蔦殺
それから、稜はまりあと居る時間を増やして見ることにした。本当に自分は彼女のことを愛しているのか、きちんと見極めるためだ。
適当なことはできない。それはまりあも、ひなの気持ちも嘲ることになるからだ。
「はあ…」
しかし、その頃から再び原因不明の体調不良が始まった。
疲れが取れない。体中が怠い。久しぶりの頭痛や耳鳴りに稜は頭を悩ませていた。
「なんでまた…こんな…」
こうなると思い当たるフシはひとつしかなかった。思い返せば以前の体調不良も、まりあと親しくなった頃からだった。それならば同時にひなの体調も崩れたこととも合点がいく。
そして、一時的に体調が回復したのは…
「新発田くん。ちょっといいかい?」
女子たちの間をすり抜けてきた沼垂美那子が、稜に近付き声をかけた。
そう。体調が良くなったのは美那子が転校してきた、あの日からだった。
「どうした?」
「話したいことがあってさ。2人きりで」
美那子に集まる女子がこの世の終わりのような顔をしているが、見ないふりをした。
「…わかった。今日、放課後でいいか」
「うん。3丁目のコンビニはわかるかい?」
それは、初めてまりあに話しかけられたあのコンビニだった。
「…ああ。わかる」
「そこで待ってる。ちゃんと、撒いてきてくれよ」
美那子はひなとまりあをちらと見て言った。稜はその意味に気付いていた。
稜はひなとまりあに家の用事があるのだと告げ、放課後急いで目的の場所へと向かった。
コンビニの前までくると、既に美那子はそこにいた。
「やあ。新発田くん」
「言われたとおり、ちゃんと一人で来たぞ」
「わかってる。さあ、こっちに来て」
そう言って美那子はさっさと店内へ入っていく。稜も後を追いかけた。
売り場を通り過ぎ、従業員専用出入り口を躊躇なく開け彼女はどんどん先へと進んでいく。レジの店員も何も言わなかった。
やがて彼女は更衣室に入り、一番奥のロッカーを開けた。中には、一枚の扉があった。
「おお…?」
「ここから入って。足元に気をつけてね」
稜は恐る恐るロッカーの中へと足を踏み入れ、扉をくぐった。ベコ、と床が鳴る。
「おお…」
向こう側は、部屋になっていた。真ん中に簡素なテーブルとパイプ椅子が二脚、置かれている。
「ここなら、誰にも聞かれずに話ができる。君はもう、気づいているかもしれないけどね」
美那子が意味深に笑う。稜は勧められたパイプ椅子に腰掛けた。
「急に呼びつけてしまってごめんよ。どうしても、新発田くんには話しておきたいことがあったものだから」
「…まりあのこと、か?」
美那子はこくんと頷いた。
「そう。先に聞いておくけれど、君、まりあのことをどう思ってる?」
「…ど、どうって…」
面と向かって聞かれ、稜は気恥ずかしくなった。
「それによって、私の今後の行動も変わって来るんだ。だから早めに決めて欲しい」
「…?どういうこと?」
「まりあは、妖なんだ」
稜は目を見開いた。ある程度予想していたこととはいえ、改めて眼前に突きつけられると、ショックなものだった。
「彼女の力は蔦、という。蔦は人の生気を吸い取って生きている。巷にエナジーヴァンパイアと呼ばれる人達がいるが、それは蔦の、ごく症状の軽いものたちのことなんだ。彼らは意図せず人の生命力を奪い取ってしまう。そして、まりあの場合はそれがかなり強靭だ。だから餌が必要になる」
「…餌?」
「私がまりあの餌なのさ」
あっけらかんと、美那子は言った。
「私は生気に限りがないらしくてね。エネルギーがどんどん湧き出て来る体質なんだ。泉、というそうだよ」
「…」
「君と同じさ。君の、蚊帳という能力と同じ」
「!」
「契約、したんだろう?」
美那子が全て知っていたことに、稜は驚いた。
この秘密は契約した者同士で共有するものなのだろうか。しかし稜は三条からはまりあや美那子について何一つ聞いていない。
「泉は唯一、蔦に対抗できる存在。だから私はここに来たんだ。私が蔦に食われているうちは、周囲に影響が及ばないからね」
「…」
美那子の瞳に力が増して行く。
初対面のとき、一瞬彼女に怯んだのはこのせいだったのかと稜は思った。
彼女から溢れ出る生命力に気圧されたのだ。
「しかし…もしまりあと付き合うとなると、覚悟が必要だ。蔦は愛するものからその生気を吸い尽くす。君が最近また体の調子が悪くなったのは、まりあとの距離が近すぎるからだ」
