第73話 嗚呼、願わくば――
九番目のウリエル、サリー、もしくは六天 信。
「人類の未来になど興味は無い」と、そう言い、天を追われた熾天使は。今、目に見えぬ脅威に不良を起こし、遂には恐慌状態となっていた。
異世界からの侵略者を相手にしながらも、その心中、もしくは頭の中と言えば良いだろうか。いや。彼女の思考を司る、高性能な回路で組まれた”演算装置”ですらも。その恐怖に支配され、論理的に最善と思えながらも感情的過ぎる思考で満たされていた。残された冷静な箇所と言えば脳しか無く、それも咄嗟に接続を切り離して休眠状態へ移している。生態器官であるこの部分まで恐怖に呑み込まれたら、次こそは元に戻れないと本能的に悟ったから。
――『あの存在を動かしてはならない』。その為に自らと世界統合を果たし、”ただの機械”から進化した含機械生命体の身体。以前よりも高速で正確な演算結果を叩き出せる装置、そしてより密度の濃くなった粒子装甲を備える機体ですら耐え難いと悲鳴を上げる程の負荷も気にせず。
奴の目の前に、敵を踊り出させないよう。
ここで喰い止める為に、戦っていた。
「ダメだ! 絶対にダメだ!! アイツの所には行くな!!!」
最早擬装すらも忘れて、小型迎撃装置からレーザーを放ち牽制する信。その両手には、ジェネレータから供給されるエネルギーを溜め込んで放つレーザーライフルと、化学反応弾を超速連射するマシンガンが握られている。
四肢に搭載された銃からレーザーの様な光線を放ち、応戦するのは四肢銃闘士のシーファ。
両者共に超音速と極超音速の間の速度を行ったり来たりしながらのドッグファイト。歴戦の戦闘機パイロットですらも目で追うのがやっとだろうかと思う程の超高機動戦闘だ。
『何故ダメなんだ。あの男は貴様の次に強い、そのはずだろう。何故、怖がっている? 己よりも弱い者を、何故?』
「アイツは人間じゃない! 明らかに別の何かなんだ! ”アレ”に手を出すな!!」
勿論、会話は思考通信で行われている。
信の方は、思わず口にまで出しているが。
(何か、強大な存在が後ろで眠っている? いや、そんなはずは無い。確かに、今、”この場”において最も強いのは、目の前にいる機械だ。それが、何故あれほどまで恐怖する?)
考えても無駄だろう。
そう割り切り、シーファは、一瞬、いや、刹那の隙を突いて時空を切り裂いた。
「――ッ!」
絶対に行かせてなるものかと止めに入る信だったが、既に彼女は異次元への扉を開き、向こうへ渡ってしまった。そして扉は閉ざされた。
「止めろ! 止めてくれ!! ”アレ”を刺激しないでくれ!! リトラ、アイツを遠ざけてくれ! なぁおい!? 狩猟者お願いだ、何もしないでくれ! 返事してくれよ! どうして誰も止めようとしないんだよぉ!!」
どれだけ叫ぼうが、その声に応えるモノはいない。
親友からの通信も来ず、こちらからの通信も繋がらず、信の怖がる本人への連絡すら果たされなかった。
「ゃだ、やだ! イヤだぁ!! 知りたくない!! ”アレ”が何かなんて知りたくない!!」
完全な狂乱状態となった信は、出来るだけ、行ける所まで逃げようと加速飛行を始めた。
この偽装した地球から離れよう。
月よりも遠くへ。
太陽の向こうに隠れよう。
一刻も早く。
自分は、考えてはいけない事を考えた。
奴が、アレが、あの何かが、本当はどういうものなのか。それに疑問を感じた時点で、その精神に無色透明の毒が染み込んでいた。
コンピュータウィルスみたいに作用して、詮索を許さない仕様だったんだ。
これ以上は知りたくない。
奴の正体はもう考えない。
お願いだから、安心をくれ。
この酷く不快で身を駆り立てるような感情を、どうにかしてくれ。
『何処へ往く?』
"聞き覚え"のある声が聞こえた。
統合した今で尚、未来の自分は覚えてる。
