表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

狂人・月詠

狂人・月詠 ――月と星――

作者: 月神 皇夜

月と星




 最近の私は少し油断のようなものがあったのかも知れない。遠くからでも聞こえる怒声と遠目に見えるその光景に私はため息を吐いた。

 私の視線の先には二人の男性の姿がある。一人は私の知らないサラリーマン風の男性で凄まじい剣幕で怒鳴り散らして、もう一人は相手とは対称的にいつもと変わらない微笑を浮かべていた。


(久しぶりだなぁ)


この手の場面に出くわすのは本当に久しぶりだった。しかし、冷静に考えればそれはただ運がよかっただけだ。運良く、彼が突飛なことを通りすがりの人に言わなかっただけであって、彼が変わった訳ではないのだからいつかはこの光景に遭遇すると予想できたはずだ。本当に油断していたとしか言い様がない。


(どうしようかな……)


どうやって止めたものか、と私はしばしその場に立ち尽くす。すると彼らの間に一人の男性が割って入った。私は思わず目を見開く。見知らぬ人を巻き込んでしまった。これ以上被害が拡大する前に行動しなければ、と私は走り出した。


「つ、月野さん!」


「うん? やあ、君か」


慌てて走ってきた私に対しても彼はのんびりとした様子で微笑む。そんな中、巻き込まれた男性、月野さんと同い年くらいの青年は必死になって火消しをしている。

私は眉間にしわを寄せて問い詰めるように口を開いた。


「……何を言ったんですか」


「大したことは何も。ただ、死ぬなら飛び込みと飛び降りと首吊りはやめた方がいいってだけ」


それを世間一般では大したことと言うんです、という言葉は呑み込んだ。彼に世間一般論が通じないのは分かっている。

 私は頭が痛くなるのを感じながら火消しに回っている彼を見た。


「……いや、ほんとすみませんでした! 俺の方からあいつにはよーく言っておきますんで! はい、はい、じゃお気をつけてー」


丁度火消しが終わったらしい。サラリーマン風の男性は未だ腹に据えかねているといった様子だったが踵を返して立ち去った。私はほっとため息を吐く。何とか収まってよかった。そう安心するのも本当に久しぶりだった。だが、本当の意味では火消しは終わっていない。


「……すみません。ご迷惑をお掛けしました」


そう言って私は見知らぬ青年に頭を下げた。苦言の一つ二つは覚悟しなければと思う。しかしその予想に反してその人は歯を見せて人懐っこい笑みを浮かべた。


「気にしない、気にしない。大したことしてないから。なー、月詠(つくよみ)


月詠。今、この人が同意を求めたのは誰だろうかと思ったその時、私の背後で呆れたような声がした。


「それ、誰のこと?」


「お前だよ、月野(つきの)詠司(えいじ)! 月野の月と、詠司の詠で、月詠。ほら、ぴったり」


振り向くと愉快そうに笑うその人とは対称的に彼は疲れたような表情と冷めた目をしていた。見たことのない彼の表情に私は思わず固まってしまう。


(この人でもこんな顔するんだ……)


私がそう意外に思っていると彼は私の視線に気付いたのか、先ほどの表情から一転していつもの微笑を向けた。その切り替わりの早さに私は目を瞬かせる。しかし、私以上に目を瞬かせている人がいた。


「……めっずらしー。月詠が笑ってら」


私の背後で彼を月詠と称した青年が心底驚いたように私が思ったことと真逆のことを呟く。そして私が振り向くとその人はまた人懐っこい笑みを浮かべた。反応に困りながらも私は軽い会釈を返す。するとその人は私の顔を覗き込みながら口を開いた。


「君、何者? ってか高校生? 月詠が仲良さそうにするなんてすっげ珍しいんだけど」


そう言って彼はずいと私に顔を近付ける。私は反射的に仰け反るようにして彼から遠ざかった。しかし、この体勢はかなり辛い。それと同時に社交的を通り越してずいぶん馴れ馴れしい人だな、という印象をこの人物に抱いた。その時、沈黙を守っていた彼がふとそれを破った。


「えーと志倉(しくら)君、だっけ? 君、初対面の人にずいぶん失礼だと思うよ」


珍しく彼から救いの手が差し伸べられる。私は内心、その言葉に多大な感謝の念を送った。そろそろ背骨が悲鳴を上げる。そのため、おそらく今の私の表情はひどく引きつっているだろうと思った。そして、彼の言葉に志倉さんは


「おおっと、失敬失敬。紳士の俺としたことが」


とおどけた様子で姿勢を正し、さっと手を差し出した。紳士云々はまともに受け止めない方がいいだろうと思いながら私は差し出された手を見つめる。すると彼は明るい様子で言葉を紡いだ。


「初めまして。俺、志倉(しくら)(こう)。現在大学一年生。君の名前は?」


愛想の良い自己紹介に私は少し戸惑う。どちらかと言えば私は無愛想に分類される人間だ。しかも意識的にそうしている訳ではなく、無意識に無愛想なので正直なところ愛想良くされるとどう返せばいいか悩んでしまう。