美那子は息をひとつ吐き、言い聞かせるように言った。
「…よく考えてくれ。私も、出来る限りのサポートはするつもりだよ。だけど…二人が付き合うとなると、いつでも私がそこに入っていけるわけではないからね」
「…」
「そして何より。まりあにとって君の存在が大きくなってから君が消えてしまった時が怖いんだ。妖の者の精神が崩壊すると、祟るからね」
「祟る…?」
その聞き慣れない言葉に、稜は美那子に聞き返した。
「祟るってなんだ?精神が崩壊したとき、何か起こるのか?」
「あれ?君のところの担当者は言わなかったのかい?」
美那子は怪訝な顔をした。
「弱ったな…悪いが、私の口からは言えないことになっているんだ。ただ、凄くまずいことになる、とだけ、言っておくよ」
それだけ言って、美那子は絶対に口を割ろうとはしなかった。
「なあ。この、秘密にさ、迷いとかなかったのか?」
コンビニを出たあと、稜はふと美那子に尋ねた。
「罪悪感とか…嘘つくことに、疲れたりしないか」
稜は秘密を知る前にひなと出会い、親しくなった。だから彼女のために役立てるのならと、大した抵抗もなく今までやってこれた。
しかし美那子はそうではない。見も知らぬ人間のために、秘密を背負わされ、知らない環境に飛び込んできたのだ。
稜は彼女に、そこに葛藤はなかったのかと気になったのだ。
「無いよ」
稜の問いに、美那子はあっさりと首を降った。
「恩があるんだ。この秘密の引き換えに、私はあの地獄から救い出してもらった。だから、迷いなんか、微塵もないよ」
そう言って、美那子はどこか遠くを見ていた。見たこともないような、憂いた表情。
「…」
彼女の中にある影の部分に触ってしまった気がして、稜はそれきり、口を閉ざした。
数日後、稜はまりあを呼び出した。
2人で約束した喫茶店で、稜はまりあに自分の出した答えを伝えた。
てっきりデートだと思っていたまりあは驚き悲しんでいる様子だったが、すぐにまた元の美しい顔に戻って言った。
「悲しいけど…でも答えが聞けて良かったわ。これでようやく、前に進めるもの」
「!」
「今まで通り、友達でいてね」
まりあは笑っていた。
彼女の注文したアイスティーは、最後まで口を付けられることはなかった。
数日は気まずさが残っていたが、まりあが今までのスタンスを崩さずに居てくれたため、ふたりはまたすぐに元の関係に戻った。
美那子はうまい具合にフォローに回ってくれた。おかげで、稜とひなの体調は完全に元通り、安定していた。
「稜くん。次の生物、視聴覚室に移動だって」
すっかり血色がよくなったひなが稜に言った。僅かだがやはりまりあの影響を受けていたのだと実感する。
選択は正しかったと、稜は思った。
「稜ー、ひなー」
そこへ、まりあと美那子が二人の元へ歩いてくる。
「次、移動でしょ?早く行きましょ」
「持ち物も、教科書だけでいいってさ」
すっかり仲良くなった美少女二人は、並ぶと一層迫力があった。いくら見慣れた稜でも圧倒されそうになる。
この片方の美人を俺は振ったんだよな、と稜は一瞬、自分が信じられないような気分になった。
「どうしたの?稜ったら、頭だけじゃなくて耳も悪くなったの?」
しかし、まりあの相変わらずの物言いに、すぐにその気持ちは引っ込んだ。
4人は連れ立って視聴覚室に向かった。
美那子とまりあ。その間にひなが立つ。ひなにも、美那子やまりあとはまた違った層のファンがついている。その3人と歩く稜は、嫌でも人の視線を感じずにはいられなかった。
「あれ?稜くん、教科書は?」
「新発田くん、もしかしてまた忘れたのかい?」
「まったくもう…稜ったらどうしようもないわね」
そんなことはお構いなしに3人に増えた世話焼き女房は廊下を賑わせている。
「違うよ。隣のクラスのやつに貸したんだ。さっきメールしたら視聴覚室に直接届けてくれるってさ」
「ふうん。稜、4組に友達なんていたのね」
「体育が2クラス合同だからな。それなりに」
「稜くんは友達作るの上手だねー」
そして、視聴覚室前の角を曲がろうとしたその時、何人かの男子生徒の話す声が聞こえてきた。
そのうちの一人は、稜が教科書を貸した生徒だとわかった。
「それって誰の?」
「教科書?新発田から借りた」
「しばた?」
「あー、あの腰巾着ね」