かつて、自らの住む世界へ侵攻し、大切なものを奪おうとした憎き敵の声だ。ボスと呼ばれる、あの侵略者。
途端、重力が何百倍にも大きくなり、飛ぶことが出来なくなる。
「ぁ――!?」
本来ならば、避ける事は簡単だった。
重力が跳ね上がる前に、その領域を抜け出せば良い。そうする事が出来るだけの反射神経と速度を、信は持っていた。
しかし、今の信にはそれすら出来なかった。
恐怖に呑まれた自分を、早く正常な状態に戻したい。恐怖から逃れたい。その事ばかりを考えていたから。
やがて次元連結ポータルが出現し、そこから、単眼の男が現れた。
「何かに恐怖している顔だ。何を恐れる? 強いはずの貴様を狂乱に陥れる程の存在とは?」
純粋な興味か、それとも察しているのか。
男は、地に這いつくばる信を見下ろし問いた。
「聞くな。聞かずにこれを解いて逃がしてくれ。自分は、自分はこんな、行き過ぎたところまで来る気は……そうだよ。自分は単に、下界で働いて、稼いで、それで楽しく暮らせりゃ十分だったんだよ。それが何で、こんな……」
「……神条 神鵺、象徴の鉱石は黒金剛石。この世界の言葉で言えば、真我の鍵とでも言うべき指輪によって発見された――」
「――それ以上言うな!!!」
ボスがこの先何を言おうとしているのか。
信は、今最も聞きたくない言葉を遮った。
その事自体が、自身が彼の正体をそう思っている事に他ならない証拠であった。
「……フンッ。もう良い……ッンヌッ!!」
虚空へ腕を突き出したかと思えば、その爪が次元を穿ち、何者かを引き摺りだす。
稼働状態を示すライトが消え、四肢は砕け、下半身が最も酷く損壊した無残な姿のシーファが地面に投げ出された。
無論、壊れている。
魂も奪われている。
「仮にも神を……殺すのみでは飽き足らず、弄んだ……? 確かに恐るべき相手だ。喰おうとしてどうこうなるものではない。奴は一個体の脅威ではなく、災害とでも言うべき存在か。天災と言っても差し支えない」
次元連結ポータルが巨大化し、地球の姿を映し出す。
ここバトリスを擬装した地球ではなく、向こうの世界を。
「奴がいるのはここか。消さねば……――破滅システム作動。目標の世界を消滅させる。3……2……1……発射」
次の瞬間、ポータルから真っ白い光が溢れ出て来る。
圧倒的な火力で、ポータルの先が焼き尽くされていく様が鮮明に伝わる。
「……ぁぁ……」
信は、心の何処かで安堵を覚えた。
巨悪は敗れ去った。
側には別の悪が存在しているが、そんなものは比べるまでもなくマシなものだ。
そもそもが、自分の目的と言うのは奴の死に乗じて全てを奪う事だった。
これで良い。これで、心の安泰は得られた。
そこに、今まで培ってきた日常の暖かさへの未練は無い。
今、自分が、恐怖から逃れ得れば、それで良かった。
去らば破滅。
去らば男よ。
世界は一つ護られた。
しかし、そうは問屋が卸さない。
これは彼の物語故に。
「さぁ……絶望タイムだ」
「……――ん? あ? ……あっ!? おい待て!? 何故だ!?」
「……?」
「ちゅ、中止! 中止だ! システム緊急停止!!! 止めろぉおっ!!!!」
「何が……?」
光が収まると、そこにあったのは、明らかに地球とは別の惑星だった。
半壊しているその星は、水を湛える青ではなく、より濃く純度の低い蒼。
ボスはその様を見て崩れ落ちる。
「……何故だ……何故俺の故郷が目標に……お前を滅ぼさない為に、俺は……」
「……」
気温が5℃下がったその場所に、新たに3つのポータルが現れる。
それぞれがそれぞれの惑星を映しているかと思えば。
半壊の蒼が、樹を思わせる緑の惑星が、機械で出来た紫の惑星が、土色の惑星が。
圧倒的な力の波動に呑まれ、白い光に包まれる。
四方に浮かぶポータルから伝わる衝撃は、次元の隔たりを経ても尚和らぐ事は無い。
振動が。激震が物語る。
