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黄昏

作者: 十月十日

 どうやら派手に足を踏み外したらしい。

「平気?」

 転げ落ちていく階段の途中で私を捕まえてくれた彼は、僅かではあるが心配そうな表情を見せた。

「…………うん、まあ」

 人間、あまりに予想外の事態には却って落ち着いてしまうものらしい。発した自分の声はあまりにいつも通りだった。

「そっか。なら良かった」

 相変わらず表情の乏しい顔で、彼は階段の踊り場を見上げる。

 さっきまで私が立っていた場所に、何か奇妙なものがいた。

「あれって、何」

 彼の背中に尋ねると、彼は軽く肩を竦める。

「さあね」

 窓から差し込む逆光の中、何となく輪郭がぼやけたような、はっきりしない影が揺らめいていた。

 得体の知れないそれは、どうやらこちらをじっと見ているらしい。

 額に手を翳してそれを眺めていた彼が振り返る。

「あれに突き飛ばされたわけ?」

「……いや、私が勝手にびっくりして落ちただけ」

 肩を縮めて申告すると、彼は黙ったまま小さく溜息を吐いた。

「そこにいなよ」

 そう言い置いて、すたすたと階段を上がっていく。こういったことには慣れているのだろう、その足取りに恐れはない。

 むしろ怯えたような反応を見せたのは影の方だった。萎縮したように縮こまり、じわじわと後ずさっていく。

「何もしないよ」

 彼がそう言ったのが聞こえた。その手が学ランのポケットを探り、紙の束を掴み出す。それを彼は階下に向けて放り投げた。

 すぐ足元に落ちてきた紙を拾い上げる。よくわからない紋様が描かれていて、ああ多分すごいものなんだろうな、と妙に冷静に考えた。

 階段を下りてくる足音がして、視界に影が差した。顔を上げると、彼が無表情に見下ろしてくる。

「あれ、さっきのは?」

「もういないよ」

 踊り場を見上げると、影は跡形もなく消えていた。

「早いねー」

「大したことじゃなかったから」

 下りてきた階段を振り返って、彼は微かに目を細めた。

 「彼ら」に向けるその表情は、いつも穏やかで優しい。

「はい、これ」

「拾っといてくれたんだ」

「大事なものなんじゃないの?」

 紙の束を差し出すと、受け取ってポケットに突っ込んだ彼はほんの少し笑った。

「……ありがとう」




「追い払うことだけが仕事じゃないから」

 初めて会った時、彼はそう言った。

 私は、彼が「彼ら」に危害を加えるのを見たことがない。

 何となく、彼の職業は「彼ら」を退治するものだという認識があったのだが、どうやらそうではないらしい。




 歩き出した彼の背中を追う。

「ね、結局さっきのって何?」

「さあね」

「みんな見えてないけど、しょっちゅうあの階段にいるんだよね」

「早く帰らないのが悪いんじゃないの」

「何とかならないかな?」

「僕には無理」

 私たちの影が、夕暮れ時の廊下に長く伸びる。



 もうすぐ彼らの時間だ。

 早く帰らなければ。


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