接触
翌日、稜はいつもより早めに登校した。
豊栄が心配だった。昨日、メールを一通だけ送ったが、やはり返事はなかった。
学校に着いて、稜はまず、職員室に向かった。
教師ならもう何らかの情報を得ているのではないかと思ったからだ。
「失礼します」
ガラ、と引き戸を開けると、稜の顔を見た教師たちの顔が、何か恐ろしいものでも見たように引きつった。
「あの…すいません」
「…あ、ど、どうしたの?」
入り口の手前の方にいた国語教師が取り繕った笑顔で稜に聞いた。
「あの、三ーBの、豊栄の事故なんですけど…」
再び、職員室内の空気が凍る。稜は、それを豊栄の状態が悪いせいだと思った。
「…と、豊栄、そんなに、ひどいことに…?そ、そんな…」
稜は泣きたくなった。つい昨日まで、軽口を叩いて笑い合っていた友人が、まさか、と。
「い、いや、待って!あのね、先生たちにもまだ、わからないの。えっと、えっと、B組の担任は…瀬波先生、ね。まだ来てらっしゃらないみたいだから、あの、来たら詳しい説明してくれるんじゃないかしら」
しどろもどろになりながら国語教師はそう言って、稜に教室で待つように促した。
なんの情報も得られなかった。稜は答えを保留されたまま、モヤモヤとした気持ちを抱えて教室へと向かった。
「…」
教室の扉を開けると、部活の朝練か何かだろうか。数人の生徒がもう来ていた。
「おはよー」
稜はいつも通り、みんなに挨拶をした。
「…」
しかし、稜の挨拶に誰も答えない。稜が入ってくるまで、彼らは談笑していた。廊下に声が漏れたいたからわかる。それが、稜の顔を見た途端に、水を打ったように静まり返ってしまった。
「…あ。お、おはよう!新発田くん!」
「…おはよー稜くん!」
「おはよう!」
一人が思い出したかのように返事をし、やっと、残った人たちも挨拶を返しはじめた。
「…?」
さっきの職員室での空気といい、一体どうしたのだろう。
稜は訝しみながら、自分の席について今日の時間割を確認し時間を潰すことにした。
時間が進むに連れ徐々に教室内の人口が増えていく。入ってくるたび、皆稜の顔を見て目を見開いたり、口をあんぐり開けたり、キョロキョロ周りを伺ったりなど、三者三様とにかく驚いていた。
稜の友人、湯沢もそれに漏れず、驚きを隠そうともしなかった。
「…り、稜っ!?お前、なんでここに…!?」
「な、なんでって…」
「体大丈夫なのか!?怪我は!?」
「…はあ?何言ってんの」
「だってお前、昨日豊栄と…!」
湯沢が半ば叫ぶように言いかけたその時、教室にいた生徒の全員が、湯沢を見た。
「…!」
その目は、怯えているようだった。
「…いや、なんでもない。悪かったな。変なこと言って…」
「い、いや…」
それきり湯沢は稜のほうを見なかった。
朝のSHRが始まった。担任が教室に入ってくる。
彼は稜の姿を見ても驚かなかった。既に他の教師に聞いていたのかもしれない。
「みなさんおはよう。あー、まず、豊栄の事故のことだが」
挨拶もそこそこに、担任は豊栄のことについて切り出した。
「幸いなことに、特に大きな事故でもなく、軽傷だそうだ。足首の捻挫だけで済んだらしい。が、一応、念をとって一週間休むそうだがー、まあ、交通事故ともなると色々、手続きとかもあるだろうしな」
「…!」
それを聞いて稜は心からホッとした。
「よ、よかったあ…」
友人の無事を喜ぶあまり、言った当人の担任を含め、周囲に走る妙な動揺に気にもとめなかった。
一限目の英語を適当に流して、休み時間、稜は人探しに出かけた。
昨日、飲み物をかけてしまった女の子。豊栄の事故でうやむやになってしまっていたが、今思えば随分とひどいことをしてしまった。
あの子はあの後、茶色いシミだらけに濡れた制服で午後の授業を受けたのだろうか。想像して、稜はいたたまれない気持ちになった。
「…走っていった方向からして、D組、かな」
3学年のクラスはAからDまでの4つあり、校舎の構造上、D組だけは少し離れた場所にあった。
稜は急ぎ足で渡り廊下を抜けて、D組の教室へ向かった。
ここに来るのは初めてだった。稜は恐る恐るD組の教室の中を覗く。
「…」
顔はきちんと見えなかったが、なんとなく雰囲気は覚えていた。
「…あれ、かな?」
窓側の、一番後ろの席。ぽつんと一人、本を読んでいるあの子。
%稜は扉の近くにいた女の子に、彼女を呼んできてくれるよう頼んだ。
女の子は一瞬、たじろぐような素振りを見せたがすぐに持ち直し、そろそろと教室の端で、本に夢中になっている彼女にこちらを指さし何かを言った。
彼女は少しだけ顔を上げ、稜に気付くとすっくと立ち上がり、まっすぐに駆け寄ってきた。
「…なんですか」
彼女は稜の目も見ずに言った。まだ、怒っているのだろうか。稜はまず彼女に頭を下げた。
「あ、あの、昨日は、ごめん…きちんと、謝りたくて」
「ああ、あれ。気にしてないって、行ったじゃない」
「でも、制服、汚しちゃったし…」
「体操着あったから。大丈夫」
