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scene8 風が残る
ティエナは、広場を去る。
別れの言葉はない。
手を振ることも、振り返ることもない。
人の流れに逆らわず、
そのまま通りへ溶けていく。
誰かが見送ったわけではなかった。
気づいたときには、もういない。
広場は、すぐに元の顔に戻る。
井戸の水は汲まれ、
修理屋は作業を再開し、
屋台の声も続く。
だが、変わったものがある。
人々の歩く速度が、
ほんの少しだけ落ちた。
急がなければならない理由は、
相変わらず存在している。
それでも、
一歩と一歩の間に、
余白ができていた。
ハルドは作業台の前で立ち止まり、
空を見上げる。
今日は、早仕舞いでもいい。
そんな考えが、
不意に頭をよぎった。
理由はない。
だが、歩ける。
レナは井戸端に腰を下ろし、
洗濯籠を脇に置いた。
水を汲む前に、
少しだけ休む。
誰に許可を取るでもなく。
広場は、
相変わらず“途中”の場所だ。
だが、その途中に、
立ち止まれる間が生まれた。
癒しは、奇跡ではなかった。
それでも、
なければ歩けなかった。




