表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

終職

作者: r.k

気がついたらもう3月になっていた。

いろいろと準備をしなければならならないことはわかっていたが行動に移すことができない。やりたい仕事がないため(あったのかもしれないが)目標を持つこともできず、毎日のように適職診断を続けた。やりたいことがないならせめて自分に適しているであろう仕事から業界を決定してやると考えた。


しかし、結果はいつも「芸術肌のアナタ」ばかり。底辺大学の文系がどうやって芸術家のようになればいいんだよ、といつも考えていたが今思えば、

「アナタは社会不適合者だからとりあえず芸術肌」と言われていただけだった。

最終的には多分好きな書籍に関する仕事かアルバイトから教育関連(教職は時間的に間に合わなかった)の職にでも就こうかな考えることにした。合同企業説明会などで様々な業界を見てきたつもりでいたのでその中でも興味がありそうな業界に絞った。

グダグダとしていたらもう5月の終わりに近づいてきた。周りの知り合いはどんどん決まっていき、

「みんなすごいなぁ」と感心していたのは覚えている。

もちろん私もエントリーや書類提出はしていた。しかし、書類落ちもしくはテストでアウト。でも

「2、3社はまだ書類選考が残ってるから大丈夫」。

気がついたら9月になっていた。ここで初めての面接がきた。書類が通り、一次選考のグループディスカッションは難なくクリア。(みんなで与えられたテーマについて話すことが意外と好きです。)あと2つの面接で就活に終止符をうってくれる。


面接当日、かなりの緊張があった。同じ日に面接だった方が話し掛けてきた内容でさらに焦ったのを覚えている

「この業界をたくさん受けてきたけどここの会社が1番志望度高いから準備をすごいしてきたんだよ」

やべぇ、なんも考えてなかったと気付かされる。そして、エレベーターで面接室に連れて行かれ意を決して中へ…

意外にも好印象で迎えられた感を受けた。いい感じで自己紹介もできた。いける、

「それでは我が社に入社した際には何がしたいですか?」

頭が真っ白になった。やりたいことなんてないよ。なんとなく興味があるから受けたなんて言えないよ…


なんて答えたか今でも思い出せない。もちろん結果はダメ。何を喋ったか覚えてないような軸ぶれぶれ人間が受かるはずない。

気がついたらもう10月だった。


そのあとはもう悲惨だった。

「何がしたいですか?」の質問に答えられない恐怖がずっと纏わりつきエントリーもできない。嘘も方便、しかし嘘すら思いつかないほどに。奇跡的にアルバイトでは結構必要としてくれていて居場所はあった。お金もそこらへんの学生よりもたくさん持っていたからこのまま既卒でもいいかなと考えるようになった。


ここで出てきました、私のちっぽけなプライドが。度重なる人生の決定の際に出てくるくだらないプライド。

「他の人はみんな社会人なのに自分だけ既卒になっていいの?」


直ぐに就職支援にエントリー、どんどん斡旋してもらった。自分で行動が起こせないのでケツに火をつけてもらった。

今までのコダワリはある程度捨てて(譲れないものもありました。)どんどん面接や適性試験を受ける。しかし結果は

「あなたには適性がありません」

「会社研究不足です」

「人柄は本当に良かった、でも適性がないから入社しても辛いだけだと思ったので」

この時に強制既卒の道が見てた。


2月に最後のエントリーをした。2社ともに最終面接までこぎつけた。1社は就職支援の方と前日まで電話での対策をしっかり練り、1社はとりあえず頑張った。

結果はなんととりあえず頑張った会社からの内定だった。その日のうちに連絡があり歓喜した。


3月にはアルバイトをとても名残惜しい気持ちでやめた。このままアルバイト生活を本気でしたいと思うくらいの充実だった。

これから社会人になってもがんばろうと思えた。


4月、入社式で初めて同期と会う。何もかもが初めてで緊張した。同期は癖はあるがとてもいいやつで安心した。初日は部署周りで終わり。がんばろうという気持ちがあった。

そのあとはすぐに出社ではなく、外部の研修に2日参加した。そこそこの充実ではあったが、まるで軍隊のような感じを受けてしまったのはここだけの話。

そしていよいよ出社当日。どんな仕事(研修とか)をやるのか、期待と不安が入り混じる。1日目はこんな感じだよで終わり。主に電話対応をしてくれればいいよだった。


2日目配属部署に自分含めて3人しかおらず、しかも電話はひっきりなしにかかってくる。上司は電話にほとんどでず、むしろ電話に上司が出るとなぜ出ないのかと先輩に怒られた。お昼休みもずっと電話番、心休まることはなく昼飯を食べる時間も余裕も無かった。


3日目からはどんどん仕事が増えた。データ入力から書類のFAXなどの事務作業、飲み水の交換などいろいろ。新たに覚えた業務をやっていても電話対応はいち早くしなければならない。他の人が電話対応をしたら怒られ、急いで電話対応をして人の名前をさん付けで呼ぶことを何回か繰り返してしまったら

「役職が書いてある表見てさ、しっかりと役職で呼べるようになろうよ、何回もいわせないでさ、もう大学の先輩のような感じで呼ぶなよ」と指導を受けました。(表がないところで電話対応したらわざわざ席に戻って確認してました)


3日目の終わりに他部署の同期になんとなく連絡をしてみた。そこでもう辛すぎてやめたいよと軽く相談してみようと思っていた。しかし、その時同期は「俺、会社辞めるは」と言った。

衝撃だった。たった3日目にして私よりも早く決断していた。ここで私の中に1つの疑念が湧いた。

「この会社は普通の会社よりも研修とかがずさんなのでは?」

その後は愚痴が止まらなかった。


あとから聞いたら同期は出社もほとんどせずに多分5回くらいでやめたらしい。

私も辞めたいと思っていたので思い切って上司に相談した。やめられるわけもなく引き止められた。その後はずっと鬱のような人間になっていた。でも鬱病までにはならなかったからまだマシだった。

それでも辞められない理由はたった2週間で辞めたら今後の人生は終わると思ったからである。


家族に相談をし、どうしたらいいか本気で聞いた。家族全員

「辞めても大丈夫、このままではおかしくなるよ」と言ってくれた。正直とても嬉しかったが、辞めては今後の人生何もできなくなると考えていたら泣けてきた。というよりも大泣きしてしまった。それでも、

「あれだけアルバイトは続けられたんだからきっと仕事は見つかるから大丈夫だよ、最悪俺の会社手伝って」と言ってくれた。(父は自営業で部品を作っている)


そして、辞めるは決意をした。

奇跡的に辞表の意を伝えてから2日で辞めさせてもらった。晴れ晴れした気持ちだった。


しかし、つかの間の安息であったことはわかりきっていた。たった2週間で仕事を辞めるような人間に社会生活はできない。案の定転職サイトの求人を見ても働ける自信が皆無でエントリーに指が動かないのである。唯のヘタレで、クズでどうしようもない人間だと指摘され続けている感じだ。

「辞めるも地獄辞めずも地獄」

この言葉が今でもずっと心に残っている。自分で命を絶つこともできない。もともと就活だってうまくいかず、就職活動も人任せだった。自分で何かしてこなかったツケが回ってるだけだとわかっているのに行動に移せないのである。


私はこのように就職活動をして職を終わらせてしまった。早く働かなければいけないな。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