稜は、足を止めた。
「おい!なんてこと言うんだよ」
「だってそうだろ」
「つーかあいつ、なんで女とばっか居るわけ?大したツラでもねーのに」
次々発せられる自分への悪意に、稜は体がキーンと冷えていくのを感じた。
「山辺里まりあもなんであんなのといるんだろうな?」
「金だろ。融資してもらってるんじゃないのー」
「あー財布かよ情けねーな!」
言葉の刃は次々と放たれる。堪らずまりあは彼らに向かって叫んだ。
「ちょっと!いい加減にしなさいよ!」
あのまりあが珍しく鼻白んでいる。男子生徒たちは本人たちに見つかり場が悪そうな顔をした。特に、教科書を借りた生徒は稜を見て申し訳なさでいっぱいのようだった。
しかし稜はそれどころではなかった。自分の悪口を言われるのは別にいい。関係のない人たちだ。嫌われようが何しようが気にはしない。
しかし、ひなはそうではない。
「!ひな…」
稜が隣に立つひなを見ると、彼女は今までにない程顔を歪め、彼らを睨みつけていた。
「…!」
蛇が向かったら彼らを傷付けてしまう。しかも、今回はひなは彼らに明確な憎悪の念を向けている。稜の蚊帳だけでは対処し切れそうもない。惨事が起きることは明白だ。
「ひ、ひな…おい…」
どうにか彼女の気を逸らせようと、稜が彼女に触れようとしたその時、美那子が稜のうでを掴んだ。
「!」
「大丈夫。このために、まりあが居る」
美那子は稜の耳元で囁いた。稜には意味がわからなかった。
稜がもう一度ひなに目を向けた次の瞬間、パーンという破裂音と共に彼らの前に粉々に砕け散ったガラスがシャワーのように降り注ぐ。窓ガラスが割れたのだ。
「きゃあっ!」
「うわっ!」
ほうぼうで叫び声があがる。ガシャガシャとガラスが擦れる音がした。
「…」
しばし呆然としたあと、稜はハッとして恐る恐る、彼らを見た。
「…」
「いてて…」
彼らは生きていた。顔や腕にガラス片が掠って出血していたが、命に関わるような怪我はしていない。稜はほうっと息を吐いた。
「でも、なんで…」
「ね?言っただろう?」
美那子が小声で言った。
「さっき、泉を止めたんだよ。餌場を無くしたまりあの蔦はひなに向かう。それで蛇の力が削がれたんだ」
「…力、操れるのか」
「一時的になら。気を抜く、張る、って言うだろう?ちょっと栓を抜いてやればいいのさ」
稜は湯船を思い浮かべた。
「でももう少しひどくいっても良かったなあ。あれじゃ甘いよ」
「えっ」
「少なからず私もむかついたんでね」
美那子は悪戯っぽく笑って言った。
「…さあて。片付けも終わりかけみたいだし、授業に行こう。まりあ、ひな!」
美那子が二人を呼びよせる。まりあは未だ怒りが収まっていない様子で、男子たちに食って掛かっていたが、美那子になだめられてなんとか大人しくなった。
なんとなく、稜がちら、と後ろを振り返ると、人だかりのなかの、ある男子生徒と目があった。
「ひ…っ!」
彼はひどく怯えた様子で、逃げるように走り去っていった。
なんだ?と思っていると、他の女子生徒のヒソヒソ話が耳に入ってきた。
「何あれ」
「ほらあの人、急に叫んだりするじゃん」
「6組の蒲原くんでしょ。何か統合失調症?みたいな?心の病気らしくて」
「へえー」
「でも家がお金持ちだから学校も何も言えないらしいよ」
盗み聞きながら、稜は人事ながら大変だな、と名も知らぬ彼に同情した。
窓ガラスは、飛んでいたカラスか何かが石を落としたせいだろう、ということでかたがついた。
稜やその他の生徒、そしてひなにも、一切咎めはなかった。
「新発田!」
そして騒ぎが収拾に向かった頃、稜は隣のクラスの生徒に呼ばれた。教科書を貸した彼である。
「…あの時は、ごめん。俺、何も言い返さなくて…」
彼は深々と頭を下げた。
「いいよ。もう気にするな」
「でも…ちゃんと怒るべきだったのに、俺…」
彼が謝罪する必要なんてないのに、彼はひどく焦燥した様子で謝罪の言葉を繰り返した。
「ちゃんと怒ってくれてただろ。聞こえてた。ありがとな」
稜がそう言うと、彼は感極まったように大声で言った。
「俺、あんなこと思ってないから!新発田のこと、好きだから!」
「えっ」
「本当だから!本当に好きだから!」
「…」
幸か不幸かこの言葉が誤解を招きこれ以降、稜への男子生徒のやっかみは激減したのであった。




