策略
「おーい!ひなー!」
「あ、稜くん。テスト終わったね。どうだった?」
「まあまあ!でもいつもより書けた気がする」
テストに手応えを感じたのは初めてだった。明らかにひなの勉強会のおかげだった。
「ありがとう、ひなが教えてくれたからだ」
「ううん。稜くん、覚えがいいから。実力だよ」
ひなはそう言って笑った。
なんとなく一緒帰ることにして、稜とひなは二人並んで廊下を歩いた。
「…」
「…」
いつもは下校する生徒や部活に行く生徒でごった返す廊下が、まるで割れるように二人の前に道を開ける。
「…」
通り過ぎていく生徒たちは二人に無遠慮な視線を向け、その後慌てて目をそらす。
原因はわかっている。みんな、ひなを避けているのだ。
わからないようにやっているのだろうが、人の目というのは正直なもので、稜は不快な気持ちになった。
「…」
隣のひなの顔が曇り出す。校門の外へ出る頃には、ひなは夏の終わりのひまわりのように俯いていた。
「ひな、どうした?」
心配になって声をかけたものの、ひなは顔を上げてはくれなかった。
「ひな?」
「…ごめんなさい」
ひなはようやく小さな小さな声で、口を開いた。
「なんで謝るんだ?」
「私のせいで、稜くんまで、変な目で見られちゃって…」
「あ、あー…まあ、男と女が並んで歩いてるからな。見られても仕方ないよ」
「…違う。そうじゃないの」
「…?」
「私、怖がられてるみたい」
「…!」
稜は驚いた。ひなは、気づいていたのだ。自分が周囲に見られていることを。
「あ…あのね、みんな、すごく良い人なの。仲良くしてくれるし、面倒な仕事とか進んでやってくれる。…でも、でもね。私にぶつかったりすると、凄く怯えた顔して。いくら気にしてないって言っても何度も謝られて…」
「…」
「みんな、優しくしてくれるのに、私はみんなに気を遣わせてばかり。私の顔、怖いのかな。もしかしたら気づかないうちに、すごく醜い顔、してるのかもしれない…」
「そんなこと…!」
稜は絶句した。今は何を言っても、ひなの慰めにすらならなそうだった。
豊栄や湯沢の話しから、ひなの呪い、という噂が出たのは一年の時かららしい。彼女は二年前からこの目に晒されてきたのだろう。だからあの日、稜に飲み物をかけられたときも、その後稜に声をかけられた時も、俯いて、能面のように表情を隠してやり過ごそうとしていたのだろう。稜はたまらなくなった。
「…なあ、ひな」
「…」
「ひなは怖くない」
「…」
「かわいい、普通の、女の子だ」
「…!」
稜は自分で言って物凄く恥ずかしくなった。顔がカンカンに熱くなっているのを感じる。
「だから顔上げて、堂々と歩け。な!」
そこまで言って、丁度ひなの家の前に着いたので、稜はじゃあ、とだけ言い捨てその場から逃げるようにして走り去った。もう限界だった。
「…」
その場に固まっていたひなの顔は、真っ赤になっていた。
ひなと別れて、稜は家路を急いだ。
袋小路を抜け、突き当りの角を曲がると最近できたばかりのコンビニがあった。
その横を通りすぎ、少し行ったところが彼の家だった。父親の転勤が決まった時、丁度運良く職場から程近いこの場所に借家の一戸建てがあり、しかもそれが新築なのに破格の家賃だったため即決だったのだ。
「ふーっ…」
家が見えて、稜はやっと歩を緩めた。顔の熱は引いたようだ。
「ねえ、君…」
「!」
突然、背後から声をかけられた稜は驚いて身を竦めた。
「…は、はい?」
恐る恐る振り返ると、黒いスーツの男が稜をじっと見ていた。
「新発田稜君、だね?」
男が稜に確かめるように言った。
「少し話をしたいんだけど、いいかな?」
「…」
どう考えても怪しさ満点。稜は断ることにした。
「…いや、ちょっと急ぐので…」
「すぐ終わるんだけど」
「や、ほんと無理なんで」
「どうして?もう帰るだけだろう?」
男はしつこく食い下がった。何かの勧誘だろうか。無視して走って逃げてもいいが、名前を知られている上に、ここに立っていたということはきっと、家も知られているのかもしれない。ならば下手に刺激をして逆上でもされてはかなわない、と稜は考え、直球で断ることにした。
「…あの、正直言って俺、あなたのこと怪しいと思ってます。最近物騒ですし…勧誘だか何だかわかりませんが、俺に用があるならまず親を通してください。それができないなら、話はできません」
「…」
「ここ、住宅街だし、今の時間なら家に結構人居ます。大声出せば多分出てきてくれると思います」
「…なるほど、ね」
稜が言うと男は納得したように頷いた。
「…じゃあ、俺は行くので」
「君、成績が悪くなると困らない?」
男の言葉にああ、やっぱり勧誘か、と稜はため息をついた。塾とか通信教育の類、それとも家庭教師の斡旋か。
「大丈夫です。間に合ってるので」