大丈夫、とは言うものの彼女は始終俯いたままで、隠すようにして顔を見せてくれず、稜は彼女の気持ちがわからなかった。
「そ、それでさ。これ…お詫びなんだけど、良かったら、どうぞ」
稜は持っていたパックジュースを手渡した。
「…?これ、昨日と同じやつ?」
受け取った彼女がそのパッケージをまじまじと見ながら呟いた。
それは昨日彼女に噴射してしまったものと同じ、麦芽コーヒーだった。
「…あ!そ、そうか!ごめん、俺、いつもこれ買ってるから癖で…!」
原因を改めてプレゼントするとはなんという失態だろうと、稜はにわかに焦りだした。
「買い直してくるよ。ごめん、無神経で…」
しょんぼりと肩を落とす稜に反して彼女はくすくすと小さく笑い出した。
「これ、好きなの?」
彼女がようやっと顔を上げる。大きな目の中、色素の薄い茶色い瞳が稜をまっすぐ見上げた。
「これ好きなの?」
「…う、うん。俺、カフェイン入ってるもの飲むと眩暈起こしちゃうんだ。だからいつもこれで…」
「そうなんだ。懐かしいなあ。小さい頃、よく家の冷蔵庫に入ってた」
「甘いの、大丈夫?」
「うん。ありがとう、昼に頂くね」
その後授業が始まる鐘がなり、稜は急いで自分の教室へ戻った。
廊下を走りなから、稜は彼女の名前を聞き忘れたことに気づき後悔したが、また会った時に聞き直せばいい、と思い直した。
きっとまた自分は彼女に会いに行くだろう。そんな気がしていた。
「なあ、稜。俺、音楽室に忘れ物しちゃってさ。ちょっと付き合ってくれないか?」
昼休みの終わり頃、湯沢が稜に近付き声をかけた。
「ああ、いいよ」
稜はなんの気無しに頷き、湯沢の後をついて、3階の、廊下の突き当りにある、音楽室に向かった。
人の気配のない音楽室に着くと、湯沢は早速、口を開いた。
「…なあ、お前本当に何もなかったか?原因不明の熱が出たとか、どこかで怪我をしたとか…」
「何言ってんだよ。俺はこの通り、元気一杯だよ」
見ろ!とばかりに稜は両手を広げて言った。
「大体、なんでそんなこと聞くんだよ」
稜は尋ねた。体はどこにも異常がない。いつも通りだ。
なのに、自分の周囲がおかしい。校内を歩くたび、自分をじろじろと見て、なにかヒソヒソ話している。
いくら鈍感な稜でも、さすがにこれは心に来るものがあった。
「…昨日、お前、ジュースぶっかけたんだろう?豊栄と一緒にさ」
「あ、あれは…豊栄が脅かすから、ついうっかり、握りつぶしちゃったんだよ」
誓って悪意があったとか、そういうのじゃないんだと、稜は躍起になって湯沢に説明した。しかし、湯沢はそんなことは問題にしていないようだった。
「わざとじゃなくても関係ないよ!とにかく、お前は危害を加えたんだろ?あの、狼森に!」
「…は?おいのもり?」
稜は、ぽかんと口を開けた。
「だから、説明しただろ?理科室で、豊栄と一緒に!」
半ば苛ついたように湯沢は言った。それは覚えている。村上が学校を欠席している原因を聞いた時だ。おいのもり、という人に怪我をさせたからだと。
「いや、俺が飲み物かけたのは、女の子だけど。D組の、小さい子…」
「だからそれが、狼森なんだよ!狼森、ひな!」
「…えぇえ!?」
驚きのあまり、稜は変な声を出した。
稜の描いていた狼森さんとは、でかくてゴツくて筋肉ムキムキのなんかこうプッツンしている危ない男、だったのだ。
「あの子が、恐ろしい?…あ、もしかしてお兄さんとか、親父さんが怖い人とか…?」
「そうじゃない。正真正銘、狼森ひな自身の力だ」
「…」
あんな細く小さな女の子に、全校生徒が怯えるほどの強さが果たしてあるものだろうか、と稜は不思議に思った。
「詳しく言うと、別に彼女が直接何かするわけじゃないんだ。ただ、彼女に危害を加えた者は全員、なにかしら災厄に見舞われている。最早、呪いた」
「呪いって…」
そんなオカルトチックな、と呆れたように稜がいったが、湯沢は真剣そのものだった。
「確かなんだ。現に、豊栄は交通事故に遭ってるだろう?」
「…偶然だろ?ほら、あいつ注意力足りないところあるし…」
「偶然じゃない」
湯沢の語気に稜は口を閉じた。
「一年のときから被害者は数知れない。皆大小様々だが痛い目に遭っている。例外はない。お前、以外は」
「…で、でもさ。その、呪い?ってのも大したことないじゃないか。豊栄だって、ただの捻挫で済んだみたいだし。そう神経質になることもないだろ」
「…村上が、どうなったか聞きたいか?」
狼森の話を聞くきっかけになった村上。彼は今日も欠席しているが、誰も彼について触れていない。
「村上、家が火事になったんだ」
「…!」
「家は全焼。死人は出なかったけど、村上、ひどい火傷おったって…。それで、怖くなって家族全員こっそり引っ越していったんだ」
「…」
稜は呆然とした。画鋲を踏んだくらいで家を失うなんて、そんなことあるものだろうか。
「どうして豊栄がそんな軽傷で済んだのかはわからないけど、こういう事実があるんだ。だから、お前のことが心配で…」
稜は何も言わなかった。湯沢の心遣いに礼を言い、二人は教室に戻った。