「……神代(かみしろ)涼子(りょうこ)。高校一年生、です」


私は表情も乏しいままに差し障りのない答えを口にして、差し出された手を凝視した。握手を求められているのだと思うが、今時自己紹介で握手は珍しいと思う。それにいきなり知らない人と握手を交わすのにも抵抗があった。しかし、志倉さんはそういったことを気にしない人らしい。一向に手を差し出さない私の手を掴むとぐっと握りしめた。私はギョッとして彼の顔を見る。すると志倉さんは満面の笑みを浮かべていた。

 どうやら彼も彼で変わった人らしい。類は友を呼ぶ、という(ことわざ)を作った人はすごいと思った。そんな中、志倉さんは私の手を握ったまま


「……つーか、月詠? お前いい加減名前覚えてくんない? 高校の時からの付き合いだろ!」


と彼への不満を口にする。どうやら志倉さんは彼とはそれなりに長い付き合いらしい。しかし、彼の反応はかなり素っ気なかった。ふむ、と考え込むようにしていつものベンチの定位置に腰かける。そして、


「……そうだっけ?」


と、思い当たる節がないと言いたげに首をかしげた。その言葉に志倉さんは半ば呆れた様子で


「そうですよ」


と返す。それからにこりと微笑んで私の手を離すと、ずかずかと大股で彼に歩み寄り、常に空席だったベンチの真ん中の席に陣取った。


「涼子ちゃんもおいで、おいで!」


そう言って志倉さんは明るい笑顔でぱたぱたと手招きをする。その様子に私は立ち尽くしていても仕方がない、といつもの場所に腰を下ろした。


「で? 今日は何が見えたんだー?」


極めて明るい調子で志倉さんが彼に尋ねる。しかし、飛び込みと飛び降りと首吊りという単語を先に聞いている私は決して明るい話題ではないことが予想できた。そして、私の予想通り、彼はその明るくない話題を口にする。


「あの人が自殺するところ。……運がない人なんだろうね。いつも自分には関わりのない理由で仕事を失っては自ら命を絶つんだ」


そう淡々とした言葉の中に悲しみが潜んでいる声色で彼は言った。そんな彼の言葉に私は、辛いことは繰り返されると以前、彼が語ったことを思い出す。今しがたここにいた男の人はまた繰り返してしまうのだろうか。そう考えると胸に暗いものが瞬く間に広がった。まるで小さな雨雲が瞬く間に大きくなるのと同じようにその気持ちは大きくなる。私は口を一文字に結んだまま黙りこくっていた。


「これまた、ヘビーだなぁ」


志倉さんは笑顔を曇らせ、眉間にしわを寄せる。私たちの中で平然とした表情を浮かべているのは月野さんだけだった。そして、その月野さんは何の前触れもなく唐突に立ち上がる。その突然の行動に私はハッとして彼を見上げた。


「ん? どーした、月詠?」


志倉さんも私と同じように彼を見上げ、問いかける。すると彼は先ほどまでの話題など忘れてしまったかのようにさっぱりとした口調でその理由を述べた。


「思い出したんだ。志倉くんって確か、ことあるごとに何かお礼の要求してきたよね」


今までの会話と何の脈絡もなく、至って冷静な様子だった。それはそれで彼らしいのだが、その表情は不機嫌なように見えなくもない。そんな彼に対して志倉さんは盛大にため息を吐いた。


「なんでそーゆーとこは覚えてるかなー。つーか、お前の言い草だと俺の印象最悪じゃん!」


志倉さんはそう言って唇を尖らせる。実際はすでに印象はマイナス方向なので今更大して影響はないが、そんなことを言えるはずもないので私は黙ったまま事の成り行きを見守ることにした。


「何か飲み物買ってくる。それで清算ね」


志倉さんの言葉を気に止める様子も見せず、彼はくるりと背を向ける。その背中に志倉さんは先程より小さなため息を吐く。


「相っ変わらずゴーイングマイウェイなやつだな」


そうぼやくと志倉さんはぐるんっと首を回し、私と顔を合わせた。


「で、涼子ちゃんはあいつとどういう関係? さっきの話へーぜんと聞いてる辺りあいつの目のことは知ってるんだよね? いやー、珍しいな。あいつがあんなに親しげに接してるなんてさ!」


怒濤の勢いで話しかけてくる志倉さんに私は思わず距離を置くように身を離していた。そんな私の様子に気付き、志倉さんは照れ臭そうに笑う。


「やっべ、またやっちった。ごめんごめん! いやさ俺、高校も大学も月詠と同じでそれなりにあいつのこと知ってるんだけど、あんな風に笑ったりすんのはかなりレアなんだよねー。だから涼子ちゃんがどんな子なのか正直言ってかなり興味ある」


どうやらこの人は社交的な上にかなりオープンな性格のようだ。本来ならドン引きするような台詞だが、ここまでオープンだといっそ清々しい。そんな志倉さんはこほん、と咳払いをした。


