scene3 沈黙の前 ― 最後の確認
「癒し手ティエナ・ルー・リード」
評議官の声が、名を呼ぶ。
広場の視線が、ゆっくりと彼女に集まる。
促されるまでもなく、彼女は一歩前に出た。
拍手はない。
だが敵意もない。
ここでは、彼女はまだ「祝福を与えた者」だった。
ティエナは、すぐに口を開かなかった。
代わりに、意識を沈める。
深く、静かに。
これまで何度もそうしてきたように、精霊の気配を探る。
――応えて。
言葉にはしない。
祈りでも、命令でもない。
ただ、確認。
だが、返事はない。
風は流れている。
空気は動いている。
けれど、そこに“重なり”がない。
以前と同じ沈黙。
――のはずだった。
だが、違う。
ティエナは、その差異を、身体で理解してしまった。
これは、拒絶ではない。
背を向けられた感触ではない。
重い。
鈍い。
引きずるような静けさ。
まるで、長い間呼び続けられ、
応え続け、
削られ続けた末の――
疲弊。
「……」
胸の奥に、冷たい理解が落ちる。
精霊は、去っていない。
人を見限ったわけでもない。
ただ――
もう、応えられない。
声を返す力が、残っていない。
それは、人が倒れたときの沈黙に似ていた。
拒否ではない。
否定でもない。
呼ばれても、手を伸ばせない状態。
ティエナは、ゆっくりと息を吸った。
あの日、彼女は沈黙を「立てている証」だと訳した。
だが今、同じ沈黙が、まったく別の意味を持っている。
これは祝福ではない。
合格でもない。
限界だ。
精霊は、まだ関わろうとしている。
それでも、もう言葉を返せないほど、消耗している。
――だからこそ。
ここで黙れば、
この沈黙は、完全に“肯定”として固定される。
彼女は理解していた。
今から口を開くことは、
自分を守る行為ではない。
信頼を失う選択。
秩序を壊す選択。
そして、二度と同じ立場に戻れない選択。
それでも。
沈黙の意味を、
これ以上、誤訳したままにしておくことはできなかった。
ティエナは、精霊から視線を戻し、
人々の前を見据える。
その沈黙の中で、
彼女は、ようやく決めた。
これは衝動ではない。
感情でもない。
理解した上での、選択だった。