稜は振り返らずに男にそう伝えた。
「そうか。テストの結果、楽しみにな」
背後からそんな言葉が聞こえた気がしたが、ただの捨て台詞だろうと稜は気にも止めなかった。
翌日。教科にもよるが早ければ今日、テストの採点結果が出る。
「テスト返すぞー」
早速、英語教師が言った。稜には自信があった。英語のテストはひなの予想した範囲が尽く的中したのだ。
「新発田稜」
名前を呼ばれ、前に出て答案用紙を受け取る。席につき、点数をみた稜は驚愕した。
「…!…にじゅう、いってん…?」
右上に赤字で書かれた21。間違いなく赤点だ。
「なんで…お、おかしいよ」
先生が採点を間違えたのかもしれないと、稜は躍起になって一問一問確認した。
採点は間違っていない。が、しかし、稜は気づいた。書かれた答えは、自分の書いた覚えのないものばかりだった。
「…え、え…?」
稜は名前の欄を確かめる。新発田稜、と間違いなく自分の名が書かれている。それに解答の筆跡も自分のものだ。
その日、他に採点が終わって返されたテストは数学と国語だったが、どちらも赤点で、回答欄には自分の書いた覚えのない答えだらけだった。
稜は訳がわからなかった。
「俺、どうしちゃったんだ…」
まるで夢を見ているようだった。頭がいかれちゃったんだろうか。全て妄想だったのか…いいや。ひなは存在するし、あの勉強会だって嘘じゃない。
稜はノートを開いた。自分の戸は違う、小ぶりで整った文字が並ぶ。これはひながポイントを教えるために書いてくれた文字だ。
「…こんなにしてくれたのに、どうして…」
どんな顔をしてひなに会えばいいのか。自分の時間を割いてまで稜を助けてくれた彼女に申し訳なく、その日はひなに会わないよう、いつもより早めに下校した。
「やあ。今日は早いね」
「…!?」
稜は驚愕した。昨日と同じ、家の前にあのスーツの男が立っていた。
「…」
稜は無視して通り過ぎることにした。とてもじゃないが相手をする気にはなれなかった。
「あれ?無視かい?」
「…」
「テスト、ひどい点数だったろ?」
「…!?なんで…」
稜は男の顔を凝視した。長身だったため稜は否応なしに見上げるかたちになる。
「…何か、したんですか」
「何かって?」
「俺のテスト…赤点にしたのは、あなたの仕業ですか」
「うん」
「!」
あっけらかんと頷く男。しかし稜には疑問が残った。
「でも、あれは…どう見ても俺の字だった。俺が書いた字なんだ。俺はあんな答え書いてないのに…テストは時間ギリギリまで何度も見直したし、問題文の方にも答えを書いておいた。そっちは間違いなく合ってたんだ。なのに、どうして…」
「簡単なことさ。君の筆跡を完全に真似ただけ。そして予め用意しておいた偽の答案を、採点前にすり替えておいたのさ」
「ま、真似、って…」
人間の字とはいくら隠そうとしても独特の癖や個性が出る。だから筆跡鑑定なんてものがあるのだ。テストの答案用紙に書かれていた文字は、稜のものだった。文字の形だけじゃない。文章を書いたときにできる微妙な大小のバランスや、漢字の辺や部首の離れ具合まで完璧だった。他人の筆跡をあそこまで完全にコピーすることなんて、できるのだろうか。
「まず、君が日常使っているのはパイロット製ドクターグリップGスペックというシャープペンシル。芯はこれまたパイロット製ビグリーンネオックス・グラファイト05濃さはHB。消しゴムはトンボ鉛筆製のMONO消しゴム。消すとき、強く擦りがちなため紙が皺になりがちだ」
稜の使っている文具。自分でも知らない細かい商品名を男はつらつらとあげていった。
「ひらがなの「あ」を書いたあとにはほんの少し、次の地までスペースが開く。草冠の三角目は力を入れて書くね。他にも数字やアルファベット、君の書く全ての文字を研究済みだよ」
「…」
稜は背中が寒くなった。自分の知らないところでずっと見られていたのだ。
「な、なんでそこまで…」
「だって君、こうでもしないと話、聞いてくれないだろ?」
「い、いや…」
「事実、昨日はにべもなく断ったじゃないか。大声出すぞっておどしまでかけてさ」
「それは…」
稜は反論しようと思ったが、今更ほじくり返しても話が進まないのでやめた。
「それで、話ってなんですか」
「ここじゃ言えない」
「じゃあ、家に来ますか」
「それも無理。親御さんに聞かれたくないから」
「…知らない人間に、ホイホイついていけって言うんですか」
家ならば母親の目があるのに。ただでさえ怪しい大人の、それも自分を陥れようとしている人間について行けとい言うのか。
「大丈夫。ちゃんと人目のある所だから。別に地下室やなんかに監禁しようってんじゃないんだ。ちょっと落ち着いて話ができるところに移動したいってだけ。ね」
「…」
浅はかだとは思うが、稜は男に従うことにした。