「まあ、人に聞く前に自分が話さなくちゃだよな?」


そう言って志倉さんは同意を求めるように私の顔を覗き込む。私は曖昧に頷いた。別に進んで聞きたいとは思はないが、止める理由もない。すると志倉さんは意気揚々と口を開いた。


「月詠はさ、俺の恩人なんだ。っても命がどうとかいう話じゃないんだけど。

俺、高校の時は弓道やってたんだ。で、大会の前日にあいつが話しかけてきた。今まで話したこともないのに月詠のやつ開口一番に『怪我をしたくないのなら回り道をして帰れ』って言いやがってな。いや、普通なら鼻で笑って終わりだけどさ……」


そこで志倉さんは言葉を区切る。そして、私を見て同意を求めるように微笑んだ。その微笑に私は再び曖昧に頷く。何となく彼の言わんとしていることは分かった。


「いくらなんでって聞いても『怪我をしたくないならそうしろ』の一点張りで頑固一徹。それにあいつは有名人だったからなー」


どう有名だったかは聞かずとも手にとるように分かる。その時の彼らの様子も安易に想像できた。


「まあそのご高名に免じて言う通りにしたんだよ。まあその遠回りのお陰でいつも乗ってるバス行っちゃってさ。そしたらなんと! ……そのバスが事故った」


「やっぱり……」


我知らず言葉が口からもれる。予想通りの落ちに私は納得していた。彼には見えていたのだろう。


「ま、死人が出るようなでかい事故じゃなかったけど怪我人は出たからな。多分、見えたんだろーなー。俺が怪我するのが」


志倉さんも私と同じ解釈らしく、当時を思い出すかのようにしみじみとした口調で言った。

 恐らく月野さんとしては恩を売る気はなかったのだろう。ただ気まぐれに見えたことを教えただけなのだと思う。しかし、それでも志倉さんはその事に恩を感じているのだ。


「……だから恩人なんですね」


「そーゆーこと!」


月野さんの気まぐれな忠告と志倉さんの恩義を感じる心がまるで接点のない二人を繋いでいる。とても不思議な関係だと志倉さんの満面の笑みを見ながら私は思った。しかし、その笑みは一瞬にして好奇心に満ち溢れたものに変わる。


「……で? 涼子ちゃんはどうやって月詠と仲良くなったのかな?」


うずうずという効果音が聞こえてきそうな表情に私は小さく首をかしげた。正直、彼の興味を引くような出来事は何もない。しかし、話さないわけにもいかない状況だ。私は意を決して口を開いた。


「私、よくここに立ち寄るんです」


「うんうん」


相槌からも期待がこもっていることが分かる。特段私が悪いわけではないのだが何となく罪悪感が湧いた。


「月野さんもよくここに来てて」


「それでそれで?」


「……何回か顔を合わせる内に一言二言話すようになりました」


「それから?」


「……以上です」


そう。これが私と月野さんが知り合った経緯なのだ。見れば、志倉さんは驚愕の表情を浮かべたまま固まっていた。しかし、次の瞬間には残像が見えるほどの勢いでぶるぶると首を横に振っていた。


「いやいやいや! 十分珍しいわ! そもそもあいつがまともに人と話すことすら珍しい!」


志倉さんが声を荒げたその時、私の目の前にひょいっと缶ジュースが現れる。私は目を見開いてそれを差し出した人物を見上げた。すると予想していた人物が私にとっては見慣れた微笑で立っていた。


「ただいま。君の好みが分からなかったから適当に選んできたんだけど、大丈夫?」


「あ、大丈夫です。ありがとうございます」


私が缶を受け取ると月野さんは


「気にしないで」


と目を細めた。

 受け取った缶はひんやりとしていてその周りに吐いた水滴で微かに手が濡れる。そこに夕方の風が吹き付けて私から体温を奪っていった。そんな私の隣でまた少し不機嫌に見えなくもない表情をした月野さんが志倉さんに缶を手渡す。


「はい、これ」


「おお、サンキュ! ……さっきの話、聞こえてた?」


志倉さんは缶コーヒーを受け取りながら恐る恐る尋ねた。人から何と言われようと月野さんは気に止めないことは志倉さんも知っているのだろうが一応気にはしているようだ。


「ううん」


彼はそう言って首を横に振った。そして、定位置に腰を降ろすと缶のタブに指をかけながらいつものように何もない宙に目を向けた。


「それにしても今日は、えーと……。うん、志倉くんのせいで騒がしかった」


文句とは異なるが、少し疲れたように彼は呟く。その呟きに私も心の中でそっと同意した。不快ではなかったがいつもと違ったことは確かだ。


「……頼むから俺の名前覚えてくれよ、月詠」


彼の呟きに志倉さんはと心底困ったように返す。私はその言葉につい笑みを溢してしまった。

 ああ、何だか楽しい。こんな空気も居心地がよくていいかもしれない。見上げるといつもは自分の部屋から見ている一番星が暗くなり始めている空に輝いていた。

実はこの話、前ふりだったりします。そろそろ「狂人・月詠」の意味を明らかにしたいなー、と思っています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