これは怒りだ。
我々は、怒らせてはいけないモノを怒らせた。
内一つ、蒼の惑星を焼き滅ぼす光の中から、腕が伸びて、ボスの顔面を鷲掴みにした。
「――ヒッ!?」
「ぁ……」
自身の斥力を増して逃れようとしても、手が離れる事は無く。
逆に、引力が増したように指が喰い込んでいく。
「ぁぐ、ガ……ァアア”ア”……!」
血管を浮かばせながら、その腕は、ボスをポータルの先へ引き摺り込もうと引っ張っていく。
抵抗しても意味は無く。否応無しにボスは光の中へ呑み込まれるだろう。
「ヤメ……! 止めろ、止め、あ、ぁ”あ”あ”ア”ア”ア”――!?」
「ヒァ、ゃ……」
未だ光収まらぬポータルの先へ、ボスが引き摺り込まれた後。
その奥から、一人の男が這い出て来た。
「ゃ……ゃめ……ぐほぁっ!?」
男が、信を蹴り飛ばす。遠く、遠くへ向けて。
その攻撃が、害を及ぼす為の行為ではない事はすぐに察した。
ポータルが収縮し、次元の連結を断たれたかと思われたその矢先。
門から飛び出した悪魔が、空間を歪曲させる。
これから起こるのは、力の濁流。それを防ぐ為に、時空を何倍にも縮小させるのである。
悪魔、リトラ=デビリッシュが《空間掌握》で被害を最小限に抑えようと力を発揮したのだ。
「あぁ、もう! 世界破壊爆弾の爆発範囲ぐらい調整して下さいよオクマさん!」
その奮闘虚しく、世界は力の波動に呑まれる運命にある。
「……リトラ……?」
リトラが球状の何かに包まれた次の瞬間、《空間掌握》によって縮小されていた空間は破壊される。
白一色としか認識出来ない程の熱量が、無形の力が、柱の様に広がって世界を呑み込んでいく。
幸い、リトラの身は球状の何かに護られ無事なようだが。
「キャァアアアァアアァアアッ!!?!?」
それも力に押され、何処かへ吹き飛ばされてしまう。
「――――ッリトラァァアアアアァァアアアアアァアァアァアアア!!!」
そして遠くへ飛ばされていた信だが、それでも全然距離は近く。
力の奔流に呑み込まれ、粒子装甲も削がれ、身体のパーツが剥がされていった。
一度に四つの世界を焼き、勢い余って五つ目の世界まで焼き尽くしてしまったその現象は、後に狩猟者達の間で白の粛清と呼ばれる事になる。
その光の中心では、一人の男が笑っていた。
…………
………
……
…
自機アイコンと通路に見立てたブロックの連結構造、各システムをアイコンとして可視化させた世界を走る。
記憶領域から知覚領域、それぞれのシステムへアクセスしては修復を繰り返し、意識を回復させる。
「――……ん……ぐ……」
六天 信は、全てが焼き尽くされた世界の真っただ中で目を覚ました。
武装全滅。機体損傷60%。残る駆動パーツは首と右腕のみ。
生身に機械を詰め込んだ機体で、たったこれだけの損壊で済んだ事は奇跡と言っても良い。信自身に、生身である自覚は無いが。
何にせよ、自分は生き残った。
あの巨大過ぎる存在に、助けられた。
しかし、その安堵も直ぐに踏み潰されると信は悟った。
「……ぁ……」
大いなる者が、こちらへ歩いて来る。
知ろうとした事を察したのだろうか。
だとすれば、自分はこれから壊される事になる。
ならば。
嗚呼、願わくば――。
「……せめて……せめて、リトラを……」
どうか、彼女だけでも無事でいるように。
「……"神様"……」
その言葉を聞き受けたのか否か。
真相分からぬまま、その手がこちらへ向かい、視界は黒に染められた。
あと1節で、1章は完結となります。
大いなる存在が同時に世界を焼き尽くしたこの事件、天使の目にはどう映り、そして何を齎したのでしょうか。
その答えが、次の章へ進む鍵となる。
全ての存在が走り出した時、その魂は最速を超える。
次回ソウルダッシュ。
1章最終節――〔ヲ 色は匂えど散りぬるを〕
「全魂!!!! 疾走!!!!!!」




