舞する。

 その臨機応変さは手慣れたものを感じさせた。


 (そういう意図はなかったんだが、まぁいいか)


 ファウストは士気が上がった味方を確認し、心の声を体の内に押し留めた。


 (思えば、こいつらにも悪いことをしたな)


 自らの突撃という暴挙。

 それに文句一つ口にせず、彼らは自身の命を燃やしている。

 既に幾人もの者たちが命を落としているだろう。

 

 その事実は変わらない。


 それでも、自分はこの先にあるものを掴みたいのだ。

 血塗られた道の果てに見える景色を。


 自らを苦しめる楔から解き放たれんがために。


 「糞ご先祖様に糞親父、見てろよ。この血の呪いももうすぐ終わる。精々、その呆気なさに地獄で歯噛みでもしていろ」


 酷く辛辣で、酷く嘲った声色だった。


 そして、そのまま蹂躙は終わらない。


 一匹の鬼が戦場を暴れ回る。

 その姿はとても身勝手で、それでいて何処か自傷的でもあった。




 

 将軍回でした。

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