scene5 癒しの再開 ― だが、条件付きで
最初に起きたのは、奇跡と呼ぶにはあまりに小さな出来事だった。
広場の外れ、群衆が散り始めた頃。
長く腰を痛めていた男が、ふと背を伸ばす。
違和感が薄れたことに気づき、首を傾げる。
「……あれ?」
誰かが囁く。
風が、わずかに動いたと。
精霊が姿を現したわけではない。
光が降りたわけでもない。
ただ、痛みが一段階、下がっただけ。
偶発的。
微弱。
説明のつかない、些細な回復。
だが――
沈黙していたはずの世界で起きたという一点だけで、
その出来事は意味を持ちすぎた。
人々の視線が集まる前に、
ラグナの側近が動く。
遅滞はない。
逡巡もない。
「応えたのだ」
断定が、空気を切る。
「沈黙の中でも、信を捨てなかった者に」
「耐え抜いた者に、精霊は応えた」
言葉は速やかに整えられ、
不確かな現象は、物語の一部に組み込まれる。
誰かが頷く。
誰かが胸を撫で下ろす。
――やはり、意味はあったのだ。
――無駄ではなかったのだ。
それが、最初の解釈だった。
次に起きたのは、視線の変化だ。
癒された男を見る目。
羨望ではない。
祝福でもない。
評価だった。
(彼は、耐えたのだ)
(正しくあったのだ)
誰も口には出さない。
だが、沈黙の中で順位が生まれる。
癒しは、もはや「必要に応じて与えられるもの」ではない。
それは、結果になった。
信じ、働き、疑わなかった者に現れる証。
沈黙を肯定的に受け入れた者への返礼。
癒されなかった者は、責められない。
だが――
理由は、内側に探される。
(まだ、足りなかったのだ)
(耐えが、浅かったのだ)
条件は、誰にも明示されない。
それでも、人々は理解する。
癒しは恵みではない。
選ばれた証だ。
その場の片隅で、ティエナは立ち尽くしていた。
精霊の流れを、かすかに感じ取る。
確かに、何かは起きている。
だがそれは、回復ではない。
癒しが、人を分け始めている。
救うための力が、
正しさを測る道具に変わっていく。
彼女は気づく。
ここから先、
癒しは人を助けるものではなくなる。
癒された者が正しく、
癒されない者が、まだ足りない。
そういう世界が、
静かに始まってしまったのだと。




